全国的に夏休みが始まっている。
「何か二人とも食べたいお菓子あったら一個だけいいわよ」
近所のスーパーで娘二人を連れながら都はそんなお題を出す。
二人は「はーい」と返事をするとお菓子コーナーへと突撃する。
流石に八歳と六歳の子供を二人にしていいのかと思わなくはないが、御依が一緒なら大丈夫だろうと考える。
お菓子コーナーへとたどり着いた二人。
「何にしょっかなー」
姉の楊は食べたいものを物色していく。
(二個セットで百五十円、こっちは一個が小さめだけど三個で二百円か…)
妹の御依は最近頑張って覚えている掛け算と割り算を駆使してどの組み合わせがお得なのかを考える。
「みーちゃん」
「なに?お姉ちゃん」
頭脳をフル回転して何のお菓子を選ぶべきか考えていると声がかけられる。
「私ねー魔術の塾に通う事になったの」
「ん、そうなの」
「そそ」
「へー」
数日前に良二から教えてもらっていた事だった。
楊が魔術に興味があるからついでに御依もどうだという提案だった。
当時の良二からすればそれなりに御依にはそれなりに才能があるし、せっかくならやってみるか的な軽い提案でしかなかった。
後に亜夜鳴という魔術の租である事が分かり、そんなものに行かなくても十分な技量を持っている事がバレるが。
そもそも魔術師になる気が彼女にはないのだ。
「ねね」
「んー?」
「みーも一緒に行こうよ!」
「え、やだ」
「え」
一瞬で断るそれに姉は呆然としてしまう。
御依はあれ?と言った感じになる。あの旅館での会議に楊もいたはずだがと。
「お父さんに行こうって言われたけど断っちゃった」
この辺りから楊に合わせた子供のような単語を並べるだけの口調から亜夜鳴よりの口調になっていく。
「え、そうなの?なんで?」
「何でって…別に魔術師になりたいわけじゃないし」
「うーん…」
価値観は多種多様だ。
しかし楊からすれば何で魔術師を目指さないんだろうという感覚なのだろう。
御依と亜夜鳴の事情をまだよく分かっていないとはいえ、目の前の妹が莫大な才能を持っているのは把握出来ているからこそ尚更思うのだろう。
「私はいいからお姉ちゃん頑張ってね」
まだまだ事情を理解するのに時間がかかる姉の事を一旦保留してお菓子選びを再開する。
◎
「今日は何にしようかしらね」
都は運転しながら昼食の献立を考える。
「ステーキ!」
「ステーキはちょっとねー…」
楊から出てくる意見に困る。
お店で出るような柔らかさと味のクオリティのものは一般家庭で用意できるはずもない。
「あ、あはは…」
そのやり取りに苦笑いしかできない。
そんな朗らかなやりとりが車内で繰り広げられる。
「……」
ふとぼんやりと窓から外を見る。
周りも住宅街近くに入り、見てはそれなりに広く歩行者は少ないというより暑さのせいか歩いている人が見当たらない。
「え!?ぐぇえ!!」
ふと目に入った光景を見て慌ててもう一度見ようと立ちあがろうとするがシートベルトに阻まれ変な声が出る。
「ちょっ!御依!?」
「みーちゃん!?」
後部座席でいつもの娘からは考えられない声が飛び出した事に驚いて声をかける。
「と、止まって!」
「え?」
「早く!」
「わ、分かったわ」
焦る娘の気迫に押されて都は慌ててハザードをつけて路肩に車を停める。
「…ッ!」
御依はシートベルトを外し扉を開けて慌てて元来た道を走る。
「あれは…!」
彼女の視線の先には薄い陽炎の様な光を纏っているが小さな犬だった。
「土地神か…」
物には人から長い期間をかけて愛着を持たれると、その使用者の意識の断片が物に残るか現象として定着するケースがある。
分かりやすく残留思念と名前をつけるのが妥当か。
目の前にいる犬はこの土地で広く、そして大多数の人間に場所として愛されてきて、その結果この土地そのものへの愛着が具現化した存在。
一人の特段魔術の心得のない人間では微々たる力しか魔力を放出が出来ないが、それを一つの対象に多くの人間が力を加えると一つの生き物がまるでそこにあるように魔力によって形どられる状態。
土地神という名称がついてはいるが、決して神様ではなく魔力等によって生まれた現象である。
『お嬢さんは私が見えるのかい…?』
その犬の言葉は弱々しかった。
「見える、あなたは土地神でしょう?でも消えかかってる…」
彼女は膝を地面につけて可能な限り相手と視線合わせる様にする。
『ああ…そうだね…もうそんなに時間が私には残されていない様だ…』
「あなたの中にある今の魔力の流れからして日が暮れる前には消えちゃうと思う。恐らく貴方の存在をこの世界に繋ぎ止めている人が亡くなりかけている」
