大人としてそれなりに生きた前世に比べて、今世はまだ齢六歳。睡眠時間は大量に取らないと体が保たない
「んふぁ…」
朝になり目覚まし知らずで自然と目を覚ます。前世からの習慣なのか自然と朝早く起きてしまう。
先日の誕生日の日はうなされて上手く起きれなかっただけだ。
平安の頃はロウソクのような夜に明かりを灯すのは、今では考えられないほどの贅沢で中々出来る事ではなかった。
夜暗くなったら寝て、明るくなったら起きる、そして可能な限り日の昇っている時間に活動するのが常識だった。
言ってしまえば人間の文明が革命的に進歩したのは、夜中でも活動できる明かりが安価で発明された事で、人間の活動時間が爆発的に増えたからだ。
「早起きさんね、おはよう」
朝ごはんの準備をしていた母親がもはや普段の光景と化した娘の起床に反応する。
時刻は朝の六時、子供が起きるには確かに早起きさんではある。
「ん、おはよ」
少し寝ぼけているのか御依は気の抜けた挨拶をする。
その後暫くテレビを占領してニュースを見ていた。
本当は朝食の手伝いをしたかったが、小さな背と短い手足では何の役にも立たない為、現状は諦めてる。
暫くすると父親と兄もリビングに入ってくる。そしてまったりとしていると。
「御依、お姉ちゃんも起こしてあげてね」
「はい」
このやり取りも母親と何度も行って来たそれで、素早く返事をする。この頃にはだいぶ目も覚めている。
二階にある姉の部屋にノックもせずに勝手に入る。
経験からノックしても返事は返ってこないし、既に過去何度も確認もせずに入室している。
「すぅー…」
そして案の定爆睡していた。
「…」
御依は薄くため息を吐いてから相手の体を揺すり始める。
「おねぇちゃん起きてってば、遅刻しちゃうよ」
布団越しに姉の体を揺すると「ん…」ととても眠たそうなくぐもった声が聞こえる。
「起きてくださいよ、ねぇってば、ほんとに起きてよーもぉー」
「んんっ…」
こうして朝の貴重な五分が姉を起こすという不毛な時間に取られる。
起床してから一時間と五分やっと朝食にありつける。
その事実に多少の腹立たしさを感じながらサラダに口をつける。
なんの文句もなくしゃりしゃりと野菜を頬張る。
御依が転生して驚いたのはありとあらゆる食材がほぼ新鮮な状態で食べられる事だった。
何度かスーパーというところにいったが食べ物が溢れ出るほど陳列している光景には圧倒された。
それと冷蔵庫という家電が生活をここまで豊かにしている事実に感動を覚える。
魔術で氷を出す事は不可能ではないが、基本的に魔術的な力で生み出した物質は一定時間で空気に溶けるように消滅する為、術者の負担が大きく現実的ではなかった。
基本的に生野菜はヘタリがちだった。焼いたり煮たり工夫はしていたが。
「そう言えば最近課外授業おおいよな」
味噌汁に口をつけながら息子である利人にそう話しかける。
中学生の時に比べて高校生になってから帰る時間がめっきり遅くなった。
「ん?あぁなんか今年度はカリキュラム変わるらしくてさ。まぁ一年だからその辺分かんないけど先輩たちはヒーヒー言ってる」
利人は茶碗に一杯のご飯を掻き込みながらそう言った。
ここで言う学校とは一般的なものではなく、表向きこそ高校だが、内情は魔術師の育成に関わる学校だ。
御依は詳しくないが兄はかなり名前の通った学生だ。
高校一年生で既に魔術師協会から内定の話が来る程に。その一方で魔術師界隈でも有名な御家達からも直接のスカウトも貰っているそうで、ほぼ安泰の将来が約束されている。
そんな話を前に両親からそれとなく聞いた。
皆が食べ終わると各々が職場や学校に向かう。
御依としては皿洗いくらいやりたいのだが、冷静に考えて六歳に割れ物を持たせるはずもない。
「私たちも行きましょうか」
皿洗いや片付けを一通り終えて都は家に残っている御依にそう言う。
「はーい」
