“転生者” 作:ダフネキチ
「………」
「………」
「……。王の責任、か」
――近くから、無数の兵の足音が聞こえてくる。
バタバタと辺りを駆け回り、隠れ場所を燻り出すように擲弾が四方八方に打ち上がり、木箱や壺が壊されていく。
虱潰しに、兵は此処――“遺跡”を探し回っている。
――ぼくたちは、そこの“隠し部屋”。その中でひっそりと息を潜めていた。
“遺跡”というロケーションは中々に判断に困る場所だ。敵はまあまあ強く、まあまあ物資が多い。
序盤に行くには早すぎて――終盤に行くには遅すぎる。中盤も……フィールドボスを倒した方が稼げるのが実情だ。
それが“隠し部屋”。
遺跡の片隅にある――幻影の床に隠された、地下だ。
物資が良い感じに揃っている所で……今は、ぼくたちの隠れ場所。
「……もう少し、此処にいた方が良さそうだね……」
「そうだな。ここらで見失った事は気づいているだろう。完全に警戒が解けるまでじっとしていた方がいい」
――中央砦、屋上。副官を倒した後、兵たちの討ち溢しの人馬の戦士を掠め取った後、当然のように追い回される中。
ぼくが提案したのは此処だ。幻影の床に隠されているのだから、バレづらい。そこで少し身を潜めてから――何処かに逃げる。
それが最初のプランだったけど……
「……それにしても、隠者は“擬態の魔術”が本当に上手だね。また
「ふふ、坊やの助けになれたなら嬉しいわ」
幻影の床は一度、解けると――ずっとそのままだ。隠していた地下への階段が丸見えになる。
しかし、隠者はまた新たに幻影を産み出して入口を隠した。いとも容易く。
おかげで外がドッタンバッタン大騒ぎだが、こうしてヒソヒソ話が出来ていた。
(……“ゲーム”じゃあそんな描写は無かったけど……やる必要が無かっただけかな)
一刻も早く敵を殲滅して武器物資を漁りまくるゲーム性にそぐわないからそれは当然かもしれない。
「“輪の魔女”に教えて貰って良かったわ。私はこうしたのは、あまり得意じゃなかったから」
「……“前”の仲間か?」
「ええ、一緒に魔術を学んでいた同志。……あっちが、今もそう思ってくれてるかはわからないけれど。喧嘩別れ、しちゃったし」
ぼくは、二人の会話を聞いて――顔が引きつった。
だってその名、“輪の魔女”は、“隠者”のジャーナルにおいて重要なキーパンソンだったからだ。
共に魔術を極めていた同志。しかし、“かじりやさん”という魔術生物の暴走によって――
“ゲーム”での、話。
「ああっと、ええっと……」
「坊や?……どうか、
うわああ、含みある……!含みある笑顔だ!絶対何か感づいている笑顔だ……!
「その……“輪の魔女”、さんとはどうして?」
「……意見の相違、かしら。私は諦められなかった。彼女は――終わりにしようとした。それでいっぱい喧嘩しちゃってね。今も、里の跡にいるんじゃないかしら。他の同志は、とっくに昔に何処かに行ってたし」
「そっ……そかぁ……!」
破綻してる……!分かってはいたけど……!
空気の読めない誰かさんのせいでめためたになってるのはわかっていたけれど……!!
……これ、根本的におかしくなってるよな。たぶん。
ぼくは隠者に屈むように手を振る。
聞かれて困るような内容……なのかはわからないけど、プライバシーの観点で。
追跡者もその意図が伝わったのか、近くにあった宝箱を漁りだした。
そうして、ぼくは聞いた。
うすうす、なんとなく、答えがわかるような質問を。
「それで……えと、隠者ってさ」
「なあに?」
「――“かじりやさん”を探す為に、“円卓”に来たんだよね?」
隠者はその言葉に少し瞬きをすると――優しく微笑んで、ぼくの頬に手を触れた。
「それもあるわ。けれど、一番は――
「―――」
「もう二度と離さないように、私が今度こそ抱きとめる為に。私は、此処に来たの」
……同化?ぼくが?かじりやさんと?
