こんな話聞いていない。
崩壊した資材置き場から命からがら逃げている男、楠田貴一は切断された腕を残った右手と口を使って縛りながら何故このような目に遭わなければいけないのかと考える。
そもそも簡単な依頼のはずだった。非魔術師のターゲットを殺すだけの簡単なもの。
実際依頼人から相手の生活リズムの情報は受け取っており朝の早い時間に張り込んで不意を打って殺すだけだった。
「う、嘘だろっ…死んでんのかよっ…!」
任務が終わり帰ろうとすると背後から驚きの声が聞こえてくる。
「なんだと?」
後ろを振り返ると男が一人遺体に駆け寄っていた。
この公園一帯は一週間の調査の結果ターゲット以外は人が通らないはずだった。
しかしなんの悪戯か人が通りかかってしまった。
(殺すか逃げるか)
彼は二択を迫られる。
後にここで殺しに行く選択は間違いであったとハッキリと分かる。
(こいつ魔力を!?)
目の前の男が魔力を知覚する力を突然手に入れた。
そして万が一の可能性ではあるが力を扱う事に慣れていき、時間をかけるとその脅威度は上がっていく。
しかしそれと同時に近くの住人たちが異変に気がついて警察を連れて現場へとやってくる。
「ちぃ」
大多数の人間に見られるとさすがに口封じし切れなくなる。
彼は慌てて銃をその場に放り投げてこの場を立ち去る事にする。
虫の式神を使い後をつけて秘密裏に九郎を始末しようとしたのだが、厄介な事に警察から逃げた先で人質を取り車を盗んで逃走を始めてしまったのだ。
「なんつーめんどくさい奴だ」
彼はバイクに乗りながら車を追いかけつつごちる。
まさか犯罪に犯罪を重ねるような奴とは思っていなかったのだ。
さっさと運転席に魔力弾を撃ち込んでそれで終わらせるつもりだった。
人質の女の子には悪いが巻き込んだ九郎に責任があると考える。
「なっ…」
引き金を引こうとした瞬間、シートベルトを外して咄嗟にハンドルに手をかけて無理矢理右折を敢行してきたのだ。
それどころか割れた運転席側の窓から身を乗り出してきて魔力で反撃すらしてくる。
「あの野郎…」
左手を貫かれ痛みを堪えてなんとか側道に停めた楠田は苦々しく呻いた。
幼稚園児か小学生低学年ほどの子供に簡単に遅れをとってしまった。
完全に二人の行き先を見失ってしまう。
「あいつらがすぐこの街から出るはずがない」
それは確信というよりは願望に近い推測だった。
しかしボロボロの車に先立つ物が無い状況で下手に遠くまで移動するのはかなり無謀な行為だった。
犯行現場に偶々居合わせたのなら生活圏もその近くだろうと当たりをつけて捜索を始める。
そしてその思考を読み切られた御依に完膚なきまでにやられるのは少し後のお話。
◎
九郎は裏道に逃げ込んだがそれが失策である事に気がついた。
「やばいやばいっ!」
彼は焦っていた。
ゴタゴタのせいで御依と逸れてしまった。
これが御依の中で逃げようとした判定になった場合、どの様な目に遭わされるのか分からないため恐怖が襲ってくる。
「うええ…」
先程の殺人犯への容赦のない攻撃を見て、それが自分に降りかかる可能性を考えるだけで吐きそうになる。
目をつぶすと口にすれば片目は確実にもがれる。
指を詰めると言ったら片手が使えなくなるのは間違いない。
冗談抜きでやると言ったら御依はやると彼は思い込んでしまっている。
「あっ…」
しかしここで最適解を導き出した。
何でこんな簡単な事に気が付かなかったのかと。
「警察に自首すりゃいいんだ…」
警察に捕まりさえすれば御依から折檻を受ける事なく、そして殺人犯からも身を守ってもらえる。
彼は詳しい知識は持っていないが警察と連携している魔術師協会というものが存在しており、警察に捕まる事はイコールで魔術師達に保護してもらう事に等しいのだ。
「そうと決まれば…」
携帯を取ろうとするがそれはドラム缶に貼り付けて現在無くなってしまっている。
彼はこの辺りの土地勘は微妙だったが広い道を通ればそのうち交番の一つでも見つかるだろうと考えて行動に移す。
「……」
息を殺しながら道の端を歩く。決してやましいからではなく殺人鬼が何処にいるか分からないからだ。
