「あーあ…何やってんだろ」
三津はぼんやりと空を眺めながらそう呟いた。
今はまだ夏真っ盛りで空はまだまだ明るい。しかしその空とは正反対に彼女の心は曇りがかったように暗い。
「ごめんね…貴女に消えない呪いを」
膝を折りその場にうずくまる。
そんな相手の背後に一人の男子生徒がいた。
「…そんなに苦しむくらいなら最初からやるなよ」
現れたのは藍原利人だった。走ってやってきたのか息が若干上がっていた。
相手の背中に対して極力刺激しないようなトーンを心がけているが、咎める声色も含まれている。
「っ!?」
背中越しの声を聞いて慌てて振り返ると彼女の予想通りの相手がいた。
「な、何のことかな?」
「しらばっくれるのはやめにしよう。芦菜を殺そうとしたのはお前だろ」
相手の苦しい態度も取り合わずに本題に入る。
「上手いことやられたよ。まさか最初の冷却を感じさせる魔術の中に催眠誘導の闇属性魔術を紛れ込ませるなんてな」
仮に正面から魔術を喰らわせようとしても一組の生徒のレベルなら簡単に防げた。
しかしあの場で暑さを誤魔化せる魔術があると知ったら、うっかり誘惑に負けて魔術への抵抗を切って受けてしまう。
「こうすれば簡単に俺と芦菜の動きを誘導出来るだろうし、左右の向きを誤認させれば芦菜のあのT字路で逸れさせられるはずさ」
その追求に対して三津は黙って聞いている。否定も肯定もせず黙っている。
「ちなみに俺に式神を出すように勧めたのは式神を使ったアリバイを作る手を封じて、一人きりになってしまう俺を殺人未遂の容疑から外させる為」
手っ取り早いのは人型の式神にあれこれと犯行をやらせることだった。
普通の人からは見えず指紋も何も残す事なく犯罪を起こせる。
「でもさ、そう簡単にみんなを分断できるとはとても…」
彼女は苦しい言い訳を繰り出す。
実際行動を催眠誘導だけで完全に掌握するのは無理筋ではある。
「だからか、だからあの怪異達を使ったんだな?」
「え?」
「あの狼がいきなり頭を爆散させて死んだのは操っていた証拠を残さない為さ」
怪異を追いかけさせれば人を操る為に必要な手間暇や難易度は下がる。
分断して追いかけようと自ら提案すれば簡単に人数を減らせる。
「つまり今回の怪異事件は三津が事前に起こしたもの、ペット探しはたまたまなのか意図したものかは知らないけど協会を動かした」
たまたまペットを探していた探偵を狙ったのか、それとも最初から問題のペットを操って事を大きくするつもりだったのかは不明。
しかし教会を動かす材料を作り上げる。
「そして芦菜と同じ班に入って魔術をかける、当然他の班員にもな。そして芦菜と分かれるように誘導する。直前までは会っていなかったし、手なんて掛けようがないと思わせる」
「でもっ!」
三津は苦し紛れに割り込んでいく。
「でもさ、私が魔術をかけたとしてもどうやって芦菜を道端で気絶させるの?それに胸の傷だって…」
「そんなもの他の狼怪異に別行動させて、傷をつけさせればいい。それに暑さを紛らわせるあの魔術、あれを使えば効果が解けた途端に一気に体の体温上昇に気がついて熱中症で気を失わせる事は可能だよ」
利人も魔術が解けた直後は体の体温上昇によってふらついてしまった。
もしその症状が芦菜にも出て、それが原因で倒れたとしてもおかしくはない。
「そして倒れた瞬間に怪異に胸に軽く傷を付けさせれば怪異絡みの事件に見えるってわけだ」
「そんなの…例えば怪異がもう片方の道に見えて慌てて芦菜が単独行動をしただけかもしれないでしょ。それに…それこそ怪異事故かもしれないじゃない」
三津は考えられるパターンを口にする。
実際そう考えるのが普通だと考えてしまう。
「怪異に傷つけられた傷だとしたら…それが何かしらの影響を与えて昏睡状態になってるんじゃないかな?」
怪異の力は人間の魔術とは似て非なる部分がある。それが予期しない効果や作用が発現する可能性はある。
