とある一つの寺。
そこで一つの命が産声と共に生まれ落ちた。
「……っはぁ」
女は胸に抱く小さな命を抱き締めながら長い痛みを乗り越えた安堵の息を吐いた。
「よくやった!」
「妹だー」
家族もまた生まれ落ちた新たな命を喜んで受け入れている。
こんな幸せな事は他にない。
「いらっしゃい亜夜鳴…」
無事に産まれた子供が女なら付けると決めていた名前を呟きながらぎゅっと優しく、そして確かな力で抱きしめる。
◎
あの日、この家に末娘が産まれてから七年が経った。
家族たちは娘の亜夜鳴の事を不思議な子供だと昔から思っていた。
ここでは無い何かを見ているかのようにたまに視線の向く先に違和感がある。
「亜夜鳴どうしたの?」
寺の敷地内にある住居スペースの一角で洗濯物を干していると、縁側に座りぼんやりと本を開いているが視線を遠くに向けている娘を見て尋ねる。
「きらきらしてるの」
娘は手を晴天の空にかざしながらそう言った。
それはあまりにも曖昧な情報で何を伝えたいのか見当もつかない。
「き、きら…?」
母親のマコは一旦洗濯物を干す手を止めて同じ様に手を空に向かってかざしてみる。
「…?」
日差しが強めの日で薄らと手の輪郭が太陽の日によって透けている、だがそれを光っていると表現出来るのかは微妙だった。
怪異や妖怪、そして魔力の存在がまだ不思議な力として認識されていた時代だからこそ知る由もない。
その輝きは魔力が身体中を駆け巡る証なのだと。
「ん…?」
自身と同じ様に空を眺めている母親を見ているとふと人の気配を感じ取った。
視線を向けた先には自分を見つめている近場に住んでいる女の子がいた。
「っと…そろそろ時間」
マコは日の高さからおおよその時間を割り出す。
午前だけでなく午後も家でやるべき仕事は溜まっている。
夫と息子は街へと神職の仕事で出ている。
妻として夫不在の内はキチンと家の事をこなさなくてはいけない。
誇張抜きで亜夜鳴は神童と言ってよかった。なんでも飲み込みが早かった。
読み書きを既にマスターしており、算術も大人顔負けにこなせた。
彼女の夫はそのうち祈祷や祝詞などを仕込ませようと考えていた。
まだ小さいながらもやらせる事は多い。
「亜夜鳴も次は…」
そう思い視線を向けるのだが。
「いない…」
それ事実に対してつい溜め息を吐く。
またかと、またあの子はと。
いなくなって不安というよりも、いつもの子とつるんで街の方にでも行ったかと呆れてしまう。
◎
亜夜鳴は友達のチイと二人で近場の集落に向けて歩いていた。
「いいの?お母さんのこと…」
彼女の友人のチイは心残りである相手の母親について質問をする。
遊ぼうと家まで来たとはいえ放っておいてよかったのかと。
「んー?何よ今更ー…誘いに来たくせにー」
「それは…」
その様な返しをされると中々に辛い部分ではある。
「どーせお経を読めとか写経しろとかそんなんばっかし!もう全部丸暗記したし退屈なんだもん」
亜夜鳴はぶーぶーと文句を垂れ流す。
既に寺中の書物には目を通してしまい新しく学ぶ事などなかった。
両親が学ばせたいのは単純な知識だけではなく儒教的な作法礼儀も含まれてはいるが。
「そういやさー今日だっけ?」
「今日?何がなの?」
文法が抜けまくりな問いかけにさすがにすぐに答えることが出来ない。
「商人の定期便が来るの」
「確か今日か明日くらいに…」
決して大きな街ではないが海に面しており新鮮な海の幸を食べる事が出来る。
そしてまた京都と山陽地方の中継地、宿街としてそれなりに発展している。
「なんか面白いものでもあるかなぁ…」
退屈を吹き飛ばしてくれる様なそんな刺激を亜夜鳴は求める。
七歳にしてかなり人生を攻略しつつあるのをつまらなく感じる。
「うーん、どうだろ?」
チイは面白いと言っても商人が持ってくるのは珍しい柄の陶器くらいなのを知っている。
◎
二人は三十分ほど歩いて街に到着する。
「あれー?」
亜夜鳴から見て街中はあまり活気がある様には見えなかった。
寂れているのではなく商人が来た時特有の高揚した街の雰囲気が無いのだ。