遠目には砂埃が舞っておりあの場所で御依と殺人犯の男がやり合ったのだと分かる。
そして先程からパトカーや消防車のサイレンの音が街中をひっきりなり鳴り響いている。
「あ」
するとそこで遠目から白と黒のカラーリングの車、パトカー又はパンダカーが視界に映る。
今の彼はいつもなら自身を邪魔してくるうざったい警察がとても頼りになる存在に見えた。
「お、おーい!」
慌てて車道に飛び出して両腕をブンブンと振り回して車を止めようとする。
するとパトカーはそれを視認して慌ててキキーッ!っと急ブレーキをかける。
「危ないだろ!」
助手席から降りてきたのは若い男性警官だった。
「頼む!俺を捕まえてくれ!!」
彼は相手の叱責などお構いなしに懇願する。
もう相手が何を言ってようが彼には関係ない。兎に角自身を捕まえて、御依からも殺人鬼からも保護して欲しかった。
「もしかして…」
運転席から降りてきたもう一人の男性警官は九郎の顔に覚えがあるのか訝しげにしている。
「陸田九郎か?」
「…!そうだ」
話が早い事に助かったと思いながら肯定する。
「陸田九郎ってあの?」
ここ数時間で警察署を騒がせている犯人が自ら警察の前に飛び出すという状況に頭がついていかなくなる。
「いいから!早くパトカーに乗せて警察署でも刑務所でも何処でもいいから連れて行ってくれ!」
「ああ…ってまてまて、まずは人質の子は何処へやった?」
つい流されそうになるが彼の罪状の一つが誘拐であり、今の九郎は一人でいる。
「あの子は一人でどうとでもなる」
彼はそう言うが問題は逃げているのは殺人鬼からだけでなく御依からもであり、それを説明しても無用に時間が過ぎるだけ。
よって説明を省かざるを得ない。
「いやそんなわけないだろう、六歳の子なんだぞ。早く何処に隠したのか言え」
「知らねぇよ、逸れたんだから…」
彼は何とか言葉を搾り出す。
実際御依はこの街がテロリストによって占拠されても最後まで生き残りそうではある。
そうして迂闊にも話す事に夢中になっていたせいで彼らは近づいてくる人影に気が付かなかった。
「ふぅん…お前陸田九郎って言うのか。それにあのクソガキはいねぇみたいだな」
その立ち姿は異常だった。
左腕は千切れてタオルで縛ってはいるがまだ継続して血が流れており、全身血塗れでふらついている。
「ど、どうしました!?」
若い方の警官は慌てて相手に向かう。
しかし九郎はそれをしてはいけないの分かっている。
「バカ!そいつに近づくな!!」
九郎は当然男が魔術師である事を知っており、慌てて警告するが時は既に遅かった。
「邪魔」
男は緩慢な動作で警官の頭を右手で鷲掴む。
「あ、あああぁぁぁ!?」
すると警官の顔が最初は皮膚が消えて、そしてみるみる溶けていき骨だけになり分解され消滅してしまう。
カラカラと骨だけが地面に落ちる音がし、残された首よりも下の部分がどさりと地面に倒れる。
「な、何をした!」
九郎を質問攻めにしていた警官は慌てて拳銃を取ろうとするが、身体強化をかけて素早く詰め寄り手の形を抜き手にして警官の心臓の位置に当たる胸の真ん中を一突きにしてしまう。
「お、お…?」
警官の男は自分に何が起きているのか理解出来なかった。
もはや痛みすら感じる事が出来ない。まるで高い場所から死にゆく自身をまるで他人事のように俯瞰しているような妙な感覚。
「めんどくせぇ」
そう言いながら相手の胸からズボッと腕を抜いてもの言わない相手を投げ捨ててしまう。
次の相手を見やると既に遠くまで走って逃げているのが見える。
「まだ逃げ回りやがって」
殺人鬼は鬱陶しそうに逃げる相手を見やる。
御依という障害がいなければあの程度のチンピラなど恐れる相手ではないと考える。
一方の九郎は心臓がはち切れんばかりに走っていた。
「クソくそッ!何なんだよっ!」
あと少しだったのに、逃げ切れたと思っていたのに、だが相手はまだ始末する事を諦めていなかった。
「え?」
ここで車が出すけたたましい音が鳴り響く。
鳴り響くだけでなく音がどんどん大きくなる、近づいて来ている。
彼が後ろを振り向くとパトカーが突っ込んで来ていた。
運転席には誰も乗っておらずベルトとロープでハンドルとアクセルを固定している。
