「はぁ…」
楊は塾を終えてファミレスで食べ終わった後、家に帰ったのだが何となく外に出ていた。
あのまま家にいたら取り返しのつかない事になりそうだった。自分を嫌いになってしまいそうだった。
普段なら猛暑と不審者がうろついている為止められた可能性もある。
だが都は楊の中に芽生えるもどかしさや劣等感を察して一人にしようという判断を下した。
「さいてーだ…」
彼女はボソリと呟く。
ファミレスで御依に対して嫉妬をしてしまった。そしてその相手にとっての秘密を危うく暴露しそうになった。
御依はそんな楊に対して咎めたりする事は無く、まるで何も無かったかのように振る舞っていた。
それが自分を気遣ってなのか、それとも彼女の中の感情を読み取れないが故なのかは分からない。
様々な感情が脳内を巡っているうちに川の近くの土手に辿り着いてしまう。
「ん…?」
ふと目の前に三十代ほどの男性がいた。
少しキツめの目元に、少しニヒルに吊り上がっている口元。
「お?」
相手は楊を認識して声を漏らす。
「ど、どうも。こんにちは…」
彼女は相手から何やら嫌な雰囲気を感じてその場を素早く去ろうとする。
相手はその態度を別の意図として汲み取ったのか引き留めにかかる。
「お嬢ちゃん見ちゃったかな?」
「ひっ…」
ぐいっと肩を掴まれて小さく息を漏らす。
「ついてなかったねぇ」
肩を掴んでない方の手で相手の顔に触れようとする。
「いやっ!!」
反射的に彼女は相手の手をパシッと叩いてしまう。
しかし相手は小揺るぎもせず何かを仕掛けようとする。
「離せよオッサンさぁ」
グイッと相手の手を掴む。
声は一威だが手を掴んだのは彼女の式神の侍だった。
「ほぅ?」
相手は手を掴まれたが振り払い反射的に後ろに下がって距離を取る。
「見えてるな式神が、オマエが人殺しやろぉ」
口元を軽薄に歪ませながらも同時並行で現状の確認を行う。
怯えている女の子の腕を掴んで自身の後ろに下がらせる。
(この子もしっかり見えてるな)
相手を睨みながらも楊の事も確認する。間違いなく彼女も式神が見えている。
魔術師が顔を合わせれば間合いよりも技の発動速度が重視される。
「ッ!」
一威はグッと拳を握る。すると肘から先に炎が宿る。
その拳を相手の方へと突き出すと炎が相手の方へと伸びていく。
「くっ」
男も同時にバスケットボール程の水を生み出し、ぶつけて封殺しようとする。
ドォン!!と二つの魔力がぶつかり水が一気に熱を帯びて気体になり爆発爆音が響き渡る。
「へぇ」
一威はこの攻防で相手の力をある程度把握した。
(やつの攻撃は事前情報通り海属性だな)
溺死事件の犯人なら魔力で水を生み出すのは訳のない話だった。
「オマエ水は生み出せるみてーだが、元からある水は操れんみたいだな」
その指摘に相手は眉をぴくりを動かす。
あえて努めて表情を出さないようにしているがそれでも分かりやすい相手ではある。
「何でわかるみてーな顔すんな、出来るならとーっくに川の水を操って殺しにくるはずだろタコ」
口封じを狙っている相手が手心を加える理由は一切ない。
何よりわざわざ彼女の炎の拳を小さなスケールの技で防ぐ必要はない場面だった。
そもそも防ぎきれておらず相手の服の端が少し焼け焦げていた。
「そんで一度に出せて操れる水は一、二リットルってトコだな」
その量であれば人間を溺死させるには十分であり、先ほどの攻防でもその程度の量しか出していなかった。
「もーいいわ、オマエの力量は分かったわ」
「…子供が大人を舐めるな」
再び相手は水を生み出して襲いかかる。
「それもう飽きたっつの」
一威が無造作に腕を薙ぐと彼女もまた水を生み出して攻撃を跳ね返してしまった。
相手はそれを見て分かり易く動揺していた。
「私が火しか出せないとでも?」
その理由は単純、十歳足らずの子供が二属性を使いこなしてみせたからだ。
「凄い…」
楊はその力強い姿に兄や妹の背中と重ね合わせていた。
自分とは違う魔術を意識して使うのでは無い。
例えば何かが飛んで来たら反射的に手をで守ろうとするのと同じ。
魔術を使う事がまるで息をするように、体の一部として馴染む程の訓練を重ねた者が辿り着ける領域。
「大人を舐めるなとかさぁ、目上に敬意を持てとかさー」
