朝食を終えて藍原家の各々学校や職場に行く準備をしていた。
「いや、ほんとに幼稚園行くの?え?マジで?」
本当に久しぶりの幼稚園へ行く準備を終えた御依を見た一威は思った事をそのまま口にする。
最近、一威は都の少しだけ信頼を得たのか一人で留守番を任せていいと判断されている。
「私を何だと思ってたの…」
御依は相手のそのリアクションに対して呆れるほかない。
一威からすれば凄腕の潜りの魔術師としての一面を多く見てきたせいか御依が幼稚園児であるという感覚が抜けていたのだ。
「えー?幼稚園なんてサボっちゃおうよー、ゲームしようよー」
「……」
一威は相手にしなだれかかりながらそんな誘惑をしてくる。
正直少しだけぐらついてしまう。
勤勉を地で行く御依とてサボりたい衝動が全くないわけではないのだ。出来るのであればゲームして遊びたいに決まっている。
「ダメよ」
しかしそんな誘惑の悪魔に対して待ったをかけたのは都だった。
「ちゃんと休まず幼稚園に行きなさい」
何故か都は一威ではなく御依の方へと視線を向けながらそう言った。
「別にサボるとは言ってない…」
とんでもないとばっちりについ言い返してしまう。
揺らいだのは事実だがサボるなんて口にはしていないのだ。
「じゃあ御依はサボらないように」
「みーはちゃんと幼稚園行けよ」
「みーちゃん頑張って」
父、兄、姉から怒涛の注意を受ける。
「私サボった事なんてないんだけど…?」
何というか釈然としない御依だった。
◎
幼稚園の先生達から見て藍原御依という子供はとにかく大人しい、しかし人見知りや物静かなのではなく自分で考えて意見をハッキリと述べるかなり早熟な子供と捉えていた。
よって一人で教室内でいても特段心配される事もない。
「うぁー…」
御依は熱線降り注ぐ炎天下を冷房がガンガン効いている部屋の中から眺めていた。
夏休みを終えて、熱を出して休んでから久しぶりの幼稚園だがさすがに炎天下の庭に出る気がしなかった。
(何でそんなに元気なの…)
暑い中を走り回る同い年の園児たちを見てまるで別の生物のように感じてしまう。
そして本来の藍原御依であれば大はしゃぎで炎天下に飛び込んだのだろうかとも考えてしまう。そんな仮定など無意味で虚しいと思いながらも。
「いやだあああっ!!」
黄昏ていると中庭の方から叫び声、または悲鳴のようなものが響き渡る。
彼女が視線を向けるとブランコの前で駄々をこねている男の子とそれを必死に宥めている先生がいた。
「あら?」
よく見てみるとブランコに黄色のテープが貼られていた。つまり使用禁止という事になる。
「あんなのあったっけ…」
夏休み明け初めての登園のためいつの間にあんなものが出来たのだろうと思い立ち上がり声の方へと向かう。
「ダメです。ブランコは壊れてるから危ないから」
「やだやだぁっ!」
可能な限り丁寧な説明をするが相手は聞く耳を持たずに暴れてしまう。
御依がブランコのそばまで行くと周りの視線を感じる。
先頭に立って問題の男の子が騒いでいるが、他の子達もブランコを実は使いたい、しかし先生に目をつけられるのは嫌だというのが見え見えだった。
教員もまたどうしたら騒ぎを止められるのか困っているようだった。
「仕方ないか…」
御依はこのままでは不憫だと思い助け舟を出す事にした。
「ねーねー!みんなでゲームしない?」
御依が男の子の騒ぎ声が一瞬だけ止んだのを見計らい鶴の一声を差し込んだ。
皆がその声に反応して視線を向けてくる。
「えっとね、この円の中に…」
そう言って置いてあった掃除用の箒を反対にして持ってから大きめの円を描く。
「それでボールを真ん中に向けて蹴る」
御依は亜夜鳴だった頃に作った、球蹴りで得点を争うゲームを子供達に教える。
それを聞いた皆は誰でも簡単に出来るそのゲームにハマり我先にと御依発案のゲームにハマっていった。
そして発案者がいなくても子供達でルールを把握し始めると御依はその場から離れる。
「ありがとうね御依ちゃん」
「ん?」
先生は秩序を失いかけた現場を収めてくれた相手に素直な感謝を伝える。
御依はぺこりと頭だけ下げて感謝を受け取る。
「ねぇねぇ、なんでブランコ使えないの?」
切り替えて普段はあまり使わない幼児モードで話しかける。