「んな…」
彼は咄嗟に車の軌道からかわすように裏路地に向かって体を滑り込ませるように飛び込んだ。
ギイイィッ!!っとパトカーはそのままブレーキがかかる事なく建物に突撃して爆発炎上を起こす。
「うわぁっ!!」
ドォン!と車の爆発の音と余波によって彼の体は吹き飛ばされてしまう。
「がっ!?」
ゴロゴロと転がりビルの壁面に体を打ち付け、その痛みにえずいてしまう。
「あのガキは殺せないが取り敢えずお前だけでも消しとくか」
底冷えする程の怒りを滲ませた声音で距離を詰めてくる。
御依にコテンパンにされた事は屈辱ではある。
しかしやり返そうにも実力差があるため手が出せない。
せめて一人くらいは目撃者を消そうと動き出す。
「ッ…!」
体の痛みなど忘れて慌てて路地裏に逃げ込む。
自身は全力疾走、そして相手は歩いているはずなのに一向に振り切れない。
「なんでだよッ!」
考えてみれば車で襲われた時も御依は六歳とは思えないほどの体幹と身のこなしを見せていた。
魔力を知覚しその流れをコントロールすれば誰もが出来る技術ではあるが、今の九郎にそれを理解するのは困難だ。
「くっそぉ!」
置いてあったゴミ箱を咄嗟に相手に対して思いっきり投げつける。
「ふん」
しかし相手はそれを見ても鼻で笑うだけで、ふいと手を薙ぐと風が生まれそれが渦になりゴミ箱を簡単に弾き飛ばしてしまう。
そして風を纏わせた魔力塊を九郎に向けて飛ばす。
「ヤベッ…!」
彼はそれを見て咄嗟に地面に伏せてかわす。
致死の風が頭上を通過する。
(やはり魔力覚醒か、見えてやがるな)
ただの人間であれば今の攻撃で頭と胴体が泣き別れをしていた。
相手はその攻撃を見てからかわした。
「少々面倒になったのは認めてやる」
魔力が見えるおかげか攻撃をかわすことは出来る。
馬鹿正直に攻撃を喰らわせようとしても意味は無い。
「だが術式どころか魔力のコントロールも出来ねぇ素人に遅れはとらねえ」
何故!!何で!?九郎の脳内はその疑問符で埋め尽くされている。
「なんでだよっ!!!」
どのような手を打っても相手はお構いなしに追いかけてくる。
何故このような目に遭わなくてはいけないのかとグルグルと考えてしまう。
『自業自得』
その時ふと御依に言われた事が脳裏をよぎる。
『貴方は警察や周りの人に散々迷惑をかけていたんでしょう?』
警察にやっかいになる事をまるで武勇伝のように語り仲間内で楽しんで来た。
周りの迷惑など考えもせずに。
『勿論濡れ衣を着せられた事は不憫に思うけど。でもそんな人誰が助けるもんか、信じるもんか』
九郎が困ったとして本気で助けようとしてくれる人はいったいどれだけいるだろうか。
「いや、違う」
御依だけは今の苦しむ九郎の味方でいてくれた。
殺人の濡れ衣を着せられた彼を全力で庇って戦ってくれた。
「まだ…なんだ…」
走りながらも呟く。
まだ彼女に聞けていない。
何故こんな碌でもない自分の信じて戦ってくれるのか。
その真意を聞くまではまだ死ねやしない。
「なっ…」
走っていると視線先にあるのは壁だった。つまり行き止まりで袋小路。
もう既に戻ろうにも退路は相手に絶たれている。
絶体絶命の彼はその時願った。
(神様仏様)
神なんて存在がこの世にいたとしてこんな罰当たりな男などの味方であるはずがない。
しかしそれでも願う。
(もし俺に魔術なんて力があるなら今だけでいい、宿ってくれ。ただあの子に一言『ありがとう』って言いたいんだ)
すると誰に教えられた訳でもなく自然と右手を前に突き出す。
「なんだこれは…」
彼の視界には魔力の流れがハッキリと見えた。
突き出した手にまるで血管のように魔力が目まぐるしく流れている。空気中に流れる魔力もハッキリと見える。
それは御依や利人が普段見えているのと同じ景色。
「うお…」
体の細胞全てから余さず力を振り絞るように。
ここで果ててしまって構わないと。
「うおおおおおああああっ!!!」
九郎は握りしめた拳をあらん限りの勢いで自身を阻んでいるコンクリートに向けて叩きつける。
するとバガン!という音と共にコンクリートの壁が人が一人通れる程の大きさにくり抜かれる。