「見つからんな」
玉藻前は川沿いを走りながら現界から落ちてきたという子供を探していた。
既に死んでしまった可能性の方が高いのはわかってはいた。
この時は何故か探せと何かの啓示が降りてきたかのように足を進めていた。
「あれは?」
視線の先には太めの木の枝にしがみついている子供が流されていた。
それは目当ての隣界に落ちた子だった。
「生きてるか?」
急いで川に飛び込んで救出へと向かう。
玉藻前は運のいい話だと思った。川に落ちてもこうして命を拾うのだから。
「む?これは」
川から出て相手を見るや、腕や顔に鱗が広がってるのを見て納得する。
怪異化のおかげで命拾いをしたのだと。
「運がいいのか悪いのか」
びしょ濡れになった体を抱きしめて運んでいく。
◎
「うぅ…」
痛む体の信号で目を覚ます。
視界いっぱいに広がる天井。しかし見た事のない天井だった。
痛いことから夢でもあの世でもないのだと考える。
「……」
本来の御依が出てこない事から時間がある程度経過している。
そして腕には鱗が生えたままで、左頬に触れるとやはりまばらだが生えていた。
そしてふと頭に触れるといつも束ねるのに使っている理保子から貰った髪留めが無くなっているのに気がつく。
「目が覚めたかの?あのシュシュなら枕のそばじゃよ」
何が起きているのか分からず確認している相手に話しかけるのは玉藻前だった。
かつて御依と争い、そして生涯の共になった伝説の怪異。
(玉!)
川に落ちた後で助けたのは玉藻前だと確信する。
どんな巡り合わせか奇跡的に再会を果たす。
「えと…」
ここで御依は言葉に詰まった。
自分は亜夜鳴ですと言ったところで相手は信じるだろうかと。
亜夜鳴は千年前に死んでいるのだ、それが生き返りましたなど信じるとは思えない。
助けを求めるなら言うべきだが、これまで誤魔化すことばかり考えてきたせいかよく考えたら信じて貰う方法を考えた事は無かった。
「運がいいのぅ、普通はあの状況では助からん」
そんな葛藤など気がつかずに玉藻前は可能な限り優しげなトーンで話しかけてくる。
「うん、ありがとう玉」
「……」
速攻でミスを犯す御依。
玉藻前の目線が鋭くなる。
「儂は渾名を名乗った事はないが?」
「あ、ごめん!玉藻前」
「一度も名乗っていないが?」
「……」
語るに落ちるを体現していた。
六歳で隣界の森に落ちてギリギリ生還した子供が玉藻前の顔と名前を知ってるはずがない。
「まぁよい。少し茶でも腹に入れよ」
一体疑問を置いて沸かしているお湯をとりにいく。
御依は部屋を見ると隣界という異世界の割にはテーブルや椅子、そしてテレビらしきものが置いてあるのを見た。まさか現界に帰れたとは思えない為、一体ここはどこだろうと思う。
「ほれ」
相手はコップとポットを相手の寝ているベットのそばまで持ってきてお茶を入れようとする。
しかし淹れる前に先んじて忠告を入れる。
「あ、熱々はダメだから少し冷まして。いっつも凄い熱いのばかり入れるから」
「何故、儂がかなり熱いのを好むと知っておる?」
「……」
玉藻前はいよいよ目の前にいる子供に疑いの目を向け始める。
何故か目の前の子供は自分の事に詳し過ぎると。
「お主、亜夜鳴じゃろ?」
「え!?」
言い当てられて反射的に驚きの声をあげる。
まさかそんなストレートに問いかけられるとは思っていなかったのだ。
「え?」
しかし当の相手は予想外の反応を見せたため思考がついていけなくなる。
普通であればどう言うことか分からないと、そんな反応が返ってくるはずなのに。
「あ…」
御依はこんなにも簡単なカマにかけられて恥ずかしくなる。
これまでよく正体を隠してこれたものだった。
「いや、そんなバカな。亜夜鳴はもう…」
そう呟く相手の瞳には諦めと希望が複雑に混ざり合っている。
理性はそんな筈はない、死んだ人間はどう足掻いても生き返らないと叫ぶ。
一方で本当であって欲しい、亜夜鳴とまた会いたい。
千年かけて積み上げた複雑な感情がそこにはあった。
首吊りが話した可能性もあるが、玉藻前の顔知らない筈であり一目で確証は得られない筈なのだ。
「玉」
御依は腹を括る事にした。
相手が自身の存在に対して懸念を持ってくれているのであれば、素直に話せば信じてもらえる可能性はあると考える。
「久しぶり、千年ぶりだね」
その時に見せた身振りと手振り、そして表情は玉藻前の千年前の記憶を想起させる。
昔、人を操り殺すだけの怪異だった玉藻前に人の心を与えた女性。姿形も声も違えどもそのイメージとダブった。
「ほ、本当に…亜夜鳴なのか?」
「信じられないのは分かる。私だって今でも信じられないんだ」
玉藻前は声を震わせながら手を伸ばす。
最初に怪異になっていない右の手を握り感触を確かめる。間違いなく温かく、柔らかく、そして脈の感覚がある。
