「ごちそうさま」
御依は兄が食べ終わったのを見て手を合わせる。
空腹から解放されて満足なのだが、食事を摂ることがここにきた目的ではない。
「んふー」
しかしこの緊迫した状況にはそぐわないほくほくした笑顔を見せる御依。
「んじゃ出ようか」
利人はそんな妹を見て頬を緩めながらそう言った。
側から見ればこの呑気さは許されるものではないのかもしれない。だが御依という存在がいなければ一人で重くなり過ぎていたかもしれない。
そう思うと家族の存在は彼の肩にのしかかる重荷を忘れさせてくれる様な気がした。
兄が呼んでいたタクシーに再び乗りメモ帳の続きを開く。
七月十一日
今日も昨日に引き続き捜索を開始。遺体が見つからない所から海の方面を捜索。
誰かに見られている様な嫌な雰囲気がする。宿の中でも外でも視線を感じる気がする。
探知用の結界を張っているが怪異の反応が得られない。気のせいであればいいのだけれど。
再びタクシーに乗った二人はメモ帳を読み進める。
「まぁ考えられるのは結界の圏外…水にいるタイプの怪異なのかもな」
「人は水の中は苦手だからね」
「人を呼び出せる程度に賢くて、そして気配を悟らせないか…しかも魔術師を殺せる実力…とてもそんな何でも器用に出来るやつなんて居なさそうなもんだけどな…」
古来より人を惑わして殺す怪異はいる。
例に挙げるなら雪女の様に人の心に忍び寄り油断を誘い仕留めてくる。
怪異の持つ魔力は簡単に言語化出来ないほど怪奇で複雑なものだ。
七月十二日
怪異だけでなく自分の様にはぐれの魔術師の犯行の線も視野に入れて捜索。
ヤマザキという人物は進捗の無い状況でも特に何も言ってこない。
一方で気配探知に一切引っかからないのに何故か自分を監視する様な視線が消えない。
この頃になるともう二人は内容について話す気力も無くなってくる。
七月十三日
今日の朝起きてみるとドアの外側から気配を感じる。慌てて開いたが誰かがいた痕跡は無い。だが扉のノブがほんのりと生温かい気がする。
やはり進捗は無かった。こうなると申し訳ないが依頼を切り上げる頃合いだろう。
進捗なしの連絡を入れて寝ようと思う。窓の方から異様な気配が、三階の部屋で誰かが窓際にいるはずなどない。
読んでいるうちにタクシーは目的である旅館の近くまで辿り着く。
二人は何も言えなかった。
この記録が生前に被害者が残したかったもののそれなのだ。
「ん?これは?」
「どうしたの?」
「まだ一ページ残ってる」
今日は十四日の為本来はここで記録は終わりなのだが、あと一ページくしゃくしゃに乱暴に開かれた跡がある。
めくった最後のページに一言だけ簡潔に書かれている。
『しにたくない』
そしてこれ以降のページには何の記載もなかった。
◎
タクシーから降りた二人は件の旅館の前に立つ。
側から見れば綺麗な五階建ての宿発施設だ。だが二人には異質なオーラを纏っているかの様に見えて仕方ない。
二人の足取りは鉛を付けたかのように重い。
「みー…帰るなら今のうちだぞ」
「このくらいで怖がるならもうとっくに逃げてるよ」
正直言って先ほど食べたカキフライを戻しそうなほど気分が悪いが何とか持ち堪える。
別にそこまで怖いのではない、だが生前に魔術師の人が感じた絶望と後悔はどれ程のものだったのだろうかと考えて軽く目眩がする。
何より恐怖は正常な判断力を残している証拠だ。魔術を摩耗するまで使い続け、善悪も何もかも分からなくなって死んでいったものたちを腐るほど見てきた。
「問題は『徳丸華子』の部屋番号が分かんないって事だな」
彼は三階なのは分かっているが、部屋番まで書かれていなかったメモ帳を憎しげみる。
考えられるのはやり取りしたメールに書かれていたかだ。
「あーもー…犯罪だぞ…」
彼は何やら決意したのかため息を吐く。
「入るぞ…」
「うん」
二人は自動扉の前で最後の確認をする。当然ここまで来て逃げるという選択は取らない。
「ようこそお越しくださいました。ご予約のお客様でしょうか?」
「……」
「……」
二人を出迎えたのは女性従業員だった。
ごく普通の挨拶だが、二人からしたら一切の気は抜けない。目の前にいるのが問題のヤマザキという存在かもしれないのだ。
いつまでも黙っていても話は進まない。彼は意を決して問いかけてみる。
「『徳丸華子』の連れなんですが今ここに居ますか?」