いつもの送迎の時間で、手を引かれて幼稚園に向かう。大体歩いても十五分程で大した距離ではない。
「ん?」
彼女はここでいつもと違う事に気がついた。
家に車が残っていたのだ。父親が使っているはずだが何故か庭先の駐車場に置きっぱなしだった。
「乗りましょうね」
「歩かないの?」
いつもと違うルーティーンに疑問を投げかける。
「えーっと…たまには良いかなって」
何か言いづらそうに返事を返す。
最近近くで強力な怪異が出て来て、怖いので車で送迎しますとは言えない。
「…?」
御依はそんな母親に対して、まぁそんな気分になる日もあるかと特段疑問を持たなかった。
怖がらせている要因のくせにだ。
◎
本日は御依の所属するクラスの散歩の日だ。
(ホント勘弁してよ…)
連日クソ暑い日が続くのに何故外出などしなければならないのか、不満たらたらの彼女の思いなど何処へやら。元気印のクラスの園児たちはウキウキで歩道を練り歩いていた。
まだ朝方の為、日差しは弱く最高気温に達してはいないが。
この幼稚園に入った時こそ最初は魔術師適性の高い人間が他にいるのではないのかと警戒していた。
だがその手のセンスに鈍感な人しかいないと分かってからは、隠している正体や力がバレるリスクないある意味安全地帯になっている。
数分歩くとあるのもが目に入る。
「これは…」
横断歩道で待っていると、そこには花やお菓子類といった物が供えられていた。
つまり何かしらの事故が起きて悲惨な結果があったという事だ。
だが御依が気になったのは横断歩道の電柱に黒い人型のモヤがまとわりついている事だ。
怨念または呪い、つまり人が憎しみや無念さ、虚無感といったものが一定以上に高まった時、本来全身に巡っていて空気に晒せば、ある程度の時間経過で溶けて霧散する性質を持つ魔力がその理に反して無理矢理この世に留まってしまう。
魔術とは己の心を制して、その弱さと対峙しなければ扱ってはいけないのだ。
だからこそその指導は慎重なものになる。
『ニクイ、ナゼ、オレガ』
恐らくこの怨念はただの一般人だが、その中では魔力素養がある方だったと考えられる。
(このまま放っておくと)
この怨念はまだ世界に悪影響を与える状態ではない。だが時を重ねれば醜悪化してしまうかもしれない。あるいは力を使い果たして風化する可能性もあるが。
だがそんな打算とは別に放ってはおけない。だって苦しそうだからだ。
「……」
その場で膝をつき手を合わせて祈るようなポーズで黙祷をする。
他園児たちはそれを見て不審そうに御依を見ていたが、保育士たちは彼女が寺院又は神職関係の家の子供であることを知っている為、同じように手を合わせる。
人の体には血液や電気信号とは異なる魔力と呼ぶエネルギーが全身を駆け巡っている。それを的確に抽出して多種多様な現象を起こすのがざっくりとした魔術だ。
彼女が生まれる前の大昔の時代は舞や経を読むなどして超常的な効果を生み出していた。
人間の特徴や傾向は千差万別で近い能力はあれど全く同一になるケースは殆どない。
だがデータを取れば当然大まかな枠組みと傾向は見えてくる。
魔術の租だった女はその傾向を見つけ個人に合わせた的確な指導法を作った。
かつて災害、つまり天災というのは神か高次元の存在からの試練と考えられていた。魔力特徴もこの災害から名前が付けられている。
そんな彼女の得意な魔力系統は一言で表すなら「風」。由来は台風。
台風とは人というちっぽけな存在が太刀打ちすることなど出来ず家に籠り逃げる他ないと考えられていた。
風属性は突風やカマイタチという物理現象を起こせるだけでなく「循環」と呼ばれる記号を兼ねている。
風はただ災害を起こすのではなく、長い時間をかけて大地を慣らし、種を運び命の輪を廻す輪廻の役割も持っている。
『ニクイ、ニクイ…』
(貴方が理不尽に命を奪われた憎しみ、安い同情なんてしたくないけどそれでも少しだけど分かる…けど堕ちちゃダメ。誰も喜ばないから戻って来て)
