御依が失踪してから一日経った後の夜。
「いや、さ」
リビング置いてある食卓テーブルを一威と良二、そして利人で囲んで座る。
「あんなにいつも通りが気持ち悪いというか…怖いと感じたの初めてなんだけど」
一威は重い雰囲気の中で話を切り出す。
◎
『あ?』
一威は物音を拾い目を覚ます。
既に時刻は朝の六時を回っており早い人であれば起きて動き出す時間だった。
『ん…』
そして上体を起こした一威の隣にはまだ楊が眠っている。
そしてその手は一威のシャツを握っている。
『……』
その手を見て楊が昨日の食卓で見せた不安さが無意識に出ているのを彼女は感じた。
そっとそれを取ってから優しく開かせてシャツから手を離させる。
『そうだな』
かつても自分も育ての親だった女性にこうして構ってほしかったり、寂しさを紛らわそうとしていただろうかと昔の思い出を探っていた。
そしてそれはそれとして物音はなんだろう?と思い立ち上がりリビングに向かうために階段へと向かう。
階段はいつもよりもゆっくりと音を立てない様に降りていた。
『い…いやいや』
頭の中にまさかという考えと、やりかねないという考えが争ってしまう。
ゆっくりそっと階段から一階の廊下を音を出さないようにゆっくりと踏み締める。
『ふぅ…』
床が小さくギシッと音はしたが大した問題ではない。
そもそもなぜ自分がこの家でコソコソしているのだろうかと今更ながら思うがやってしまったのものは仕方ない。
『……』
一威はまさかと思いながらリビングに繋がる扉を開ける。
クーラーによってひんやりとした空気が廊下に篭る熱の方へと流れてきて彼女の体を撫でる。
『あ、みよ…』
そこにはいつもの通りに都が朝食の準備をしており、いつもの通りに娘がやって来たと思い声をかける。
しかし扉を開けて入って来たのは御依ではなく一威であるのに気がついて声を咄嗟に止めてしまう。
『…何してんの?』
相手が御依だと勘違いした痛みはあったが敢えて指摘せずに質問をぶつける。
昨日見た都の姿は焦燥と疲労を滲ませたものでとても切り替えるなど出来るようには見えなかったからだ。
『朝食の用意よ。一威はそこで寝てなさい』
先ほど見せた態度からしてとても普段通りの状態であるはずがないのにそう感じさせないように振る舞い始める。
『いや』
一威ははぐらかした相手を見て逸らさずに話しかけていく。
『何してんの?って聞いたんだけど?』
都はそれに対して明確な答えを返せなかった。
◎
「俺もお母さんは多分無理してるんだと思う。思うんだけどさ…」
利人は母親の前の日に帰って来た焦燥感あふれる態度と朝の平気そうな態度を比べて不安と苦しいものを感じていた。
「てかあんな人だったの?」
一威は都との付き合いは一週間ほどであり、その息子の利人すらも把握出来ない態度や姿など分かるはずもない。
「……」
しかしこの中で良二だけは不安や困惑とは違う神妙な面持ちをしていた。
「今のお母さんはな、少しだけ昔に戻っているかもしれないな」
「昔に…?」
良二が切り出した話に対して利人は反応してしまう。
昔とはいつの話なのだろうかというのと、その昔の都とはどんな人だったのだろうかと。
(あれ…?)