そっと相手をの体を撫でながらハッキリと宣言する。
昔の人なら場所や信仰で力の指向性が定まるかもしれないが、現代人はその辺りの信仰心が薄れる傾向にある。
『やはりそうか…』
目の前にいる存在は薄れる己の意識について納得はしているのだ。
自分の存在はあくまでも魔力的な現象であり、そしてもう直ぐ消える定めである事も。
『お嬢さん…』
「なに?」
『頼みを…聞いてくれないか?』
「いいよ、私に出来ることなら」
彼女は二つ返事で了承した。
目の前にいる犬は間違いなくこの土地に生きる人たちが長い時間をかけて作り上げた善意の塊だ。それを無下にする事はできない。
『会いたい人がいるのだ』
相手はその願いを口にする。
「会いたい…人?」
『そうだお嬢さんの』
「私は御依、お嬢さんじゃない」
そう言えば一度も名乗っていなかったと思い、改めて自分の名前を伝える。
『すまない、御依が言っていた…私を繋ぎ止める最後の人に最後に一目でいいから会いたいのだ』
「そう言うことか…」
『この体では…辿り着く前に消えてしまう…』
それこそが街中をこの犬が徘徊していた理由なのだ。
終わりが近いなら最後に看取りたいのが望みなのだ。
「御依っ!」
「みーちゃん!」
少し遅れて二人もこの場にやってくる。
二人は魔力を目で見る事ができる素養を元から持っている。なので御依が撫でている存在がハッキリと見える。
「それは…」
「土地神って呼ばれる存在。いわゆる魔力の指向体だよ」
都は少しだけ怖がっていたが、もう一人は怖いもの知らずだった。
「ワンちゃん!」
あろう事か楊は犬を抱きしめてしまったのだ。
「ちょっと楊!」
「大丈夫だよ。この土地が好きな人達の魔力の塊だから害意は無いよ」
「そ、そうなの?」
「うん、優しい心の持ち主なんだよ」
そう魔術のエキスパートに説明されるもののびっくらおっかない事には変わらない。
「私は楊って言うの!」
相手を撫でながら自己紹介をする。
その撫でる手を気持ち良さそうに受け入れながら話をかける。
『そうか、お嬢さんは御依の妹かい?』
「え?私がお姉ちゃんなんだけど?」
『え…?』
「え…?」
自分が見える相手である事よりも、楊の方が御依の姉という事に驚いたのか問題の妹にそうなの?と視線を送る。
御依と都は無言で首を縦に振る。
どうしても精神年齢が高い為、妹の方が落ち着き払っている形になる。
「それでこの方と何を話していたの?」
都はつい目の前の犬が自分よりも格が上だと思ってしまう。
「人探しをして欲しいって」
かなり端折った説明をする。当然説明し直すハメになる。
◎
一旦家に帰った藍原家の面々は慌てて買ったものを冷蔵庫に詰めていた。
「まさかこんな事になるとはね…」
都は予想だにもしていなかった展開に少しぐちてしまう。
「ごめんお母さん」
「それはいいんだけど、危ないと判断したら直ぐに帰らせますからね」
「それは分かってます」
犬の魂のお願いはどうやっても御依の体一つで出来ることではなかったのだ。
『す、すまない御依…』
「いや、いいって」
犬もとても申し訳なさそうだった。
ちなみに楊はずっと撫でている。
「さて、じゃあいきましょうか」
準備を終えて娘二人と土地神を車に乗せる。
「どこ行くの?」
「それは…どこ?」
楊からの質問に対してそう言えば問題の人物は何処にいるのだろうかと都はふと思う。
『おおよその方角は分かっているが…』
「恐らくだけどその人が亡くなりかけているから、魔力を渡すパスが途切れかけてるんだね?だから具体的な位置が分からないと」
『うむ…』
御依の補足説明に弱々しい声で肯定する。
「取り敢えずその方向に向かいましょう」
そう言って車を発進させる。
車を走らせてから数分。
現地に着くまで特段話す事もないが時間を保たす為に色々と話しかける事にする。
「その相手の人の名前は分からないの?」
人探しならまずは名前だろうと思う。
『サヨリ』
犬は楊に抱き締めれたままそう答える。
「サヨリさん?」
名前の響きからしてかなり年輩であると予想出来る。
『そう呼ばれていた』
「そんな具体的にその人だってわかるんだね。だって最後の一人だよね、沢山の人の中の。質問しといてアレだけど。その人は貴方のことを認識していたの?」
『いや、彼女はその様な特殊な目は持っていなかった』
「そうなんだ」
御依が土地神に軽々しく話すものだから都としては気が気でない。
そしてその光景が亜夜鳴の側面をこれでもかと見せつけてくる。
『私は元々神社の境内に遊びにくる子供たちが犬の銅像近くで遊ぶ事から存在する様になった』