「なるほど?三津の考えたシナリオはやっぱりそうか」
「え?」
だが利人は相手がそう言うと思っていたのか揺るぎは無い。
「協会は最初怪異絡みの事件だと思って捜査するだろうな、だが進めていくうちにこれは殺人事件だと気がつく事になる」
「何を言って…」
「けどそれが三津の狙いだ」
少しずつ相手に詰め寄っていく。一挙動を逃すまいと睨みを効かせながら。
「協会がこれを人災と気がつくのにはまだ時間がかかる、それが狙いなんだ。その作り出した猶予の時間を使って犯行に使った凶器を処分する事がこの計画なんだ」
「凶器って…」
まだ彼女は諦めず弁明を図る。
「私が芦菜を見つけた時に式神…蘭さんは見てたはずだよ!私がむやみやたらに魔術を発動させて無いのも魔導具も持ってなかったのも!それは利人だって知ってるでしょ!二人と別れて怪異を追ってた時も私は変な事してない!それとも蘭さんの証言が信じられないの!?」
出せる限りの精一杯の迫真の弁明。普通であればこの剣幕で言われたら怯んでしまう。
「たしかに蘭は嘘を俺にはつかない」
しかし彼の口は止まらない。
「俺言ったよな?凶器を隠滅するまでが計画だってさ」
「それは…」
ここで相手はチラリと制服のスカートのポケットを見る。
「あっ!」
「申し訳ございません」
ここで背後に隠れていた蘭が相手のポケットを弄り彼女のシャーペンを奪ってしまう。
「蘭、どうだ?」
「少しお待ちを…」
シャーペンの蓋を開いて、入っているはずの予備の芯を取り出そうとする。
彼女はここでやっと諦めたのか項垂れてしまう。
「長い針が…」
蘭の手に置かれたそれ、出てきたのはシャーペンの芯ではなく少し太めで硬い針だった。
そしてその先が血痕と思わしき赤色の跡が残っている。
「倒れている芦菜に真っ先に近づいた時にシャーペンからそれを取り出して首の後ろ側の骨髄にそれを刺したんだろ?晴人も一度抱き抱えてたって言ってたからな。それならこっそりと手に持ってても違和感は無いし、魔力反応も出ないし、魔導具じゃ無いからな」
彼が淡々と告げるのを蒼白になった顔で聞いていた。
骨髄の損傷であれば呼吸困難を引き起こせる。
そして魔術師はそれを何かしらの魔力の作用だと思い込んでしまう。
「そ、それは…」
何かを言い返そうとするがもう何も言い訳が思いつかない。口がついていかない。
「これは芦菜の首筋に残ってた飛沫血痕で分かった。怪異の力じゃ弱すぎるからとはいえ、まさか魔力も絡まないこんなやり方をするとは思わないだろうな。もっとも医者でも難しい針の扱いだ、上手く即死とはいかなかったみたいだけどな」
彼はここまで話して何か違う所か反論はある?と言った表情を作る。
俯きながらダンマリな三津。何考えているのか、言い訳なのか。
「そうだよ」
やっと重い口を開いて捻り出したのはその一言だった。
罪を認めた事で嫌な沈黙が広がる。
「このような針一本、素早く捨てればよいのでは…」
ここで黙って聞いていた蘭も口を開いた。
何故凶器をいまだに所持していたのか分からないようで疑問符を浮かべていた。
「捨てられなかったんだろうな、誰かに見られたらと思ったら怖くて」
己の式神の疑問に対して利人は簡潔に答える。
怖いから手元に置いておく、すぐに確かめられる場所に置いてしまう。
「なるほどですね…」
その回答を聞いて改めて針を見つつさもありなんと頷く。
針を持っている所か捨てる場面を見られたらバレてしまう恐怖。
彼女は全てを暴かれてドサリとその場に倒れ込んでしまう。
(てか勢いでやっちまったな、どうしたらいいんだよこの地獄は)
再び俯いてしまった三津を見て何を言ったらいいか分からない。もう既に相手は逃走する意思は無いように思えた。
さっさと協会に突き出すのが最善の行動であるのは分かっていた。
しかし今は自分が思っている以上に重い心の疲弊が体を動かさせてはくれないのだ。
「はぁ…」
彼は相手の前に立つとその場に座り込んだ。
