「あーやだやだ、帰りたくないなぁ…」
「どうしたみーちゃん、そんな突然」
「みーちゃん言うな」
炎天下に焼かれながらも二人と一式神は確実に家路へとついていた。
家に帰ってる途中で気がついたのだ。影喰いよりも恐ろしい存在、藍原都がいる事を。
「今回は緊急時のため、魔術の使用は認められると思いますが」
二人の後ろを恭しくついてくるのはメイド式神の蘭で一般論を口にする。
命の危機のため魔術を使ったとしてもそこまで咎められる事はないだろう言う意見だ。
「そんな正論でお母さんからの説教を逃れられると思う?」
「……」
蘭は態度対して呆れと同意から黙り込む。
魔術の租とは思えない部分で恐怖を感じているなと思った事。
そして彼女自身、過去に何度か主人である利人と一緒にバカをした経験があり、都からまとめて一緒にガッツリ説教を食らった過去を思い出す。
しかしその経験、つまり蘭を人として贔屓をせずに対等に扱うその都の態度が式神の精神的な成長を促したのは間違いない。
そんな問答をしているうちに家の前にたどり着く。
すでに時刻は正午を回っており、この暑さのせいか玄関の前と庭先には誰もいなかった。
つまりラスボスは家の中で御依の帰りを待っていると言う事だ。
「落ち着け…大丈夫…大丈夫…」
「そんな覚悟を決める事ぉ?」
なにやらブツブツと呟いている御依を見て一威は呆れたように言った。
大義名分もあるし気にする必要などないだろうと。
何よりあそこまでの強さを持ちながら母親一人に何を怯えているのだろうと。
「ただいま〜…」
可能な限り音を立てないようにしながら玄関の扉をゆっくりと開けて、彼女は控えめな帰りの挨拶をする。
「お帰りなさい」
「ぴぃ!」
都が玄関前で仁王立ちして待ち構えていた。
その光景は強大な怪異と対峙するかそれ以上の威圧感なのか恐怖で息が喉から漏れ出る。
「言いたい事は分かるわね?」
「はい、怪異に向かって勝手に飛び出してごめんなさい」
御依は可能な限りの謝罪をする。
都とて相手がそうそう遅れを取らない事くらい分かっている。
しかしそれとこれとは話が変わる。親として子を心配するのは当然の権利なのだから。
とは言え一威は御依を不憫に思い援護射撃をする。
「みんな無事だったんだしそれで良いじゃん」
「一威さん静かに」
「はい、すみません」
都にあっさりとねじ伏せられてしまう。
「一威さんも分かってると思います。結果が出ればルールは破って良いものではありません。それを毎度許したら誰も何も守ってくれませんよ」
「……」
潜りの魔術師として活動しているからこそその言葉の重みは痛い程分かる。
「それと御依と一威さんは一度体を洗って。それと貴女は二階の私の寝室で寝ててください。風呂場に着替えは用意してます」
「え?なんで?」
その指示に一威は疑問符を浮かべた。
風呂に入れと言う指示は分かるのだが、二階で休めというのが腑に落ちない。
「三人が帰ってきたら利人に協会へこの件を報告するように伝えてます。一応ここに調査員が来るかもしれないので二階で隠れていて頂戴」
二人は成程と頷く。
さすがに現場は一階で、既に倒したと報告をすることになる為二階までくまなく調査する事は無い。
「報告が終わったらご飯にしましょう」
都はここで険しい表情を緩めてそう言った。
その後、一威を二階の部屋の隅に隠してから協会をの人間を呼んで事後処理をしてもらい、今回の事件は一旦はおしまいという形で影喰いの件は終了した。
そしてその後は一威がいる事を除けばいつも通りに昼食を取り、テレビを見るかゲームをして遊んでから夕食を取った。
◎
「疲れた…」
御依は風呂から上がってから髪を乾かして(強制的に都の手によって乾かされた)から自室の布団にダイブしていた。
「二重人格…」
寝ようと布団に入ったのだがどうしてもその事が気になって眠りにつけない。
今まで意識的に考えないようにしていた自分は一体何者なのかという問題。
そもそも人は生まれ変わるなんて事が可能なのかということ。
考えられるのは風属性の概念である循環を利用して輪廻から外して生まれ変わらせる事だ。
