捜索の結論から話すとサヨリという女性を発見する事はできなかった。
二手に分かれて捜索した区間にその人はいなかったのだ。
都は車を使い、御依は式神と身体強化で飛び回ったがそれでも成果は出せなかった。
「そうか…」
御依は絞り出す様にそう言った。
団地はかなり広く二手に分かれて四時間以上捜索しても全体の四分の一が精一杯だった。
『ありがとう』
だが土地神は晴れやかな雰囲気でそう言った。本当に雲一つない澄んだ空の様に。
『ここまでしてくれる人がいた事、それはとても幸せな事だ。見つからなかったが私はとても満たされた』
その言葉に娘二人は何も言えなくなる。
努力の全てが必ず実るわけではない。実らないことの方が大多数を占めるだろう。
「何もう諦めた様な空気出してるの。まだ三十分残ってるでしょう」
都は娘二人と一匹を励ます様に声を上げる。
「お母さん…でもぉ…」
楊は既に半泣きになっている。
御依が助けられないと断言したなら、せめて悔いの残らない最後だけはと思っていたのにそれすらも目標を果たせなかった。
「二人とも、ルールはね人を縛るものだけど同時に守ってくれるものでもあるの」
娘二人の前に膝をついて話しかける。それはとても大事なことで。
壁を守り大切に維持をすれば、その壁は外敵から自分を守る盾になってくれる。
「世界はルールを守らない人に厳しくて残酷なの。本当は御依の事を隠しちゃダメなの。それは分かるわね?」
「うん…」
法律や暗黙の了解なんていうものが存在し、世界に生きる人は何かしらの秩序の輪の中で生きている。
それが世界に無いのなら、人は人でなく野蛮な何か別の生命体だろう。
「だから私はね悪い子なのよ」
「そんな事…」
そんなはずがない。
都からは御依という娘を、家族への愛しかない。だが理由があればルールを破っていい理屈にはならない。
「娘に魔術で挫折させたくないって気持ちをルールより優先すべきじゃないの」
しかし彼女は「でも…」と歯切れの悪い言葉が繋がり。
「今は娘の努力や思いが実って欲しいって言う願望を優先させようと思うの」
そう言って彼女は手を組んで胸元へとそれを持っていく。
都の体から僅かだが魔力が漏れ出てくる。
(魔術…?)
御依は明らかに意図して魔力を放出しているのを察した。
そもそも魔力を出すところすら見た事がない。
都は魔術師としての心得は持っている。
実際成績はそこまで振るわなかったが魔術師育成の高校は卒業しているし、その後は後方支援とはいえ協会に所属して働いていた時期もある。
だが事務仕事が主で前に出て戦闘行為をした事は一切ない。
魔術師としての技量はイコールで怪異を狩る力に直結はしない。
怪異を狩る事と潜りの魔術師の取締りのため評価は基本腕力が物を言う世界になる。
二十年修行して属性魔力と概念魔力を発現させたとしてもその技が戦闘向きでなければ、基礎の全身強化魔術で纏い殴り倒して怪異を狩る人よりも評価は下になる。
「世界、キャンパス、色、絵の具、塗る…」
都は小さな声で呟く。
魔力を練り始めて既に三十秒は経っている。
魔術は無詠唱で素早く発動するのが好ましいとされている。実際、戦闘中に敵と対峙して十秒も二十秒も待ってくれるなどはない。
「色がつく世界」
都を中心に鮮やかな極彩色が広がっていく。
その色は空や大地に触れて多種多様な色をつける。
「これは…地の概念魔力…?」
「す、すっごい」
御依と楊は違うベクトルではあるが感嘆の声をあげる。
だがその色たちが襲い掛かり「ひゃっ!」「きゃっ!」小さな悲鳴をあげさせる、姉妹にも色がべったりと着いてしまう。
御依は防ごうと咄嗟に防御の結界を張ったがそれをすり抜けてしまったのだ。
「見つけた!」
彼女が指差した先に紅色の線が遠くまで伸びていた。
「あれは…」
「急いで車に乗って!」
急かされる様にして娘二人と一匹は車に乗り込む。
「お母さんあれは?」
御依としても初めて見るタイプの技でかなり興味津々である。
「あの技は魔力に色を塗る事が出来るのよ。土地神様と同じ色を追いかければサヨリさんに辿り着けるわ。土地神を構成する魔力は一人だけなんでしょう?」