「徳丸様…ですか?」
二人は目の前の相手に全神経を集中させる。
こちらの意図に気が付いたのか、それとも何も知らない従業員の一人でしかないのか。
「申し訳ございませんがお客様の個人的な情報については…」
返ってきたのは申し訳なさそうな表情だった。
考えてみれば顧客の情報を高校生と小学生くらいの子供二人に言うはずもなく、もっともな対応だ。
「あ、いや、すいません。こっちから華子さんに連絡してみます。お手数かけてすみません」
利人はそう言って御依の手を引いて相手の返事など聞かずにそそくさと旅館の玄関から出ていく。
「ちょっ…ちょっと?」
あまりにもあっさりと引き下がったためどうしたら良いのか彼女には分からない。
まさかここまで来て撤退するとは考えられない。
「……」
妹が手を引かれながらも話しかけるが相手は反応しない。
「蘭、目隠しの結界を」
「かしこまりました」
現れた式神蘭は手をかざして二人の周りに結界を張る。
改めて周りを確認してから妹に話しかける。
「簡単に個人情報を教えてくれるとは思ってないさ。俺が受付のお姉さんに話しかけて気を引いてるうちに蘭に情報を盗ませた」
「えっ」
「さっさと部屋に乗り込もう。もしヤマザキが怪異なら俺たちの正体が魔術師ってのは蘭が見えてるから割れてるし、例の部屋かこの建物に恐らくだけど何かしらの監視の為の仕掛けがあるはずだ。証拠を揉み消されるより先にこの件が怪異によるものだって証拠を掴んで協会を動かす」
「え、えっ?」
あまりにも怒涛の展開に御依はついていけない。
彼女としては怪異を倒す気でいたが、冷静に考えれば協会にこの件の危険性さえ認めさせれば後は勝手に事件解決になってしまう。
「蘭、何号室だ?」
「303号室、ここからみて右側から三番目のベランダから入れます」
「分かった、じゃあみーを頼む」
「かしこまりました」
主人から指示を受けて蘭は御依を抱える。
そして二人はバッ!と一気に三回まで飛び上がる。
魔力を瞬間的に足から放出して跳ね上がり、着地の瞬間に体全体と関節、そして臓器等を魔力で包んで体を固定し振動や衝撃を軽減、限りなくダメージをゼロにする小技。
自分の体を自分で守るのはある程度は簡単に出来るが、他者つまり御依の体を保護しながらとなると途方もない魔力操作精度になる。
そしてそれを簡単そうにしてしまうのが藍原利人という男だ。
(凄い…ここまでなのか…)
彼女としてもこの神技に舌を巻く。
全く体に負荷を与えずに六メートル近くを飛び上がってしまった。
ベランダに降り立つ。避難用の設備以外は何も置かれていない。
「ん、どうやって入るの?」
まさかベランダの窓を蹴破るわけにもいかない。
「え、そりゃ…」
彼のその呟きに反応して御依を抱える蘭が動き始める。
御依をその場に降ろすとスッ…と半透明になって部屋の中に入っていく。
「は?」
彼女は惚けた呟きを漏らす。
ガチャりと内側から鍵を開けてしまったではないか。不可能犯罪やりたい放題である。
「マスター、御依様どうぞ」
小さく頭を下げながら式神メイドが二人を迎える。
「よし御依いくぞ。部屋に入ったら怪異に察知されるはずだ」
「う、うん」
何処か納得出来ない気持ちを持ちながら部屋に侵入する。
部屋に入ると襖で区切る形で八畳の部屋が二つある。一人で泊まるには中々豪勢な間取りだった。
「どれどれ」
「……」
利人は一切の躊躇もなく部屋にあったカバンを漁り始める。
不審者の所業である。
「パソコン、財布、魔導具色々入ってるな」
「魔導具?どんなやつ?」
彼がハンカチで手にとったブレスレット型のそれに興味が湧いてくる。
「これは魔導具のレコーダーだな。怪異や魔力の音も記録出来るやつだな」
彼は鑑定した結果を話す。
戦闘には使えないが中々便利そうではある。
「へー!バイブよりすごいね!」
「やかましいわ!」
イタズラの様な指摘につい大声で返してしまう。
だが直ぐ中を取り直す。
「惜しむべきはここにあるってことは死ぬ直前の音がないって事だな。不謹慎なのは分かってるけど」
「うん…」
ブレスレットを置いて次の手掛かりを探す。
中身を調べれば何かしら証拠が出る可能性はあるが下手に持ち出すと逆に犯罪者になってしまう。そもそも不法侵入であるが。
「パソコンは…ダメだな。パスワードが掛かってる」