「話すよ、色々と」
御依は今日までの事を話し始める。
◎
「転生…か」
しばらく玉藻前は相手を見ていた。まるで夢を見ているようで現実感は無い。
千年ぶりの再会に落ち着かないのだ。
相手から出て来た話を聞いて彼女なりに落とし込もうとしている。
転生したと素直に納得する事は出来ない反面、目の前の相手が話した内容は亜夜鳴でないと知り得ない事ばかりだった。
「玉に聞きたい、どうすれば元の世界に戻れる?」
御依は相手が考え込む時間が焦ったいのか本題に入ろうとする。
そもそもあの森で命懸けのサバイバルをしたのは玉藻前と合流してそれを知るためだった。
「それよりもまずはこれじゃな」
御依の左手を指差す。怪異化して青い鱗で覆われている腕を。
「やっぱりこれって…」
「怪異化じゃな」
薄々は感じていた事を一切誤魔化す事なく言い切った。
「膜が傷ついておるな」
「膜?」
「そこからじゃな」
玉藻前は前提となる話を始める。
「人間には肉体の形を固定する為と魂…精神的な情報を保存する為の機能が備わっておる」
それは希少な文献などを保護するために一定の湿度や気圧を保って保存するようなもの。
「要するに人を人として保つための機能じゃな。人にはそういうものがると、後で詳しく話してやるから今は納得しておけ」
「分かった」
膜についてもっと聞きたかったが、ここで本題から逸れていっては時間が幾らあっても足りないためひとまず脇に置く。
「この世界、そちらの視点ではこの隣界には空間に魔力が大量に漂っておる」
「え?そうなの?」
その返事に玉藻前は少しだけ呆れた表情になる。お前気がつかなかったのかと。
「…現界では魔力は空気に触れると分解や溶けていくであろう?」
「うん」
「しかし隣界は現界に比べても空気に溶ける割合が極端に低いんじゃよ。だから空気には大量の魔力が残っておる。ほらもっと目を凝らして世界を見てみよ」
「ん」
言われて目を凝らずがなかなかに難しい。
これまでそんな目線で空気に注目した事はなかったからだ。
「そうじゃな」
玉藻前はいまいちピンと来ていない相手に頭を悩ませる。
かなり天才肌なのかどう口で説明するのが分かりやすいのか考える。
「海やプールの中に入ったら世界が青色になるであろう?陸に上がれば空気は視界に入って当たり前。その当たり前を一度排斥してまっさらな気持ちで世界を見てみよ」
例えとしては微妙だったが取り敢えずやってみる。
「あ」
その瞬間、世界に魔力が鮮やかに色付いているのが見えた。それは都の使う色付けの様だなと思えた。
「まずは感覚としてこの世界の空気は理解出来たな?」
「分かった。なるほどこれが怪異の世界なんだ」
「そうじゃ、なら本題に戻すぞ」
ここでやっと前提の説明を終えて本題に戻る。
「要するにこの空気中にある大量の魔力が人間の膜を著しく傷つけるんじゃよ。そして体内に大量の魔力が入り人の形を保てなくなるんじゃ。膜の機能はそういう事じゃな」
それを聞いて、なら現在進行形で自身は危機的な状況ではと思ってしまう。
「それで後どれくらい保つの?」
「このままなら一日も保たんな」
「な…」
その宣告に目眩がする。
あと一日足らずで人に戻れない?向こうの世界に帰れない?突然降って湧いて来た事実に何も口に出来ずに俯くほかなかった。
その心境を読んで話しかけてくる。
「まぁそう気に病むな。怪異化を遅らせる方法はあるぞ」
「ほ、本当に?」
それを聞いた途端相手にすり寄る様に近づく。
「落ち着け、方法は教えてやる」
相手の肩を持ってぐいっと距離を取る。
「循環魔術を使え」
「循環魔術…って何?」
「なんでそんなこともしらな…そうかお主は隣界にきた事が無かったな。なら知らなくて当然か」
ブツブツと呟きながら何やら話す内容をまとめる。
「体の中にある魔力を制御して放つのが循環魔術じゃ」
「えと…」
ポンと説明を受けてもあまり馴染みがない。
玉藻前はなんで分からないんだと疑問を浮かべていた。
「体の中の魔力を高密度で巡らせてそれを制御する方法論じゃの」
「え?」
ここでやっと御依は循環魔術が何なのかに気がついた。むしろ何故すぐに気がつかなかったのかと。
いつも使っている魔術の工程、つまり全身の魔力を感じて集約させてから術式にして放つ。魔術師としては常識である。
「そうじゃ、制御とはお前たちのいう身体強化じゃよ。自分の魔力を巡らせて膜を使わずとも人間の形を自力で保つんじゃよ。ほれやってみぃ」
「分かった」
「腕、足、指、血、心臓、内臓。亜夜鳴は人間なのだと体に魔力で刻め。怪異では無いのだと」
御依はその指示の通りにいつも通り、いやいつも以上に魔力の流れを意識する。
