御依は森の中を必死に走っていた。
地面から伝わる湿った感触が彼女に嫌な未来を想起させる。
「おいいたぞ!」「逃すな!」
背後から聞こえて来る声。
もし追いつかれでもしたらそれが藍原御依の最後になる。分かっているからこそ体内の魔力を全開で循環させて身体能力を無理矢理に引き上げて逃げている。
「はぁっ…はぁっ…!」
心臓がはち切れんばかりに動く、それは飛び出しそうなほどに。
六歳の体では前世の時のような体力などあるはずもなくいずれはガス欠に陥ってしまう。
幸いにも体から放出する魔術は使えないが、体内に巡る魔力を制御するのは問題なく出来ていた。
「よし!」
御依は一か八か石を拾って視界の端に見える爆裂花に向かって投げつける。
その石が当たるとパン!と爆竹のように音だけが鳴り響く。
「なーにやって」
それは最後の抵抗だとでも思ったのか鼻で笑う。しかしその一瞬気を逸らしてしまった事がいけなかった。
「があっ!?」
御依はその隙を見逃さずに思いっきり飛びかかり相手を地面に叩きつけた。
(これだ!)
相手の倒れた先の頭部の近くにラグビーボールほどの大きさの石が転がっていた。
彼女それを魔力で底上げした筋力で拾うとガン!ガン!と原始的な暴力音を響かせる。
相手の体が不自然な痙攣を始めて動きが鈍くなっていく。そして三、四度叩きつけると既に叩く音ではなく湿り気のある音になっていく。
ゴシャリ!と五度目の一撃を喰らわせ、相手の沈黙を確認するとその場に立ち上がる。
「ごめんね、私はここで死ぬわけにはいかない」
返り血をびしゃりと浴びた顔で冷徹に言い放つ。
「おい!いたぞ!」
しかしまだ脅威は去っておらず捜索部隊の怪異は迫ってきている。
「ん?」
ここで御依は先程意図して破裂させた花を見て違和感を。
「消えてない?」
これまで魔力で出来た物質や事象は発動を終えると空気に消えて消滅すると思っていた。
少なくとも爆裂花は魔力が作用して爆発するという火属性が絡んでいる為、空気に溶けるように消えていなければおかしいのだ。
しかしいまだに飛び散った花弁も爆発した部分が残っている。
それを見て反射的に何故だろうと考えてしまったのだ。
しかしその場にとどまっている暇はない。
「くそっ」
少しでも相手の視線が途切れる可能性に賭けて深い森に向かって足を進めた。
しかし一分もしないうちに既に自身の取った方針が間違っていた事に気がついた。
(だめだ完全に方向感覚が…)
いまだに継続して追っ手の気配がする中で御依はどこに向かっているのか、その逆に森から入って来た方向まで分からなくなっていた。
仮に敵の目を逸らせたとしても出られなくなったのでは意味がないのだ。
「あれは…何だ?」
目の前に人型のモヤが見えた。
それを見て咄嗟に足を止めてしまう、逃走中の身としては致命的な隙なのだがそれでも見入ってしまう魔力があった。
その人影は真っ直ぐに走っていく。
「ま、まって」
御依は反射的にそれを追いかける。
その影は迷いなく木を避け、トラップを避けるように走っていく。彼女もそれをなぞるように追いかける。
(ここどこ…)
既に汗だくになって追いかけながらも周りを見るが見渡す限り全てが森だった。
「一体どこに…いたっ!」
御依は汗を拭おうと反射的に頬を手で拭うのだがそこで何かに切られたような感触が伝わる。
「なにが…え?」
手で頬の血を拭うのだがそこで指の異変を見つけた。
彼女の爪の白い部分が五センチほど伸びており、鋭くなっていた。
(いつの間にこんなに伸びたの?)
