選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
外もすっかり暗くなり、料理も大体が出来上って後は盛り付けるだけとなった頃。
私とヤミさんは夕食の準備をしていた……んだけど。
「あの、ヤミさん。
「美柑が言ったのではないですか。食べる相手のことを思いながら作るのが料理だ、と」
「それは、言ったけど……。もしかして?」
「私なりに工夫してみました」
「そ、そうなんだ……」
一緒に作った煮物にサラダ。リクさんが作った唐揚げ。あとは付け合せの漬物に、ご飯と味噌汁。これで全部……なんだけど。
(たい焼きの入った味噌汁……。ヤミさん、これは、ちょっと……)
「美柑、どうしました?早く並べてしまいましょう」
「そ、そうだね!……ところで、そのお味噌汁は……?」
「こ、これは……その、リクに」
「リクさんに」
……まぁ、あの人なら大丈夫、かな?頑張ってもらおう。
ヤミさん、凄く楽しそうだし。
そんなことを思いながら食器と料理を並べ、みんなを呼んだ。
「いただきま~す!」
ララさんが元気そうにそう言って料理を口に運ぶ。唐揚げを一つ口に含み、よく噛んで飲み込んだ。
「ん~、この唐揚げおいしーねぇ!ピリッとしてて刺激的!」
「ん、ありがとう。そう言って貰えると嬉しいよ」
そんなことを話しながら、リクさんの視線は味噌汁に固定されて離れない。
ちら、とこちらを見た気がしたけれど、申し訳なさからツツ、と目線を反らす。
少しして、リクさんの「いただきます」という声とごくごく、という味噌汁を飲む音が聞こえた。
それを見たナナさんが、私へ質問をしてくる。
「ナー、美柑。リクが飲んでるあれ、なんなんだ?」
「え、あー、うん。その……思いの結晶……、みたいな?うん」
「はあ?なんだ、それ」
そんな話をしていると、リクさんの「ごちそうさまでした」という声が聞こえる。
(おお、迷わずあれを飲み干すとは……)
さて、リクさんはどんな感想を言うのだろう。美味しかったとヤミさんを立てるのか、あるいは個性的な味だね、とかかな。
そんなことを考えていたけれど、リクさんの口から出た言葉はその全てを裏切る内容だった。
「うん、不味い」
──一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
まだ今日会ったばかりだったけど、ヤミさんもリクさんもお互いを大切に思っているのは明白で、だからこそ信じられなかった。
「そう、ですか。すみませんでした。残りは、すぐ、片付けるので」
誰が見ても──私じゃなくても──わかるくらいに消沈したヤミさん。
「リクさ──」
思わず声が出かけた。でも、そんな私をリクさんがじっと、強い視線で制して口を塞ぐ。
「ヤミさん」
リクさんが声をかける。その声色は、とてもじゃないけど「不味い」と言い放った人のそれじゃない。
「なん、ですか?」
「おかわり」
……え?
呆気に取られていると、リクさんはヤミさんの口に唐揚げを放り込み、問答を始めた。
そんなリクさんの行動に混乱していると、急にリクさんの口から私の名前が出て──。
「誰かを思って作ること。それが一番大事だって。ヤミさんが俺のために作ってくれた。で、俺はそれが嬉しかった。それだけだよ」
その後、お椀を手渡されたヤミさんはキッチンへ消えていった。
……いや、あの状況から挽回したのは凄いと思うけど、ナナさんの言う通り人の家ということを意識してほしかったなぁ。
さっきと変わってないのはララさんとセリーヌだけで、ナナさんは何故か自分が言われたみたいに照れてるし、モモさんは何考えてるのかわからない笑顔で怖いし、リクさん本人はえづいてるし、リトは使えないし……。
仕方ないので、軽く手を叩いて空気を戻す。
リクさんも、そんなにヤミさんが大好きなんだったらもっとスマートにやってよね!