実際やってみるとすごく恥ずかしいのだがあまり目立ちたくないためやるしかない。
「ブランコのあそこが壊れちゃって変な音が出ちゃうのよ」
指を指した先をみると本体とチェーンの繋ぎ目の金具がかなり錆びていた。
「なるほど…」
もし仮に金具が壊れでもして外れたら怪我をするなんて話では済まなくなる。よって園側の判断は至極正しいがそれを汲み取れるほどまだ分別がつかないのが子供だ。
「修理してくれるように頼んでるから大丈夫よ」
笑顔で教員はそう御依に告げた。
数日後にはブランコも使えるように修理依頼をしている為、そこまで大した問題にはならないだろうと考える。
◎
「……眠れない」
お昼寝の時間なのだが御依は眠れなかった。
特段理由はなかったがあまり瞼が重たくないのだ。
(あと…二時間か…)
ふと時計を眺めるとまだ昼寝が終わるまでまだまだ時間が余っていた。
クラスの輪を乱したくない為黙ってタオルケットに包まってじっとする。
すると突然、ギコギコ…と何かが継続的に擦れる音が響き出す。
「え?なに?」
タオルケットをはぐってから音のする方、つまり中庭の方へと視線を向ける。
遮光性のカーテンに隠されてうっすらとした光しか見えないが音は継続して響いている。
考えられるのはブランコが揺れて音がしている事だが、風に吹かれて揺れるのは人が乗るところであり、金具が軋む音が大きく響くとなると相当に強い風が吹かないといけない。
しかし窓は強い風で叩かれていない。
「……」
御依は周りの子供達を起こさないようにそっと立ち上がるとゆっくりとカーテンの方へと向かう。
なお継続して鳴り響く金属の擦れる音。
ゆっくりとカーテンを開けると視界に勝手に前後に動いているブランコがあった。
しかしそれは普通の人間であればの話、ある程度の魔力的な素養を持ち合わせている人には違うものが見えている。
人影がブランコに乗って漕いでいるのだ。
「何だあれは…」
遠目からでは姿がよく見えていないが何かしらの魔力的なものが絡んでいるのは分かる。
怪異なのかそれとも誰かの魔術が起こしている現象なのか、それを確かめるために窓を開けて中庭に出る。
裸足のためかなり熱かったがそんな事に神経を削げる程余裕は無い。
仮に何かしらの魔術的な攻撃であった場合に備えて体内の魔力をいつも以上に活性化させる。
ジャリジャリと地面を踏みしめながら少しずつ詰め寄る。緊張と暑さが加わって汗が流れ落ちるが拭う事なく近づく。
「これは…」
御依はそばまで近づいてから正体に気がつく。
目の前にいたのはブランコを漕いで楽しんでいる付喪神と土地神の中間の存在だった。
「なるほどね」
ブランコを危険なため禁止された子供達の遊びたいという願望がこのような小さな虚像を作り出して遊んでいるのだ。
「ねぇ何してるの?」
御依はそこまでの危険性がないと分かるとフレンドリーな雰囲気で話しかける。
『遊ぶ…』
予想通りにこの幼稚園の園児達の遊びたいという気持ちが集まり形になったのだと確信をする。
(迷惑だなぁ…)
遊びたいだけで魔力が集まってしまう事実に苦笑い浮かべるしかない。
「祓ってもいいけど」
彼女の力の一つの浄化であれば簡単に残留思念である目の前の存在を消す事は可能。
しかし何となくだがそれをするのは気が引けてしまう。
「未練を解消すればいい」
わざわざ浄化なんて大仰なことをしなくとも要はブランコで遊ばせさえすればいい。
御依は相手に向けて手をかざすと風を生み出しそっとその背中を押した。
『わーい!』
ブランコが高く上がるたびに嬉しそうな声をあげる。
徐々に体の輪郭が薄くなり声も途切れ途切れになっていく。
『たかーい!』
その声を最後に魔力体は消えてしまう。そこには誰も何もないブランコだけが残る。
特段の感慨も達成感もなく、誰もいなくなったブランコをぼんやりと眺めている。
「御依ちゃん?何してるのかな?」
「あ」
突然背後から声をかけられて固まる。
声をかけてきたのは幼稚園の先生であり、恐らくだが見回りに来てから御依だけいない事に気がついて探しに来たのだ。
そして使用禁止になっているブランコの前に裸足で立っている幼稚園児一名という不審な光景に。
