じんわりとした熱さと激痛。
「うっ…」
一威は真っ赤に染まっている腹を手で押さえてうずくまる。
だがその手の隙間から赤い熱いものがこぼれ出る。
「クソがっ!」
彼女は手をかざして自身を貫いた水を熱で蒸発させる。
なんとか攻撃は撃退したが息が荒い。
「あ、がぅぁ…ゲホゴホぉ!?」
気持ち悪さに耐え切る事が出来ずにそのまま地面に吐瀉物をぶちまけてしまう。
「大丈夫!?」
楊は慌てて一威の元へ行き体をさする。
相手の息はかなり荒くなっているのが近づいたからこそより分かる。
「…へいき、ちょっと気持ち悪くなっただけ」
「でも…!」
その心配とは別に一威は深呼吸を一度してからあっさりと立ち上がった。
それを見て目が点になる。側から見ても相当の重症に見えたのだ。
「あれ…?」
「内臓を魔力で包んで無理矢理動かしたの、その勢いでつい吐いただけ、相手の水は直撃してないよ」
簡単に言っているが魔力で内臓を包んでガードするのは出来ても、それをはらわたを突き破らない程度に的確にズラすのは相当なテクニックになる。
しかも今回は咄嗟の対応だったため、一つ間違えれば死んでいた。
それが吐き気がする程度で済んだのは彼女の卓越した技量ゆえだ。
「とにかく移動するよ」
「う、うん…」
そう言いながら魔力で傷口を押さえてこれ以上の出血を防ぐ。
そんなことよりも大事なのは相手の水は生成量の限界の許す限りは分断して操作出来る事だ。
一矢目をあえて目立つ挙動で攻めて防がせて、二矢目を確実に当ててきた。先程は大した事はないとタカを括ったのは改めなくてはいけない。
「あ、そうか」
そこまで考えて自身の貫かれた傷口に触れながら気がついた。
「どうしたの?」
楊は相手が何かに気がついたのを見て問いかける。
「んにゃね、相手がどうやってこっちを見ずに位置を特定しているのかって事」
「分かったの!?」
「おう、顔近いね。まぁ大体はね」
相手がずいっと近づいてきた為、そっと手で相手の顔を押して距離を取る。
そう話しながらも一威は楊を先導する。
「さっきの攻撃はさー、なんでわざわざマウンホールを大袈裟にぶっ飛ばしたんだと思う?」
一威は相手に対してそんな質問をする。
「何でって…それで油断させて背後から攻撃を当てる為だから…?」
「それは半分正解」
「は、はんぶん?」
彼女からしたらそれ以外の意図しか感じなかった。それを半分と言われたのは意外だった。
「こっちの位置をわかってるからあんなに派手にやる必要ないね。そーっとやってグサっ!って行った方がいいね」
「うーん…」
楊はそう指摘されるとそうかもしれないと考える。
「派手なマウンホールはパフォーマンス、本命を気が付かせないためのブラフ。本命は大きな音を立ててその音の反射からこっちの位置を正確に掴む事」
エコロケーションまたは反響定位と呼ばれる技術。
イルカやコウモリは自身の出した音の反響を聞いて対象との距離と大きさ、そして数を見分けている。
人も訓練次第では体得可能な技術だ。
「海ってそんな事出来るんだ」
「んーまぁねぇ」
楊の「はー…」と感心したそぶりおそらく何も理解できていない、それに一威は少しだけ困る。
話がすんなり通る御依がイレギュラーなだけだ。
相手の技はただの水塊ではなく、そこに雷属性の概念を付与している。
雷属性は災害の落雷から当然名前がついている。
雷撃を生み出し操る属性を持っている。
そして概念は「伝播」。遠くで雷鳴が轟いても光や音、そして振動がその存在感を示す。
対象に思念を飛ばしたり、距離を超えて通信する力。
(あの水塊には雷の概念が付与されてた)
改めて攻撃を受けた時の感触を思い出す。
水塊には殺人犯の触覚とリンクしているのだ。しかしダメージは還元されない形で。
水が受けた振動から逆算して対象の位置を観測している。
「次に相手がする事さね…」
一威はボソリと呟く。
相手の行動、その最優先事項は目撃者の口封じに他ならない。
警察や協会に連絡の隙を与えないように攻め立ててくると考えられる。
先程対面した結果、一威に対して手も足も出なかったのは骨身に染みているはずだ。
もうまともに一威の前に姿を見せようとはしないと考えるべきだ。
(となると姿を変えてる可能性は高いな)
既に服装等を着替えて印象を変えていると考えるべきだ。
水塊が何処までコントロール可能なのかは不明だが、少なくとも地球の反対まで離れても操作可能であると考えるのは極端な例ではあるが非現実的だ。
敵は姿を見せる事なく一威と楊を殺せるか。