えっ?えっ!?たっ、確かに……かじりやさんは“夜の王”を齧った事で同化してしまったというのが筋書きにある。
ぼくの中にいつから“夜”があったのか、知らないけど可能ではありそうだった。
……。……グノス ――そうだよねママが悪いのあの時あのクソ騎士をぐちゃぐちゃの肉か―― フォルティース。
まだヘラりから治っておらず、仰向けに倒れて虚空にぶつぶつと呟いているグノスターの側でじっとしているフォルティスに呼びかける。のそりと首が此方に向いた。
えっとさ。そこに君ら“夜の王”以外に誰かいる?
フォルティスは首を傾げる。
それは、何を言ってるの?――という意味ではない。
「……ひぇ」
いつからか知らないがあの、ルビコニアンミールワームみてぇな奴が取り付いていた事実にゾッとす――あっ!そういえば、ちょっと前にぼくの奥にあった“夜”で声掛けてきたな!アイツか!
「坊や、貴方の事。何となく掴めてきた。けれど――安心して。私たちは……私だけは、決して貴方を責めたりはしない」
「………」
「だから、何か。前もって言いたい事はある?……遠慮しないで?
……もう、ぼくは“転生者”の事実を隠すつもりはない。
だから……まあ、確かに。“ゲーム”の事とか。
隠者には、前もって話しといた方がいいかも?円卓の中で一番頭いいし、皆に良い感じにまとめてくれるかもしれ―――
その時。
中身がシケていたのか、宝箱に蹴り入れてる彼を。なにしてんねん、蛮族が染み付き過ぎてるぞ。
そして何故か、脳裏に浮かび上がった。
あの
――無の荒野をただ、歩いてゆく。
「坊や?」
「――ねぇ、追跡者」
「……?どうかしたか?こそこそ話は――」
「このまま“夜”を終わらせれば――“レディ”が消滅するって話、知ってる?」
ぼくの言葉に、場は静まり返った。
追跡者はしばらく固まると、手にしていた“グランサクスの雷”を壁に立てかけ、屈むぼくたちに合わせるように屈んだ。
兜越しでも、その目は――真剣だった。
「詳しく話せ」
………
……
…
「はぁぁぁああ!!」
“円卓”の浜辺で裂帛の叫びが聞こえてくる。
それでも隠せない軽やかな声色を乗せた少女は、全力で――“ソレ”を振りかぶっていた。
かつて、無頼漢が自らの勇姿を誇る為に改造した船首――“無頼漢の大斧”を。
それよりも小さい、“復讐者”が。
ドシンッと重量任せの一撃が振り下ろされる。
狙いは、無頼漢が適当に持ってきた岩。それは少女が振り下ろしたとはいえ凄まじい重量に襲われ、割れる――事は無かった。
普通に空振っていたから。
地面に叩きつけた重量の反動で、軽やかな人形の身体が軽く宙に浮いてふわりと衣装がなびいた。
「………」
「……はぁ……はぁ……」
復讐者は人形なのに満足げに息を切らすと――見守っていた無頼漢を見る。
無頼漢は………――サムズアップした。
「勢いは良いなっ!!」
意訳――「気概は認める」
そんな風景を見ながら――“レディ”は溜息を吐いた。
愛する人と、追跡者、隠者が出かけてしばらく。
復讐者のワクワクブートキャンプは当然のように成果が無かった。当然だった。そもそも、この“円卓”で技量をあげたとて“リムベルド”に行けば効果は無くなるし、死ねば元に戻る。
