「どこだ…」
御依は慌てて街中を走っていた。
陸田九郎に逃げられるのであればそれは彼女の注意不足としか言いようがない。
しかし仮に楠田が九郎を狙っていたとしたら今の彼は完全な丸裸の状態で、顔を合わせたら間違いなく殺されてしまう。
それだけはあってはいけない。御依は相手に選択をさせたとはいえ殺人犯を一緒に追いかけさせるという選択を取らせたからだ。
本来であれば九郎の意識を刈り取って即座に警察に突き出さなければいけない。
それをしなかったのであればその責は御依が持たなくてはいけない。
「あれは?」
遠目から炎上している建物が映る。
パトカーと思わしき白と黒のカラーリングの車がビルの一角に追突して炎上している。
「おい」「やばくね?」「これホンモノ?」
そしてそこから少し離れた側道で野次馬があれやこれやと騒いでいる。
「あれは…」
彼女が目を凝らすと人混みの真ん中に倒れている人影と血がとめどなく流れている。
「まさかっ!」
慌ててその人混みに向かって走り出す。
もしそれが陸田九郎だとしたらどう償えばいいのか分からない。
「これは警察…」
遺体のそばまで人混みの中に体を捩じ込み、そして見えた遺体の服装は青と白を基調とした服装。つまり警察官だった。
そして彼女が注目したのは首無し死体の傷口の断面だった。
(鋭い物で切られてない、このグズグスの断面は腐敗…?あいつはさっきまでここにいたんだ)
それは錆びさせる力を使ったのではと連想させる。
彼女の見立てではあの錆びさせる力は風属性概念の「循環」と海属性概念の「減少」の合わせ技。
循環によって急速に対象の時間経過を起こし、それに重ねて減少の力によって物質の硬度を下げている。
遺体にそっと触れるとまだほんのりと温かい。
「こら!子供が近づいたらダメだろ!」
「わっ」
一人の男性によって抱えられてしまう。
一瞬敵かと思い構えたが彼女を抱えたのは通りすがりのサラリーマンの様だった。
彼女は抱えたまま連れて行かれてしまう。
「お母さんは?はぐれたのかい?」
「え、えっとぉ…」
少し離れた所に降ろされた御依はどう答えたらいいのか分からず、もごもごとしてしまう。
相手からは悪意は感じない、周りの騒ぎのせいで小さな女の子がはぐれたのかと考えて心配をしているだけ。
「おーい御依〜!」
「え?」
遠くから聞き覚えのある声が聞こえてくる。
声の方へと振り向くとそこには兄である藍原利人がいた。
そしてその背後には一威がこっそりと立っていた。
「ダメだろ?こんな危ない所にいちゃ」
彼はそう言ってきゅっと妹の手を引く。
「君は?」
突然現れた相手に男は驚いた表情を作る。
もちろんこの展開的に目の前の男子高校生が幼稚園児の兄であろう想像は出来ている。
「すみません。この子の兄です」
「お兄ちゃん怖かったぁ…」
そんな兄の援護射撃の為、御依は相手の足にしがみついてぷるぷると震える演技をする。
ちなみに一威は胡散臭そうな顔をしている。
「ダメだよ?こんな小さい子を一人にしちゃ」
「すみません、ごめんな御依」
男はそう言ってその場から立ち去っていく。
相手の背中を見てからふーっと息を吐いて安心してから足から離れる。
「助かったぜお兄ちゃん」
「いや、もうめちゃくちゃだろなんだこれ?」
彼の視界には死体やら爆発炎上する車が視界を埋め尽くす。
既に野次馬達も大勢集まってパニック状態になっている。
「分からない、私もここに来たばかりだから」
申し訳なさそうにそう返事をする。
あの時御依が気を抜かずに楠田貴一を始末していればここまでの被害を出さずに済んだと思っている。
「分からないじゃない…」
最初から逃亡ではなく警察の前だろうがお構いなく九郎を撃退していれば大きな被害は出さなかった。
もちろん、楠田が九郎が捕まっても何かしらの大きな動きを見せていた可能性はある。
しかし目の前で起きている事が一つの現実。
「私のせいだ…」
そんな後悔の念がここに来てやっと心の中を占める様になっていた。
自身の保身と満足感を人命と秤にかけてしまった。
「いいんじゃね?みんな未熟でさ」