一威は相手を自身の視界と魔術の射程圏内に入れる事。
これらが互いの勝利条件。
「ここは?」
「ここ?駅前の噴水広場」
二人は一威言った通り駅前の噴水のある広場にいた。
よく待ち合わせスポットとして使われている。
駅自体としてはそこまで大きなものではないが、そこそこの一等地で周りにはデパートとビルが立ち並んでいる。
「こんな何もない所で…」
楊は開けた場所にいる事実に不安になる。
人もまばらで噴水以外にこれと言って障害物もない。
「平気だよ、エコロケーションは障害物の少ない場所じゃ殆ど効果を出せねーしな」
エコロケーションは音の反響を捉えて距離や大きさを把握する技術。
開けた場所は音が反射しないため相性が悪い。
なにより逃げ回ってもいつかは不意打ちを受ける、なら分かりやすい場所にいて備えた方がいいと考える。
周りには噴水以外に目立った障害物がなく、マウンホールのような地下の通り道も見当たらない場所。
「はいこれ」
一威は自販機で買った水を渡す。
まだ季節は夏休みなので当然外は熱気でとんでもない事になっている。
「ありがとう」
「一気に飲まずに少しずつ飲みなよ大事にね、その水はあなたを守ってくれるから」
楊は命の危機に晒されていて気が付かなかったが、自分の喉が相当に渇いていた。
「ごめんなさい、あなたをこんな事に巻き込んで」
一威はペットボトルに口をつける相手にそう言う。
自身の不覚で目の前の女の子を命の危機に晒してしまっている。油断せず素早く仕留めれば問題なかったからだ。
楊は「そんな事ない」と言おうと思ったが、ここで相手に名乗っていない事も名前も知らない事に気がついた。
「私の名前は『楊』って言うの、貴方は?」
「…『一威』だよ」
初めてお互いに名乗る。
一威はある意味では本当の名前ではないが仲間からそう呼ばれる通り名を口にする。
「もし終わったらさ…友達になってよ。あと魔術も教えて欲しい。それに多分みーちゃんとも仲良くなれるから」
楊は伝えたい事をありったけ伝えた。
友達になりたいのも、魔術を教えて欲しい事も、そして強くなりたいのも全て本心だ。
「いや、だからみーちゃんて誰だよぅ」
先ほどから何度か出てくる名前に苦笑いする。
あだ名なんてのは身内でしか通じないのに初対面の相手に連呼するのがおかしい。
楊はここであだ名では本名も自身との関係性も伝わらない事に気がついた。
「私の妹だよ。御依って言うの」
「はぁ?」
一威にとって聞きの流すことの出来ない情報だった。
つまり目の前にいるのは目当ての相手の姉という事になる。
「ち、ちょっといいかい…?」
通常であれば出さない動揺をつい出してしまう。
こんな所で繋がりが出来るとは思ってもいなかった。
相手の口から出た「御依」について詳しく聞こうとする。
「来たか」
一威がボソリと呟くと同時に噴水から水が飛び出して二人に襲いかかる。
「んなの読めてんだよ単細胞がっ!」
彼女は素早く炎の壁を作り防ぐ。
そして周りを見渡す。
狙うのは一人だけで立ちすくんでいる人物。服装は変化をつけられても、短時間で身長や体格はそう変えられるものでは無い。
そして見つけた、明らかに先ほどの不意打ちを防がれて動揺する人を。
直ぐに相手は逃走を図ろうとする。
「テメェか!待ちやがれ!」
一威は素早く走って追いかける。振り返る事なく指示を飛ばす。
「協会か警察の人に連絡してくれ!」
「でもっ…」
楊は直ぐにこの場を去る判断が出来ない。相手が恐ろしいのではなく一威を一人にしたく無いのだ。
「早くしろ!!」
一威は迷いを振り切らせるようにそう言い放って走り去っていく。
◎
「もう逃げるのはやめか?」
噴水広場から見えるアパートの三階で一威は相手を追い詰めていた。
もうすでに逃げ場が無いため袋小路になっているのか、策があってここに来たのか。
「後学までに何故不意打ちを防げたのか聞いていいか?」
「んあ?あの広場は広いから音から逆探知はほぼ不可能、なら目で見て狙いをつけるしかねーだろ?そして陰険なオマエなら必ず噴水に魔力で作った水を紛れさせると思ってたさ。何処から攻めてくるか分かってりゃ不意打ちとかカンケーねーよ」
一威は得意げに語る。
読みが当たって気持ちよくなっているのだ。
「度胸無しで姿を見せず、リスクとらねーから簡単に動き読まれんだよーん。アタシなら接近してナイフで一刺ししてるかにゃー?」
次にはもう真面目な表情で相手に向き直す。
「んでもうネタ切れかい?」
「ここには君一人かな?」