でも、ヤミさん。
嬉しそうだったな。
◇
食事も終わって、いつも通り後片付けをしようとしていたらリクさんが「騒がしくしたお詫び」なんて言って、食器の片付けからテーブルの掃除、皿洗いまでの全部を持って行ってしまい、なんだか暇になってしまった。
「どーしよっかな」
無意識に手元を見る。いつもなら洗剤の泡や水で濡れているはずの手は、今は乾いたままで。
手持無沙汰な指先を、所在なげに組み合わせる。
リビングから見えるキッチンでは、リクさんがララさんと話しながら私の代わりにお皿を洗っている。
いつもなら、この時間はお皿洗いとかして、それが終わったらお風呂に入って、明日の朝の準備とかして、それで寝る──。
「もしかして私、自分の時間、ない?」
い、いやいや。いくらなんでもそんな。確かに家事は忙しいけどそこまででも……。
……最後に休日以外でちゃんと遊んだのっていつだろう。
「い、いやぁ。別に放課後に遊んだりしてるし?そんな家のことしかしてないわけじゃないし?」
「どうした?美柑」
「へぇっ!」
「いや、凄い声出たな」
いつの間にか背後に財布を手にしたリトとモモさんが立っていて、びっくりして変な声が出てしまった。
「って、リト?財布なんて持ってどうしたの?」
「洗顔クリーム切らしてたの忘れててさ。コンビニに行こうかなって」
「あ、じゃあ一緒に牛乳買って来てよ。いつものやつ」
私がそう言うと、リトは「わかった」と言ってリビングを出ていく。モモさんも、それに当然のようについていった。
モモさんと言えば、最近結構家事とか手伝ってくれるんだよね。
……リトにベタベタしてるのって、何か変なこと企んでるからだと思ってたけど、案外本当に『そういう』気持ちもあるのかな。
モモさんが色々手伝ってくれてるおかげで、だいぶ楽にはなったんだけど。
それはそれで、なんだか私の居場所が──。
「そっか、だから私……」
やりたいこと、か。
さっきは「とりあえず」で決めたけど。
「でも、そんなにすぐ見つかったら苦労しないよねぇ」
ぽつり、と呟いた声が、誰もいないリビングに溶けて消えていく。
後ろからは、カチャカチャとリクさんが洗い物をする小気味いい音だけが聞こえていた。
「……とりあえず、お風呂でも入って頭を冷やそうかな」
今考え続けたって、答えが出るわけじゃない。だったら、考えるのを保留するのだって賢い選択。
そう自分に言い聞かせて、ヤミさんを探してからお風呂場に向かった。
◇
「ヤミさん、お湯加減はどう?」
「大丈夫です、美柑。美柑は入らないのですか?」
「うん。先にセリーヌを洗ってあげないと」
そう言って泡立てたスポンジを近づけるけど、セリーヌは何だかそわそわしていて、キョロキョロと出口の方ばかり見ている。
「もう、じっとしててね?」
言いながらセリーヌの体を洗う。
と、その時。
「まーう!」
「あっ!」
急に動いたセリーヌが、洗っている私の腕をすり抜けて外へ出てしまう。
「ごめんヤミさん。セリーヌ連れ戻してくるから、ちょっと待っててもらってもいい?」
「構いません。急がなくても大丈夫ですよ」
「うん、ありがとう」
ヤミさんに断ってから脱衣所に出て、バスタオルを体に巻きセリーヌを追いかける。
幸い、床が水に濡れているのでどこに向かったかは一目瞭然だ。それに、そこまで広い家でもないからすぐにセリーヌの声が聞こえてくる。
そうしてセリーヌに追いついた私は声を出しながら連れ戻そうとして──。
「ちょっとセリーヌ!まだ洗ってる──」
思えばこの時、もっと冷静になるべきだった。確かにリトは外に行ってるけど、もう一人。
絶対に忘れちゃいけない人がいたってことを。
「──途中、で、しょ……」
セリーヌは確かにそこにいた。でも、そこにいたのはセリーヌだけじゃなくて。
つまり何が言いたいのかと言えば。
「リ、リクさん!?なんで……ってここキッチン!?う~わ、なんで私……じゃなくて!その、見ました……よね?」
カアッ、と首筋から頭にかけて一気に熱が広がるのがわかる。
ちら、と視線をやるとリクさんは目を閉じてくれているが、私が聞くと申し訳なさそうに「一瞬だけ見えた」と正直に言ってくれた。
「や、やだな~、謝らないでよ」
よく確認せずに能天気に歩いてきた私が悪いのだ。
とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいので早くセリーヌを回収して戻ろうと声をかけるも、リクさんの頭が気に入ってしまったのか「まう!」と言って降りるそぶりを見せない。