爪が伸びているならまだしも何故か頬を切り裂けるほどに爪が鋭利になっている事実に驚く、しかしそれを気にしている場合ではなくすぐさま切り替えて影を追いかける。
「ここは?」
追いかけた先で森が開けると、そこにはあったのは綺麗にくり抜かれた広場だった。まるでここに隕石でも落ちたかのように。
「何だ…?」
誰もいないはずなのに何故か遠くから響くような音が聞こえる。
そして薄ぼんやりと二人の人影が見える。
片方は海属性の水を操っているのだがスケールが違いすぎる。まるで世界を滅亡させようとするかのような高波を生み出し操る。
もう片方は風属性を操り、全てを削り尽くすような竜巻を生み出す。御依とてこのレベルには到底追いつけないほどの威力で。
そしてその二つの攻撃がぶつかり合い弾けて一帯を吹き飛ばす。
「あっ!」
その衝撃に備えて反射的に腕で顔を覆うが衝撃は来なかった。
まるでホログラムのように御依の体を通過したのだ。
「何が…起きたの?」
その疑問に答えてくれる人は誰もここにはいない。
今の現象が現実なのか、それとも何かしらの魔術的な作用なのか確認のしようがない。
「いたぞー!」
目の前の幻影のようなものを見ている間にも捜索部隊に追いつかれてしまう。
「気をつけろ!このガキ普通じゃねぇ!」
既に一人がやられた為か、先程までの舐めた緩んだ雰囲気はかなり潜めており、追加の五人で隙なく間合いを詰めて来る。
「くそっ」
スッと手を相手に向けて手のひらを向ける。ダメ元で魔術を使い抵抗しようとする。
しかしそれを見た相手に動揺はない。
「ばーか!人間は隣界じゃ魔術はろくに使えねぇんだ!研究で分かってんだよ!」
一人が決定的な宣告をする。
事実として御依が放とうとすると上手くまとまらず霧散していた。
御依はその研究とやらがどのような手段と倫理観で行われたのか敢えて考えないようにする。
「追加で部隊を呼んだか?」
「ああ、もうすぐ来るぞ」
御依から視線を外さないままそのような会話をする。
(時間はかけてられない)
ハッタリでなければすぐさま逃げなくてはいけない。
ならばととっておきの技名を口にする。
「激禍槍」
その技名を口にすると世界が突然削り取られた。
巨大な槍が生み出されて辺りを更地にせんと飛び出す。
「うわあっ!?」
あまりの威力と巨大さに反作用によって小さな体が呆気なく吹き飛ばされてしまう。
だがそんな事など関係なく槍は真っ直ぐに森や大地を削り取っていく。
「なんだ…」
吹き飛ばされ周りが土煙で見えない。
「何これ…」
煙が晴れた先にあったのは森も土地も削り取られた世界だった。
御依のこの技はこの様な地形を変えてしまうほどの威力は無い。
「なんでこんな…」
自身の手のひらを見ながらこの恐るべき現象に妥協点を見つけようとしていた。
隣界は魔力を増幅する性能があるのか、御依の魔力操作技術がこの土壇場で解放されたのか、もしくは土地に何かしらの爆発する作用があるのか。
しかし御依は目の前で起きたのはそのどれにも当てはまらないように感じた。
「今はそれじゃない」
少しだが時間は稼げた。しかしすぐに追加の部隊がこの惨状を遠目から見てやって来る。
そして弱り目に祟り目。
『ねぇみーちゃん…大丈夫?』
祟りと呼ぶには失礼ではあるが。
「っ…御依さん…こんなタイミングで…」
いつもであれば本来の御依が出てきたら体を譲るところだが、今はそれをしてやれるだけの余裕は無かった。
体を譲っても冷静にこの危機的な状況を乗り越えられるという希望的観測は持てない。
「ごめんなさい、今は体を渡せない」
遠目から光が見える、しかしそれが自分を助ける為に来た捜索隊とはとても思えない。
亜夜鳴ですら追い詰められつつあるこの状況でバトンを渡してもジリ貧としか思えない。
『うん、分かってる』
御依は当然今置かれている状況が理解出来ている為何も言わない。
自身の技で吹き飛ばした方とは逆の方向へと向かう。
『ほー人間か、久しぶりに見た』
「どこだ!?」
御依は突然話しかけられて咄嗟に構えた。
周りには木々だけで誰もおらず周りを見ても人影はない。
「あ」
ふと吹き飛ばした方を見ると余波で吹き飛ばされて死んだ怪異が倒れており、そこに群がるカラスの様な鳥たち。
「死体漁りか、ハイエナみたいものか」
実際、人間界でも死体を漁る鳥自体は存在する為珍しい現象ではない。
『ハイエナ、人間の世界にはその様な生き物がいるのか?』
ここで御依は背後から声が聞こえているのに気がついて振り返る。
木が話しかけていた。