一威はどこまでを察しているのか分からないそんなつぶやきを発する。
「完璧なんてこの世にはねーよ。絶対に何処かで間違える」
この世に生まれて何の後悔もなく正しい解だけを選ぶ人生などあり得ない。
必ず何処かで躓く。
「その間違えを辛くても認めて正してから遅れた分を必死に取り戻す為に同じ道を進むのか。その道を諦めて違うやり方を選ぶのかはその人次第」
「一威…」
彼女は一威から発せられる言葉を必死に噛み砕こうとする。
それはどちらか片方の道を選ぶのが正しいと語っているのではなく、成否関係無くそれでもどちらかを選べと言っている。
「人は完璧じゃないから、足りない部分に他人を求め欲するんだ」
他者の長所も短所も自身にとってやたら目につくのは決まって己の持ってない相手だけの特徴だからだ。
「ぬあーっ!もうっ…じれったーい!!」
「「はっ?」」
御依は突然うがーっ!と両手を振り上げて言った。
利人と一威の二人はそのこれまで見せたことのない態度に目を点にする。
「一威はお話長すぎ!!みーちゃんを助けてあげるでいいじゃん!」
「お、おはなし?」
御依の突然の変容についていけなくなる。
その矛先は当然亜夜鳴にも向かう。
「みーちゃんも!九郎さんを助けてあげたいでいいじゃん!!」
「は、はい…」
「あー!わかってないっぽい!」
「分かってるって」
まるで一人でままごとでもしているかの様に一人の体で全く異なるトーンで話始める。
「もしかしてみーじゃなくて御依…か?」
利人は普段は亜夜鳴によって深層心理の奥に追いやられている方の御依が出てきたのかと思い確認を取る。
「あ、おにーちゃん!こんちー」
彼女は兄の視線に気がついたのか嬉しそうに中指と薬指と親指をひっつけて、人差し指と小指を立てる狐のハンドサインを作りながら応える。
亜夜鳴がやるような少しあざとさのある演技染みたそれではなく、まさに無垢という表現がピッタリな笑みと仕草を見せる。
事情を知らない周りから見れば楊の妹なのだなと言う印象を受ける。
すると遠くからドゴン!と何かが壊れる様な音が響いた。
「まだこの件は終わってなさそうだな」
一威は音のした方に顔を向けて呟く。
この状況でこの戦闘音を出すのは殺人犯である楠田と誘拐犯の陸田九郎の二人以外あり得ない。
「ほらほら!早く九郎さんを助けに行こうよ!」
「ちょっと待って御依さん!?」
亜夜鳴は口では止めようとするが、相手の意識が出てきた時は体の制御権を取りたくないのか反抗はせず相手に委ねる。
何より利人と一威がそばにいればそうそう大事にはならないだろうという考えもあった。
周りから見たらあべこべなことを言いながらも事件の渦中に飛び込んでいく六歳児になっていた。
残された二人は最初はポカンとしていたが慌てて御依の背中を追いかける事に。
(てか速い!)
利人は内心驚く。
御依の出すスピードは相当で、とても六歳とは思えなかった。
亜夜鳴であればそれは納得なのだが、今の中身は正真正銘の六歳児の藍原御依のはずなのだ。
これまで魔力使用の練習すらしたことのない子供が簡単に魔力を扱えるはずがないのだ。
(これは魔術演算領域の共有か)
それは魔力の使用傾向と特徴が同一の人物が、同時にかつ近距離で魔術を発動すると高い演算能力を発揮して魔術のコツを掴む稀な現象。
それは主に血縁の違い親子か兄弟、または双子といった関係性で起きる事がある。
亜夜鳴と御依は同じ体と脳みそをシェアしている。
それなら幼い御依も魔術の扱うコツを掴んでいても理屈の上ではおかしくはない。
「なにあれ?」
その一威の質問は別人の様になった御依の事と、利人と同じ疑問を抱いていた。
「取り敢えず御依は二重人格とだけ」
利人自身も殆ど話した事がないためそれしか言うことが出来ないのだ。
まさか亜夜鳴の事を言うわけにもいかない。
「ふぅん…」
一威はそうと言われたらそれ以上は追求出来ない、それと同時に御依の態度に不安を感じた。
(二重人格ね…)
一威の知っている方の御依、彼女は何故か終始もう一人の自分に対して申し訳なさそうな態度を取ることに不穏さを感じた。
◎
「これは…」
