「さて──ダイ君」
ソープが、今度はまっすぐに少年の名を呼んだ。
「はっ……はい!」
突然名前を呼ばれ、ダイは思わず背筋を伸ばした。
右手と右足、左手と左足を同時に動かしそうなぎこちない歩き方で、
緊張した面持ちのままソープへ近づいていく。
「大魔王バーンを倒した、その『竜の騎士』の力……
その根源たる『紋章』は、二つある」
ソープの視線が、ダイの胸元と額を交互に見やる。
その瞬間、ドラゴンドロップがふるりと震え、淡い光を放った。
この世界の“竜の紋章”と、遠い星団の“ドラゴン”が、一瞬だけ共鳴する。
(やっぱり、“竜”だ)
ソープは胸元にそっと手を添え、
しかし何も言わずに話を続けた。
「そのうちひとつは、もともとキミの父上のもの。
それをキミに譲ったものだ。
つまり──その『紋章』は、
ダイ君から“抜き取る”ことができる」
「っ……!」
ダイの喉が、ひゅっと鳴った。
周囲の仲間たちにも、動揺と驚きが走る。
「レオナ姫。ここからは、ボクのアイデアなんだけどね」
ソープは、今度はレオナへ振り向く。
「ダイ君から『紋章』の力を引き抜き、彼を“ただの人間”に戻す。
そして、その『紋章』を──レオナ姫の『パプニカ王国』に管理してもらうんだ」
「「「!!」」」
その提案に、一同が息を呑んだ。
「なっ、そんなことが……!」
ポップが思わず声を上げる。
「なに、ダイ君から完全に『紋章』を奪うわけじゃない。
さっきのコアと違って、これは捨てるためじゃないからね」
ソープは軽く人差し指を振る。
「もしかしたら、いつかまた──
なにか、とんでもない脅威がこの世界に迫るかもしれない。
そのときには、きっとまたこの『竜の騎士』の力が必要になるだろう。
だから、『紋章』は安全な場所で眠らせておいて、
“いざというときだけ”取り出せるようにしておく」
「そして、その『いざというとき』を判断するのが──
パプニカ王国だ」
ソープはレオナを見る。
「この世界の命運を預かる者たちが決める。
“竜の騎士の力を再び使うかどうか”をね。
おもしろいと思わないか?」
ダイは、ぎゅっと拳を握りしめた。
自分の中にある『竜の紋章』。
それがなければ、自分はただの少年だ。
だが、その“ただの少年”でいたいと願った自分がいるのも、確かだった。
大魔王バーンを倒せたとて、
「竜の騎士だから」という理由で、
おまえは人間社会から迫害されるだろう、と、バーンは言っていた。
だから、すべてが終わったら
自分は地上を去るつもりで戦った。
でも、それでも、傍にいてくれた仲間たち。
「……ダイ君の気持ちは、どうなの?」
レオナがそっと問いかける。
ダイは少し俯き、しばらく黙って考えた。
仲間たちの顔を一人一人見つめ、
最後に、レオナの顔を見て──
「オレは……」
言葉を探すように、一度唇を噛む。
「オレは……みんなと一緒にいたい。
竜の騎士だからとか、そういうの、関係なしに。
“普通のダイ”として、ここにいたい」
それは、少年の、素直すぎる願いだった。
「だってさ!」
そこへ、ポップが割り込む。
「オレは賛成だな!
なにせそれが出来れば、ダイはずっと……
なんも心配しないで、みんなと一緒にいられんだろ?!」
「そうね」
マァムも静かに頷く。
「私はむしろ、今すぐにでもそうしてほしいわ。
ダイにとって、それが一番いいことだもの」
「そうだぜ! ダイはもっと自分の幸せを考えた方がいいんだよ!!」
ポップは、わざと大げさに胸を張って言う。
「お前が“普通に笑ってられる”世界を守るためなら、
オレだっていくらでも頑張るしな!」
彼が周りを見渡すと、皆も次々にうなずいた。
首を横に振る者は、一人もいない。
「決まり、ですね!」
アバンが静かに言う。
その声には、師として、ひとりの大人としての覚悟が滲んでいた。
「じゃあ、決まりだ」
ソープが満足そうにうなずく。
「とは言っても、ボクがやるわけじゃないんだけどね。
この仕事は、彼女にお願いしよう」
ソープが、少し身体をひねって背後に声をかける。
「リンス、おいで」
「はい……」
次の瞬間、ソープのすぐ後ろに、黒髪の女性が現れた。
腰まで伸びた長い髪。
若干の装飾はあるが、鎧ではなく動きやすそうな服をまとった、細身の女性。
それまで“そこ”には、誰もいなかった。
気配すら感じなかったはずだ。
「っ?!」
勇者一行の何人かが、思わず肩を震わせる。
しかし、誰もそれを口に出さなかった。
(……もう驚いてたらきりがねぇな、こいつら関係は)
ポップは心の中でそう毒づき、半ばあきらめのため息をついた。
「彼女は、メル・リンス・ウザーレ・ターマ」
ソープが紹介する。
「魔法の使い手としては、ボク以上でね」
「リンスとお呼びください」
リンスは、丁寧に一礼した。
「この子に任せるよ」
「はい……」
リンスが一歩前に出て、ダイの前に立つ。
「ダイ様。少し痛むかもしれませんが、我慢してくださいね」
やわらかな声。だが、その瞳には揺るぎない集中が宿っていた。
ダイは一瞬躊躇したが、すぐに顔を上げた。
「わかりました。お願いします」
その返事に、レオナは胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
それでも、何も言わず、ただ見守る。
顔を青ざめさせているのは、ポップだった。
「ソープ以上の魔法の使い手……?