例として残留思念として何かしらに意識を残す事なら出来るだろう。それこそ付喪神のように。
しかし死んだ人間の魂の輪廻を回して別の個体にまるっと意識を移動させるなど魔術を発明した亜夜鳴ですら不可能だ。
まずその転生技を編み出し発動するにも人間の一生、つまり約百年修行してもそんな事は不可能である事、人間の肉体の全盛期を考えればその期間はもっと短い。
何より風属性の概念の循環を極めたからこそ、それが途方もなく困難だと分かるのだ。
例えばイタコのような降霊術系統の技もあるが、あれは元から体の持つ素養と降ろす時間を限定しているから出来るのであって、永続するタイプの技ではない。
「いや、組織だって…?」
魔術式を世代を超えて開発した可能性もある。
つまり一人目からその息子、そして次に孫と技の開発に対して長い年月をかけて目当ての術式を作った可能性。
これによって時間というハードルを超えた可能性。
「そんなこと出来るわけないね」
その案は直ぐに却下した。
うん百年も意思の統一など出来るはずがない。それに親子が必ずしも近い魔力素養を持っているとは限らない。
事実として利人は良二や都とは比べ物にならない力を持って生まれた。
ならば他人、ある程度の人たちで組織として情報を共有した可能性もあるが、転生術式なんて大掛かりなものを作るならもうとっくに情報が漏れているはず。情報漏洩は人が集まれば集まるほど抱えてしまうリスクなのだから。
前提として転生なんてことが狙って出来るなら、亜夜鳴の力なんて必要ないだろう。
そもそも亜夜鳴を転生させたのなら、もうとっくに何かしらのコンタクトなり見返りを求めてくるはずだ。
「やっと二人きりで話せるね」
自分の考えをまとめているとふと口からそんな言葉が出てきた。
「え?」
上体を起こして自分の口に触れる。何かしらの魔術か怪異の攻撃を受けたのかと思った。
「違うよ。私はね、ううん、私も藍原御依なんだよ」
彼女の口が自身の意思と逆らい勝手に喋り出す。
「まさか…」
そのセリフで御依、いや亜夜鳴は自分に話しかけてくる相手を理解出来てしまった。
亜夜鳴が転生しなければ今頃は藍原御依として生きていたはずの少女だ。
「えへへ、こうして話せるってなると何を話したらいいかよく分かんないや」
相手は照れくさそうに口を開く。
「私は…私はっ!」
謝らなくては、しかし口がそれらについていかずにあたふたしてしまう。
「うん分かってる。御依は…ややこしいね。うーん…じゃあみーちゃんで」
亜夜鳴を相手にしても口調からは恨みは一切感じない。
「話してたらなんか眠たくなってきちゃった」
相手はふわぁ…と欠伸をする。この状況でも呑気なものだった。
「今直ぐに何を言えば良いのか分からないから取り敢えず今日あったことを伝えるね」
◎
「ここどこ…?」
彼女は真っ黒な空間にポツンと立っていた。
おーいと声を出すが辺りに遮蔽物が無いのか遠くに声が伝わっている感じがしない。
「ん?」
すると四角の光る板のようなものが宙に浮いていた。
当然のその方へと引き寄せられる。
そしてそれを覗くと家のリビングが見えた。いつも亜夜鳴の視界から見ていた当たり前の光景だった。
「ん?おにーちゃん」
手を伸ばすとその光の板、つまり鏡の鏡面に遮られる。
「あっ」
彼女は初めて何かに自発的に触るという経験をする。
ドンドンとそれを叩くと相手がその音を聞いて鏡の方を見る。
「はっ?」
すると兄の利人とバッチリと目が合う。
「えと…藍原利人さん…ですよね?おにーちゃんの」
「いや、何を言ってるんだ…?」
利人は理解が追いつかなかった。
影喰いが妹の姿を真似て家から逃走を図り、それを真似られた本人である御依が追いかけたはずだ。
なのに鏡の中にも御依がいるではないか。
「えと…初めまして…なのかな、うーん。藍原御依です、多分。貴方の妹です、多分、うーん…なんだろ」
今まで自分が何者なのか考えたことが無かった。
物心がついた時からぼんやりとしているか、もしくは眠たくて微睡んでいることが多かった。