「ん?そうだけど?」
その返事を聞いて男は外を見る。
視線の先には楊が何処かに向けて走っている。足の向く先には駅に設置されている電話ボックスがある。そこに向かっているのだ。
「どーやらアレで応援を呼ぶみたいだな」
楊が何処かに連絡を取るために動いているのを見て安心する。
「つまりあの子を始末すれば俺の顔を見たのはキミだけか」
「どーやってさ、あの子まで距離が空いているんだが?」
「忘れたのか?俺の力を」
その言葉と共にバシュッという音と共に噴水から水が飛び出して楊の元へと一直線に飛び出していく。
「無駄だよ、オマエの行動は読みやすい」
それを見ても一威は小揺るぎもしない。
楊の持っていたペットボトルが突然弾けて彼女の体を敵の攻撃から守った。
それを見て楊は一瞬驚いたがすぐさま通話を続行する。
「な…」
相手は簡単に防がれたのを見て絶句する。
「あの子に飲み水を渡しておいた、しっかり大事に飲めってね。水を生み出して操作するのはそれなりに骨が折れる」
一威は「けれど」と続ける。
「元からある水に自身の魔力を通して操作可能にするのならその労力は半減する」
相手を解剖するかのようにその器を暴いていく。
「追いかけてた時何度かあの子をあえて攻撃させる隙は作ってた、けれど一度もそんな素振りはなかった」
楊に自衛力が無いのは相手とて理解は出来ていたはず。
だが一度も追いかけられて逃げている間は魔術を行使しなかった。
「つまりオマエの魔力水塊は待機させている時ならまだしも、複雑な操作中は自分の足を動かせないんだろう?特性なのか技術的問題なのか、戦闘に使うには欠陥技だな」
欠陥という言葉を聞いて相手の顔色が変わった。
「何が欠陥だ!!どいつもコイツも俺の事を馬鹿にしやがって!!裏で笑ってぇっ!!?」
腕を行き場のない怒りを発散するように振り回し血を吐くような叫び声。
だが一威はそれを聞いても小揺るぎもしない。
「そんなに認めて欲しいなら何故こんな殺人に力を使った?くだらん」
ピシャリと相手を否定する。
「俺は強い!!それをしょうめ–」
「私ならその力を使って災害救助をする。生き埋めになった人、遭難した人、沢山の人を助けてやんよ」
水であれば狭い人やまともに通れない道、反響を使えば暗闇で危険な場所でも救助は出来る。そして水を含ませれば一時的に渇きを癒すことだって出来る。
その揺るがぬ宣言を聞いて相手はグッと口をつぐんだ。
「何が過去にあったか知らないし知ろうともしない、同情もしないし憐れまない。けれどオマエが馬鹿にされてきたのは力の有無でも強弱でもねーよ、それだけは絶対に」
ハッキリと言い返された。
お前の反論は許さないと。
「ぐ、ぐっ…!」
一方の相手はその通りに何も言い返せない。
先程は欠陥技と吐き捨てたが、それは戦闘として使うにはとも言っていた。
このような殺人ではなく、目指すべき姿をその小さな体で提示してみせた。
「まだ抵抗するってーなら手足の一、二本は失う覚悟しろよ」
一威はそう言いながら一歩ずつ間合いを詰める。
(落ち着け!このフロアに水はもう仕込んである)
一方の相手は心に動揺こそあれど相手が近づいて来るのをじっと隙なく見つめる。
ここに逃げたのも最悪のパターンを予測しての事だ。
消化器の裏、外を眺められる共用廊下の外側、水を下に流す排水溝の中。まだ三箇所に仕込んでいる。
相手を確実に視界にとらえているなら反響に割く必要は無い。最短距離で仕留められる。
仮に広範囲の攻撃または防御をするなら素早く外に飛び降りる。それなりに痛いだろうが、ここでやられるよりは幾分マシではある。
『私ならその力を使って災害救助をする。生き埋めになった人、遭難した人、沢山の人を助けてやんよ』
目の前の少女に言われた一言。それがやけに耳に残る。
だからこそ一瞬だけこれで良いのかと迷う。
もしもここで止まれば自分はまだやり直せるのかと思ってしまう。
だがもう既に人を手にかけている、後戻りなんて出来ないとも思ってしまう。
「くっ…」
「……」
一威はそんな相手の思考を完全に読み切った。
スッと手を上に掲げて、その手から炎を噴射する。
警報器がジリリリィィ!!とその熱に反応して音をかき鳴らし、スプリンクラーを発動させて水を勢いよく撒き散らす。
「なにを…!?」
水に気取られ一瞬意識を外した瞬間、一威がスプリンクラーから吹き出す水をその小さな体で切り裂きながら猛然とダッシュをして距離を詰めている。
(落ち着け!不意をつかれてもまだ間に合う!)
