「ッ!?」
利人は突然現れた怪異の反応で飛び起きた。
「なんで…」
慌てて現状確認を行う。
昨日寝る前までは間違いなく怪異反応は無かった。ちーと蘭の二人に徹底的に調べさせたがこの辺りには一匹もいなかった。
兎に角家族の安全を確認してから調査に向かおうと思ったのだが。
「母さん?みー?」
二人分の布団がもぬけの殻だった。
その事実が嫌な想像を膨らませていくばかりだ。
「父さん起きてくれ」
極力楊を起こさないトーンで父親を起こす。切羽詰まった雰囲気を察したのか素早く起きてくれる。
いまだに現状に気がついていない父親に説明をする。
怪異が突然現れた事、都と御依がここにいない事を伝える。
「よし、じゃあ」
「俺が二人を探しに行くよ。父さんは楊の事と協会に連絡して」
彼はそう言って窓を開けると父親の静止を無視して飛び出していく。
「なんでっ…!」
怪異の方へと飛ぶように跳躍を繰り返しながら何故このような事態になったのか考える。
半魚人たちは倒したのは間違いない。怪異がこの街にいないのも確認済みだというのに事態は最悪な事になっている。
『俺だけだと思った事をだ!!!』
何故かここで昨日倒した怪異の発した言葉が嫌に耳に残る。
例の殺された魔術師はパソコンや携帯のメール機能で連絡していたと考えられる。もしかしたら通話をしていた可能性もある。そして口座には依頼料を振り込んでいる。
二メートル半の巨体がそんな繊細な電子機器を操作できるだろうか、話し相手に対して違和感のない声色で話せるだろうか。
深く考えなかった事が今更になってジワジワと回る毒のように彼の脳に溢れ出てくる。
仮に実行犯と計画犯が別にいるのだとしたらその疑問は解消される。
「頼む…間に合ってくれ…!」
出せる限りのスピードを出しながら駆け抜けていく。
怪異の異臭もかなりの強さになっている。彼も吐きそうになるのを堪えながら走り続ける。
「これは…」
血痕が辺りに飛び散っていた。
だがこれは人間のそれではない、怪異と違って人の血は鉄臭さがある。この腐った香りは怪異のものだ。
「こいつは…」
少し離れた場所に人間のカラカラになった皮が捨てられている。
理屈は分からないがこれで怪異としての気配を消していたのだ。
「あっちか…」
血で濡れた何かが引きずった後が海とは反対側の林に向かって伸びている。
林の奥の方は遠目からは見えない。なによりも物音が一切聞こえない。
「みー?母さん?」
二人に呼びかけながら慎重に捜査を進める。
蘭も呼び出し不意打ちにも対処出来るように万全の策で進む。
周りの木々は深く傷つけられているものやへし折られているものもある。
地面も何かしらの作用で抉られている。
「何だこれ…」
何かの丸い寸胴のような円柱型の肉塊が所々に細切れにされ落ちている。
臭いからして怪異なのは間違いなかった。
「蛇、または幼虫系の虫のようなものでしょうか?」
「少なくとも消えてないって事は本体が生きてるか、まだ死んで時間が経ってないのか」
彼は式神からの考察に肯定を示す。
怪異の強さにもよるが、死ぬと数分数時間は死体が残るが時間が経過するとそれらは消滅する。
この時点で既に御依が倒したのだろうと思えるのだが嫌な想像が止まらないのだ。
「!」
彼は林の隙間から人影を見つける。
慌てて二人の元へと向かう。
「母さん!みっ…!」
だがそのにいたのは啜り泣きへたり込みながら娘を力強く抱きしめる母親と怪異の返り血でベットリと染まった妹だった。
虫の怪異は既に細切れにされ辺り一帯にぶちまけられている。
誰も死んでいないのに最悪という二文字が浮かんでしまった。
◎
これは数刻前の出来事。
『ほらほらぁ!早く逃げないと死ぬぞぉ!?』
都は人生で初めてと言っていいほどに娘を抱き抱えて死ぬ気で走っていた。
兎に角まず林に逃げ込んで姿を隠す。この様な見晴らしのいい場所にいても身を守る術のない彼女は確実に殺される。
仮に殺されるとしてもせめて娘だけは守る。
『あはは!逃げろ逃げろ!』
「あっ!」
相手の口から放たれる酸性の粘液が彼女の靴にかかり溶かしてバランスが崩れてしまう。