“あれ”より上が、まだいるってのかよ……?」
思わず顔を押さえるポップに、メルルがくすっと笑う。
(きっとソープ様は、“自分だってなんでも出来るわけじゃない”って言いたいんだろうけど……
あれだけのことを見せられた後じゃ、説得力が……)
苦笑を噛み殺しながら、メルルはリンスの動きを見つめる。
リンスは、ダイの目の前に立つと、両手のひらを上に向けて開いた。
「さ、あなたの手を出してください」
「はい」
ダイが、恐る恐る両手を前に差し出す。
リンスは、その手の上に、自分の手のひらをそっと重ねた。
「ちょっと、くすぐったいですよ?」
「えっ?」
その言葉と同時に──重ねられた手を中心に、眩い光が走った。
光は紋様を描くように広がり、ダイの両腕を這い、胸元へ、額へと流れ込んでいく。
ソープの胸元のドラゴンドロップも、それに呼応するように淡く光った。
別の世界の“竜”の力を、ほんの少しだけ導き、形を変えるための触媒のように。
「……っ!」
ダイは歯を食いしばった。
熱いような、冷たいような。
身体の奥底から、何かがゆっくりと引き抜かれていく感覚。
それは痛みというよりも、“剥がされる”違和感に近かった。
自分の一部だと思っていた何かが、
やさしく、だが確実に分離されていく。
数秒後、光はふっと収まった。
リンスが手を離すと、ダイは胸元を押さえながら、その場にしゃがみ込む。
「ぐっ!」
「ダイ君! 大丈夫?!」
レオナが駆け寄る。
「うん……」
息を整えながら、ダイはゆっくりと立ち上がった。
「なんていうか……自分の中にあった“なにか”が、
すぅっと無くなったような……
ちょっと、不思議な感じだ」
そう言いながら、自分の両手の甲を何度も見つめる。
そこには、竜の紋章は出てこない。
それは、少し心細くて──けれど、どこかホッとするような感覚でもあった。
リンスが、自分の手をゆっくりと開いた。
その掌には──大きな丸い宝石が嵌った指輪が、二つ握られていた。
「出来ました。完成です」
「おお……」
皆が思わず息を呑む。
右手の指輪には赤い宝石。
左手の指輪には青い宝石。
そして、その宝石の中には──
それぞれ“紋章”がひとつずつ、静かに輝いていた。
その光は、先ほどソープの胸元で瞬いたドラゴンドロップの残光を、
わずかに宿しているようにも見える。
「ソープ様、こちらを」
「うん、ありがとう」
リンスは二つの指輪をソープに手渡し、静かに一歩下がる。
「この指輪には、それぞれ『紋章』が封じられている」
ソープは、皆に見えるようにそれぞれの指輪を掲げた。
「赤いほうが、父上から譲られた紋章。
青いほうが、もとからダイ君に宿っていた紋章だ」
彼は、二つの指輪を握り合わせる仕草をしてみせる。
「『紋章』の力を開放するには──
まず、青いほうをダイ君の指にはめる。
そのうえで、もうひとりが赤い指輪を持ち、
こうやって、互いの手を合わせる」
ゴツン、と自分の拳同士を軽くぶつけるようなジェスチャーをする。
「そうすれば、『紋章』の力はダイ君の身体に戻る。
逆に、もう一度同じことをして、その手を離せば──
また力は指輪に戻る、というわけ」
「そんなことが……」
アバンが感嘆の息を漏らす。
「ちなみに」
ソープは、わざとらしく肩をすくめた。
「同じことをダイ君以外がやっても、何も起きないよ。
これは“ダイ君専用”だからね」
「え~!! それ使ったら、僕もめっちゃ強くなれると思ったのに!!」
チウが両手をぶんぶん振りながら抗議する。
「人の話を聞け、チウ」
ヒュンケルが容赦なくツッコむと、周囲からドッと笑いが起きた。
「で、この指輪を──」
ソープは、青い指輪をダイに、赤い指輪をレオナに握らせた。
「えっ、わ、私が?」
「パプニカ王国を代表して、だよ」
ソープは意味ありげに笑う。
「王女を守る騎士がいて。
騎士の力は、王女のものだ。
そして──二人の手には、おそろいの指輪」
わざとらしく、ゆっくりと言葉を区切る。
「……あとは、“わかる”ね?」
「「えっ!?」」
二人が同時に互いの顔を見て、
次の瞬間、真っ赤になって視線をそらした。
「あーあ、これでお二人とも、完全に婚約成立ですね~」
メルルがニコニコしながら言うと、他の面々もすぐに乗っかった。