予想の範囲ではあるがこの部屋を借りた人間が失踪してそろそろ半日が経とうとしているわけで、異変を感じた従業員に動かれたら大事になる。
だがそれは怪異とて同じで、ここまで手の込んだ事をしたという事は、この場所にいた人間の痕跡を消すノウハウを持っていると考えられる。
仮にここで証拠なり他人を動かせる材料を見つけなければ迷宮入りしてしまう。
だがこの場所にいられる時間はほとんど残されていない。
「その…パスワードが分かれば何とかなるの?」
「え?あぁ、まぁそうだな…恐らくヤマザキとのやり取りも入っているだろうし。この人の身分も分かるだろうな。御丁寧に財布の中身から身分証抜いてあるし」
相手の言葉を聞いて覚悟を決めた様で両手を手のひらで揃えて胸の前に置く。
「…分かった、任せて」
「みー…?」
「まだ亡くなってから時間は経ってない…ならまだ呼べる…」
彼は妹から感じる不穏なオーラに不安になる。一体何をする気なのかと。
「うぐ…」
苦悶の表情をうかべながら辺りに風が吹き荒れる。
既に顔から不穏な汗が流れている、暑くて流すのとは違う体の芯にある温かさを奪って流している様な嫌な汗。
これまで怨霊を導いた時に見せた白系統の風では無い、黒い一目で分かる呪いの風だった。
「みー…一体何を…」
「見つけた…」
利人はこれまでの中でも見た事のない技を前に戸惑う。
そしてそれが大きな代償を伴って御依を蝕んでいる事も。
「1…5…」
御依はふらつきながらもキーボードを押し始める。
「K……Mッ…8…G…2ぃ…9」
荒い息を吐きながら押し切る。
そしてエンターキーを押すとパソコンが正常に再起動する。
「んな…」
彼は何が起きたのか理解出来なかった。
山勘で当てたのではない。パスワードの中身を知っててそれを正確に入力したのだ。
どさりと彼女の体が倒れる。
「みー!」
「御依様!」
彼は相手の体を慌てて起こす。息は荒いが意識はギリギリ失っていない。
「一体何を…」
その質問に答えるために御依は何度か息を整えようとする。しかし直ぐに呼吸は戻らず途切れ途切れに話し始める。
「この人の魂を…循環から……引き上げたの…まだ…亡くなってから…一日……経ってない…なら…輪…廻、回って…してない…から」
「そんな事…」
彼は風の力に命や理を正す循環という力があるのは知っているし、実際何度か目にはしている。
たった六歳でそれが使えるのは天才だの素養だのを超えた異常事態だがそれは一旦置いておく。
死者の魂に触れて限定的に降霊させる技は適性次第で出来るという話は聞いた事はあるが、実際目にしたのは初めてだった。
降霊術は彼の知っている話ではここまでの負担を強いるものではないはずだ。そもそも使える人間は肉体的に降霊の素養のある者に限られる。
つまり御依は適性がないのに風の循環を利用して無理矢理使ったのだ。そしてその代償がこれだ。
「マスター御依様は私が、御依様の覚悟を無駄になさらないよう」
「ああ、分かってるさ」
彼はぐったりとしている妹を式神に預けてパソコンと向き合う。
いろいろ言いたい事はあるが、それはこの件が終わってからだ。
今彼がやるべき事は証拠を掴む事だ。
だがガシャアン!!とベランダの窓を突き破って攻撃が飛んでくる。
「な…」
彼は咄嗟に式神と御依を抱き抱えて思いっきり横っ飛びをする。
攻撃の正体は水、それが凄まじい速度で飛来しパソコンごと机を吹き飛ばした。それどころか壁すら突き破って廊下まで空調抜群になっている。
「っ…!なに!」
彼がすぐさま攻撃が飛んできた方を見ると、柵にもたれかかっている二メートル半ほどの大きさの魚の鱗を持った人型の巨体を見つける。
「あれが…?」
御依も今の衝撃でふらついていた意識が多少はハッキリしたのか敵を見定める。
パソコンの破壊を確認した途端、半魚人は海の方へ向かって飛び出していく。
このまま撤退して海に逃げ込むつもりなのだ。
「逃すか!」
もしここで逃げられたら追跡が出来なくなる。
ここは御依の体調とこの騒ぎの事を考えれば撤退して現状報告を協会に入れる方を優先すべきだ。
もう既にこの件に怪異が関わっているのは確実で協会も動く。
だがもう彼にそこまでの冷静さは無くなっている。
「蘭!みーを頼む!兎に角この現場から引き離すんだ!」
彼はそう言って身体強化と反動軽減を体にかけて飛び出す。