コンクリートの壁がくり抜かれてビルへと入り口が出来る。
九郎は手をグーパーと開閉させて感触を確かめる。
当たり前だが腕力で破壊したのではない。そうならば砕かれたコンクリート片が辺りに散らばっている。
目の前には綺麗に人が通れるだけの大きさにくり抜かれた壁が倒れていた。
「やべっ…!」
落ち着いて現状を把握している場合ではない。
すぐ後ろから敵は迫ってきているのだ。
彼は慌ててビル内に飛び込んでいく。
◎
目の前の相手がくり抜かれた壁へと飛び込んでいくのを呆然と見ている。
「バカな…」
楠田は目の前の光景に理解が及ばなくなる。
数時間前まで魔力すら見る事の出来なかった男が明確に魔術を発動してみせた。
まだ明確な原理は分からないが属性と概念を組み合わせたかなり複雑な魔術だったのだ。
「あり得ない…!」
タチの悪い冗談としか思えなかった。
属性と概念を組み合わせて新たな魔術を構成するのは十年の修行の果てに体得できる技術なのだ。
つまり陸田九郎は元々それだけの事がセンスだけで出来る潜在能力を持っていた事になる。
それはまさに魔術の申し子としか言いようがない。
(あんなチンピラが魔術を扱うだと…ふざけるのも大概にしろ…!)
言ってしまえば六歳の御依も九郎と同じなのだが、彼は対面したからこそあの雰囲気は一流の魔術師と分かる。
だからこそ気に入らなかったが不愉快ではなかった。
「あのクソ野郎が…!」
もう既に目撃者を始末するという目的は頭から消えて九郎という天賦の才への醜い嫉妬しかない。
怒りのままに空いた穴へと飛び込んでいく。
◎
九郎は慌ててビルの中を走り回っていた。
幸いなのかオフィスは休みの様で誰もいなかった。
「考えろ…俺は何が出来る」
背の高いロッカーに背を預けながら必死に考える。
先程手で触れたコンクリートがまるで切り裂かれてくり抜かれた。
九郎が咄嗟に編み出した魔術。
(真正面から戦っても勝てっこねぇ)
彼の頭はこの危機的状況でもクリアだった。
力を発現したとしても力量と経験値は圧倒的な差がある。
御依のような電子機器を絡めて隙を作れるような心臓の強さは彼には備わっていない。それを出来るだけの対人経験値は無い。
「ん?」
彼の足元には定規が落ちていた。そっとそれを拾う。
そっと定規の真ん中を指で少しだけ魔力を意識してなぞってみる。
「こいつは…」
指でなぞった先に薄い白線が敷かれていたのだ。
そして白い線をもう一度指で触れるとそこから火花が散って定規が真っ二つになる。
「これが俺の力…」
手のひらを眺めながら呟く。
魔術の知識のない九郎には分かりようのない事だが、彼の魔術は火の属性魔力と地属性概念の分断を組み合わせた火力切断技なのだ。
(やつと同じで対象に触れないと効果が出ない)
空気を薙いだが何も起こらない。
(けど…近づいたら間違いなくやられる)
物を投げても風を生み出されて吹き飛ばされる。
真正面から馬鹿正直に突っ込んでも格上の相手に届くとは思えない。
「この場に留まってもジリ貧だ」
彼はオフィスのドアを開けて廊下に出る。
廊下は一本道だった。下は白いカーペットが敷いてあり、側面には作業用なのか脚立と消化器が設置してある程度のもの。
他のドアからは人の気配は感じない為、休日なのかそもそも空きテナントか判別は出来ない。
「地図…か」
壁に取り付けられたプレートにフロアの見取り図がくっつけてあった。それをじっと見つめる。
「外階段…」
フロアマップを見ていた彼の興味を引いたのは非常階段を兼任しているそれが、建物の外につけられているタイプだという事。
走って逃げるのは現実的ではなかった。実際裏路地を使っても振り切れななったのだ。
反撃に使える武器は無く、距離をとって逃げる事も叶わない、近づいて正面戦闘も格上相手なら悪手。
「どうすればいい」
チラリと非常扉を開けて階段を見ると折り返し型の外から丸見えの鉄骨のタイプだった。
そして出口が併設されている。
彼は脳をフル回転させて目の前にある情報を処理していく。
「こんなところで死んでたまるか」
勝って生き残る為に必死に考える。