そして同時にある事に気がつく。
当たり前だが自分の親の良二と都にも親や兄弟はいるはず。
なのに一度として会ったことも名前すらも教えてもらった事が無いという事実に。
「昔…というか二人の馴れ初め的な話か?」
一威は利人の心の内など知りようもなく尋ねる。
「馴れ初め…まぁ都さんとは見合い婚なんだけどね」
「え?そうなの?」
利人は初めて知らされる事実につい聞き返してしまう。
夫婦仲は良好でかつ日本は恋愛婚がメインのため勝手に恋人を経由して結婚したと思っていた。
魔術界の御家と呼ばれる七つの大きな家では許嫁などの文化はまだまだ存在してはいる。
しかし昔の厳格な時代ほどの強制的なものではなく、あくまでも家を継ぐためのパートナーがいないなら紹介される程度ではある。
「利人というか子供は普通親の過去とか恋愛事情とか知らないよな」
「え?まぁそう言われれば興味を持ったことがないかも」
言われた事に対して素直に肯定する。実際今日まで気にも留めなかったのは事実。
「都さんは利人と同じで魔術育成高の出身だからな」
「それは聞いた事ある。なんか成績最下位だったって言ってた」
「それは正確じゃないな。確かに戦闘魔術は低かったらしいが座学は常に五本の指だぞ都さんは」
「え?ほんと?」
「昔成績表を見せてもらったから間違いない」
都が使える魔術は捜索探索用の「色着け」と名前をつけている魔術。
空間に混ざり漂っている魔力を区分けして目で見えるようにして別個に色をつけて識別する魔術。
また特定の対象に色をつけることも出来て命中効果が必中なのも特徴。
「あー…あの技じゃ前線で活躍は無理だな」
実際に見た事がある一威はさもありなんと頷く。
魔術の腕は決して攻撃力だけで評価はできないがどうしても腕力がモノを言う部分なのは間違いない。
「みーのこともあるけどお父さんとお母さんの馴れ初め気になってきたかも…」
利人は現在進行形で危険な妹のことに対して心は痛めていたが気にもなっていた。
一威もまた残され砦出身であり潜りというかなり複雑な立場でありながらも、こんな自分を家に置くことを一時的とは言え許してくれた相手が少し気にはなっていた。
良二は二人を見てから軽い触り程度ならば話しても問題ないかと思い、その口を開く。
「お母さんはな、利人と同じ高校に通ってたんだ。いわゆるOGというやつだな」
「へー…」
「一般家庭出身でたまたま魔力が他の人より視認できる体質だったらしい」
魔力は誰にでも体の中に通っている力であり、それを視認して制御することで様々な現象を起こすのが魔術になる。
そして最低限魔力が見えないと魔力や魔術は制御も発動も出来ない。
「本人は魔術がダメでもへこたれなかったらしくてな。よくクラスメイトと遊びに行ったり、彼氏作って遊んでいたって言ってた」
妻の男性経歴を軽いトーンで話してしまう。
「コンプレックスはあったらしいがそこまで深刻に受け止めなかったそうだ」
それは今でも同じで魔術に優れた子供を見ても特段態度を変えたりはしない。
彼が新しい技を覚えたら褒めてくれて、式神の蘭を生み出したら手を取って喜んだ幼い時の利人の中にある都の姿が思い浮かぶ。
「へー…」
「複雑だ…」
一威はそうなんだくらい。
利人は母親の恋愛経歴を聞いて少し苦くなる。
「都さんの友達の中に一人だけ天才と呼ばれるくらいの神童がいてだな。それこそ利人を上回るほどのな」
「そりぁ凄い」
利人は五歳の時に魔術を発動させた藍原家にとって百年ぶりに現れた天才。
「へー…なんて人?」
利人はそこまで言うならさぞ凄い有名なんだろうと思い尋ねる。
しかし良二の返答は簡潔なものだった。
「死んだ」
たった三文字だが重たい一言。
「訓練中に不慮の事故が起きて亡くなったそうだ」
詳しい事情は話さなかったが聞き間違えようがないようにきっぱりと言い切る。
「利人はその意味が分かるな?」
その問いかけから二ヶ月前に御依と海辺の怪異捜索に向かった日を思い出す。
仮に御依、つまり亜夜鳴がいなければ利人も都も殺されていた。
不意の出来事や情報の不備によって死んでしまったのだと。
「そうか」
一方の一威は都が御依が誘拐された際に「人は簡単に死ぬのよ」と楽観的な息子を叱っていた。
