選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
翌朝。
結局美柑さんのお弁当箱は家に持って帰り綺麗に洗ったうえで返すことにした俺は、洗い終わり再度包んだ弁当箱を片手にリト先輩のクラスである2-Aを訪れていた……のだが。
「あれ、いない」
どうやら早く来すぎたようで、リト先輩の姿は教室の中に見受けられなかった。
まあ、別に今渡さなくてはいけないというわけでもないので構わないのだが、なんだか肩透かしを食らった気分だ。
しょうがないか、と自分のクラスに戻ろうとした俺に、背後から声がかかる。
「あれ、りっくんじゃん。何してんのこんなとこで」
振り返ると、特徴的な眼鏡と二つ結びの髪を揺らした生徒──沢田未央先輩が立っていた。
「どーも、沢田先輩。おはようございます」
「おはよ~。誰かに用事?」
「リト──結城先輩にちょっと」
言って、手に持った空の弁当箱を揺らす。が、それが失敗だったとすぐに気づいた。
先輩は眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせ、獲物を見つけた猫のように顔を近づけてくる。
「え、なになにその可愛いお弁当箱。彼女?でも、それならなんで結城?」
「説明がめんどいのでカットでいいですか?」
「ダメ。説明を要求する!」
何故俺はこの人に女性物の弁当箱などという格好の餌を見せつけてしまったのか。
全身を後悔が襲うが、時すでに遅し。沢田先輩は眼鏡の奥の瞳を爛々を輝かせ、俺の言葉を待っている。
「あー……、ちょっと前に結城先輩の妹さんとちょっとしたトラブルがありまして、そのお詫びにと貰ったんです。それ以上でも以下でもありません」
「結城の妹?」
「はい。……一応言っておきますけど、小学生なので本当に『そういう』のはないですよ」
俺がそれだけ言うと、沢田先輩はすっかり興味をなくしたのか「なーんだ、つまんないの」とだけ呟いた。
そんな話をしているうちに待ち人が到着したのか、騒がしい声とともに階段からリト先輩たちが姿を現した。
……何故か、見知らぬ先輩のスカートに頭を突っ込んだ姿で。
「えぇ……」
何をどう転べばそうなるのだろうか。
リト先輩は頭を突っ込むだけでは飽き足らず、何故か両手まで突っ込んで太ももを押し広げている。
一方で押し倒されている先輩は──満更でもないのか──どこか艶めかしい声を上げており、非常に居心地が悪い。
「お~、相変わらず凄いことしてんねえ結城のやつ」
「え、あれいつものことなんですか」
確かに見る度にそれっぽい光景を目にしてる気はするが、流石に嘘であってほしい。
リト先輩を見る目が変わりそうだ。
「ん?毎日だよ。本人は「わざとじゃないんだ~!」って言ってるけど」
それは最早何かの呪いとかじゃなかろうか。お祓いにでも行った方がいいんじゃないか?
そんなことを考えていると、押し倒されていた先輩が正気に戻ったのか「ハレンチな!」とリト先輩に対して怒鳴り散らしていた。
正直、傍から見ていた身としては割とどっちもどっちではあるのだが、こういった状況では往々にして男の発言権はゼロに等しい。リト先輩も、言われるがままにぺこぺこと平謝りしている。
──正直、何も見なかったことにして帰りたい。
が、そういうわけにもいかない。
一歩、足を踏み出す。
「お、あそこに混ざるとは中々の好き者だね」
「気は進みませんが……、本ッ当に気は進みませんが、これを渡さない分には帰るに帰れないので」
視線の先では、未だにリト先輩とハレンチ先輩──名前がわからない──が痴話喧嘩をしている。
俺はわざとらしく足音を立てて近づき、「すみません、リト先輩」と声をかけた。
「ごめんって古手川!わざとじゃ──って、リク?」
「どうも、先輩。朝からお元気そうで何よりです」
「イヤミだろ、それ」