リクさんに降ろしてもらおうかとも思ったけど、そのためには目を開いてもらう必要があるからダメで。
「しょうがない、よね」
セリーヌは降りてこなくて、このままだと私は届かない。リクさんに目を開けてもらうわけにもいかない。
よく考えれば私がセリーヌを降ろすことに固執する必要はなかったんだけど、この時の私たちは少しも冷静じゃなくて、何を思ったのか私はリクさんにしゃがんでもらってセリーヌを降ろそうとしてしまったのだ。
ぺたぺたとリクさんに近寄る。リクさんは目を閉じてくれているけど、リトじゃない男の人とこんな格好でこんなに近くにいることなんて初めてで、心臓が爆発しそうにドキドキしてるのを感じた。
一度息を吐いて覚悟を決め、しゃがんでくれたリクさんの頭へ手を伸ばす。
無事にセリーヌを掴んで、後はこのまま──と思ったその時。
「まうっ!」
「きゃっ!」
セリーヌが手の中で暴れた。指先がタオルの結び目にかかったかと思えば、唯一私を覆っていたバスタオルが呆気なく足元に落下する。
慌てて拾おうとしたせいで体勢を崩して、ついリクさんに寄り掛かってしまう。
服越しの体温と、リトよりも少しがっしりした背中の感触。
頭が真っ白になった、その時──。
「美柑、随分とかかっているようですが、何かあったの──」
「や、ヤミさん!?今はダメ!」
「──です、か?」
私たちを見たヤミさんが目を白黒させて混乱している。
その顔は、見たことがないくらいに哀しそうで──。
すぐ後に、ヤミさんの髪が無数の拳に
私が出した「本当に誤解だから!」という声は惜しくも届かず、リクさんは吹き飛ばされ、気絶してしまうのだった。
◇
「私の、早とちりだったのですね……」
体を拭き、パジャマを着た私はヤミさんにリクさんをリビングに運んでもらってから事情を説明した。
セリーヌを追いかけたら、うっかりリクさんの前に行ってしまったこと。
セリーヌが何故かリクさんから降りてこなかったから、リクさんにしゃがんでもらって降ろそうとしたこと。
その時にセリーヌが暴れてタオルが落ち、私が足を滑らせてリクさんに寄り掛かってしまったこと。
「そう、だからリクさんは悪くないの。私がもっとちゃんとしてればよかったんだよ」
「……いえ、リクを信じるべきでした。ただ、結城リトの『いつもの』が頭を過って……」
「お、俺のせいかよ……」
「リト、黙って」
「はい」
リトが余計な一言を言ったせいでまたヤミさんが落ち込んじゃった。
「とにかく、リクさんが起きたら一緒に謝ろう。大丈夫、きっと許してくれるよ」
「そう、でしょうか」
「そうだよ!」
わざとらしいくらい力強く肯定する。
「とりあえず、今日はもう寝よう。リクさんは私が看ておくから、ヤミさんはゆっくり休んで」
そう言ったけれど、ヤミさんはソファで眠るリクさんから目を離そうとしない。
「ヤミさん?」
「美柑」
「なに?ヤミさん」
「看病について、教えてもらえませんか」
私は、何かを壊すことはできても、直す方法を知らないので……。
リクさんを見つめたまま、消え入りそうな声でそう言ったヤミさん。
「……そっか、じゃあまず──」
そう言って、簡単な看病のやり方を教えてあげる。汗の拭き方や、ガーゼの貼り方。患部の冷やし方や、後は──。
「ヤミさん、ちょっと耳貸して」
私がそう言うと、怪訝そうな雰囲気をしたヤミさんがこちらへ顔を寄せてくれる。
私は耳元に手を当てて、少しだけ悪戯っぽく囁いた。
「膝枕とか、してあげるといいんじゃないかな~。……近くにいてあげれば、リクさんも安心すると思うし?」
そう伝えると、ヤミさんは少しの沈黙の後にパッと弾かれたように離れ、髪の毛先がボンッ!と爆発したように広がった。
「……、ッ!み、美柑!?」
「ん、どうしたヤミ。美柑が何か変なこと言ったのか?」
「リト、うっさい」
「はい」
一通り話し終えてから時計を見ると、いつの間にか十一時を回ろうとしていた。
時間を認識した途端、眠気が襲ってくる。
「ふぁ……ごめん、ヤミさん。ちょっと限界みたい。私は部屋に戻るけど、何かあったらすぐに呼んでね」
「はい。ありがとうございます、美柑」
「おやすみ、ヤミ。無理するなよ」
「ええ、問題ありません。結城リト」
私は部屋を出る前、最後にもう一度だけ振り返る。
そこには、クッションを抱きしめて、顔を真っ赤にしながらリクさんの寝顔を見下ろしているヤミさんの姿があった。
(……うん。これなら、きっと大丈夫だね)
小さく笑って、私はドアを閉める。
リクさんには悪いことしちゃったけど。
(──明日の朝がちょっと楽しみかも)