それに……その、復讐者は人形だし。根本的に鍛えるなんて不可能だった。
だが、それでもあまり止める気はレディにも……他の“夜渡り”たちも無かった。
“彼”が来る前の――憎悪に塗れていたあの時を見ていれば。どうにも、意気を削ぐような事は出来ない。
……とはいえ、意味のない事に付き合う気はないらしく――鉄の目や執行者はもう此処には居なかった。
「むぅ……
「……マジかよアレで?……んんっ!そうさな……俺みたいに筋肉がなぁ」
その言葉に、復讐者は無頼漢の腕と自らの腕を見比べる。無頼漢の腕は、目の前の岩に届きそうなくらいには逞しい。まさに“漢”らしい腕だった。
……結構邪魔そうよね、私はもっと細っこくてもちゃんと側にいてくれるあの人の――げふんげふん。
「……鍛えるか」
「いや、お前さん人形だろう」
「……人形でも、何とかなるかもしれないだろう」
「んんんー。そうだと言ってやりてぇけどなぁ……もっと、デケェ人形の腕でもありゃあ……」
「……人形の、
ふと、二人は黙り込む。そして視線を向けた先には――レディの側に控えていた、召使
もっと厳密に言えば、四本ある彼の
「「
「――いけまセンよ……!?」
召使人形は彼らしからぬ悲壮な声で叫んだ。
まあ、わかる。……レディはその軽やかな身のこなしで巻き込まれないように逃れた。
「巫女サマ……!?」
「まあまあまあまあ」
「
「いやアノ!ごっ、互換性!互換性がありませ――アァ!お辞めください!」
「……止めなくて良いのか?」
レディがスルスルと、同じく見守っていた守護者の元に移動するとそう聞いてくる。
「まあ、楽しそうだからいいんじゃない?」
「楽し……たの……うーん……」
守護者は悩んでいる呻きを聞きながら、レディは騒ぐ三人を眺める。
――“夜”との戦いもそろそろ佳境だ。
なんとなく分かるのだ、もうすぐ届くと。
“夜の王”に。真なる意味の――“夜”を統べる者に。
そうすれば、皆ともお別れだ。
“夜渡り”の役目を終え、あるべき所に還る。
(……あの人も)
“彼”の場合、全てが終わったら何処に還るのかはわからない。けれど、何処かには還るのだろう。
奇跡のような再会も無かったように。
(それでも、いいわ)
元々、会う事すら出来ないはずだったのだ。……自分の事を忘れていたのは、少し……いや、かなり寂しかったけれど。
でも、確信している事はある。
誰にも伝えていない、レディの――“巫女”の秘密。
(今回は、
笑っちゃうような話だが、それだけで……レディの心は何処か穏やかになるのだ。
自分の為に死んでいった“彼”。自分の為に置いていった兄。
その意趣返しだと思えば。
空はまだ晴れず。
淀んだ曇り空の先には、何も見えない。
けれどレディには確かに見えていた――“夜明け”の瞬間が。
「……うぅ……お忘れしたご主人様、お許しを……召使は汚されてしまいまシタ……」
「おお……それで、どうやって嵌めるんだこれ?」
「むぅ……
……あら?
じょっ、冗談じゃなくて本気で腕を変えようとしている!?