相手は魔力強化で身体能力と肉体強度を上げているがそれでもまだ間合いは詰め切ってない。
三方向から同時に水塊が相手の命を奪わんと飛び出して来る。
先程は体を貫通していた事から、一威の魔力強化では水の貫通そのものは防ぎきれていなかった。
(さぁどうする!属性魔力を纏って防ぐならその一瞬視界が遮られる隙に飛び降りる!)
攻撃を認識して防ごうとすれば体は自然と硬直せざるを得ない。
一威はここで水塊が自分の貫かんと真っ直ぐに飛び出している事を認識する。
(防げ避けろ!その隙は絶対に見逃さない!)
彼女は攻撃を認識してなおお構いなしに突っ込んでくる。
今すぐに相手の突進を躱わすのなら自身の水塊による攻撃を解除しなければならない。
仮に解除せず迎え撃つなら良くて相打ちで最悪そのまま押し切られる可能性がある。
(何故防ごうとしない!このまま相打ち狙い!?)
ここで一威に水の槍が直撃する、それも三本同時に。
「んな…」
相手から短い声が漏れる。
直撃したと思ったのにそれが寸前の所で三発全て逸らされ弾かれる。
「な、ぜ…」
気がつけば相手は自身の懐まで潜り込んでいる。
相手はここでようやく気がついた。スプリンクラーから吹き出しているのは水、そして一威の体はそれによってずぶ濡れになっている事実を。
『元からある水に自身の魔力を通して操作可能にするのならその労力は半減する』
先程しっかりと言っていた。自身は元からある水を操作するのは可能だと。
この空間の主導権は一威が完全に握っている。
だがそれに気がついても遅い。完全に間合に入られているのだから。
「おせぇ!」
彼女は掌底の構えを取り、魔力を腕の関節と足に集中させる。
そしてロケットのように一気に飛び上がり相手の下顎を掌底の一撃で一気に砕いた。
「ゴッばぁっ!?」
口と鼻から血を吹き出しぐらりと倒れそうになる。
「ギッ…アアアァぁぁっ!!」
しかし気合いでなんとか踏みとどまり殴り返そうとする。
だがその拳は濡れており相手の魔力によってコースを滑るように外されてしまう。
(お前を助けないし、導きもしない)
目の前の男は先程の一威の言葉に動揺していた。
彼が目指したかったのはこんな殺人では無かったのだろう。
しかしそんな事は知ったことでは無い。自己顕示の為に人を殺し、あまつさえ目撃者の楊の口封じすらしようとした。
「やりたきゃ勝手にやり直してこい…この大馬鹿野郎が!」
相手の耳はその声を拾った。
一威は水を無理やり固めて足場を作り相手と同じ目線まで登る。
そして敵の側頭部に全力の回し蹴りを炸裂させて意識を刈り取った。
◎
「……」
倒した相手をその場に放置して裏路地に一威は逃げ込んでいた。
あの場に残っていたら協会の人間がやってきて拘束されるのは目に見えていた。
「うっ…」
彼女はお腹を抑える。
服の上からでも血が流れて滲んでいるのがわかる。
(大概無茶するよな…)
自身の体の状態に苦笑いしかできない。
楊の前では心配させまいと強がって、無理やり傷口を魔力で押さえ込んで表面上は誤魔化した。
しかし内臓を魔力でずらしたとはいえ体を貫通する一撃を受けて平気でいられるわけがない。
そもそも内臓をずらした際のダメージも大きく、また吐き出しそうになっている。
既に暑さから来る汗ではなく、冷や汗が流れている。
「ほんっと…」
体はフラつき、ガン!と裏路地のビルの壁面に体を打ちつけてしまう。
ガタが来ているだけではなく、熱暑による極端な体温上昇と出血と汗による体内の水分の減少が併発している。
「楊は…無事かな…」
その場にパタリと倒れ込んで空を見上げる形になってしまう。
手足に力が入らず、少しずつ目蓋が重くなる。
(死んだら…師匠のとこ…行けるかな…)
一人の女の子を救って死んだという土産話の一つでも出来たらなんて思う。
それはそれで悪くないと思うし、この生にも意味があったと思えるのだ。
「…また会いたいな」
そしてもしあの世で会えたらもう一度だけあの温もりで抱きしめて欲しいな、そんな事を考えながら意識を手放す。