倒れ込んでしまうが何とか姿勢だけは立て直して娘の押し潰さない様に肩から倒れ込む。
『おいおいもっと根性見せろよ!』
口がガパッと開き都と御依を喰い殺さんとする。
「ッ!?」
娘をぎゅっと抱きしめて盾になる様に隠す。
だが相手の攻撃は当たらなかった。
「護風封壁」
ガキィン!と相手の口から生えている牙が風の壁によって食い止められる。
『何だぁ、コレわぁ…?』
敵は力を込めて破ろうとするがビクともしない。
それは御依が放った防御技だった。これまで包む様な風ではなく、あらゆるものを拒絶する盾の様な不動の風。
「これは…なに…?」
敵の牙が届かない、目の前で起きている現象に都の理解が及ばない。
「大丈夫だから」
御依は母親の腕が緩んだのを見て抜け出して立ち上がる。
いつもの小さな背中が大きく力強く映る。
「御依…あなたがやってるの?」
信じられないと言った声音。
六歳の子供が普通魔術を使えるはずがないし、仮に使えたとしてもこんな命のかかった場面で冷静に力を練れるはずがないのだ。
「お母さんは動かないで、危ないから」
彼女は肯定も否定もしない。
穏やかな口調だが練られている魔力は相当で完全に敵の攻撃を抑え込んでいる。
「鮮血泉」
彼女は技名を唱えながら空いている左手を地面に叩きつける。
『うおおおおっ!!?』
敵の断末魔が響き渡る。
地面から水がまるでウォーターカッターの様に鋭く噴き出して体を切断したのだ。
魔術の評価は発動の素早さ、少ない消費、効果のスケールなどが挙げられる。
発動の速度を上げる方法はいくつかある。その一つが技名を付ける事と祝詞を唱える事。
技名を付ける事でそれを唱えたら出せるとイメージを頭に植え付ける事で発動の速度と安定性を上げるのだ。
切断面から大量の血が噴き出して辺り一帯に飛び散る。風の壁では血糊を防ぎきれず一部が御依の体にかかる。
「臭い…」
顔を顰めるが依然として魔術の強度は落ちない。
目の前の怪異を殺せば返り血も臭いも消えるがそれでも気分のいいものではない。
彼女が使ったのは属性魔力の一つ「海属性」。
由来は津波や水害である。
水を生み出す事や、辺りに存在する水を操れ、極めれば氷から気体まで自由自在に扱える汎用性抜群の力だ。
概念は「減少」。水の力は地形を削り形を変えさせ、水は生き物の体温を奪い弱らせ、塩は金属すらも腐食させる、それが力の理由になっている。
「お前の敗因は私をサポート専門と侮った事」
彼女は壁を消して右手を一閃する。
相手の胴体が切り刻まれ、またも血が吹き荒れる。
『グオオッ!?は、はい、いん?俺が負ける?そんなバカな…何人の魔術師を殺して喰らって来たと…』
「敗因その二。あなたは余裕を持って名乗らずに最初に全力の不意打ちで殺しにくるべきだった。そうすれば勝てる可能性はあったかもしれない」
敵のステルス性能は見事だった。
不意打ちで包丁でも使って殺しに来たらやられていたかもしれない。怪異というプライドや勝ち誇りたい欲が自分で足元をすくったのだ。
『い、嫌だ!死にたくない!!』
血まみれの体を必死に動かして逃げようとする。だが酷い負傷具合なのかその動きは遅い。
「敗因その三。復讐など考えずに逃げるべきだった。お兄ちゃんに勝てないと分かっているなら尚更。本人の前に出れないからって私達に勝ち誇ろうとするべきではないよ」
手のひらを合わせて力を練ると風を圧縮した塊が生まれる。
その殺意の塊を向ける対象は必死に体を動かして木々の間をうねっている。
「随分と知略が自慢みたいだけどお前の本質は自分の優位性で悦に浸りたいだけの愚か者」
『ヒィッ!』
その殺意を見て必死に逃げるがまるで台風の様な暴力が襲い吹き飛ばされる。
辺りの木々と地面ごと相手を吹き飛ばしてしまう。
既にタッパが半分以下になった体が倒れ込んでいる。
『ぐ、ギィ…』
既に敵は瀕死で助かる見込みは無い。
動けない敵の元へとゆっくり歩みを進めて行く。
「敗因その四。お前には経験が足りなかった。私が力を抑えている事に僅かでも気がつけないんじゃ天地がひっくり返っても勝てません。私とやり合うには年季が足りなさすぎる」
彼女は「けれど」と頭につけて。