「……退屈しない“群れ”だな、まったく」
………
……
…
――ぼくは、“夜”の終わりについて話した。
それが意味するのは、“夜渡り”の使命。
――夜の王を殺す事。
けど、この場合の“夜の王”はグノスターたちやリブラのあん畜生を指すのではない。
それを統べる主――“夜”を、象る者。正真正銘の“夜の王”だ。
彼を……いや、ソレを殺せば――“夜”は明ける。
そして目的が果たされた“夜渡り”の魂は、縛りから解放され何処かへと還っていき……――“
役目を失い、消滅するあの場所と。
「………」
ぼくの話を聞いて、追跡者は言葉を咀嚼するように腕を組む。
信じられないのかもしれない。ここに来た以上、何かあるのはわかっていた。それに殉じる覚悟もあった。
けど――自分の妹だけが、そうなるなら冷静ではいられないだろう。
「それは本当なの?坊や」
話を聞く内に、ぼくを撫でる頬を止めた隠者がそう聞いてきた。
「うん。結末は変わらないと思う」
「そう。……なら、やっぱり“夜”を終わらせる訳には行かない……」
「――何とかする手段は?」
追跡者の言葉。重い、その言葉に――ぼくは頷いた。
「ある。けど、教えたくない。他にも何かあるはずなんだ」
「……そうか」
――ぼくは
それでも、きっと。
“追跡者”は問い詰めてくるだろう。
確実な方法があるならば、それを選ぼうとしてくるはずだ。
……“ゲーム”では、そうやって歩んだせいで。あんな悲しい結末になった。
耳奥から、砂を踏む音と剣を引きずる音が聞こえてくるような。そんな気がした。
「………ふぅ――」
追跡者が息を吸った。
何を言っても答えないつもりだけど、今目の前にいるのはキャラクターじゃない――生きている、“ぼく”の友達だ。
説得をされるかも―――
「はぁ……帰ったらまず、
……えっ?
「隠者、知恵を借りたい」
「良いわ。……けど、今は特に思いつかないわね。あと、“円卓”に関してなら執行者の方が詳しいかもし――」
「自白剤だな」
「判断が早すぎる……」
えっ、と……?
「おい。その手段も後で一応教えろ――
「おっ、おう」
「……?どうかしたか?」
「いや、どうかしたか……ていうか」
ぼくはじっと追跡者を見る。あの、“追跡者”を。
「……きみが、きみじゃないみたい」
「………」
抽象的な、端から見れば変な言葉だった。
けれど、追跡者は少し黙ると――懐から、何かを取り出し、ぼくたちに見せてくる。
それは楕円形をした、不思議な紋様が刻まれた“首飾り”。
その――
見たことがあった。“ゲーム”内では、追跡者の想いを示す重要なアイテム。そして――人によっては二度と手放せない呪いの装備。
「これは?」
「俺の故郷のものだ。割れているが、戒めとして持っている」
「いましめ」
「うむ……――
追跡者はしばらく耳飾りを眺めると、口を開いた。
「昔、俺と
「双子……珍しいわ」
「ああ。妹はまだ幼かったが、馬の扱いは上手くてな。ある程度出来るようになってからはよく遠乗りに出かけるようになった。故郷の近くには気持ちの良い丘があったんだ」
昔を懐かしむ言葉に。
ぼくはじんわりと温かな気持ちになった。
双子の馬は、追跡者とレディを現した重要な言葉。彼ら兄妹の仲の良さとその想いの強さを示していた。
………。
あの、なんでこっちを見ているだろうか。
「あの日の事だ。俺たちはいつものように遠乗りに出かけ……工房から殆ど出ていなかったお前を、縄で縛り付けて丘まで引きずり回した事があった」
「……間接的な殺人事件の話してる?」
「いや?元気に悲鳴はあげてたぞ」
「そういう問題なのかしら……?」
「丘についた時、お前は怒って殴りかかってきた」
「でしょうね」
「その喧嘩中に、これが割れてな。……直してほしかったんだが、頑としてやってくれずに今の今までいる」
「余っ程腹に据えかねたんでしょうね……」
「……心配だったんだ。数カ月は外に出てなかったんだぞ」
いや、それにしたってだぞこのお転婆兄妹め。ぼくが超有能転生者じゃなければとんでもねぇぞ。
こっちが微妙な反応なせいか、少しふてくれされたように追跡者は耳飾りを仕舞う。それでも大切なのが分かるような優しい手つきで。
「ともかく、それ以来。戒めとして持っている事にしたんだ。流石に、一ヶ月無視は堪えたからな」
「どんな戒め?」
「誰かを想っての行動でも、
淀み無く、追跡者はそう告げた。
心の内を明かすように――一言一句覚えていた言葉を諳んじるように。
「誰かを想うならばこそ、その想いを伝えねばならないと」
「………」
「………」
「………」
「「………」」
「……なんだ、その目は」
ぼくと隠者は顔を見合わせて……追跡者を見た。
「「でも、妹さんは了解を得ずに置いてったんでしょ?」」
「………」
「「………」」
「………。……いや、あの頃の妹は幼かったから夜を追うなんて危険な真似はそれにあんな根なし草の生活をさせ―――」
声ちっさ!
