DUAL・COAーヴァニッシュ・レガシー   作:メビウスE

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自分が書きたい所までいけるか不安になってきた()


2話

 

 

夢を見ていた。

 

それは痛いほどに眩しく、煌びやかな光に満ちた部屋の光景。 中心にいるのは、一人の男。 見知らぬはずのその男は、着飾った男女に囲まれ、穏やかな笑顔で談笑していた。 会話の内容までは聞こえない。だが、ただその光景を眺めているだけで、ロエルの心は不思議な幸福感で満たされていく。

 

血の繋がりなどない。 だが本物の家族よりも深く、固い絆で結ばれた大切な「家族(ファミリー)」たち。 そこはとても眩しく尊いものに見えた。

 

(俺も……そこへ…!)

 

必死に手を伸ばすが、光景は残酷に遠のいていく。

どれほど走り続けても愛おしい人々の顔は闇に溶け、あとには静寂と虚無だけが残された。

 

見渡す限りの暗闇の中、ふと背後に湿った気配を感じて振り返る。 そこには、あの男が立っていた。

 

「よくも俺を殺しやがったな……クソガキ……」

 

呪詛とともに大きな手がロエルの細い首を締め上げる。 指が喉に食い込み、気道が潰れる嫌な音が響いた。 薄れゆく意識の中で見えた父親の顔には、両の眼球がない。 暗く底知れない空洞からどす黒い殺意が溢れ出している。

 

抗う術を奪われたロエルの耳元で、男はさらに力を込め、最期の言葉を吐き捨てた。

 

 

「お前もこっちに来い……!」

 

 

 

………。

 

 

 

「はっ……! ハァ、ハァ……っ!」

 

ベッドから跳ね起きると同時に喉をかき抱く。 夢の感触は生々しく、絞められた跡が熱を帯びている。 床に這いつくばり、胃の底からせり上がる嘔吐感を必死に押し殺した。

 

視線の先には昨夜から時を止めたままの死体がある。 すでに冷たく動くはずのない肉の塊。 それなのに、今にも起き上がって自分を奈落へ引きずり込むのではないかという恐怖がロエルを支配した。

 

「ハッ、ハァ……っ! 嫌だ、近寄るな……!」

 

視界が明滅し、指先が痺れる。過呼吸だ。 パニックが極限に達し、ロエルの心が恐怖に屈しかけた、その時ーー

 

 

 

 

震えるロエルの右手が、まるで意志を持った他人のように動き出した。

 

 

 

「……っ、あ……?」

 

 

 

それはロエルの意志ではない。 皮膚の下の筋肉が他人のもののように動き、震えを強引に押さえつける。

そして一瞬の静寂ののち、右腕が、勝手に宙を舞う。

 

 

額、胸、左肩、右肩。

 

 

祈るような速さで十字を切る。 だがその指先が天を仰ぐことはなかった。 中指と人差し指を揃え、横たわる死体の――その喉元を、地の底を穿つような鋭さで指し示した。

 

 

「……Riposa in inferno(地獄で休め)

 

 

ロエルの口から漏れたのは、聞いたこともないほど低く、冷え切った残響。 十字で神をなぞりながら、指先で地獄を指し示す。

 

その矛盾したサインを刻んだ瞬間、脳内を焼いていた恐怖は消失した。 あとに残ったのは、氷のように冷えきった意識だけだった。

 

 

震えは止まっていた。

 

 

ロエルは静かに立ち上がり、存在しないスーツの袖口を整えるように左手首を優雅にひと回しした。

 

「……?」

 

一度もしたことがない仕草。それなのにひどく落ち着く。 先ほどの動作も"聞いたこともない"言葉も、初めから知っていたかのように身体に馴染んでいた。

 

「そうか……これが、『男』の記憶か」

 

先ほどの暖かい夢も、昨日の夜に見た凄惨な光景も、すべては男が辿ってきた断片だ。

 

 

ふと、自分の両手を見つめる。

 

 

ここには人を殺めることを何とも思わない、異常者の記憶が眠っている。 恐ろしい、だが、その知識こそ武器だ。

 

 

無力な少年が這い上がるための血塗られた地図。

 

 

例えそれが呪いだとしても構わない。

 

 

開いていた手を爪が食い込むほどの力を込め閉める

 

 

「……必ず、手に入れてみせる」

 

 

誰にも支配されない真の自由を。

 

そのためなら手段は選ばない。 この歪んだ世界が俺を拒むなら、その喉元を食い破ってでも抗ってやる。 立ち塞がる壁は粉砕し、邪魔立てする敵は塵ひとつ残さず排除する…!

 

必ず手に入れる…!俺だけの理想郷を…!