彼女は先ほど言われた言葉を反芻する。
「そーゆー偉っそーな事を口にするなら舐められないだけの相応の実力見せてくれな?」
そう言い放って手のひらを相手に向ける。
今から放つ一撃でトドメを刺す気なのだ。
「チッ!」
男が手のひらを地面に向けて思いっきり魔力を放出する。
するとボン!と土煙のような物が発生して視界が真っ白になる。それは水を一気に気体にしたのだ、液体が気体になる際に体積が約千七百倍になるのを利用した煙幕だ。
海属性において水を生み出すのは大なり小なり難しくはない、しかし状態変化させるのはかなりの高等技術になる。
「下がる!」
「はい主様」
彼女の式神は主人と楊の二人を抱えて思いっきり後ろに飛ぶ。
距離を取り土煙が晴れる。しかしそこには殺人鬼の男がいなかった。
周りを警戒したが見える範囲に人はいない。
「さてと…とりあえず周りにアイツいないか調べて」
「はい」
一威は式神に指示を出してから自分の取るべき行動を考える。
楊は先ほどの立ち回りの出来なさから考えて、これと言って戦力にはならない。
そもそもこれ以上一威が戦う理由は存在しないのだ。後は協会に通報して楊の保護をしてもらい、殺人鬼を追い詰めてくれればそれでいい。なんせ顔をしっかりと見た目撃者がいるのだ。
(まぁ別に仕事じゃないしこれ以上首突っ込んでも仕方ないかね)
自分を正義の味方とも陽の側の人間とも思っていない為そんなドライな方に考える。
「あなた何かアテはあるの?」
可能な限り柔らかくした口調で楊に話しかける。
「あて…?」
分からないというよりは質問の意図そのものを理解出来ていないようだった。
「あの殺人鬼またあなたの事を襲うわよ。身を守るというか何かある?」
少し緊張感が薄れたのか楊は「うーん」と首を傾げながら考え込んでいる。
「お兄ちゃんとみーちゃんが強いから大丈夫」
「いや誰だよソレぇ」
あまりにも内輪ネタすぎる返答に困る。
まさか一威もみーちゃんが探している藍原御依その人とは思いもしない。
「まぁいいや、とりま協会に通報通報」
彼女は懐から携帯電話を取り出す。これでやる事はやった。しかしそれは叶わなかった。
「はっ?」
バギッと彼女の持っていた携帯電話が壊されてしまい、それを認識して間抜けな声を出してしまう。
「チィ」
苛立ちの声を上げたがすぐさま臨戦体制に入る。
先ほどの攻撃は水の塊がまるでヘビのように動いて貫いてきた。通報する事を明確に妨害してきたのだ。
つまり殺人鬼は口封じを諦めていない。
「どこだ!!」
声を荒げながら周りを見るが楊以外は誰もいない。
目の前には攻撃を加えてきたソフトボール程の水塊が球体の形で漂っている。
(考えろあの水は奴が作ったものだ)
楊の盾になりながらも一威は考える。
ここで錯乱または思考停止しては二人とも殺されてしまう。
(携帯への攻撃は当てずっぽうでは無い明確な意思があった)
彼女の視界内に相手がいない。
考えられるのは遠視か透視関係の力を持っていて遠距離から攻撃を仕掛けているのか。
それともなにかしらのトリガーがあり、それを満たすと反応して攻撃を加えて来るのか。
「主様!」
彼女の式神が調査を終えて戻って来る。
魔力塊を感知して慌てて戻ってきたようだった。
「周りに例の男の反応は−」
だが報告は続かなかった。
「うぐっ!?」
水が素早く先端を鋭く尖らせ形を変えて式神を襲ったのだ。
咄嗟に腕をクロスさせて防ぐがその両手をぶち抜いてそのまま胸を貫いてしまう。
式神に死ぬという概念はない。魔力の供給さえ途切れさせなければ消滅はしない。しかし深傷を負うと修復するまで行動不能にはなる。
「ひっ…」
目の前の凄惨な光景に楊はただ震える事しか出来ない。
「ごめん!時間を稼いで!」
一威は式神に冷酷な指示を出しながら楊の腕を強引に掴んで走る。
式神は気にするなと苦しそうにしながらも、心の痛みに耐えている主人に対して気丈に笑んで頷いた。
◎
「はあっ…はあっ…!」
一威は息を切らしながら裏路地に入った。
決して行き止まりではなく、あくまでも遠くからの視線を遮れる場所に身を潜める。
周りは小さな工場か古いアパートくらいしかない。
「あの人は…」
楊は犠牲になってでも逃がしてくれた式神に対して心を痛める。