商人と交渉したりする人が集まる広場は閑散としている。
「今日じゃないのかぁ…」
亜夜鳴は露骨にガッカリとした。
現代と違い平安の時代は今のような通信技術も道路網も確立されていない。
予定よりも大幅に延着して待つ事になる事などザラの時代。
「あはは、残念」
チイは友人の露骨なその態度に苦笑いをする他ない。
そんな二人を見て話しかけてくる男が一人。
「おや?広縁寺のとこの?」
「あ、大工さんだ」
当時の大工は現代の様に手広く身分関係なく建物を担当するのではなく、寺や貴族、そして地主のようなある程度地位の確立した相手に商売をする時代。
亜夜鳴は目の前の男がこの前自身の家である寺の修理でやって来た事を思い出した。
「お家は問題なさそうかい?」
「うん!ピッカピカになってる!」
嬉しそうな相手の態度にそうかそうかと頭を撫でてやる。
彼女は撫でられる時に感じるその厚くなった職人特有の皮の感覚が嫌いではない。
「……?」
しかしここで違和感。
何処か撫でる手の動きがぎこちない。撫でらている頭をどかせる。
「肩…痛めてる?」
「え?あ、あぁ最近ちょっと痛くてね」
彼女はふと相手を見やる。
その目には身体中を目まぐるしく流れている光り輝く魔力が見えている。
(あの肩…)
更に目を凝らすと右肩だけその流れに澱みがあるのが見える。
「ねぇねぇ」
もう少し近くで患部を見たいため話しかけていく。
「なんだい?」
「ちょっと耳」
「ん?」
相手は何かな?と思い膝を折って視線を合わせる。
低い位置に来た相手の肩甲骨辺りをそっと触れる。
「っ」
男は少しだけ痛むのか息を漏らす。
(少しだけ力を入れてこの塊を無理矢理流せば…)
左手で肩を押さえて、右手で肩甲骨の付近をグイグイと押していく。
誰に言われたわけでも教わったわけでもなく本能で解決法が分かる。
「ちょっと痛いかな?」
実はかなり激痛なのだがあえてオブラートな言い回しをする。
「えいっえいっ…」
しかしお構いなしにゴリゴリと力を加えていく。
「ちょっ…!いたたっ!」
子供の腕力のはずなのにまるで万力の様に押し込まれていく。
「えいっと、終わり」
「え?」
相手があっさりと手を離したのを見て驚く。
「あら…?」
不調だった肩が今はとても軽かった。
グルグルと回すが痛みは嘘の様に無くなっていた。
「チイ行こう」
「え?うん」
亜夜鳴は相手に興味を失ったのか友人の手を取ってその場から立ち去って行く。
「ちょっと…」
慌てて呼び止めようとするが振り返らずに街中へと消えていく。
◎
「おい!」
二人で街中を歩いていると声がかけられる。
「ん?」
「なんだろね?」
二人は自分達に声をかけられたのを察して立ち止まり視線を向けると街中の悪ガキ三人組がいた。
「勝負だ!今日こそ勝つ!」
男の子の一人が蹴鞠を持って見せつけてくる。
本来蹴鞠はサッカーのパス練習の様な相手が受け取りやすい様に蹴る遊び。
しかし亜夜鳴はそれを見て現代のカーリングやゲートボールの様ないかに円の中に入れて得点を競い勝敗を決めるというルールを考えた。
センスはいるがボールを強く蹴る必要性もない為、老若男女誰でもハンディキャップ無しで楽しめる。
『それ教えてくれないか?』
子供達がやっているのを見て大人も真似をする様になり、その単純かつ誰でも楽しめるそれは街で一番流行っている遊びになっていた。
「ふふん、私に勝てるとでも?」
そしてこのゲームの考案者でありトップランカーが亜夜鳴なのだ。
年配の人や始めたての子供への接待以外は誰も負けた所を見た事がないほどの最強ぶりなのだ。
「一ヶ月特訓したが今日が一番調子がいいね!」
「それ二ヶ月前も言ってたからね」
彼女は呆れながらツッコむ。
(まぁいいか)
誘ってくれる相手に感謝をする。
今日も今日とて優しく手を捻ってやろうと。
「どうだ!!」
相手の最後の一蹴りが炸裂する。
このゲームのルールは円の中央に近いボールから五点が貰え、その次に近い位置にあるボールは四点で五番目に遠い位置にあるのは一点。
つまり五つまでが得点になる。引き分けが起きない様にそう調整した結果のルールになる。