『クルシクテシカタガナインダ…』
その苦しみは御依にも流れて来るかのように肌で感じる事ができた。
相手の怨念は突如吹き荒れる風に警戒心を露わにする。
(大丈夫)
御依は力強くそう伝える。
もしこの場に魔力を見る事が出来る人が居たのなら、優しい風が辺り一帯を覆っているのが見えたはずだ。
(祓うんじゃない、貴方の中に溜まる憎しみを少しだけ取り除いて輪廻に返します)
彼女から発せられる風が一層強さを増していく。
風が黒のモヤに触れると、少しずつだが黒が消えていき白い魂が見えてくる。
数日前に怪異を問答無用に殺したはずの風、だがこれは優しくその苦しむ魂を傷つける事なく包み込む。
(また会いましょう)
その言葉のトーンは今生の別れではなく、まるで明日も遊ぶ約束をする友達同士のようだった。
『ありがとう…』
黒いモヤが完全に消えるとそこには二十代半ば程の男性がおり、笑顔で御依に手を振りながら天へと飛び立っていった。
(よかった…)
彼女は心の底から安堵した。
事故で不遇の死を遂げたであろう男性の最後が苦しいもので終わらなかったことに。
「あれ…?」
安心したのか力が抜ける、体を虚脱感が襲ってくる、そして意識が遠のいていく。
軽度の熱中症である。
◎
母親が乗って来たガンガンにクーラーの効いた車の助手席に乗りながら御依は申し訳なさでいっぱいだった。
自分がこまめの水分補給やもっと体調に気をつけていれば今回のトラブルは避けられたはずだからだ。
不遇な魂を目の前になんとかしなくてはという事ばかり考えてしまった結果、自分の体調の事をおざなりにして周りに迷惑をかけてしまった。
「ごめんなさいぃぃ」
車の窓越しから見える保育士のお姉さんが必死に頭を下げているのが見えて心が苦しいなんてものではない。
もし仮に次以降の散歩等が、今回御依の熱中症のせいで禁止または延期になったらもう幼稚園に通う子達と顔を合わせられない。
「御依大丈夫?」
暫くして保育士と話し終えて運転席に戻ってくる都。
「うん平気、ちょっとふらっとしちゃっただけ」
可能な限り笑顔を作ってそう返す。
実際そこまで深刻な状態ではない、体を冷やして休んだら体調は簡単に回復出来る程度だ。
「辛かったら隠す必要ないのよ」
いつもよりも真剣味の増した表情だった。何故かいつもと違って飄々と流せないそんな空気がある。
「う、うん。ちょっと疲れちゃったけど大丈夫…だよ?」
「本当に?」
「う、えーっと…」
いつも以上に構ってくるような違和感。
(もしかして私の正体…?)
気がついているのか?目の前にいるのが六歳児の皮を被った魔術の祖である事に。
なんだ、何が不味かったんだとぐるぐると思考を巡らせる御依。
せめてこの藍原家の人達はこんな危険人物の事など知らないまま一生を終えてほしいと、自分の正体は墓場まで持っていこうと思っていたのだ。
あの温かい家庭に自分はきっといらない。正体を知ればきっと重荷になる。
都の手がスーッと相手の顔に向けて伸びる。
「っ」
その緩慢とも思える動作に御依の体がビクリと硬直する。
魔術的な力は何もない。仮に都が魔術を使ったとしても、御依はその全てを防ぎ封殺可能だ。
だがそれはここでは問題ではない、今の彼女は何故かなんの抵抗もできない。
その手は相手のおでこに添えられる。
「そう、顔色も思っていたより悪くないしあまり熱くないのかな?痩せ我慢じゃないなら。御依はすぐ我慢しちゃうから」
安心したように薄く息を吐いてハンドルを握って運転し始める。
手が離れるとフッと御依の体から力が抜けて助手席のシートに体が埋まる。
ちらりと隣で運転をしている相手を見る。今の車内には愛娘を心配する母親しかいない。
その事実に今まで感じたことのない胸のくすぐったさを感じる。
だが魔術を極めた彼女もその感情の名前を知らない。