今更になって足の裏から伝わる地熱と熱射によって汗が額から垂れている。
◎
「何してるの…」
「いやぁ…まぁ…」
都は娘の御依の手を引きながら家路についていた。
彼女がいつもの娘の迎えに幼稚園に訪れると、幼稚園教諭の一人から昼寝の時間に娘がこっそり外に出てブランコの近くを徘徊していたとの報告を受けた。
御依の精神年齢を知っている為に何か理由があって外に出たのは分かってはいた。
しかしそれをあの場で 話すわけにはいかないので、幼稚園側に謝罪だけしてこうして家路についている。
「あ、暑いなー」
「まぁ御依がそんな勝手な事しないんだろうけどね」
誤魔化そうとする態度を封殺し、お見通しですよと言わんばかりのドヤ顔で都は娘に尋ねる。
要は事情を話しなさいという事。
「そ、それはね」
御依はおどおどしながら数時間前の出来事を話す。
都は一通り話を聞いてなるほどと頷く。
「御依は大丈なのよね?あとそれはもう危険はないのよね?」
気になるのは残留思念が残って醜悪化しないかが心配なのだ。
「大丈夫。あれは付喪神や土地神に近いものだし、あんな小さな子供達が」
「貴女も小さな子供でしょう」
「……」
たまに自分の設定を忘れていそうな娘に対して半眼でツッコミを入れる。
たまに忘れそうになる設定を思い出して黙り込むが口を閉じても仕方ない。
「…小さな子供たちが漏らした魔力が指向性を持ってブランコで遊んでただけだし、子供数人じゃ魔力の継続力は低いから」
前に土地神の人探しを手伝った事があった。
しかしそれはかなり有名な神社にあらゆる曰くがついた結果、多くの信仰や噂が重なり狛犬型の魔力体が生まれるという現象が起きた。
さすがに今回はこのケースとは違いすぐに消滅する程度の案件でしかない。
「そう、御依がそう言うなら安心ね」
少しだけ握る手をきゅっと力を入れて都は安心した風に息を吐いた。
「ところで暇つぶしにクイズでもしましょうか?」
話題を変える為なのかやや強引な切り替えをする。
「クイズ?」
「クイズというよりも犯人当てゲームね」
「ほう?」
何やら変な提案してきたなと思ったがとりあえず乗っかる。
暑さを紛らわすにはちょうどいいななんて思いながら。
「今から材料を口にするからそこから夕飯を当ててみて」
「はー…なるほど」
ルールを聞いて一応何をする気なのか理解をする。
つまり芋や牛肉が出たらそれを使う料理を当てろという話だった。
「まず最初はカルシウム」
「なんで初手から成分なの…」
もはや当てさせる気がないヒントに呆れざるを得ない。
「ちなみにここで出た材料の名前は今日の夕食から消えます。よって長引くほど夕食が貧相になります」
「なんて事をするんだ!」
とんでもない闇のゲームだった。
「はいジャガイモ」
そんな言い返しもなんのそのでゲームは続いていく。
「ジャガイモが無くなったらもうほとんどの料理がダメになるじゃん!てかそれホワイトシチューでしょ!」
「正解、よく分かったわね」
都は心底びっくりと言った表情で正解だと言う。
今日この瞬間まではそんな他愛もない話をして一日が何となく過ぎるのだろうと思っていた。
「え?」
御依はふと都の隣に意識を向けると光る壁があった。
彼女はそれが何なのか知っている。
「これは…」
都もその小さな驚きのつぶやき声を聞いて意識を向けると気がついたようだった。
「不味い!」
御依は咄嗟に都の手を引いて壁と母親の間に盾になるように滑り込む。
そして引き込まれるように壁へと吸い込まれてしまう。
「待って!!御依ぃっ!?」
彼女が完全に吸い込まれる直前に見たのは完全に焦り我を失いそうになる必死に手を差し伸べようとする母親の顔と声だった。
◎
「う、うん…?」
最初に感じたのは硬く冷たい地面の感覚だった。顔を上げると先程の住宅街とは打って変わって森の中だった。
何とか立ち上がり辺りを見回すが当然この場所に見覚えなどあるはずがない。
「ここは…」
空は薄く青い色で、森も見た事ない木々であり、決定的なのは空を泳ぐように飛んでいる平べったい虫のような魚がいる事。
これらの情報からあり得る事実を口にする。
「隣界…」
御依はたった一人で怪異が住まう世界、隣界へと飛ばされてしまったのだ。