「これ…概念魔力だよね?」
「ええ、そうよ。さすがよく分かったわね。でも発動に一分以上もかかるし、技の継続時間は十分程度。そもそも戦闘技ですらないわ。だから全く評価されなかったわね。この技を出せる様にするのに二十年以上は修行したのにね」
都は苦笑いでそう言った。
世界は人間が無自覚に放つ魔力が溢れており、サヨリが放つ力は年齢もあり弱く、殆ど察知する事が出来ない程に薄い。
だが土地神の魔力に着く色とサヨリの放つ魔力の色は同一になる。ハッキリと魔力の繋がりに色をつけて追跡を可能にする。
空間にごちゃ混ぜになっている魔力を色をつける形で仕分ける技。それは地の概念魔力の「分断」に分類される。
「お母さん凄い!!土地神様!サヨリさんに会えるよ!」
『ああ…ありがとう』
犬をぎゅっと抱きしめて歓喜の声を上げる楊。
「これが出来るなら最初からやってくれれば…」
御依は当然の疑問を提示する。
何故暑い中あんなにも必死に捜索する必要があるのかと当然思う。
「この技の欠陥は私の持ってる魔力を一気に使っちゃうから一日一回しか出来ない事とそれでも十分しか効果が継続しないのよ」
「あっ」
その言葉で今回の作戦を理解する。
「そっか…だから四時間以上もかけて出来る限り足で調べて範囲を狭めたんだ」
「正解よ。車で移動できるのは十分だけ、もしそれよりも遠い範囲なら技が不発に終わるわ。だから時間が許す限り捜査範囲を狭める必要があったの」
そうして話しながら紅色の魔力を車を使い追いかける。
「ここね」
都は一つの家の前で車を停める。
紅色の魔力は目の前の平家に伸びている。車道側に縁側が備え付けられており、雨戸と障子は開けられており涼しげな空気を演出している。
「犬さん…ここで間違いない?」
『あぁ…』
陽に抱かれていた土地神はその腕から飛び降りてふらついた足取りながらも家の中へと向かっていく。
部屋の奥には人の気配がある。
『ああ…!』
床で伏せっている女性を見つけると絞り出す様な声が出る。
『そうだ…この人が…』
家の中に入り女性へと近づいていく。
「どなた…?」
女性、サヨリは意識が戻ったのか上手く動かない体をもどかしそうに動かしながら体を起こす。
「ねぇみーちゃん」
「何?」
「私たち気がつかれてないよね?」
「うん、こっちからは余程注意しないと見えないだろうし、あの人眼鏡をかけてるって事は目が悪いはずだから」
こっそり中を伺っている姉妹はそんな会話を。
「でもあのお婆ちゃん犬さんに気がついてそう…」
サヨリという女性は土地神の足音と気配に反応している。
「魔術は鍛錬の積み重ねで上達していく。けど例外はある」
「例外?」
「命の危機に瀕した土壇場で眠っていた魔力が一気に解放されて魔術のコツを掴む事が稀にあるの」
視線を室内に戻して。
「あの方は死の間際で魔力を知覚出来るようになっているのかも」
その説明をしている間も犬との距離が縮まっていく。
「あなたの事…初めてのはずなのに…何処かで」
視線の先に野良犬がいるという状況なのに何故か恐ろしいとは思えず、自然とその存在を受け入れていた。
『…お礼を言いたかった。ずっと…』
相手のそばに寄り添い手に鼻先をつける。
手の先に感じるひんやりとした感触、それが彼女の中にある記憶を想起させる。
「そうだ…貴方は狛犬様…」
その瞬間、記憶の中の奥底にあったものが溢れ出す。
小さい頃、友達と夕陽が沈むまで遊び回った。
近所の公園、空き地、放課後のグラウンド、そして神社の境内。街中の全てが遊び場で毎日が特別な日々だった。
「悪い事したら神様が見てるからね」
よく親が言っていた事だ。それはよくある子供の躾に使う文言である。
ある日、門限を破って境内で遊んでいた。ちょっと友達と盛り上がっただけの出来心だった。
「え、雨…?」
何故か太陽は見えているのに通り雨が降り帰らなくてはいけなくなった。
帰る際に境内に置かれている狛犬が自分を見ているような気がした。
「な、なんでっ!」
空襲が起きて街が火の海になる。
必死に火の手から友人達と共に逃げる。だが何処に逃げればいいのか正解がわからない。
「あれ…?」
