御依と一威の二人は影喰いの事など何事もなかったかのように朝っぱらからゲームをして楽しんでいた。
「うっわきったねそのハメ技」
「壁際下段小突き技の恐怖に震えろ」
因みに格闘ゲームであり御依がやや優勢である。
夏休みも最終日だが、そもそも学校に行っていない二人はいつも通りのペースで過ごしていた。
都からすれば潜りの魔術師の為少しハラハラはするが、娘が少しだけ素の部分を出せる友達ができた安堵もある。
「ねぇ御依、たまにはお母さんと散歩でも行かない?」
「どしたの突然?」
リビングで一威とゲームをしていると母親からそんなお誘いが来る。
ハッキリ言って嫌である。
こんなに暑いのに昼間から外に出るなどふざけるなである。
しかしそんな事は相手だって分かっているはずで、何故そんな提案をするのか改めて考える。
「あ」
そこで気がついた。
都の狙いは別の所にあるのだと。
「今日は昼間から近くの河原で練習に行くのよね?」
都は続いて一威に話しかける。それは確認に近いニュアンスだった。
その河原はそれなりの運動が出来るくらいには広い場所だった。
「うん、もう少し広い所じゃないと身体強化の実感湧かないし。それじゃあ中々上達しないしねー」
家の庭先ではさすがに魔力を利用した訓練をするには狭すぎると判断した彼女は昨日そう提案をしていた。
しかし都は人の目に触れるリスクと一威の体調自体が戻ってないのにこんな暑い中に出していいのかと迷った。
その折衷案として利人が結界や式神を使いながら周りを警戒して、二人の体調を十分気をつけながら訓練を行う流れになった。
「御依はどう?」
都はそう言ってはいるが言外に来いと言っている。
つまり先日の影喰いの件について一威に訊かれる心配のない場所で話し合いたいのだ。
「うん!散歩楽しみ!」
ちょっと白々しくあざとくいった。
◎
「行ってきまーす」
「利人、二人をちゃんと見てるのよ」
御依と都の二人はそう言って外に出る。
「あっつ」
歩き出して数分で御依は帽子越しでも頭部を襲う熱線に参ってしまう。
帽子を被るほうがマシだとは知識として教えられているが、実感としては暑さが和らいでいるとは思えなかった。
「風と雨の魔力を使えば…」
「ダメよ」
とっさに得意技を活かした冷却方法を思いついたが当然止められる。
他愛のない話をしながら歩いていると近所の公園の近くになり、周りには路上停車している恐らく営業の車くらいしかない。
彼女はここなら誰にも聞かれる心配は無いと思い、話を切り出すならここだなと考える。
「それで何から話したらいい?」
御依の雰囲気が亜夜鳴に変わる。
「えっと…」
「私…藍原御依さんについて?」
都はなぜそれをと言った表情になる。
あの鏡の件は自分を入れて利人と楊しか知らないはずで、そしてその二人には口止めをしているのだ。
「あの日の夜、もう一人の私…いや本当の御依からコンタクトがあった」
彼女はそう切り出してから話し始める。
影喰いを倒した後で家に帰り、そして寝る直前に敵に一度は鏡の中に取り込まれた自分からコンタクトがあった事を。
そしてその相手は自分が転生した為に体を乗っ取られ、弾かれるように意識の底に封じられた本来のここにいるべき藍原御依ではないのかと。
「そう、なのね」
その告白と考察に心が痛くなる。
そしてそれを話して悲痛な表情をしている娘に対して何を伝えたらいいのか分からない。
「…お母さんは」
それは相手からも何があったのかと、亜夜鳴はこの先この体でどうしたらいいのかという疑問の二つがそこにはあった。
「その…もう一人の御依とは今話せるのかしら?」
まずは二人の娘の意見を聞きたかった。
亜夜鳴の一方的な意見だけを聞いても何も分からないからだ。
「話せない、何度話しかけても反応して貰えない」
俯きながらそう答える。
自分がどうすればいいのか分からず何度か話しかけた。
しかし理由は不明だが反応が見られない。
「鏡に閉じ込められた御依と少しだけ話したわ」
都は思った事を口にする事にした。
下手に取り繕おったり、慰めても本人はそれを望んでいないと思ったからだ。
「ここまで話を聞いて…もし仮に亜夜鳴さんがここに生まれ変わらなくて、御依が普通の子だったらこんなおっとりとした子だったんだろうなって思った」
あの時感じた印象はマイペースでニコニコしているだった。
鏡に閉じ込められるという極限状況でも平然としていた。ちょっと抜けてるところも可愛らしいなと。
「子供の在り方に親の意向は挟むべきじゃない」
子供は親の庇護下にいたとしても決して所有物ではなく一個人だ。
「けれど考えてしまうわね。こんな大人しくておっとりとした子だったらきっと亜夜鳴さんと違って我儘を言われたり夜泣きばかりで楊とセットで大変だったろうなって」