「お前がこの指摘を次に活かす事はあり得ませんが」
『舐めるなぁ!?』
最後の足掻きで口から粘液を放つが、御依が手を薙ぐと風が生まれてそれらも逸らして防いでしまう。
相手が瀕死である事、今の一撃で全てを出し切った事を確認する。
「散れ」
その言葉と共に残った胴体を原型を留めないほどに粉々にしてしまう。
「終わった…か?」
既に殺意の消えた空間をぼんやりと眺める。
「御依…」
「お母さん…」
遅れて都が追いついてくる。
内心危ないから隠れていて欲しかったが来てしまったものは仕方ない。
どうしようのないくらいに見られてしまった。口先で何を言ってももう誤魔化せないだろう。
だが仕方ない、人命を天秤にのせてしまったらこの判断にならざるを得ない。
「来ないで、臭いし危ないから」
取り敢えずその様な忠告をするのだが相手は一切足を緩めない。
「お母さん?」
返り血も異臭も構わず相手は娘の小さな体を確かな力で抱きしめる。
「無事で…無事でよかった…」
母は啜り泣きながら利人が来るまで抱きしめ続けた。
◎
怪異の件を協会に報告する。
御依はあくまで襲われただけで、倒したのは兄である利人という事にして。
だが問題はそこではない。
御依の力を誤魔化しようもなく母親である都に見られたという事だ。これ以上ダンマリで誤魔化す事は出来ない。
「……」
黙り込んで座布団の上で正座をし少し俯いている御依。
既に時刻は正午を回っている。部屋のテーブルを囲う形で五人家族の地獄会議が始まる。
「御依…話してもらってもいいか…?」
最初に口火を切ったのは兄の利人だった。
本来は相手の心の準備が出来てからでいいと思っていた。
彼女はそう言われ少しだけ目を瞑り一息つく。
目を開けた時には既に覚悟を決めていた。
「…何からお話ししましょうか?」
目の前にいるのは藍原家の末っ子の藍原御依のはずなのにどこか別人のような喋り方。
「御依…なのよね?」
都は目の前にいるのは娘のはずなのに、まるで別人のように振る舞う姿に恐る恐る問いかける。
「そこから説明します。信じられるかは別として」
御依は昔話を始める。
千年前にとある寺院に生まれた女の子であった事。
巫女として育てられ神職者として活動していくうちに、超常的現象の法則に気がつき魔術を開発する。
魔術を広く多くの人に伝える事で敬意の対象として崇められたが、その事が疎まれたのか仲間と思っていた人たちから闇討ちにあいそして。
「そして気がついたらお二人の腕の中にいて…今日に至るというわけです」
彼女はかなり端折った説明を終える。一から話すとキリがないと考えたからだ。
誰もが黙り込む。唯一姉の楊だけは事態を理解出来ていないのかオロオロしている。
最初に口を開いたのは良二だった。
「じゃあ御依は…あの魔術の租の…」
「そう伝えられているそうですね。私の体感では六年くらい前なので実感はあまりないですが」
彼女としても凄い人なのかと問われてもどう反応していいのか分からない。
偉い人になりたいとか尊敬されたいからという理由で魔術の開発したわけではない。
「そっか、みーが属性魔術とか式神が使える理由もそれが本当なら納得は出来る…かな」
彼は全てに納得はしていないが魔術の租ならそれが出来てもおかしくはないと一旦話を受け入れる事にする。
「まて利人、お前は御依の事を知っていたのか?」
「えっあぁいやこれはですね…」
「もしかして御依を巻き込んでないというのは…」
「いやいや!今はそれどころじゃないだろ!?」
「勢いで誤魔化そうとするな」
コントのようなやりとりに少しだけ空気の中にある張り詰めたものが緩和される。
「無理に御依と呼ばなくてもいいですよ。私の本当の名前は『アヤコ』ですから」
彼女はそう言ってテーブルの上に置いてあるメモ帳に「亜夜鳴」としっかりした字で書く。
その漢字は明らかに読み書きの練習をしていない六歳が書けるものではない。
その文字を見て中身が見た目とかけ離れていると思わざるを得ない。いくらなんでも仕込みにしてはタチが悪過ぎる。
「私の正体を皆さんが知る必要は無かったんです」