誰に何を言われたわけでもないのに自然と神社に着いてしまう。
そして火の手が一帯を覆ってしまうが何故か神社の周りだけは殆ど燃えずに命を拾った。
「狛犬…さま…?」
石の像のはずなのに何故か微笑んでいるように思えた。
とある悩みが出てきてしまった。
「どうしたらいいのでしょう…」
先日見合いをした男性から改めてアプローチがあったのだ。
また会いたいという返事が来るという事は結婚を前提に話をしたいという事だ。
相手は正直素敵な人だと思った。容姿も能力も高く有望で、親は色のいい返事に喜んでくれていた。
しかし結婚は人生において大きな決断で、簡単に頷ける人はいないだろう。
少し頭を冷やすためにいつも通っている神社へと足を運んでいた。
「はああぁ…」
溜め息を吐きながら犬の像に手を添える。
「……?」
誰かが肩を叩いて決断を後押ししてくれているような気がした。
「だれ…?」
この境内には誰もいない。
ましてや人の肩をいきなり叩く様な不届ものなどそういないだろう。
「肩を…」
自分の手で肩に触れる。間違いなく感触はあった。
何故か心の中にあった重たいモヤが取り払われた様な気がしたのだ。
「娘です、見てくれていますか?」
結婚した相手と第一子を身籠り、産まれ、そして安定してから報告へと足を運んだ。
結婚してから神社から少し遠い場所に家を建てて過ごす事になったが、時間を見つけてはこうして人生の帰路の報告をしている。
誰かがそれを楽しみにしてくれているのではという仄かな感じがして。
年齢を重ねるたびに体が言うことをきかなくなり、神社へと足を運ぶ頻度が減っていく。
「静か…」
一日の大半を横になる様になる。
夫や時折家族が来て話しかけてくれたり励ましてくれるが体の限界は自分が一番よくわかるのだ。
自分がそう長くないと分かるのだ。
(最後に…)
この人生の土壇場でふと思う。
(狛犬様に挨拶できたらな…)
体の自由が効かなくなってからは訪れる機会もめっきり無くなった。
そして。
「狛犬様…?」
銅像でしか知らない姿、しかもかなり小さく弱々しいがそれでも分かる。
いつも、小さい頃からずっと自分を見守ってくれた存在なのだと。
『サヨリ…貴方が居てくれたからこそ、私はここにいられた』
感謝を伝えていく。
『初めて親との約束を破ろうとした日、火の手から生きる為に必死になって逃げ込んだ日、結婚を悩んだ日、そして娘を紹介してくれた日も、辛いこともあったけれどそれでも楽しかった』
今から消えゆくとは思えないほど晴れやかな雰囲気で。
『嬉しかった。貴方が居たから私のこの命も価値があったと確信出来るのだ』
そして最後に一言。
『ありがとう』
そう言って土地神は空気に溶ける様に消えた。
◎
「うっ…」
「泣かないで」
静かな車内で楊の咽び泣く声だけが響いていた。
あの後素早くその場から撤収した。
下手に姿を見られると問題になる可能性もあったし、何よりサヨリという女性はもうすぐ亡くなるからだ。
そこまで付き合う必要はない。
「ねぇお母さん、みーちゃん」
少しだけ気分を落ち着かせた彼女は二人に尋ねる。
「もし私がさ、魔術使えたら土地神さま助けれた?」
二人はその質問に困った。
出来るか出来ないかで言えば可能性はある。魔術師の中には力を譲渡する事に長けたものや、生物を式神として生まれ変わらせ使役することが出来るものもいる。
しかしあの場にはそれが可能な力の持ち主はいなかった。
楊が鍛錬を積んだ先にどの様な素養があるかは不透明だが、可能性が全くない話ではない。
「かも…しれないわね。でも楊、自分を責めてはダメよ」
母親として精一杯言ってあげられる事を伝える。
今ないものをねだっても意味はない、出来る事をするしかなかったのだ。
「私、魔術師になる」
なりたいではなく、なると宣言をする。
前に家で御依に語った時とは胸に秘めた熱が違う。
「次同じことが起きたらぜーったいにその人を助ける。もう悔しくて泣くなんてヤダ」
それが藍原楊の魔術師としての原点になる。
「そう…」
御依はそれが修羅の道である事を悟った。
でも今の楊の気持ちを押さえつけられる言葉はこの世の誰も持たないのだ。