 

 

少し熱くなった思考を冷ますよう深呼吸をする。身体の力を抜き強く握りこんだ拳も徐々に開いていく。

 

そうして冷静になった頭で今やるべき事を順序立て、実行する。

 

 

 

まずは…遺体(父親)の処理からだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここはボルゴ村。 連合王国の最北端、右手に天を突くような巨大な岩の山々が目の前に並んでいる

いわば「王国の行き止まり」である。

 

村の右手に寄り添うように続くその山脈は、麓こそ豊かな森に覆われているが、上を仰げば険しい岩肌が剥き出しになり、世界の端を区切る巨大な壁のようにそびえ立っている。 帝国の軍勢がこの山を越えてこられないのは、道が極めて険しいだけではない。山脈から吹き下ろす凍てつくような寒風、そして森の奥深くに潜む魔獣たちが、侵入者の生を容易く拒むからだ。

 

村からさらに奥へ進めば、山脈がさらにせり出し、道が最も狭まった場所に「砦」が築かれている。

このボルゴ村は、王国を守る「砦」へ物資を送り届けるための、もっとも国境に近い拠点だった。

 

この村が崩れれば、背後に続く男爵領の村々も、さらには王国そのものも帝国の脅威に晒されることになる。 そのため、ボルゴ村には王国で最も過酷な重税と徴兵が課せられていた。ここは、背後の平穏を守るために全てを捧げさせられている、「王国の最前線の盾」であった。

 

 

 

連合王国で最も過酷な土地。そこに住む村の住人は三百人ほど。 一年前の帝国による大規模な侵攻は、砦への補給拠点であったこの村に深い爪痕を残した。村には男手が少なく、あちこちに戦争の後遺症を引きずる者が溢れ、静かな絶望が赤茶けた土の上に漂っていた。

 

そんな村の村長、ニコラは、起きて早々に深いため息を吐いた。

 

 

「今年も、厳しいのう……」

 

 

慢性的な人手不足に加え、去年の戦火で農作物を育てることもままならない。それなのに、山脈の向こうの脅威に備えるための税と徴兵は年々その重さを増していく。

 

「領主様に、なんと申し上げればよいのか……」

 

この地域一帯を治めるガルド・ヴァル・アーネスト男爵は非常に優秀で、この過酷な地で最大限の善政を敷いている。領民からの信頼は厚く、ニコラにとってもそんな男爵に「払えません」と告げるのは、身を切るよりも辛いことだった。

 

 

「どうにかならないもんか…」

 

 

ニコラは日焼けしてゴツゴツとした手で、白髪の混じった頭を抱えた。かつては農作業で頼もしかった彼の背中も、今では心労からか小さく丸まっている。

 

 

「あなた……領主様もわかってくれますよ……」

 

 

嘆くニコラに声をかけたのは、妻のマルタだ。 彼女は、何度も(つくろ)った古びたエプロンで手を拭いながら、心配そうにニコラの顔を覗き込んだ。その目尻には深い笑いジワがあるが、今は不安で曇っている。

 

 

「そうではない、ただ不甲斐なくてな……」

 

 

ニコラは深くシワの刻まれた額をさすり、力なく立ち上がった。男爵は戦火で疲弊したこの村を、いつも最大限に慮ってくれている。納めるのが無理なのは百も承知だがあの方の善意に甘え続け、報いることのできない自分が何より情けなかった。

 

 

「あなた……」

 

 

マルタは、水仕事で荒れた手を夫の肩にそっと置く。

その温もりにわずかだけ表情を和らげたニコラだった。

 

 

そんな時、ドアからコンコンと控えめなノック音が響く。

 

 

「……こんな早朝から誰が」

 

そう疑問に思いながらニコラは「今開ける」と返事をし、戸口へと向かった。 扉を開けると、そこにはまだ身長の低い子供が立っていた。

 

バエルの息子ロエルだ。 着ているのは、いつも通りの泥汚れが染み付いた古びたチュニック。膝には継ぎ接ぎがあり、袖口はボロボロに解れている。バエルの家の前を通るたび、何かに怯えるように背を丸めていた、あの貧しい少年の姿そのものだった。

 

 

「……ロエル、か?」

 

 

思わず絞り出したニコラの声に、ロエルは真っ直ぐに顔を上げた。 左の瞳は、いつもの見慣れた青。だが、右目は感情と共に色が抜け落ちたかのような、透き通った白銀へと変貌していた。

 

瞳孔の境目すら曖昧なその白銀の瞳は、まるで全てを見透かす鏡のように、ニコラの動揺を冷酷に映し出している。

 

その二色の瞳はいつも卑屈に伏せられていたのが嘘のように澄み渡り、老いたニコラさえ気圧されるような、冷徹なまでの深い知性と不気味さを宿しているように感じた。

 

 

「おはようございます、村長さん。…朝早くに失礼します」

 

 

汚れの目立つ口元をわずかに緩めたロエルは、驚くほど落ち着いた動作で頭を下げた。

 

 

「あ……? あぁ……どうしたんだ? こんな早くに。それにその目は……大丈夫なのか……?」

 

 