皆がメモに書かれた名前を見ていると彼女は語る。
「六歳の子供が中身が五十超えのお婆さんなんて気持ち悪いだけでしょう?」
子供には子供らしい年齢相応の見た目と中身の成長過程がある。
親はそれに続いて親としての経験から来る成長過程がある。
「だから都さん」
「っ!?」
お母さんではなく名前呼びをする姿に彼女は鎮痛な表情になる。
「あの時下がれと言ったのは私の方が強いからです」
御依が少し力を発揮すれば簡単に勝てる相手ではあった。その後どうなるかは別にして。
「後十年は黙ってて、それでそのうちひっそり一人暮らしでもして…それで…」
五十年生きた魂は魔術を除けば平凡な家庭には不要だろうと彼女は断じていた。
数年すれば自分の事など忘れて御依のいない普通が当たり前になるだろう。
「泣かないで」
「え…」
都はカバンの中に入っている予備のタオルを取り出して娘の涙を拭こうとする。
「あ、いやこれは…!」
「目元なんだから顔を動かさないで」
咄嗟に手ではらおうとするのだがそんな事など知った事かと左手がそっと娘の頬に添えられる。
「あ…」
暖かいと思った。
その手先は「亜夜鳴」という異物に触れているのではなく、娘の「御依」に触れている。それ以前に相手はそんな事など考えてもいないだろう。
「ねぇねぇ」
ここまで基本的に黙って話を聞いていた楊が初めて発言する。
「は、はい」
何とか涙声だけは出さない様に注意を払った返事をする。
「みーちゃんはみーちゃんだよね?どゆこと?」
「え…」
あまりにも無垢な疑問が投げかけられる。
それはこの件の重大さを上手く理解出来ないからこそ出てくるものだ。
「あはは、そうだな。その通りだな、難しく考えすぎたか」
良二は何か吹っ切れた様な表情でそう言った。
「目の前にいるのは俺の娘で、母さんの娘で、それでお兄ちゃんとお姉ちゃんの妹の御依だもんな。それは何があっても変わらないか」
前世の記憶がどうだろうが藍原御依として生を受けたというのは紛れもない事実だ。
「いやっでも私はただの六歳の子供じゃないんだよ!何でそんな事言えるんだよっ!気持ち悪いでしょ!怖いでしょう!?何考えてるか分からないだろ!!」
これは警告ではなく、彼女が今日まで感じてきた恐怖や引け目が自然と漏れたものだ。
亜夜鳴という自分が常にいて、この世界から異物として見られているのではないかという不安がそばにまとわりついていた。
「御依は力があるから私を守ってくれたと言ったわね?」
都は自分だって言ってやりたい事はあると口を開く。
「はい」
「なら私があなたの盾になってでも守ろうとしたのは力の有無じゃなくて私が母親だからよ。御依もそうでしょう?」
「……え?」
「親は何があっても子供の味方だから」
目の前にある愛情とも言えるものに混乱してしまう。
「え、え?はい…?」
まるで悩んでいる自分の方がおかしいみたいではないか。
妻の覚悟を目の当たりにした夫も口を開く。
「そうだな、それに無理に御依と呼ばなくていいと言ってたけどそれは無理だな」
「どうして…?」
彼は少しだけ遠くを見る様な目で語り始める。
「御依の由来はな、それまで色んな名前の候補があったんだが中々決められなくてな。それで産まれて、初めて御依の顔を見た時に神様の生まれ変わりの様に感じてだな。それで神様の意味のある『御』と神様が生まれ変わって人として来てくれたから『依』。だから『御依』なんだよ」
今まで気にもしたことのなかった今の自分の名前の由来。
そして彼女が現世に存在する理由。
「御依が名前に対して何を思っていたとしても、それはここにいる証なんだ。だからに無理に呼ぶなんて事は絶対に無いんだよ。御依は望まれて生まれて、皆んなが望んで名前をつけたんだから」
彼は少し恥ずかしそうにそう言った。こんな臭い言い方をする気はなかったのだろう。
父親として中身がどうであれ娘として接するスタンスは変える気がないという宣言だった。
かつて兄が言っていた御依と普通に話せるのは父親のおかげと言った理由の一端を掴めた気はした。
だが。
「なんで…」
なんでそんな優しい事が言えるのだろう。
堪えきれない涙が流れてくる。