都の中に理想の子供らしさというのがあるのは間違いない。それは御依も感じてはいた。
だからこそ御依が我儘を口にしない時は不満に思うし、その逆に我儘を通そうとする時はつい受け入れてしまう。
「だよね、私は子供じゃないから…」
そこには二つの意味があった。
薄々気がついていた事を言われてますます縮こまってしまう。
決して自分、つまり御依を軽んじているわけではない。
しかし楊が問題を起こしたりお転婆をしている時の方が何かと都は楽しそうにしていた。
「けれど」
都は俯いている相手の体をそっと抱き上げてから抱きしめる。
「貴女が利人や私をあの旅行の時に助けてくれた事を知ってる。そしていつも危険なことばかりしてて不満が溜まるばっかり」
「うっ…」
当たり前だが都は子供が危険に踏み込んで欲しくない。
それは正体が亜夜鳴であると知ってからも態度は変えなかった。力があるからそれでいいだろうとはしなかった。
「重たくなったね」
抱き抱えた相手を見てふと思った事を口にする。
子供の成長は早いものだと。
「それは…太ったって事?」
「違うわよ」
彼女は見当違いな態度にクスリと苦笑いをする。
子供を三人育てている都に比べて、まだまだ御依は子供の成長を察せる程の経験値は無い。
「ん?」
抱きしめられていると遠くから騒ぎ声が聞こえる。
青色の服の男性二人が「まて!」「止まれ!」などと言いながら茶色の服を腕捲りして着た男性を追いかけている。
「鬼ごっこじゃないよね」
「ええ、というか警察?」
二人は何やらこちらに向かって走ってくる男たちを眺めるがそれはあまりにも呑気すぎる判断だった。
「なっ!」
「わっ」
都は追われている男に抱きしめていた御依を奪われて突き飛ばされてしまう。
「うっ、動くなっ!」
その男はカッターナイフを取り出しそれを突き立てて牽制してくる。
「御依!!」
どうにかしたいが娘の柔肌に首元に突きつけられている凶器に体が凍りつく。
カッターナイフで人を即死させるのは難しい。
だがそれは理屈の話で首元に凶器が突きつけられていたら誰だって躊躇う。
事実として警官の二人は動きを止めてしまっている。
「……」
しかし御依だけは一切怯んでいない。
むしろこいつどうしようかと呆れている様にも見えた。
何故ならそのカッターを持つ手は震えてしまっている。それではまともに切る事も出来ないだろう。
(面倒だな、さっさと叩きのめすか?いや警察が見てるしな…)
この状況を打開するのはさして難しくは無い。問題はそれを見られてしまう事だ。
「御依…」
都は娘の名前を呼ぶしかできない。
どんなに小さな姿でも中身は怪異と命懸けの戦いを繰り広げてきた魔術の租の亜夜鳴なのだ。このような状況はピンチでも窮地でも無いのだろう。
娘は取り乱すどころか不運にも自分を人質に取る相手を不憫そうに見ていた。
しかし都からしたそんな事など分かるはずもなく、内心大荒れで心ここに在らずだった。
「いいか、近づくんじゃないぞ…」
男はジリジリと距離をとりながらそばで路上駐車している車のドアに手をかける。
「おっ」
男はあっさりと運転席側のドアが開いたのを見て驚いていた。
車は誰も乗っておらず、施錠どころかそのままエンジンキーが差しっぱなしになっていた。
会社の車とはいえかなり責任感のない人間が使っていたのだろう。
「座れっ!」
「わぷ」
御依は助手席に無理矢理押し込められる。
(コイツ…張り倒してやろうか…)
ちょっとだけ痛かった為につい脳内でそう愚痴る。
相手も素早く運転席に座る。
「ほら!シートベルトしろって!」
男はそう言いながら御依を改めて座らせてから片手でシートベルト付けさせようとする。
「…親切かよ」
相手に聞こえないボリュームで呟く。
二人を乗せた車は急発進して素早くその場から飛び出していく。
◎
「ど、どうしたら…まずは警察…」
都は警官を目の前にしているのに百十番をしそうになっていた。
「容疑者は女の子を一人連れて車を盗み逃走。応援求めます」
「奥さんまずは落ち着いてください。まずは奥さんのお名前とお子さんの名前を」
警察二人は素早く切り替えて行動を移す。
側から見れば薄情に見えるかもしれないくらいに落ち着いて応対をしていた。
「は、はい」
都は何とかギリギリ立ち直って応対をする。しかし心はここにあらずだ。
幸いなのはすぐそばに警官がいたことか、一人だったら何をしていいか分からず錯乱していたかもしれない。
「都さん?」
「え?」
警察に事情の説明をしているとそこに現れたのは良二だった。
「え、警察?何が…」
彼からしたら妻が何故警察に厄介になっているのか分からないのだろう。
都はここで見知った人が現れて少しだけ冷静さを取り戻した。
