「おーい、大丈夫か〜?」
「うぅ〜…」
布団の上に横たわる御依に団扇で風を送りながら利人が話しかける。
「いやほんと何やってんだよぅ」
彼は呆れた声を出す。
妹が実年齢以上に聡いのが分かっているだけにこのような隙を作るのがどこか面白い。
「はふぅ…」
クーラーがついているとはいえ団扇で送られる風は気持ちいいようで表情は険の取れたものになっている。
ちなみに楊は部屋に置いてあるテレビに釘付けになっており、良二はそれに付き合いながらも末っ子にも注意を払っている。
(こうやって見るとほんと普通の女の子なんだけどな)
数時間前に一緒に魔術師喰いを追いかけたとは思えない程に幼く無垢で無防備な姿。
だがその小さな体からは信じられない程の卓越した技量を持つ魔術師なのだ。
「買ってきたわよ」
都が部屋に入ってくる。その手にはコンビニのビニール袋が握られている。
「冷却シートに氷ね」
袋からそれらを取り出して並べる。
それを取った彼はまずシートの入った袋を開けて妹のデコに貼り付ける。
「あうっ」
御依は額に広がる異物感に一瞬ビクついたが直ぐに馴染む。
薬品の匂いが鼻腔を刺激してくる。
「ひうっ!?」
その直後、脇に差し込まれる冷やされた氷のペットボトルの冷たさにみっともない声が漏れる。
「冷たっ…!やめっお兄ちゃっ…!?」
「はいはい、体冷やそうな」
兄はあろう事かすっごく楽しそうな表情で、凍ったペットボトルを引き剥がそうとする御依の手を抑えてむしろ押し付けてくるではないか。
魔術抜きなら十歳差の腕力は覆せない。
「ひうひうひぃぅ…」
彼女は顔を真っ赤にしながら潤んだ瞳で唸り続けた。
◎
「……」
「いや、悪かったって機嫌直してくれな」
ムスッとしている妹を宥める兄。
おでこにシートを貼っているのが何処か滑稽である。
家族で館内の食堂に来ておりそれぞれを前に夕食が並べられている。
「ほらあげるから」
彼は妹の皿に唐揚げを一つのせる。どうやら買収する気のようだ。
「いや、そんな単純な」
御依がそんな単純な人間と思わない都は少し呆れたように息子を嗜める。
「許す!」
「いいのそんなので?」
この娘単純であった。
ならばと思い行動に移す。
「お母さんのこと好き?」
そう言いながら娘の皿に海老フライを一つのせる。
「大好き!」
悪い人に簡単に騙されそうで心配になる。
意外と食べるのが好きであり、かなりゲンキンという新たな一面を知ることになる。
御依は少々豪華になったキッズプレート(不服)に手をつけ始める。
六歳なので多く頼むのは許されないし、そもそも大人用は食べきれない。
「御依、そんな焦ってガツガツ行かない…ちゃんと噛んで食べなさい。誰も取らないから」
「んふふーふっ」
父親からの注意に対して頬張りながら返事をする。まあ普通に行儀が悪い。
物を口に運ぶ際に左手を皿のようにしてカスが落ちないようにしているので礼節がないわけではない。
むしろ様になってるくらいだ、一口が大きくて頬張ってはいるが。
「あー楊も焦って食べない。口元が…もー」
母の心配は止まらずもう一人の娘であり、長女にも向けられる。
ハンバーグのソースがガッツリ口元を侵食している。
「んー…」
「はいはい…」
口元を差し出す娘を見て仕方ないなと呆れながらも、テーブルに置いてある紙ナプキンを一枚手にとって拭いてやる。
「……」
その光景を見ていた御依は口元を汚さず、下に食べカスを落とさないように気をつけている自分を客観的に見て少しため息を吐いた。
◎
「あれなに?」
お腹を満たした御依の視線の先にはゲームの筐体がある。
十年ほど前に人々を熱狂させたアーケードゲームの数々がズラリと置かれている。
「あれは…ゲーム機だな。懐かしいな」
それに答えたのは良二で、彼の脳裏には学生時代に友達と入り浸った記憶が蘇っていた。
「え?ゲーム機?」
彼女はその回答に驚く。あんな巨大なものをどうやって家の中に置くのだろうと。
彼女の中のゲーム機はコンパクトな携帯機かテレビに繋ぐ据え置き機だからだ。
「やってみるか?」
「ん、いいの?」
「いいよ」