……。ぼくは視線をそらしてうだうだと言い訳を垂れる追跡者を見る。
――彼は変わっていない。
一人で突っ走って問題を解決しようとする自己完結マンの根っこは変わっていない。
でも、けれど……一歩待って。考えようとする余地は出来ていた。
それが……その、なんか……“ぼくのおかげ”……なんだと思うと。
少しうれしかった。
……
「――んんっ!まあ、そういう訳だ」
追跡者は強引に話を纏め出した。
「この件は、“円卓”に帰ったらアイツも交えて改めて話す。全ても諦めるには……まだ早すぎるからな」
そうしてグランサクスの雷を手に取ると、幻影を槍で突いて消した。
――もう、こちらを探す音は聞こえない。見上げた空に、“夜”が混じってきていた。
「もう少し、ルーンを何処かで稼いで行こう。夜の王に敗北してから、話を進めるには――兄として、格好が付かないからな」
――“夜”が深まっていく。
人の兵と人馬の戦士。
双方、数を減らしていった“リムベルド”でこそこそと人馬の戦士を闇討ちし、追いかけ回してくる人の兵から逃げるという――なんだか山賊めいた事をしつつ、ルーンを回収していった。
宙に浮かぶ霊樹の下。
深まっていく“夜”の気配と、雨の音の中で。
――“敵”の影が見える。中ボスだ。
それを睨みつつ、ぼくは確信していた。
――“ぼく”の素行から。
「この後、邪魔が入るのに賭けるね。追跡者は?」
「仰々しく現れるが邪魔が入るに賭ける」
「賭けになってないわ……」
深まる“夜”から現れたのは――巨大な人の形をした、竜頭。
“ノクスの竜騎兵”。
かつての黄金の地、そうなる前の先史文明において――黄金樹をこの地に撃ち込んだ“大いなる意思”が差し向けた悪意に対抗する為に作られた、人為的な竜の戦士。
だが……結局のところ。何の役目も果たす事もなく、先史文明はあっけなく滅び去り、竜騎兵たちは永遠に地下に閉じ込められてきた。“夜”に呑まれ、全てを失ってやっと――彼らは役目を得た。
“夜”の尖兵として。
――その内の一体が咆哮をあげ、己が力を振るおうとした
その醜い竜頭に、光の矢が突き刺さった。
「ですよねー……なんか、今回散々だな。リムベルドの諸君」
抵抗も無く、身体中に光の矢が降り注ぎ続け、やがて命が潰えたのかその姿を“夜”に溶かしていく。
ぼくはぐるりと、
「さぁって、君らが相手してくれるの?」
あらゆる存在に有害な“夜”の雨。
それに晒されながら人馬の戦士たちが現れた。まだそれなりの数が各地にいたらしい。
「……隠者」
「ええ、囲まれてる。これは……」
霊樹の下は開けている。逃げ場がない。
……正直、ちょっとマズイ。
それでも逃げる選択肢は無かった。だってぼくたちは“夜渡り”。夜の王を目前として諦める訳にはいかない。
……囲まれてるんだから、最初から逃げれないだろとか言っちゃいけに。物は言いようなのだ。
……
人馬の戦士たちは何もしない。
ただ、雨に晒されながら――膝をつき、頭を下げた。全員が。
……霊樹から、いつもの謎めいた粘液が落ちてくる。
――通って良いようだ。
「……何がしたいんだコイツらは。お前が言う通りなら、この先には――」
「うん。いるはずだよ」
フルゴールが。彼らの将軍が。
……ふと、屋上で見かけた副官の事を思い出した。
「行こう。思惑がどうであれ、行かせてくれるに越した事はないからね」