「ふぅん」
相手は五点と三点と一点を。
対する亜夜鳴は四点と二点持ち点にして最後の一蹴りを残している。
「ついに勝つ時が…!」
相手既に勝利を噛み締めていた。
一方の亜夜鳴は内心ニヤついていた。
先行はこの形にしたら負けなのだと、子供であるが故に真ん中の五点ばかりを取ろうとしてしまう事に。
「せやっ」
彼女の蹴った鞠がコロコロと転がる。
その威力はとても他の鞠を弾けるようには見えず五点のそれからポジションは取れない。
コロコロと転がった先で亜夜鳴の四点の鞠をそっと弾いて三点にしてしまったではないかと。
「やった、勝った!」
真ん中に陣取る五点の鞠を見つめながら勝ち誇る。
「うふふ、じゃあ点を数えようか?」
「え?」
しかし彼女は不敵な笑みと共に円の近くまで寄る。
それに釣られてチイをはじめとした周りの子供達もそばに寄ってくる。
「私が四点と三点と一点」
「あ!」
彼は失念していた。
中央に四点の鞠が入ったという事は自分の持ち点になるはずの一点のそれは弾かれて零点に、そして三点だったそれも二点に下がってしまう事に。
「な、七点…」
「ちなみに私は八点」
愕然とする相手に対して憎たらしい程の笑顔でそう宣言する。
◎
「おーいるいる」
二人は遊びを切り上げて海辺にやってくると漁師達が取った魚を仕分けたりしていた。
そしてその近くには隙あらばその魚を盗もうとしている鳥達。
「よし…」
亜夜鳴は標的に逃げられない程度の距離まで詰め寄る。
そして拾った小さな石を持って構える。
「……」
自身に話しかけても気が付かないほどの集中状態。
もし仮にそばにいるチイに魔力を見る事の出来る適性があったとしたら、亜夜鳴の持っている石に魔力がまとわりついているのが見えていた。
(ここだ!!)
魔力を纏わせた石を海鳥に向けて投げる。
石が真っ直ぐに鳥の方向へと向かいそして。
「ギィ!?」
頭を貫き潰して短い断末魔と共に絶命させてしまう。
パタリと首無しの鳥がその場に倒れ伏す。
「よし獲れた」
鳥の死体を遠目から確認して近づいていく。
「よくあんなに遠いのに石で当てられるね」
「んーなんか力がみなぎるというか」
まだ亜夜鳴は気がついていない。
体の魔力の流れを制御する事で腕の力を上げて石を射出する速度を上げているのと、魔力によって石に直接貫通力を付与し、更に命中精度に補正をかけているのだ。
「ほら肉だにくぅ」
そう言ってから鳥の死体を鷲掴み、家からくすねて来た小太刀を取り出す。
この時代は貴族くらいしか日常的に肉を食べる事が出来ない、基本的に庶民は米すら貴重で野菜等の質素なものしか口に出来ないのだ。
「その包丁…」
その刃の装飾が明らかに料理等に使う用途には見えなかった為もしやと確認を取る。
「ん?ああこれ?祭壇とか儀式で使うやつね」
「儀式?」
「対魔の舞だっけ?なんかそーゆー儀式あんのね」
悪びれる事もなく小太刀を使って皮を剥いで羽を取り外していく。
しれっと魔力を流して刃の部分の力を引き上げつつ。
一方で言い切る相手のその態度に呆れた様子で。
「バチ当たり…」
「別にいーじゃん?死んだ人とか神様に使うくらいなら私に使われたほうが小太刀も喜ぶだろうし」
神職の子だというのに神も恐れぬその態度。
何かと言い訳をしながらも手捌きは澱みなく、鳥を綺麗に解体していく。
「んであとは…」
亜夜鳴ら木材を使って摩擦で火を起こす。
それと同時にチイがナイフを借りて竹の枝を加工して串を作りそれに肉を突き刺す。
「んでくすね…ごほん!もらった塩を振りかけて…」
そう言って布の袋に指を突っ込んで塩を摘んで振りかけていく。
「盗んだの?」
「しらなーい」
しらーっとした態度で肉を火で炙っていく。
「「……」」
二人はこんがりと焼けていく肉を見て自然とそれに夢中になり口数が減っていく。
そして炙る事数分が経過。
「そろそろ食べられるかな」
「そうだね」
二人は炙る手を止めて肉を口元へと持っていく。
そして思い切って噛むとガリッとした食感だった。
現代の食用に遺伝子操作されたものに比べたら硬く、ゴムの様な食感の酷いものだった。