こうして娘と父の二人でゲームコーナーに入り浸る事に。
楊はこの手のゲームに興味がないのか部屋へと戻ってテレビを見る事に、都もそれの付き添い。
利人は協会から今回の件の追加の説明と説教があるのでと携帯片手に肩を落としながら外への出ていった。
筐体前の椅子に座って画面と向き合う。
「動かない…?」
十字キーやボタンを押しても画面が動かない。何度もガチャガチャとやるがやはり動かない。
「これはお金入れないと動かないんだよ」
「んん?」
硬貨を入れると軽快な音楽と共に画面が動き始める。
父親の手元と硬貨投入口に視線を何度も往復させる。
「えっ、え?」
わざわざお金を入れないと動かないという現象に目を白黒させる。
これまで彼女のやっていたゲームはテレビなりに繋げて電源さえ入れれば即時出来たからだ。
「どうしたの?」
「いや、うん」
父親は何を驚いているのか分かっていないようだ。
一方の御依はもうそういうものなのだと割り切る事にした。
目の前に広がるのは縦型のシューティングゲームだった。
画面の上から下へと迫ってくる敵を実弾と回避で潜り抜けてクリアを目指す。
「よっほっ!あ、死んだ…」
そこまで難しいゲームではないが初見なので一瞬で一機消えた。
「えー…難か…あっ!」
やられても残機が残っていれば即時復活する仕様を知らないためすぐに敵と接触し一機消える。
「ど、どうすれば…」
目の前で次々と襲ってくる敵に対して苦しめられる。
前世で戦った怪異だってここまで手強いのは一握りだ。
そうして四苦八苦している間に最後の一機を堕とされる。
「そ、そんな…」
目の前に広がる「GAME OVER」の文字。
御依は決してテレビゲームの類が下手なわけではない。
しかしお金を払って死んだらゲームオーバーというプレッシャーが冷静さを奪ってしまった。
「まだやるか…?」
父親として千円分くらいならと思っていたがあまりにも不憫すぎてそれ以上に財布の紐が緩みそうだった。
御依は潤んだ瞳で頷いた。
「御依はどうだ?最近というかこの旅行とか?」
「ん…?」
ゲームの操作にも慣れて簡単に敵を撃沈してステージを進めていく。
そのタイミングでか父親が話を切り出す。
「どうって…なに?」
いきなりそんなこと言われても何を聞きたいのか見当がつかない。
「海入らなかっただろう?良かったのかなってさ」
「ん、あぁえっとあんまり泳ぐの好きじゃないから…」
実際泳ぐのは苦手というか泳いだ経験がそこまで無い。
海とは災いの象徴の一つで、魔力に長けた人間は海に漂う死者の念に引きずられてしまう。
そして生贄という現代ではあり得ない文化すらあった。
今の時代のように気軽にレジャーで泳ぐことがない背景だった。
よって泳ぐのが苦手以前に泳ごうとすらした事がないというのが正しい。
「そうか、まぁお兄ちゃんと楽しんできたならいいか」
父親がそうは言うが御依としては罪悪感でいっぱいだった。
家族で楽しもうとした遠出だと言うのに海に入ろうともしない態度は娘として問題だろうと思った。
兄に事情を説明して何かしら回答を用意しておくべきだったと思うのだ。
「御依は…魔術に興味があるのか?」
「へっ…?」
突然の話題の切り替えについ間抜けな声が出る。
何故いきなり魔術について聞いてきたのだろうかと。
相手が突拍子もない切り口から話題を振った事に驚いているのを察したのか簡単に経緯を話し始める。
「前に蔵の整理に来たがっただろう?」
「うん」
「もしかしたら魔術に興味があるのかなって」
「えーっと」
あるがないのかで言えばある。
昔は魔術を好奇心から極めんとした身だ。現代魔術がどれ程の発展をしたのか、そしてその歴史は気にはなる。
「塾みたいな所があってな。もし御依が魔術の事を知りたいなら一度行ってみる?お姉ちゃんもそろそろ一度連れて行こうと思うんだ」
利人がその手の高校に通っているが、学校として魔術を学べるのは高校から。彼も前は塾に通っていた。
学校というよりは将来に向けてコミュニティを形成する場所と集団での実践を学ぶ場所としての意味合いが強くはある。