式神は創造主の魔力を分け与えただけの道具だ。だが彼女はあの命懸けの勇姿を見てそう割り切る事は出来なかった。
兄の式神の蘭、妹の式神のちーを見ているからこそ、一人の意思を持つ存在なのだとしか思えないのだ。
「違う…違うの、私は、私に力がないから…」
そして気がついてしまった。
これではまるで目の前で残酷な判断を下し、助けてくれた少女が悪いみたいではないかと。
「あなたは強くて優しいのね」
一威は相手の腕を離してからぼそりと言った。
「あなたを責める気はない」
相手のその一言に楊は顔をあげた。
目の前には穏やかな微笑みを浮かべている相手がいたのだ。最初は悪態をついたりとすごく感じが悪く怖い人だなと思っていた。
けれどそんな印象はその笑みで吹き飛んでしまった。
「己の弱さや至らなさ、そして非を認めて心から謝れる人は一握りしかいないわ」
相手が励まそうとしているのは分かっていた。
分かっているだけに気を遣わせる事実がより彼女を小さくさせてしまう。
「私は強くない…」
この期に及んでそんな言葉しか出ない自身に忸怩たるものを感じながら口を開く。
「そうね。けれど−」
その言葉を否定はしなかった。だが一威の言葉はそこで止まらなかった。
「あなたは強くなれる」
それは確信に満ちておりお世辞は含まれていなかった。
「私が強く…?」
「強くなりたいと願うなら、あなたは心も魔術も強くなれる、絶対に」
そんなことを言われても到底信じられなかった。
「でも同じ塾の人ができる事もお兄ちゃんやみーちゃんができる事、私は出来ない…」
「それがどうしたの?それがなにかあなたに関係あるの?周りよりも劣っているなら魔術を諦めるの?弱くていいの?」
畳み掛けるように一威は言葉を重ねる。
「ダメなんだ、力があるってだけじゃ、心に優しさがないと」
その言葉は語りかけるだけでなく、己に言い聞かせているようにも思えた。
「強さはね、相手を倒す事だけを意味する言葉じゃないの。私がそれを知った時には遅すぎたけれど」
そう語った彼女の脳裏には自分の拾い育ててくれた女の人の姿が浮かんでいた。
優しく包んでくれる母親のような人であり、また何者でもなかった自分の向かうべき道を切り開いてくれた師匠でもある。
そしてその恩人を助けられなかった事、死に目を見届けられなかった事。
「魔術はね、練習さえすれば誰でも出来るようになる程度の事なの」
一威は「でもね」と続ける。
「優しさだけは自分が傷ついて苦しんで、そして悩んだ先にしかないの。他人の痛みに気がつく人はその痛みをもう知ってる人だから」
楊はその言葉の大半を理解できなかった。
それでも心に染み込んでくるようなそんな気がしたのだ。
「だからあなたはここを生き残って、それで強くなって、それで同じ様に弱さに打ちひしがれて立ち上がれないでいる人を助ける人になるの」
相手の手を優しく包み、顔を合わせてそう告げる。
「あの男は自分がしていることがどれだけ人を傷つけるのか分かってないからあんな事が出来る。だから私はここで負けられない、あんな他人の気持ちも分からない男より弱いなんて許せないでしょう?」
彼女はそう言い切った。
「私…強くなりたい、優しくて強くって…」
楊は瞳を潤ませながら自然とその言葉が口から漏れた。
「なれるよ」
一威は微笑みながらその夢を肯定した。
二人の中に流れる穏やかな時間、それは長続きしなかった。
バゴン!とマウンホールが突如宙へと飛び出す。
「んな」
マウンホールは大体四十キロの重量がある。それが吹き飛ぶなと人力では不可能だ。
つまりこれは魔術的事象だ。
「もう追いつきやがる」
マウンホールから飛び出し襲ってくるソフトボールほどの水塊を右腕に宿した炎で吹き飛ばす。
バシュッと水は瞬時に蒸気となって消えた。
(どうやってこの場所を特定した?)
周りを見渡しながら考える。
攻撃に何かしらの反応するトリガーがあるのか、それともこの場所を何かしらの方法で視認しているのか。
まさか水塊が五感を持っているわけでもあるまいし。
「後ろ!」
そこで楊の慌てた声が耳に届く。
「え…?」
一威の背後から槍の様に鋭く尖らせた水、反射的に楊を突き飛ばしたが自身は避けきれずそれが一威の腹を貫いた。