味も塩をまぶしただけで到底美味いと感じられないものだった。
「うん、美味しい」
「お肉おいしい」
しかし二人にとってはご馳走で文句一つ口にせずその貴重な肉を味わった。
◎
太陽もだいぶ沈んでおり、一時間半もすれば日が沈んでしまう。
「はー遊んだ遊んだ」
友達と一緒に家路へと帰っていく。
家まで歩いてあと十分ほどで、充分明るいうちの帰宅は可能だった。
「ねぇおうちの人は大丈夫なの?」
チイはふと思い出した事を質問する。
亜夜鳴は午後の予定をすっぽかして遊びに出てしまったのだと。
「大丈夫だってさ」
その問いかけを受けてもけらけらと笑い飛ばしてしまう。
そして「それに」と付け加える。
「もう理解できてる事を何度も反復しても意味ないしー。どーせあと四、五年したら巫女仕事やらされて、んで十年もしないうちに他の寺に嫁入りだよ?そこでもやれ仕事、やれ跡継ぎ産め言われるだろうし」
亜夜鳴は巫女として神職の仕事をやれと言われたら今からこなす自信は正直あった。
先が知れている人生、少しくらい遊んでも罰なんて受けないだろうとある意味達観していた。
「別に逃げないけど寄り道くらいしていいじゃない」
今だけは自由でいたいと小さな願いを抱いている。
同じ毎日、先の知れた人生から脱却したいと叶わぬ願いを抱きながら。
「あれなんだろ?」
ふとチイの視線を先に木材の塊があった。
亜夜鳴もまたそれを聞いて目を凝らして対象を見やる。
「あれは…荷台かな?」
「馬車ってやつ?」
二人はそう言いながらも異常な状況であるのは薄々感じ取っていた。
休んでいるにしては馬も人も見当たらない、これではまるで泥棒に来てくださいと言っているようなものだった。
二人は嫌な予感がしつつも荷台の方へと向かう。
「誰もいない…」
荷台の周りにも中にも人はいない。
しかし荷物は積み込んだままで荒らされた形跡がなく、強盗に襲われたとはとても思えない状況。
「きゃぁっ!!」
荷台の周りを捜査していると悲鳴が鳴り響く。
この状況でそんな声を出す人物は一人しかいない。
「っ!チイ!!」
素早く声のする方へと駆けていく。
視線の先には倒れて尻もちをついた相手だった。
「おいどうした!」
「あ、あ…」
かけられた声に対してまともに返事をする事が出来ず、恐る恐ると言った感じで人差し指を茂みの方へと向ける。
「う…」
茂みを覗き込むとそこには首を引きちぎられたものと腰より上を丸ごと齧られたような形跡のある二人の死体に、縦に真っ二つにされた馬が倒れ込んでいた。
「殺されてる…」
そう呟きながら遺体のそばまで寄ろうとする。
しかしそこでぎゅっと手を掴まれる。引き止めようとするのは当然チイだった。
「あ、危ないよ…大人の人呼ぼう…?」
「ちょっとだけだから」
必死の静止も聞かずにチイの手を引っ張る形で死体の元へと向かってしまう。
遺体のそばに寄ると手を繋いでない方の手でそっと首無し死体の脈を計る。
(死体はたしか徐々に冷たくなって硬くなるんだよね)
彼女は寺院の子供だからこそ時折葬儀や埋葬の仕事を見学させられる事があった。
人体は生命反応を失ってから二時間ほどで体が硬くなり始め、十二時間から一日かけて全身が硬くなる。そして三十時間以上かけて再び体が柔らかくなる。
亜夜鳴は死後すぐの遺体から、丸一日経過したものまで触診を含めて見て来た。
「あ…」
死体の腕を触れて理解した。
目の前の時代はまだほんのり温かく、柔らかい。
つまり殺されたてであり、この事態を作り出した相手が近くにいるかも知れないという事。
(まずいまずいっ!)
その事実に気がついて握っている手をぎゅっと力を入れてしまう。
「亜夜鳴ちゃん…?」
「逃げるよ、ここにいたらまずい」
ぐいっと相手を引っ張ると二人が住む集落の方へと慌てて歩き始める。
「あれ…?」
しかし突然引っ張っていた力が失われて前につんのめってしまう。
何だろうと握っているはずの手をの方を見ると。
「チイどこ…?」
そこに友達はいなかった。
あるのは肘から握られている先だけしかなかった。