ぼくはそう言って、二人を急かす。
そうして粘液から上がっていく中で――“夜”に声もなく、沈んでいく戦士たちの姿を見た気がした。
気がつくと、いつもの霊樹の中。白い空間に立っていた。
……周りには――
そのどれもが途中で息絶えているように見える。
そして、無念そうに歪んだ顔のまま手を伸ばしている先には――あの、大扉がある。
“夜の王”へと続く、あの荒野へと繋がるものが。
ぼくたちは無言のまま、大扉に手を掛けた。
目の前に広がっているのは、無の荒野。“夜の王”の領域。
その空は――黄昏色に染まっていた。垣間見た記憶と、一人で戦ったハルモニアの時に見た色とそっくりだった。
「神々の光か……?」
追跡者の呟きに、ぼくは首を振った。
「いや、
「は?」
「
なんとなくわかる。
上から見下ろしてくる気配を感じない。
けれど――荒野に注がれる光は、本物のように感じた。
「坊や、追跡者。見て」
隠者は、威光だけが注がれる荒野の先にある――何かを指さす。
それは、
人馬の戦士たち、そしてフルゴールがその手に携えていた特徴的な剣。鉄杭のような形の、宗教的なシンボル。
……遠くから見ても、その剣は――やけに小さいように見えた。
追跡者と隠者は、ぼくを見る。
その意図は分かっていた。
「………」
ぼくはおそるおそる、剣まで歩み寄る。
近づけば近づくほどに、その剣は人馬が使うには小さすぎた。
まるで――
「……抜くね」
ぼくは二人にそう告げてから、勢い良く剣を引き抜く。
軽すぎず重すぎないその剣はぼくの手に収まったかと思ったら――黄昏色の光に変わり、ぼくの胸の中に溶けていった。
困惑も――
轟音と共に、その巨大な影は――荒野に降り立った。
記憶の中にある巨躯の戦士。人馬たちよりも一回り大きい、彼らを統べる将軍。
神々の威光を示す黄色い甲冑は、今や“夜”に汚れきっていて。
陰る兜の奥は、何も見えない。
「………」
何も語らず、何も表さず。
フルゴールは。
光の矢が、構えられる。
―――
[割れた耳飾り]
かつて、とある部族が身につけていた耳飾り。
光にかざすと刻まれた紋様が輝くその技巧は、極めて精緻な人の手によるもの。
しかし、これは割れて久しく。角は丸く潰れている。
これを手に、青年は想う。
“夜”が奪い、蝕んだ――在りし日の温かな温もりを。
……双子の馬が共に駆ける日はもう来ないのかもしれない。
けれど――それが。
またいつかを、願わない事ではないと青年は学んだ。
事が為されるその日まで。
――別れが来たるその日まで、諦める理由はない。
―――
―――
[人馬の儀礼剣]
かつて存在していた神々の戦士、“人馬”が用いていた特徴的な剣。
神々への忠誠と奉仕の誓い、その象徴であり――確固たる信仰は、剣の“形”に聖性を帯びさせるに至った。
……が、この剣は巨躯を誇った人馬にしては小さすぎる。只人が持つに適しているだろう。
人馬の国はその繁栄とは裏腹に、急速に衰退し滅び去ったという。
それは将軍フルゴールが、ある夜に失踪し――彼の戦士たちもそれに続くように次々と姿を眩ませたのが起因とされているが、真実はわからない。
だが、名は今なお残り続けている。
――“人馬の将軍、フルゴール”。
偉大なる神々の戦士、その意に最も忠実であった模範たる下僕。
―――