相手のその無防備とも取れる行動に驚く。
「利人…?」
「なんでこんな事したんだ?」
高校で出会ってから短い期間とはいえ、もし悩んでいたのだとしたら彼は見逃してしまったのかもしれない。
彼はそんな罪悪感から目を背けたくなかった。
「……」
真っ直ぐなその問いかけに対して一瞬黙り怯む。
人には人を殺そうとするだけの理由は山ほどあって、その中には同情に足るものもあれば、鼻で笑うような下らないものもある。
「まぁ、バカにはしないけどバカな奴だなとは思うかな」
相手が口を閉ざす理由をなんとなく察した彼はそんな事を口にする。
彼としてはどのような理由があっても人を殺そうとする事に対して正当性は無いと考えている。
「てかそんな苦しそうにするくらいなら最初からやんなっての、このアホたれ」
利人は三津の表情に含まれている罪悪感や後悔、それを見逃さずに呆れたようにそう言った。
「ほんっと、バカだよね…」
ここでやっと重く閉ざされた口をやっと開いた三津。
夕日家は赤地家の分家にあたる家で藍原家ほどではないがあまり力を持たない家になる。
分家の人間が出した功績は本家の手柄になってしまう。要は会社で一人の社員が手柄を挙げても上司や部署としての成績としてカウントされてしまうようなものだ。
夕日家の家長、つまり三津の父親は魔力の波長や血縁との関係性を見つけ、治療の範囲にまで伸ばすための足掛かりを作った。
しかし世間ではその功績は赤地家の成果として発表されてしまう。
彼女はその事実に理不尽を感じた。父親が寝る間を惜しみ必死に積み上げたものを簡単に横取りされた事実に。
「まぁ確かにそれはこの御家の持つ理不尽ではあるよな。俺も怪異事件を解決しても、本家から大した援助もねぇし、恩恵とか無いのに青風家の出した成果にされるしな。まぁ今更あいつらの賞賛が欲しいわけでも無いけどな」
彼にとって残念な形で馴染みのある事実に一応の納得を示す。
散々父親と母親をバカにしていたのに息子が優秀で使えると分かった途端に掌を返す連中には嫌気を指していた。
だからこそ御依の力と正体を知っても本人の隠したいという意志に同調したのだ。今世まで周りに振り回されなくてもいいと。
「でもなんで芦菜なんだ?なんで狙った?」
「大した理由じゃないよ。操りやすくて手っ取り早い相手だから」
その説明を受けても彼は何を言いたいのか分からない。
この時、彼は相手の操り易いという発言の意味を魔術にかけやすいと迂闊にも勘違いしてしまった。
「何が言いたいんだ」
「そうだね…よし」
彼女は何かを決したようであった。
「この役目は本当は晴人にしてもらうつもりだったけど…利人にお願いしようかな」
三津はポツリと話し始める。
父親の努力が正当に評価されずに悔しい事。
表面上は父として娘を前に気丈に、そして平気そうに振る舞ったが、裏では悔し涙を流していた事。
その事を友人である芦菜に相談したが、その彼女は「分家だから仕方ない」と笑って流してきた事。それを言われ、そしてその場で大喧嘩になったがすぐに表面上は仲直りをした。
しかし胸の中にある胸糞の悪さと怒りは収まらなかった。
そして今回の一件を起こした。
「八つ当たりじゃねぇか」
主張を聞いた上でそう簡潔にまとめた。
境遇に対しては不憫には思った、同情も感じた。しかし芦菜からすればとんでもない話だった。
「あはは…その通りだね。別に軽蔑してくれて構わないよ。でもこれくらいしないとこの世界は変わらない」
そう言い放たれるのは察していたのかさして傷ついている様子はなかった。
そんな事をしても誰も認めなければ喜ばない事も分かっている。
「でも私にとっては大事な事で、これだけは譲りたくないんだよ」
人を殺したとしても父親の研究が世に広く評価されるとは思えなかった。
(いや、違う。確実に殺すつもりならもっと他のやり方があるはずだ)
まだ芦菜は死んでいない、いまだに治療を受けて生死の境を彷徨っている。