「おめでとうございます! お姫様! 王子様!」
ポップまで、ニヤニヤしながら囃し立てる。
「ひゅーひゅー!」
「お似合いだぜ~」
「結婚式はこのまま、ここで始めればいいのか?」
口笛を吹く者、茶々を入れる者。
一斉に二人を冷やかし始めた。
「な、な、な……!」
「え、えっと……!」
二人は真っ赤になり、お互いの顔をまともに見ることができない。
そんな浮ついた空気を、鋭く断ち切る声があった。
「さて──勇者ダイとやら」
ログナーが、空気をまるで読まずに割って入る。
「特別な力を失い、“ただの人間”になったわけだが──」
その言葉に、ダイの肩がぴくりと揺れた。
さきほど感じた“心細さ”が、再び胸に広がる。
横でアバンが、ほんの一瞬だけ苦笑する。
(本来なら、今の言葉は“師匠”である私が弟子にかけるべき台詞なのですが……
ですが、ここであの方に言われたからこそ、
きっとダイくんの胸に深く残るのでしょうね)
そう思いながら、アバンは静かに一歩下がり、ログナーに「場」を譲った。
だがログナーは、そんな師匠の内心など知る由もなく、続けた。
「まずは、周りを見ろ。仲間たちを見ろ」
ログナーの視線が、勇者一行を順々に巡る。
「誰も、“生まれつきの特別な力”を持っていたわけではない」
彼は、ぶっきらぼうに言った。
「あの大男──クロコダイン。
戦いのたびに身体中に傷を増やしながら、己の誇りだけを頼りに立ってきた戦士だ」
「む……」
突然名指しされ、クロコダインが少し照れくさそうに頬を掻く。
「ヒュンケル。
闇にも光にも身を置きながら、何度も倒れ、何度も立ち上がってきた男だ。
その剣の重さは、“選んだ道”の重さだ」
ヒュンケルは黙って目を閉じ、わずかに口の端を上げた。
「マァム。
ひとり悩み、迷いながらも、拳を磨き続けた女戦士だ。
自分の弱さを知っているからこそ、誰よりも強くあろうとする」
マァムは小さく息を呑み、ぎゅっと拳を握る。
「ポップ」
「ひっ?」
突然名を呼ばれ、ポップがビクッと肩を震わせた。
「最初は、誰よりも臆病だった。
だが、その臆病さを克服するたびに、一歩ずつ前へ進んできた。
逃げたいときに逃げず、
折れそうなときに折れなかったからこそ──今がある」
「……べ、別に……そんな大したもんじゃねーけどよ」
ポップは顔をそむけたが、耳まで赤くなっているのは隠しきれない。
「チウや、チームのみんなもそうだ」
小さな獣たちも姿勢を正す。
「誰もが、“自分で積み上げた力”を武器に戦っている」
ログナーは、ふっと息を吐いた。
「お前は、竜の紋章という“特別な力”を持っていた。
それは、確かに世界を救うための大いなる力だっただろう。
だが──」
そこで、彼の声の温度が少し上がる。
「それだけが、お前の価値か?」
ダイは、はっと顔を上げた。
「お前がここまで来られたのは、紋章の力だけか?
違うはずだ」
ログナーは、一歩前へ踏み出す。
「仲間を想う心。
どれだけ傷ついても立ち上がる根性。
自分が何者なのか悩みながら、それでも前を見続けてきた意地。
それらは、“紋章”なんぞとは関係のない、お前自身の力だ」
言葉は荒っぽいが──そこには揺るぎない信頼があった。
「『紋章』がないからといって、仲間に遅れを取っているようでは、
『勇者』の名が泣くとは思わんか?」
その問いは、叱責でありながら、同時に期待でもあった。
(本当に……良いことをおっしゃる)
アバンは、少し誇らしげな、少し寂しげな、不思議な表情で二人を見守っていた。
「いいか、勇者ダイ」
ログナーの声がさらに熱を帯びる。
「これからは、“竜の騎士”ではなく、
“ダイという一人の人間”として強くなれ。
紋章に頼らずとも、
仲間を、世界を、守り抜けるほどに強くなれ」
彼は、ダイの胸を指さした。
「お前が本当に『勇者』と呼ばれるのは──
特別な紋章を失ってなお、立ち続けたそのときだ。
覚えておけ」
その言葉は、重く、しかし不思議と心地よく胸に響いた。
ダイは、強く頷く。
「はいっ!!」
その返事は、先ほどまでの少年らしい声ではなく──
ほんの少しだけ、“一人前”に近づいた響きがあった。
「よし。その意気だ」
ログナーは満足げに一度うなずき、
すぐにぷいと顔をそむけて、皆に背を向けた。