協会に所属して本格的に魔術師として働く前の猶予の三年間なのだ。ここで最終的な適性を見る。
それまでの十五歳以下は私塾か大きな家なら家庭教師を雇うパターンの二択になる。
家庭教師は協会所属でも現場を引退した人が受け持っているし、協会もそれを推奨して紹介を各家に出している形だ。
ごく一部のおぼっちゃんは現役バリバリの協会魔術師を家庭教師につけることもあるが。
「…よく分かんない」
彼女はそう答えるしかない。
自分が何者なのか分からない。何になりたいのかも。何を目指したいのかも。
「ん、そうか。まぁ魔術について知りたい事があったら聞いてくれたらいいから。まぁお兄ちゃんの方が詳しいかもな」
娘からのその返事に笑いながらそう返す。
やんわり断られようが傷つくわけでもない。彼にとって魔術師というのは生き方の一つで絶対で唯一ではない。
「うん…」
彼女はゲームはクリアしたが達成感は無くモヤモヤしたものが纏わりついて離れなかった。
◎
「…んんっ」
カーテンの隙間から薄らとした光が顔にかかり目が覚めた。
時刻は五時頃で子供が起きるには早過ぎるくらいだ。
昨日はなんだかんだで疲れていたので早く寝た反動の早過ぎる起床。
(皆んなは…寝てるか)
ぐるりと周りを見やる。誰も身じろぎせず寝息を立てているように見える。
(もう寝れそうにないな…)
頭はスッキリしていて二度寝は無理そうだった。
しかし皆が寝ているのに電灯やテレビをつけるわけにもいくまい。
夏とはいえこんな朝早い日はまだ涼しいと思えるくらいの温度感になっている。
「……」
彼女は布団をゆっくりとどけてスッと立ち上がり歩き出す。
部屋の鍵はフロントから預かっており見回すとテーブルの上に置かれていた。
鍵をつかんで出入り口の扉へと向かう。
靴を履いて外に出て鍵をかけようとするのだが。
「ん?んっ?」
扉がうまく閉まらないのだ。
何でだろう、何か挟まっているのだろうかと改めて扉を見ると。
「ひぇっ」
「一人でどこに行くの?」
厳しい視線が彼女を貫いてくる。
母の都がその手で扉を閉めさせないようにしていたのだ。
「さ、散歩…」
「……」
キッツい視線の勢いは止まらない。
当たり前だがこんな朝早くに子供が一人で外出しようなど許されない。
前世であれば気配だけで殺せそうな程の殺気でも怯える事など無かったのに、母親という存在は魔術の租を金縛りにさせる程の威圧感を放っている。
その威圧感は娘を心配している以外の意図しか彼女は受け取れない。その事実に胸がくすぐったくなる。
都はふーっと軽いため息を吐くと娘が持っている鍵を取って扉を閉めて施錠する。
「行きましょうか」
娘の手を取って歩き始める。
すっかり険の取れた表情に御依は心の中でほっと息を吐いた。
朝早いからなのかフロントには誰もいなかった。
無人のロビーがまるで世界が一度終わり、人がいなくなったかのような錯覚を感じさせる。
二人は正面玄関から外に出る。
「ちべた…」
二人を出迎えたのは寒いとすら感じる朝の風だった。
「涼しいわね」
昼間とは別世界かと思える程の涼しさに都もほっと一息吐く。
このくらいの気温なら娘が体調を崩す心配は無いと思う。
二人は手を繋ぎながらしばらく歩道を歩いていく。
この時間帯は殆ど車が通らず、右手側には林があり風に吹かれて涼しげな音を出す。そしてたまにトラックが通るくらいだ。
海辺の道を歩いているうちに御依はふと左手にある海の方へと視線を向ける。
「綺麗...」
薄暗くはあるのだがほんのりと差す朝日が映る海面の光り輝く姿はとても目に焼き付く。
昨日は海や周りをじっくりと見ていられるほど余裕がなかった。
前世の時からいつも忙しなく、そして生き急いでいてのんびり散歩をするなんて事もなかった気がした。
もっと周りに目を向けていれば、近くの景色に目を向けていれば何か違ったのだろうかと思う。
もう既にあの時から千年が過ぎており後の祭りどころではないが。
(私って何が好きなんだろう…)
散歩以前に自分にとって好きな事とは何だろうと考える。
前世で一番やった事は魔術の研究で間違いない。だが父親の提案を受けて魔術を学ぼうとは思えなかった。