力も才能も、そして恐らく努力しているであろう友人が亡くなった経験がそれを言わせていたのだと。
「その後は知ってると思うが高校を卒業してから後方支援として協会の職員になった。そして俺が独身だったから都さんが見合いとして協会から紹介されて結婚して今日に至ると言うわけだ」
かなりざっくりとした説明をする。
「まぁなんと言うかお母さんは美人で仕事も出来たんだよな?」
「そうだぞ」
思ったことを問いかけると当然の如く肯定の返事が迷いなく返ってくる。
「なら藍原家なんかじゃなくてこうもっと将来有望な人捕まえてもおかしくないだろ?」
「まぁな、楊や御依を見て察するけどかなり強い美人の遺伝子持ちだからな。かなり言い寄られてたみたいだ」
「じゃあなんで…」
息子が結構ひどいことを言っているが気にもしない。
「都さんと見合いをして何度か会ってるうちになんて言われたか知ってるか?」
「何?」
一威はそう返しながらも結構言われたい放題で威厳のない人だなと内心では呆れる。
「都さんはな『良二さんと結婚します。けれど貴方が好きだからじゃないです。貴方は毎日無事に家に帰って来るのが当たり前の人で、青風家と協会の恩恵を受けられる安定した人だからいいんです』って言ったんだよ」
良二は「それに」と付け加える。
「『跡継ぎは一人はちゃんと産みます。キチンと育てますし、妻として夫を立てて家庭を守る責任もキチンとこなします』って宣言してだな。正直ポカンとしたよ」
「え?」
かつて都が口にしたとは思えない言葉に利人はつぐ言葉を失う。
あの都が父親であり夫をそんなふうに見ていたという事実に驚きを隠せない。
「懐かしい話をしてるのね」
ここでリビングのドアを開けて入って来たのは当の都だった。
「み、都さん」
「お、お母さん」
男どもは突然現れた都を前に動揺する。
「別に愛情や帰属意識がなかったわけじゃないわよ」
ある程度は話を把握しているのか話題をつなげる。
喉が渇いているのか流し台の方に向かいながらも話を繋いでいく。
「当時の私は相手に対して求めるのがそうだっただけ」
「いや、でもさ。好きじゃなかったんだよな?」
コップに水を注いでいる母親に話しかける。
「恋愛としての好きではなかった、それは否定しない。けれど真面目で配慮のない遊びはしない人だから好ましくは思っていたわよ」
コップに手を取り大真面目な表情で話すものだから、そんなものかとつい納得しそうになる。
「でもさ、好きでもない相手に尽くすのって怠くね?」
一威は何の気なしに問いかける。
その問いかけに対して少しだけ困ったように眉を顰めてから口を開く。
「まぁ…結婚って基本的に不自由を買っていくものだから」
「嫌なんじゃん」
「でも、それでも得るものもある…と思う。私もまだ答えを出せないけれどね。少なくとも私は毎日仕事やお金のなくなる心配のない仕事につけて家族と食事をして、夜は安心して眠る事が一番の願いだったから」
当たり前のことを要求こそしているがそれが高校の時に友人を失って培った価値観だった。
「妻として藍原家に嫁入りしてから責任は果たそうとしたのよ。毎日食事を作って掃除をして。それで子供が生まれたら不自由を感じさせずに育てる事が自分のこの家での役割だから」
少しだけ誇らし気に都は語る。
利人は事実として母親が何もしてくれない、相手をしてくれないという不安や不満はこれまで感じた事がない。
「実際都さんは手を抜かなかったからね。料理も掃除も洗濯も本当に丁寧だった」
都の発言に被せるように良二も口を開く。
「別にそれくらい普通でしょう?」
「いやいや、仕事が遅くなる時だってすぐに温め直せるものに献立を変えたり、朝が遅くても挨拶や声をかけてくれたじゃないか」
「い、いやそれは…」
「それに毎日笑っておかえりって言ってくれるんだよ?」
「だからそれは…」
「正直こんな至れり尽くせりなのに打算で結婚したのかなって」
都は何を言っても被されてしまい困り果てていた。
強い恋愛感情がなくともここまで相手に対して誠実でいられる。
「……」
一方の利人はまさかこの歳になって両親がいちゃつくとは思っておらず軽く眩暈がしていた。
「そして利人が生まれたんだよ」
良二は父親としての優し気な笑みを息子へと向ける。
都は少しだけ息を吐くと何かを覚悟したように顔を上げる。