『「骨啄鳥」だな。死体を食べるだけで生きている相手には何もせんよ』
「お前…」
『確か人間の世界では木々が話すのは珍しいと風の噂で聞いた』
御依はよく見てみると木に何かがぶら下がっているのをみる。
ぶら下がっているのは狼の怪異だった。伸びた枝に首を絞められて既に息絶えている。
「怪異…」
『ここでは「首吊り」と呼ばれるな』
虫を捕まえて栄養にする植物は珍しい話ではない。隣界は獲物を自主的に捕まえるというだけで。
「獲物を捕まえてそいつの栄養を奪うんだな」
食虫系の亜種だろうと思いそのような分析をする。
『そうだな、成程気味悪がらないと来たか』
「別に、やり方に嫌悪感はあっても生きる為に他を殺すのを否定はしないよ。現界じゃ怪異も人に対してやってる事だし」
いただきますやご馳走様と言った言葉が長年伝わる様に、頑なに殺生を否定するのではなく、それを自覚してありがたくいただくというのが日本の文化だからだ。
『この森から出たいならあの光』
御依はふと上を見ると月のように空から照らして来る星を見る。
『あの星の方向に外に繋がる川がある』
川を下れば仮に海があるとして森を抜けられる可能性は十分にあった。
『あと川の水は飲まない方がいい』
「水?何で?」
追加での説明に疑問符を浮かべる。
人体に隣界の水が合うかと言われれば警戒すべきことではある。
『この森の水は特殊でね。まぁなんだアレだ、そう、依存の効能があってだな、おすすめはしない』
「へーどうなるの?」
『飲むと一時的に魔力補給は出来るが…すぐに体の魔力がみるみる抜けていくな。するとますます飲まずにはいられなくなる』
「気をつけるよ…」
御依は海水みたいなものなのかなと解釈する。
「……」
御依は星の方に向かう前に一度だけ振り返る。
『何かな?まぁ君から見たらこんな怪しい木の言うことなど信じられないとは思う。そんな与太話程度に捉えてくれて構わないよ』
首吊りはなんでことはなさそうなトーンでそう言った。
「違う」
『違う?』
「怪異って基本的に敵対的な奴ばかりだと思ってた」
御依にとって怪異とは基本的に会話の通じない敵でしかなかった。
もちろん例外はあったが顔を合わせれば魔術を放ち殺すのが普通だった。
そう言われた首吊りは苦笑いを浮かべていた。
「『玉』くらいだったな。話し合いが通じるのなんて」
最初は朝廷や京都を混乱に陥れた最低最悪の怪異だった。
だが最後にはちゃんと話し合う事が出来た亜夜鳴の盟友。
『玉だと?何?九焔姫様と知り合いなのか?』
玉という単語に相手は素早く反応する。
「え?きゅう…だれ?」
『玉藻前様の事だ』
「知ってるのか!?」
思わぬ手掛かりを見つけてつい食いつく。
『あぁ、この森を抜けた先の街で暮らしておられる。あの方であれば帰る方法を知っておられるかもしれん…』
ここで首吊りは話しているうちに何かに気がついたようだった。
『いや待て。九焔姫様、いや玉藻前という名はこの世界では殆ど知られていない名前のはず…お主何故その名前を…』
首吊りはまさかとある事実にたどり着いた。
『まさか…貴女は亜夜鳴だな』
「な…」
言い当てられた衝撃でつい表情を崩す。それを見せてしまい相手に確信を与えてしまう。
『その反応…なるほどな。言っておられた、向こうで「玉藻前」と呼ばれていたのと「亜夜鳴と言う人間に玉と呼ばれていた」とな』
懐かしむように思い出しながら語る。
『ならば川の流れに沿って上に登るといい。そうすれば街まですぐだ』
「なんでそこまで世話をしてくれるの?」
この時、御依は表面上は木である相手が微笑んだように見えた。
『長く…生きてみるものだな。このような不思議な出会いもある。それも長い生の醍醐味だな』
何かを噛み締めるように言った。
動くことも出来ずに長い時間をこの森の中で過ごしてきた。
今日の御依のように大事件を起こす輩もいて、一方で穏やかで変化のない日々もあったはずだった。
「ありがとう」
『うむ、無事に帰れる事をここで祈っている』
御依はお礼を言って川の方へと向かっていく。
『世界は何も貴女の敵だけではない。きっと帰りたいと思える場所に辿り着ける。だからこそまだ諦めていないのだろう?』
去っていく相手の背中に向けて後押しの言葉だけを告げる。
『良い人だったね』
「うん、でもこれで帰れる可能性が出てきた」
二人は一見すると独り言に見える会話をする。
『そうなの?』
「怪異がこの世界からやって来るなら何かしらの方法はある。絶対に諦めないよ」
確信に満ちた表情で森の外に向けて駆けていく。