「健全な男子生徒の妬みということで一つ」
俺がそう言うと、古手川と呼ばれた先輩はハッとしたように乱れた制服を直し、コホンと咳ばらいをしてこちらを睨んだ。
「結城くん、彼は?」
未だに赤みの残った顔で、そう尋ねる先輩。
「ああ、こいつは成瀬リク。ちょっと前に友達になったんだ。リク、こっちは古手川って言うんだ」
「よろしくお願いします、古手川先輩」
「……ええ、よろしく。成瀬くん」
何やらいかめしい顔つきでこちらに睨みをきかせながら挨拶をする古手川先輩。……何か気に障るようなことをしただろうか。
あるいは、ただ恥ずかしいだけかもしれないが。
「それで、こんなとこでどうしたんだ?」
挨拶も終わり、一瞬空気が停滞した時。リト先輩がそう聞いてくる。
「ああ、いえ。昨日貰ったこれを返そうかと」
そう言って、手に持ったお弁当箱をリト先輩に手渡す。……ただこれだけのことをするためだけに、いやに濃い時間を過ごした気がする。
とはいえ、これで済ませるべき用事は済んだ。
リト先輩に「美柑さんによろしく伝えておいてください」とだけ言い残し、自分のクラスへと戻った。
「あ、リクくん……どうしたの?なんか疲れてる?」
「……なんというか、この世の神秘を見た気分だね。朝から濃い経験をしたよ」
「どういうこと?」
最早説明をすることすら億劫である。
どうしたの?と聞いてくるメアをなんとか捌いて、俺は授業の準備を進めるのだった。
◇
昼休みになり、クラスメイトたちのめいめい学食なり購買なり、あるいは持参した弁当なりを広げている頃。
俺はと言えば、ナナと一緒に校内を散策していた。
というのも、いつも通り自席で──今日はヤミさんと一緒に──弁当を食べていた時、ナナから「メアがどこ行ったか知らないか?」と聞かれたのだ。
そういえば、昼休みになるなり席を立ち、どこかへ行っていた、というところまでは把握しているものの、それがどこなのかまではわからずじまい。
ちょうどよく弁当も食べ終わっていたので、どうせならと一緒に探すことにし──ヤミさんは「行くところがありますので」と言い残してどこかへ行ってしまった──、現在に至るというわけだ。
「それにしても、どこ行ったんだろうなメアのやつ。あたしにもリクにも言わずに消えちゃうなんて」
「まぁ、そういうこともあるんじゃない?俺もナナも友達だけど、保護者ってワケじゃないし」
「それは、そうだけどさ」
自分に伝えることなく消えてしまったメアが不満なのか、あるいは何か他の不満があるのか、少しばかり頬を膨らませて呟くナナ。
「折角姉上に紹介しようと思ったのに、本人がいないんじゃどうしようもないよ」
「姉上……ララに?」
「そう!リクはこの間紹介できたけど、メアはまだだからナ」
なるほど、そういう事情か。
「まぁ、今日しか紹介できない、ってワケじゃないし。見つからなかったら見つからなかったで」
「そーうーだーけーどー!」
「どうどう」
「あたしは馬じゃない!」
フシャー、と聞こえそうな勢いでこちらを威嚇するナナ。心なしか、トレードマークのツインテールも重力に逆らって天を衝いているような錯覚を受ける。
「ごめんごめん」
「ったく、失礼だぞリク」
「本当にごめんって。今度お詫びするから」
そんなことを話ながら歩いていると、保健室にたどり着く。中からは、誰かの話し声。
それを認識した瞬間、ナナが露骨に顔を
「げ、この声、モモだ」
「モモさん?具合でも悪かったのかな」
そうは見えなかったけど。
「さぁな。どうでもいいだろ。早く行こうぜ」
「一応聞いてみる?もしかしたら見かけてるかもしれないし」
「……聞くだけだぞ、聞くだけ」
「えぇ……なんでそんなに嫌そうなの」
オマエにはわからないだろうけど色々あるんだよ、色々。そんなことを言いながら、保健室のドアを開く。
中にいたのは、予想通りのモモさんと保険医の御門先生。そして──。