「まぁもうこの際言っちゃうけど。自分がここまで子供を可愛いと思ってしまうとは思わなかったわね」
彼女が切り出したのはそんな内容。
本当に当時と比べて今の生活を意外に思っているのか
「てか今思ったが跡継ぎだけって言ってたけどよく考えたら三人兄妹だよなこの家。それに今は一人妊娠してるわけで四人に増えるし」
一威はふと思った事を指摘する。
長男の利人は十六歳で長女であり二子の楊は八歳で年の差は離れているが一人っ子ではない。
「まぁそれは…色々とあったんだよ。その…さ」
良二は少しだけ困る。
目の前にいる一威は自己申告だが十歳の子供でありあまり生々しい事が言いづらいと。
「あ、そうか」
一威は自分の年齢的と社会としての情操教育の観念からあまりにも質問の内容が不適切であった事に気がつく。
「いやすまんすまん。十歳の子供が聞くにはやり辛かったな」
「貴女理解出来てるの?」
彼女の謝罪に対して都は少しだけ苦笑いして返す。
「正直利人を育てて跡継ぎにして終わりの予定だったのよ。予定通りだったらね」
「予定通り?」
「利人が五歳まではそのつもりだったのよ。けどそうはならなかった」
都はもう十五年前の日を思い出していた。
良二が仕事で帰りが遅いため着替えなどの雑貨を届けに行く為に協会の支部に息子を連れて訪れていた。
そして幸か不幸か利人は魔術を無自覚に発動してしまい大騒ぎになった。
その日から青風家や協会から息子の教育方針などを口出されるようになってしまった。
「色々と言われたのよ」
「色々って…」
懐かしむように語るが利人からしたらそんな単純なものではないだろと思う。
「ん?あれ?というか上の人たちにせっつかれてたの?」
「そうよ。自分たちが教えるとか家庭教師をつけるとかとにかく貴方の将来を全部決めようとして来たわよ」
「俺全然そんな話とかされてないんだけど?」
彼の幼い頃の記憶の中には魔術の訓練をするように強制をされた経験は無い。
今は利人自身がやりたいから魔術を学んでいる。
「それは良二さんが盾になって利人にその手が届かないようにしてたからよ」
利人からしたら初めて知ったことばかりの連続で頭がついてけなくなる。
「子供なんだから友達と遊んだりする方が楽しいだろ」
息子からの視線に対してなんてことはなさそうに返す。
本当は裏でどれだけ不遇で嫌な目にあったのか、しかしその苦労は見せようとしない。
自分自身が無理やり後継にされて、そして妻の中にある平穏の二つを守るために盾になる行為がどれ程の覚悟の中で行われたのか。
その苦労を子供に見せない。
「嬉しかったのよ」
都は様々な感情を整理した上でそう表現した。
「分かってるのよ。利人を差し出せば今よりもいい生活はできたと思う。けれど家族を大切にしてくれて。それで今のこの家と家族がいいと思ったのよ」
今の彼女の表情は朝の取り繕うそれではない疲れと安心と不安がキチンと現れた等身大の人だった。
利人は昔に戻っていた理由に対してなんとなくだが気がついた。
「だから一人でなんでもしなくていいんだよ。疲れたりしんどいなら家事の一週間や二週間くらいやるし。泣きたいならそれでいいだよ」
良二はここで初めて伝えたい事を短くても伝え切った。
「…そうね」
都は少しだけ驚いてから小さく頷いた。
どこまで納得して妥協を出来たのかは分からないけれどもそれでも何かを理解して飲み込んでいた。
「見合いって基本的に契約でやるものだと思ってたから夫婦らしくなれるものなんだ」
一威はここまでの話を聞いて思った事をそのまま話す。
良二はそれを聞いて相手に向き合ってから話しかける。
「確かに好きあってから結婚するのはいい事だと思う」
恋愛婚は決して間違っておらず、また現代で最もポピュラーな形なのは間違いのない話。
また良二は一威の事を無垢な子供として扱わずにある程度年齢の過ぎた一個人として扱っていた。
「恋人から結婚したとしても夫婦で居続けるのは努力がいるんだよ。好きなだけじゃダメで互いに尊重して夫婦であり続ける努力と覚悟と相手にそう思ってもらえるだけの行動を互いにしないとダメなんだよ。好きだからだけじゃダメなんだ」
良二は二十年になろうかと言う結婚生活の中での一つの心理を口にした。
利人と一威は黙ってその言葉を聞いていた。