自分は藍原御依であり亜夜鳴でもあるのだと体に情報を強引に書き込んでいく感覚。
「ほう、やはり飲み込みが早いな」
玉藻前の視線はみるみるうちに生えていた鱗が引いていく姿を捉える。
やはり目の前にいるのは亜夜鳴で間違いないと思う。
「消えた…」
左手や頬を触れて感触が皮膚の柔らかいものに戻っているのを確信する。
「そう言えば循環魔術なんて名前がついてるけど他にもあるの?」
「うーむ…」
玉藻前は御依のその疑問に対して少し悩む。
あまり話が逸れるのを好まないからだ。
「まぁ後々説明せんといかんし構わんか」
彼女はそう判断して話し始める。
「領域魔術だな」
「領域?」
御依はこの危機的状況であっても新たな概念を聞いて少しワクワクしていた。
その好奇心いっぱいな反応からやっぱり亜夜鳴だと思う。
「要するに隣界に漂う魔力に直接魔術式を書き込んで発動する魔術じゃな」
「いや、でもそんなこと出来るなんて…」
「まぁ現界では無理だろう。空気に魔力が溶けやすい」
玉藻前は指先に魔力を別エネルギーに変換するための術式を書き込んでいく。
「へ?」
空気に直接魔術の式を書き込む現象に絶句する。
現代魔術である循環魔術であればその変換術式の作成の工程、それは術者の身振り手振りや体の中にある魔力の操作そのもので代行する。
そんなことが出来るのは使う魔力は自分自身のものであり、自身の魔力という使いやすいエネルギーに直接触れているからこそ。
千年前の亜夜鳴が生まれる前であれば武具や舞、そしてお札などを使っていた。
現代であればコード式の魔導具そのものがその役割を担う。
つまり直接触れている事がトリガーになる。それは紙に書き込む様な話。
しかし空間に書き込むというのは机と紙のない宙に数式を書き込む様なもの。
「な、何それ!?」
「領域魔術」
「そうじゃなくて!なんでそんな技を教えてくれなかったの!」
「この技は空気に十分な魔力を集められない人間の世界では使い物にならんからな。使う場面も無かった」
指先に狐火を出しながらさらりと言い放つ。
隠していたというよりは使う場面も見せる必要性も無かったという話。
「そっか…その領域魔術は魔力が空間にとどまりやすい隣界専用の技なんだ…」
御依はその説明を受けた時、狼男がなんの予備動作もなく拘束魔術を使った事を思い出していた。
『だがそれは人間の世界での常識だ』
言い放たれた言葉を思い出す。
あれは御依が体内の魔術を使う事だけを意識していたからこそ、体外の魔力に目を向けていなかったが故の失態だったのだ。
「なるほどね、つまりどこから魔力を補充するかで分けてるわけか」
「そうじゃな」
循環魔術は体内、領域魔術は体外。どこにある魔力を使うかで分けている。
「あれ?」
「どうした?まだ聞きたい事あるのかの?」
「なんで私の魔術が不発なのかなって…」
隣界にきてから御依は魔術を上手く扱えなくなっていた。
「じゃろうな」
「じゃろうなじゃない」
「すまんすまん、要するに体内で精製した魔力を放出してもこの魔力で埋め尽くされた空間では衝突して機能不全になるんじゃよ」
「機能不全?」
「そうじゃの、例えば海の中で水鉄砲撃つような話じゃな」
海で水鉄砲を撃っても当たり前だが掻き消されるに決まっている。
ならば海水や海流を利用した方がいいという考え方。
「話を戻すぞ。その怪異化を抑えても一時的なもの。この世界に留まるうちは解決せん」
「これでどれくらい伸びたの?」
話がかなり逸れたがこれで完全解決とは思えなかった。
「保っても良くて一週間じゃよ。それを超えたら完全に怪異になるぞ」
「た、たったそれだけ」
一日よりはマシになったとはいえあまりにも猶予が無い。
その限られた時間で隣界から脱出しなければならないのだ。
「一週間後、怪異たちによる現界への侵攻作戦が行われる」
玉藻前から告げられた情報。
初めて聞く情報に御依は顔を上げる。
「現界と違い隣界は転移門の分析が発展しておってな。門が出る時期はともかく、ある程度出る場所を誘導するのに成功しておる。そして出る時期を割り出せばその日に合わせて人員を集めて現界に追っておるのじゃよ」
御依はその説明で何を伝えたいのか気がついた。
「もう言いたい事は分かるな?」
「そうか、その転移門を利用すれば…」
「そうだ、ここからその転移門発生予定地の軍事基地に移動してそこで転移門に飛び込む。これしか現状助かる方法はない」
つまりタイムリミットである七日の間に軍事基地まで移動する。
そしてここは周りは怪異だらけの隣界という世界。しかも怪異たちの軍事基地という敵だらけの中に向かわなくてはいけない。
しかも移動中に戦闘になる可能性も十分ある。今の御依は魔術が使用不可になっている。
帰るにはその達成困難な壁を乗り越えなくてはいけない。