「あぁ……これですか? 昨日父さんに殴られた時に、少し。……ご心配いただきありがとうございます。しっかり見えているので大丈夫です」

 

「そ、そうか……ならいいんじゃが……その口調もどうした……? いつからそんな……」

 

そうニコラが言い掛けると、ロエルはふっと視線を落とし、肩を震わせた。知的な響きは消え、そこには「絶望した子供」の顔があった。

 

「ごめん……村長……。ちょっと気が動転してて……。朝起きたら、父さんが……その、息をしてないんだ……」

 

「な、なんだって!? ……ちょ、ちょっと待て! すぐに向かうぞ!」

 

ニコラは急いで靴を履き、ロエルを伴って家に向かった。 村外れの森の近く、孤立するように建つその家へ小走りで向かう。扉の前に立つと、「バエル! 入るぞ!」と返事も待たずにニコラは扉を蹴るように開ける。

 

奥のベッドに、バエルが横たわっていた。

 

「バエル! 大丈夫か!」

 

急いでベッドへ駆け寄りその姿を見る。 バエルに外傷はなく、ただ眠っているような、そう思えるほど綺麗な状態だった。一瞬、ニコラもただ眠っているだけかと思ったが、大声で呼びかけても起きないのは明らかに異常だ。

 

ニコラはバエルの口元に手をかざしたが、ロエルの言った通り、呼吸は完全に止まっていた。 胸元に手を押し当て心臓の動きも確認するが、それも動いていない。それどころか、体は非常に冷たく、生の脈動を止めたのは随分前からだと推察できた。

 

「バエル……」

 

ニコラの心境は複雑だった。確かにバエルは村の鼻つまみ者で、誰もが避ける存在だった。だが、彼が泥だらけになりながら駆け回っていた幼少期を知っているニコラにとっては、また一人、放っておけなかった身内を失ったような喪失感に苛まれていた。

 

(……こんなに早く逝きおって。馬鹿者が……)

 

死因はわからない。だがそれはこの時代、決して珍しいことではなかった。昨日まで元気だった者が、翌朝には冷たくなっている。きっと"悪い風"にでも触れたのだろう。ニコラはそう自分を納得させ、膝の痛みに耐えながら重い腰を上げた。

 

(儂が悲しんでる場合ではないな……。親を亡くしたロエルの方が、ずっと辛いはずじゃ……)

 

慰めの言葉をかけようと、ロエルが立つ玄関へと視線を向け——

 

 

ニコラは、心臓を冷たい手で掴まれたような感覚に陥った。

 

 

ロエルは、泣いてなどいなかった。 無表情。そして、一切の感情を排した白銀と蒼の双眸。 その視線は、横たわる父親の(むくろ)には目もくれず、ただ真っ直ぐにニコラだけを射抜いていた。

値踏みするような、あるいは動かなくなった虫を観察するような、あまりに静かで冷徹な眼差し。

 

 

 

ニコラは、先ほどまで感じていた哀悼の念が、急速に失われていくのを感じた。そして一瞬目を瞑りまた開けると先ほどまでの感情の無い冷たい視線などはなく、親を無くし年相応に悲しみながら佇む一人の少年に戻っていた。

 

 

(見間違い……だったのか?)

 

 

白昼夢でも見たかのように呆然とするニコラに、ロエルがおずおずと、消え入りそうな声で語りかけた。

 

「……やっぱり、死んじゃったんだね……」

 

ロエルの問いに、ニコラは喉の奥に詰まった塊を飲み込みながら答えた。

 

「あ、あぁ……。そうだな……。悲しいことだが……きっと悪い風に吹かれてしまったのだろう」

 

「うぅ……なんでだよ……父さん……っ」

 

ロエルは力なく項垂れ、静かに涙を流し始めた。 まるで、村長が確認するまでは「まだ生きているかもしれない」という淡い望みに縋っていた子供のように。

 

「ロエル……。こればかりは、どうしようもないことなのじゃ。人には、抗えぬ運命というものがある……」

 

ニコラは痛む膝を突き、震えるロエルの肩を優しく抱き寄せた。

 

「このことは、次に代官様が来られた時に儂から伝えておく。お前が心配することはない。それまでに、バエルに墓を作ってやらんとな……」

 

ニコラはロエルを抱きしめたまま、この子の行く末を案じていた。

 

(この子はこれから、もっと大変な思いをするだろう。可哀想に……。儂ができる限りの手伝いをしてやらねば。せめて、独り立ちできる歳になるまでは……)

 

父親しかいなかった少年が、その唯一の肉親を失った。村には他にも父親のいない子はいるが、母親はいる。その点ロエルの境遇はあまりに不憫だ。 せめて親代わりにはなれずとも、この子が寄りかかれる杖であろう——そう決意し、慈愛の眼差しで遠くを見つめるニコラ。

 

 

だが、その腕の中でロエルは、ただ静かに嗤っていた。

 

 




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