仮に相手が助かったとしたら犯行が明るみになるかもしれない、これはあまりにもリスクも抜け道も多いやり方。
『操りやすくて手っ取り早い相手だから』
『この役目は本当は晴人にしてもらうつもりだったけど…利人にお願いしようかな』
『でもこれくらいしないとこの世界は変わらない』
短い時間で相手が言っていた事を掘り起こしていく。
何を伝えたいのか、そして何をさせたいのか。
(いや、そもそも晴人に何をやらせようと…)
晴人は自身のアリバイを目撃させる役割のはずで、これ以上何かをさせられようはずもない。
運良く晴人が手口に気が付かなかった。
しかしもし仮に想定よりも至近距離まで詰め寄られたら気が付かれてもおかしくない。
むしろ気が付かれなかった事が奇跡のような話で。
「お前…まさか」
彼はそこまで考えて三津が自分に何をさせようとしているのかに気がついた。
「……」
相手の視線は「やるよね?」「私の気持ち分かるよね?」と告げていた。
既に断る選択肢を潰されていた。
◎
既にあの事件から一週間が経過していた。その間に色々とあったがなんとか日常を取り戻していた。
先日の夕日三津の起こした殺人未遂事件は業界を震撼させ、今の御家と協会が支配する旧体制に小さくない波紋を投げかけていた。
そう、殺人未遂事件なのだ。
利人は病院の一室の前にいた。軽くノックをしてから部屋へと入る。
「よう芦菜」
「あ、利人くん」
相手からの挨拶にふわりと微笑みながら返す。
この場所は朱印芦菜の入院する病室。彼女は一命を取り留めたのだ。
素人の犯行のため、運良く骨髄の損傷が浅くほとんど障害を残さずに済んだ。数日の入院で社会復帰が可能の見込みになっている。
「まぁしっかし運がいいっつうか、臨床実験がこうも上手くいくとはな」
彼はベットの側の椅子に座りながら話しかける。
「うん…神経の損傷は決して軽くないらしいけど…脳機能の損傷は少ないんだって、今は手先が痺れる程度で済んでるから」
痺れる指先をゆっくりと摩りながらそう言う。
「あー成程、だから魔力操作で補えるっつうわけか」
脳死さえしていなければ三津の父親の研究結果の一つ、健康な人間の体の動きを記録してその補助に使うシステムを使ったのだ。
彼女の首にはチョーカーと黒いバッテリーがつけられている。
「うん、これで少しずつ身体機能を戻しつつ、リハビリをすれば激しい運動までは行かなくてもちゃんと歩けるようになるって」
そのチョーカーを撫でながらそう語る。
心境は複雑、友人だと思っていた相手から受けた傷をその父親の研究成果によって治す事になる。
「まぁでも魔術師として上に行く事はもう無理だろうな」
彼の言った通り前のように動けないのであれば戦うのは難しくなる。
普通であれば絶望とも言える状況。しかし相手の表情にそれは無い。
「私ね、これからは魔術と治療の関連について学ぼうと思うの」
相手の瞳には確固たる決意があった。何一つそこには悲観が無い。
利人はあの後、芦菜に三津が犯行に及んだ理由をそれとなく伝えたのだ。
それを聞いた彼女は動かない体を震わせながら「なんでもっと…」と呟き後悔に打ちのめされていた。
相手がそこまで傷ついているのだと察せなかったのと、その選択を取らせてしまった事実に。
「三津のお父さんは凄いんだってさ私が証明するよ!」
グッと手を握りながら決意表明をする。
彼はその眩しい姿につい視線を逸らしそうになりながらも何とか目線を固定する。
「ああ、そうだな。きっと出来るよ」
これこそが三津の狙いなのだ。仮に捕まらなければそれでいい。
仮に捕まってたとしても自身の行動によって今の御家の体制に波紋を投げかける。
そして夕日家の研究の後を継ぐ人間として他の分家の、しかもこの件の被害者である朱印芦菜をその道に引き込む。
この形であれば周りの目も応援の形に持っていける。
「バカ…だよなぁ」
ここにはいない誰かに向けて静かに呟いた。