「じゃあサヨリさんは」
『彼女は遊びに来る子供たちの一人だった』
「そうか、成程ね」
魔力の方向性が明確なほど、又はイメージがハッキリしていれば型取りやすい。
魔力は人であれば誰もが等しく持っており、無意識に漏れ出るものなのだ。大多数の人間は魔力の存在に気が付かずその一生を終えてしまうだけで。
「先に伝えておきます。正直見つからない可能性が高いです。探す為の時間が圧倒的に足りない」
『分かっている…こんな老犬の我儘に付き合わせてしまいすまない…』
お互いに申し訳無さそうに話す。
御依は犬に手を添えて少しだけ力を流す。揺らいでいた体の輪郭が少しだけ安定する。
「みーちゃんそれは?」
「少しだけ私の魔力を流した。でも時間稼ぎしかならない」
言ってしまえばそれは終末医療の様なものでその場凌ぎでしかない。
本来送られるべき力が途切れかけている。
御依の行為は穴の空いているバケツにそのまま水を足している事でしかない。根本的な解決にはならない。
「みーちゃんでも助けられないの?」
優しくも、そして同時に確かな力で抱きしめる。
「無理」
だが帰ってくる返答、それは無情な宣告だった。
「でもっ…」
「楊、御依を困らせない」
いつまでもごねている姉を母親が運転席越しに嗜める。
「でもみーちゃんは凄いってお父さんもお兄ちゃんも…」
「御依がいくら凄くても出来ないものは出来ないのよ。魔術は魔法みたいな奇跡の力じゃないから」
「お姉ちゃんごめんなさい。せめて私が雲属性魔力の使い手ならやりようはあった思う。でも私は風と海しか使えないから…」
二人は姉にハッキリとそして申し訳無さそうに言い切る。
その言葉を受けた楊は目尻に涙を浮かべていた。
「でも、でもっ…」
『優しいお姉さんなんだね』
体を起こした犬は前足をそっと相手のほっぺたに添える。
『楊は立派なお姉さんだ』
「……」
添えられた相手の手の上に自分の手を覆う様に重ねる。その暖かさは確かにここに存在する証だった。
「うっ…う…」
だからこそこの存在が数時間後にはこの世から消えるという事実が彼女の涙を堰き止めることを許さない。
◎
「この辺り?」
『そのはずだが…』
三人と一匹は住宅団地街の入り口部分に辿り着いた。そこには大雑把な地区の地図がある。
新築から築五十年を超えるものまで揃っている。広さから見てもしらみ潰しにやってたとして、とても火が落ちるまでに間に合うとは思えなかった。
そもそもしらみ潰しに捜索などしたら下手を打てば警察に通報されるし、その伝手から魔術師協会に報告が入る可能性もある。
この団地の中には犬の土地神を視認出来る体質の持ち主がいてもおかしくないのだ。
「どうしよう…」
御依は途方に暮れていた。
突発的な出来事だったとは言え時間も方法も人員も何もかもが足りていない。
「貴方から何処にいるか分からないの?」
『先ほどから意識が途切れ途切れになる…もう殆ど時間が残されていなさそうだ…』
「何かこう繋がりから逆探知とか…」
『既に殆ど魔力が供給されていない…』
土地神の体の輪郭がかなりぼやけて曖昧になっているのだ。
「……」
都はそのやり取りをじっと見つめて何かを考え込んでいる。
「サヨリさんは年配の女性なのね?」
彼女は質問をする。
その表情は覚悟が決まっていた。
『もう年齢で言えば九十は超えているはずだ』
「大体大正生まれくらいね。他に特徴は無いの?出来るだけ新しいやつで」
『眼鏡はかけていた。後は白髪で…』
「もっと一人の特徴に絞った具体的な情報はないの?」
『すまない…後は神社にお参りに昔から来てくれていた』
「例の犬の像がある所ね。大体わかるわ」
都は既に辛辣モードに入っていた。
犬から視線を外して娘へと向ける。
「御依これお金」
「へ?」
娘に千円札を渡して指示を出す。
「休憩しながらこの区画を調べて。もし住人の人がいたらおばあちゃんの家を探してるとか言って聞き込みもして。それでちゃんと水分補給をする事と帽子も忘れずにちゃんと被ってね」
「お母さんは?」
「私は楊を連れて反対側の区画を調べるわ。子持ちならそこまで不審者に見えないもの。ごめんなさいね、後でこの指示の理由は説明するわ、今は時間が惜しいもの。それで土地神さんは後どれくらい保ちそう?」
皆の視線が楊に抱き抱えられている土地神へと向けられる。
『後五時間ほどだ…』
「なら今から四時間半…午後五時半前に一度ここで集合しましょう」
「分かった」
そう言って都は楊を連れて車に乗り移動を。
御依も犬を抱えて自分が担当する区画へと足を急がせる。