「セリーヌ?なんで?」
俺がそう言うと、御門先生に抱かれたセリーヌが手を上げ「まうっ!」と元気そうに返事をする。
「あら、ナナに……成瀬さん?どうしてここに?」
「ちょっと人探しでね。……ところで、なんでセリーヌ?」
そんな俺の疑問に答えたのは、モモさんでも御門先生でもなく、何故かナナだった。
「誰もいない家に置いておくわけにもいかないからナ。ここで預かってもらってるんだ」
「セリーヌちゃんは手がかからないから楽でいいわ。とっても可愛いし」
「えぇ……いつから保健室は託児所になったんですか先生」
というか、モモさんやナナ、セリーヌを当然のように受け入れているということは、つまり先生も『そっち』側なのか。
「ところで、成瀬ってことはあなたが成瀬リクくん?」
「え、はい。そうですけど」
「ふふ、噂は聞いてるわ。
俺がそう答えると、御門先生はまじまじとこちらを観察するように見つめてくる。
と、いうか。そんなに前かがみになって見つめられると、白衣の隙間から大人の魅力がこぼれ落ちそうで健全な男子としては些か……。
「フンッ!」
「いったい!」
なんてことを考えていたら、急にナナが足を踏んでくる。……言わんとすることはなんとなくわかるが、酷く理不尽を受けた気分だ。
「ナナ」
「なんだよ」
「痛い」
「知るか!」
そんなやり取りをしていると、モモさんが困惑した様子で声を挟んでくる。
「あ、あらナナ。成瀬さんと随分仲がいいのね」
「は?イヤミか?」
「なんでそうなるのよ」
そう言いながら、モモさんは呆れたように腕を組む。その動作によって強調された豊かな双丘が、その存在をより主張した。
「どうせあたしはぺったんこだよ!」
「本当に何を言ってるの?あなた」
カオスだ。何かでコンプレックスを刺激されたらしいナナが目をぐるぐるにしながら喚いている。
そんな時、御門先生が諭すように言った。
「あら、ナナさん。別に大きければいいというものでもないわよ。そうでしょ?成瀬くん」
何故そこで俺に聞くのだ。女性同士のそういう話に男を巻き込まないでほしい。切実に。
「ノーコメントで。それ、どう答えても角が立つ奴じゃないですか」
「あら、じゃあ小さいのは嫌い?」
その言葉に、喚いていたナナがぴたりと止まり、恐る恐るこちらを盗み見てくる気配がした。
「話聞いてます?」
ノーコメントって言ってんでしょうが。
だからそんな「やっぱりリクもケダモノなんだな。大きい方がいいんだな」みたいな目で見るのはやめてくれナナ。
「あら、成瀬さんもやっぱり男の子ですのね。老成した感じがありましたが……♡」
ここぞとばかりにからかってくるモモさん。その顔はどこか楽し気というか──若干嬉し気?なんで?
「あのね、モモさん。そういう話に男が首を突っ込んでいいことなんて一つもないんだよ。百害あって一利なしだ」
俺がそう言っても暖簾に腕押し、あらあらうふふとモモさんは笑い、御門先生はニコニコと笑い、ナナはナナでずっと黙ってるし。
え、これ答えないと終わらないやつ?
おかしい。俺たちはただメアの目撃情報を探して保健室に来ただけのはずなのに。
何故俺は今こんなに追い詰められているんだ。
……仕方ない、か。
覚悟を決めてゆっくりと口を開く。
「……わかりました。正直に、今の俺の心を言いますね」
俺がそう言うと、部屋の空気が変わる。先ほどまでのカオスは鳴りを潜め、どことなくピリっとした空気が部屋を包んだ。
「ええ、聞かせて頂戴」
「先生──」
にこにこと、楽し気な笑みを浮かべる御門先生の目をまっすぐと見つめ、俺の答えを返した。
「女性から男性へのセクハラも成立するという前例はありますが、これについてどう思いますか?」
「……え"」
御門先生の妖艶な笑みが、ガラス細工のようにピキリと固まった。
答えを待っていたナナとモモさんも、口を半開きにしてぽかんとしている。
……なんとか、なったか?