かのように思えた。
相手の方へとふらついた足取りで近づいてから肩を掴んで揺さぶる。
「み、御依がっ!御依が攫われた!」
不安とストレスが夫を前にして爆発してしまう。
「お、落ち着いて都さん…」
娘が攫われた情報よりも妻の危機迫る余裕の無い態度の方が問題でそう言って宥めるしか出来ない。
そんな二人を見ていた警官の一人がもしや二人は夫婦なのではと思いおずおずと尋ねる。
「もしかして藍原良二さんですか?」
「はい、特別調査室から派遣された藍原です」
「この方は…」
「妻です」
警察からの質問に彼は極力冷静に答えた。
彼は今回協会から捜査協力するように指示を受けて使われたのだ。
特別調査室とは魔術怪異絡みの犯罪もしくはその疑いがある時にのみ使われる協会所属者の身分になる。
「都さん落ち着いて、ここで焦っても御依は帰って来ない」
「う…」
彼女は夫に肩を逆に掴み返されてやっと冷静になる。
瞳から段々と理知さが戻ってくる。
「はい…」
「まずは落ち着いて」
「うん」
相手と目を合わせてからゆっくりと話しかける。
この時には都の体の震えはかなり収まり、瞳も焦点があっている。
「今日の朝起きてから今まで何があったのか話して欲しい」
娘が攫われたという現状を知りたいのと落ち着かせる意図からそんな提案をする。
「…はい」
大人しくなった彼女は話し始める。
◎
家から近くの河原で利人、楊、そして一威の三人は訓練をしていた。
「ほい水」
「ありがとうお兄ちゃん」
利人は楊に水筒を手渡す。
そしてお礼を言いながらそれに口をつける。
「どう?上手く出来そう?って言っても三日四日じゃまだか」
一威はふと思った事を口にするが二日練習した程度で目に見えて上達するはずもない。
「…うん」
楊の魔力操作精度は問われた本人も分かっているが上達はまだ見られない。
そんな簡単に上達するなら世界はもっと強者で溢れているし、コード式魔導具なんてものは開発はされていない。
「けどね、今まで何となく感じてた魔力がね。こう何というかふわーっと分かるというか…」
その言葉に一威と利人は顔を合わせる。
抽象的な表現で本人もどう伝えたらいいのか明確に分かっていない。
「魔力が体を流れる感覚がいつも以上に分かるとか?」
利人は可能な限り思いつく答えを当てようとする。
「そ!そんな感じ」
モヤっとした感覚が晴れてスッキリした表情になる楊。
「まぁそれを感覚として分かってきたなら一歩前進か」
一威はなら良いかと頷く。
元々この訓練の意義は身体能力を強化したいのでは無い。結果として得るそれは副次的なものでしかないのだ。
この訓練は体の中の魔力を感じて無駄なく抽出する為の前段階でしかない。
結界作製や属性魔力を発動する際、魔力は外気に触れると霧散する性質がある為に実は高等技術に分類される。
しかし体内では魔力は無駄なく駆け巡っている。まずは魔力というものを体で感覚として感じるところから始めなくてはいけない。
その為に身体能力や強度を体内の魔力を操作する事で上げる訓練なのだ。
「うーん、じゃあ結界作ってみな。大きさは何でも良いや」
「え?うん、やってみる」
楊は一威から指示されて初めて見せた日と同じように六面体の魔力塊を作ろうとする。
そして掌に小さな物が出来る。
「素早く出せるようになったね」
利人は少しだけ驚いた。
楊の魔力が前よりも僅かだが速く、そして安定していた。
「魔力が前よりも空気に散らなくなってるな」
一威が結界を凝視してみると前よりも空気に溶ける割合が減っていた。
「ほんと!?」
彼女の中で魔術が上手い分類される二人から前向きなコメントを貰い俄然テンションが上がる。
「ん?」
ここで利人の端末に着信が入る。それは協会から支給されている方の端末だった。
魔術や怪異は極力秘匿する方針になっている為、情報の漏洩を防ぐ目的で与えられる物。
「……」
一威は潜りである立場的に見てはまずいと思ったのか明後日の方向を見ている。
「むーっ!」
楊は褒められて嬉しいのか魔力の操作を頑張っている。
「んー?どれどれ」
その内容は午前十時半ごろに殺人犯が人質を取ってそのまま逃走しているという内容だった。
状況的にその犯人は魔術を使い犯行に及んだという話だ。
そんな犯人が現在進行形で逃げている。その為協会がこうして手配をしている。
「『陸田九郎』か…」
画面には殺人容疑者の名前とその顔写真が載っていた。
その写真は犯行現場に落ちていた運転免許証の写真部分をそのまま撮影して載せたもの。
「はい?」
しかしそこに続く内容を見て目を疑った。
攫われた人質は六歳の少女であり、名前は「藍原御依」でバッチリとよく見知った顔写真が載っていたからだ。