末期の時は一日で起きている時間のギリギリまで注ぎ込んでいたように感じる。
そう考えると今の自分はいかにだらけているか。
前世の家族が大金を手にして醜悪になる前は優しくて、沢山の人たちに頼られる人格者たちだった。
自慢の家族だったのだ。
よく貧しくその日に困っている人達に炊き出しを行っていて、収益はそれなりにあったが支援ばかりで裕福な寺とはいえなかったが笑顔が絶えない場所だった。
その時におにぎりだったが小さい手で握ったものだった。
「…料理」
「御依?」
そのぼそりとした息遣いのような呟きに反応する。
「お料理…してみたい」
俯きながら噛み締めるように願望を口にする。
何かやりたい事を口にするのは今世では初めてかもしれない。
「どうしたの?」
「ご飯…作りたい」
突然の告白に驚く相手を無視してただひたすら願望を口にし続ける。
「じゃあ家に帰ったらおにぎりでも握ってみる?」
「うん」
母親の手をぎゅっと確かな力で握り直す。
そろそろ日も高くなっていき部屋に戻る時間になりつつある。
「感動的な親子愛だねぇ」
歩いている二人の背後から声がかけられる。
「はい?」
都はどこか煽るような、挑発的な声に対して振り返ろうとする。
「……ッ!?」
御依はそれよりも速く繋がれた手を離して母親の前に庇う様に立つ。
「お前誰だ!怪異の反応は無かったはずだ!!」
都は目の前で起きている事の理解が追いつかない。
煽りのような声が聞こえたと思ったら、娘が自分を庇うように立ち塞がり激昂している。
そして問題の相手だが二十代の男性だ。姿だけなら。
「考えなかったわけ?あんなアホ魚人が人騙くらかすなんてよ」
相手はその威嚇に対して飄々と受け流す。
御依と利人が倒した半魚人たち。確かに並の魔術師を殺せる程の実力を持つ敵なのは間違いない。
しかし二メートル半の巨体と人外じみた声色のアレが、人を騙して闇討ちを狙うような計画的な行動を取ったとは今思えば考えづらい。
「気がついたようだなぁ、あの頭の足りねぇアホども使ってやったってのに高々ガキ一人やられやがってよ」
相手が話している間に御依も手を合わせて構えを取り臨戦体制を整える。
「危ないから下がってて」
彼女は静かなトーンで母に語りかける。
「でも…」
「下がれって言ってるだろ!」
いまだに混乱から抜け出せない母に怒鳴るように言う。
この威圧感に当てられたのか数歩後ろに下がる。
(何なんだこいつの気配。ただの人間じゃないけど怪異の気配とも少し違う)
口ぶりからして怪異なのだろうが、怪異特有の異臭とも呼ぶべき匂いがしないのだ。
「あー…」
男はかぱっと口を大きく開く。
口から長い芋虫のような生物がずるりと飛び出してくる。
「うっ…!」
御依は咄嗟に鼻を手で押さえて激臭を堪える。
それは数多の人を喰らってきた証。
『せっかく育ててきた狩場を壊してくれてよぉ』
どうやって人の小さな体に潜んでいたのか考える事すら拒みたくなる。
全長五メートルの直径五十センチはある寸胴の芋虫が現れた。
隠れ蓑にしていた体は干からびて皮だけになっている。
人間の体を間借りする事で力が漏れないようにしていたのだ。
そうやって自分は隠れ潜み他の怪異に実行犯をやらせていた。
『癪だがここは撤退だわ。協会に目ぇつけられたんじゃな、それにあの小僧は俺より強いし』
虫の口から垂れる唾液が地面に触れると土が溶けて腐ってしまう。
『とは言え折角だから置き土産くらいしてやろうってな。お前も年齢にしちゃ大したもんだがサポートが関の山だろ?』
「……」
黙っている御依から視線を外してその後ろにいる女性に視線を向ける。
『それに後ろの女も中々旨そうだ』
「っ…」
彼女は凄まじい殺気に足がすくみそうになる。
体質として怪異を見る事が出来て、最低限の魔術の心得は持っているとはいえ本気の死線を潜った事はない。
「御依っ!」
だが勇気を振り絞って娘を抱き抱えそして海とは逆の林の方へと逃げる。
「ちょっ!お母さん!?」
「大丈夫だからね御依っ」
恐怖で娘を抱える腕は震える。それでも必死に足を前へと運ぶ。