「まあ、セクハラとして訴えるつもりは微塵もありませんが、そういうこともありますよ、ということです」
「ふぅ……、一本取られたわね」
「こういう話題は男子高校生にとって本当に死活問題なので、勘弁してほしいです」
「うふふ、ごめんなさい。ちょっとからかいすぎたわね」
本当だよ。というか、いい加減本来の目的を果たさないと。
「ところで、先生。1-Bの黒咲芽亜を探してるんですけど、どこにいるか知ってますか?」
「黒咲さん?悪いけれど、見てないわね」
「そうですか……ありがとうございます。お邪魔しました」
それほど期待はしていなかったが、残念ながら空振りらしい。……なんでこの程度のことを聞くのにこんなに苦労したんだろう、俺は。
「じゃあ、俺たちはこれで。ナナ、行こう」
そうナナに声をかけて保健室を出ようとする。する、のだが。
「ナナ?」
「……っへ、ああ!なんだ?」
「いや、メアの情報がなかったから、別のとこに行こうよって」
俺がそう言うと、ナナはどこか慌てたように「そ、そうだナ!」と答える。
まださっきのことを気にしてるのだろうか。
そうして、後は保健室を出るだけ、となった時。御門先生が声をかけてきた。
「あら、もういい時間よ。そろそろ教室に戻った方がいいんじゃない?」
言われて、保健室に備え付けられている時計を見ると、時刻はもう間もなく十三時──つまり、昼休憩の終わりを指していた。
まだ少しの余裕はあるが、校内を探し回るほどでもない、そんな塩梅だ。
「それも、そうですね。メアも、もう戻ってるかもしれないし」
「げ、いつの間にこんな時間に……モモのせいだろ!」
「なんで私のせいなんですか……あなたが勝手に暴走したんでしょう」
喧嘩するほど仲がいい、とはまさにこのことかと言わんばかりに、再度険悪──といってもじゃれあい程度だが──な空気を醸し出すナナとモモさん。
──またあれに巻き込まれたらたまったもんじゃないな。
そう思った俺は、強引にナナの手を取り──「ひゃっ!?」という可愛らしい悲鳴が聞こえた気がした──「お邪魔しました~」とだけ残して保健室を飛び出した。
◇
保健室を出て、暫く歩く。あそこに行く前に比べて、ナナは驚くほど静かだ。
といっても、俺から何か言って爆発されても困るのでそれも出来ない。
「なあ」
そうして歩くこと少し。ナナが口を開く。
「なに?」
「……手」
「……あ、ごめん。取ったままだった」
そう言って、握ったままだったナナの手を離す。
いくら友達とは言え、男女の仲でもないのに手を握られていたらいい気はしないだろう。
「結局メアは見つからなかったね」
「……」
「どこにいたんだろ、屋上とかかな」
「そうだな」
「まあ、ララへの紹介なら明日でもいいんじゃないか?あれだったら今日のうちに約束したっていいわけだし」
「それも、そうだな」
……いやにしおらしい。いつものナナなら「そうだナ!」とでも返してくるのに。
そんなに胸のことを気にしているのだろうか。そんなもの、ただの個人差で大事なのは外見的特徴よりも内面だと思うのだが。
いや、生理的欲求として惹かれることに反論はできないけど……。
そうして歩き続け、あと少しで教室、となった時。
ナナが再度口を開いた。
「なあ、リク」
「なに?」
「……男はやっぱり、大きい方がいいのか?」
「またそれ?」
正直本当に勘弁してほしいのだが……。
「どうなんだ?」
「だから、それは──」
答えようと振り返り、ナナの顔を見た途端に言葉が切れる。
本人は気づいているのか、いないのか。その手は服の裾をぎゅっと握り締め、瞳はふるふると揺れている。
「……まず最初に、これからいうことは怒らないで聞いてほしいんだけど……」
「や、やっぱり大きい方がいいんだな!?ぺったんこはダメなんだよな?!」
まだ何も言っていない。
「違う、そうじゃない。冷静に──は無理だろうけど、少しでも落ち着いて聞いてって意味」
「う……お、おう」
俺の言葉で少し自分を取り戻したのか、話を聞く姿勢に入ってくれたナナ。
しかし、やはり不安定なことには変わりなく、俺の言葉一つで容易くその心は決壊するだろうことは容易に見て取れる。
……えぇ、これ、本当に言わないとダメか?ダメだよね。ダメなんだろうなあ。
覚悟を──保健室とは違い本当に──決めて口を開く。
「俺にとってナナは、凄い魅力的な女の子だよ」
「………………はぇ?」
自分でも顔が赤くなっているのがわかる。
何が悲しくてこんなところで告白めいたことを言わなければならないのだ。しかも新しくできた友達に。その上大層キザなセリフで。
ナナはフリーズしてしまっているのか、まるで反応がない。
「……あの、ナナ。あくまで今のはナナがどう見えるかって話で、告白とかではないから安心してほしいんだけど」
「……」
「驚いてる気持ちはわかるけど、そろそろ再起動して欲しいな~って……」
「……」
「ナナ?」
返事がない。というか、そろそろ戻らないと本格的に時間がまずいし、幸い今は人通りがないけれどここは普通に廊下なので他の生徒が来る可能性もある。
と、その時。ナナの口から言葉が零れる。
「な……」
「な?」
「なっなな、ななな、なに言ってんだオマエーーーー!!!!」
「バカーーー!!!」という廊下に響き渡る絶叫とともにスカートを翻し、廊下に土煙が舞うほどの猛スピードでどこかへ走り去るナナ。
ダダダダダッ! という足音が、瞬く間に遠ざかっていく。
あっ、そっちは教室じゃ……、なんて止める隙もない。
残されたのは、顔を赤くした俺と、嵐が過ぎ去ったように静まり返った廊下の静寂だけだった。