たまに意識がはっきりとしている時は御依、つまり亜夜鳴の記憶を覗くくらいしかしていない自分は何者なのかよく分からなかった。
彼女の自認としては藍原御依なのだが。
利人は明らかに鏡の中にいる御依は話し方が変だとは思った。
「え、御依?」
「みーちゃん?」
都は取り敢えず魔力に色をつける技を発動してから、利人を何が起きたのか聞こうと家の中に戻った。
家の中で長男が何やらごたついているのを見て近づくと鏡の中に末っ子がいるではないか。
「おかーさんとおねーちゃん」
彼女は両手を振って笑顔でそう言う。
その仕草は御依らしいと言えばらしいし、違うと言えば違うようにも見えた。
「怪異?」
「違う違う」
楊の指摘に対して苦笑いで返事をする。
敵だと思われてはたまらない。
「なんと言うかぁ…」
怪異でないのなら誰なんだと言われると自分の事がよく分かっていないため困ってしまう。
「藍原御依だよ」
端的にそう答えた。それ以外に答える術が無いからだ。
「やばいもうわけが分からん」
利人はここ三分での情報量が多すぎて頭がパンクしかけていた。
「あれ?亜夜鳴さんは?」
ポロリと漏らした情報に三人は驚きで固まる。
目の前の相手は藍原家最大の秘密を知っている。
「どこでそれを…」
都は誰も口を割ったりしないはずで何故目の前の相手が知っているのか分からなかった。
「え?だって亜夜鳴さんが…ん?」
彼女は質問の意図が分かっていないようだった。
「二重人格…」
利人は影喰いが去っていく前に言っていた事が今更ながら分かった。
目の前の少女はもう一人の藍原御依の中にいる人格であり、入れ替わったのは亜夜鳴ではないこの目の前にいる方なのだと。
だとすれば亜夜鳴の事を把握出来ているのも納得はいく。
「あれ…?」
何かあるのか周りをキョロキョロと見ている。
「どうしたんだ?」
「んー…ふらっとする…」
御依がそう言うと突然鏡から誰もいなくなる。
それは影喰いが撃退された証拠。
◎
「と言う事があったの」
御依からの報告に亜夜鳴は複雑な表情になる。
「私何も聞いてない」
「一威さんがいるからじゃない?」
「あー…」
言われてみれば亜夜鳴の事を間違っても聞かれてはいけない為、家族は影喰いを追いかけていた間に起きた事は黙っているのだ。
「あくまでもこれは想像でしか無いけど…」
亜夜鳴は自身のこの状態になっている考察を話す。
恐らく亜夜鳴が何かしらの方法で転生して、本来の御依が追いやられてしまっている事。
影喰いによって一度体から引き剥がされた事で今のように表に出られるようになっただろうと。
「ふぅん…」
「ふーんて…」
しかし御依はあんまり興味がなさそうだった。
亜夜鳴としてもそのリアクションは困ってしまう。てっきり誹られると思っていたからだ。
「何か言いたいこととか無いのかなって…」
情けない事に自分から相手に伺い立ててしまう。
「別に無いけど?」
相変わらず呆気からんとした感じでブレない。
「だって閉じ込められているようなものでしょう?体を勝手に使ってる私の事を憎んだって…」
亜夜鳴はもういっそ責めてもらいたいのか直接的な表現をする。
「えー…うーん、閉じ込められてるって言ってもいつもウトウトしてるか寝てるかだからよく分かんないや」
ここで御依は何かを思い出したのか「あっ」と頭につけてから話し始める。
「たまに暇つぶしに亜夜鳴さんの記憶を覗いたりするけど」
「の、覗く?どんな?」
聞き捨てらならない情報が出てきてつい質問をしてしまう。
「初めておかーさんのおっぱいを吸った時の思い出とか」
「うわあああぁぁ…!」
とんでもない思い出を掘り返されているのを知って頭を抱える。
「んふふっ…」
御依は楽しそうに笑った。本当に心から楽しそうに。
「うーん…なんか眠たくなってきちゃった…」
彼女はふわ…と欠伸をしながらうつろうつろと船を漕ぎ始める。
「待って!まだ聞きたい事が…!」
「おやすみー…」
まるで糸が切れたかのようにぷつりと御依の雰囲気が消えてしまう。
「御依さん?御依さんてば」
亜夜鳴は慌てて声をかけるが誰からも返事が来ない。
こうして二人の邂逅はあっさりと終わってしまった。