選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
#EXTRAについては前配置とし、章分けをすることとさせていただきます。
「あのねえ……私、何て言ったかしら」
「日常生活に支障はない、ですかね」
「殴ったり、握りこんだりしてはダメ、とも言ったはずよね」
「そ、そうでしたっけ~……。その、俺が悪かったので無言で睨むのはやめてください」
メアとナナの美しい友情を見た翌日。俺はと言えばまたしても御門先生の診療所へやってきていた。
というのも、動物たちから逃げる際に──より正確に言うのなら、ナナの魅力に抗う際に──思いっきり力を入れた右手を診てもらう為だ。
「私の、というか医者が嫌いなもの、教えてあげましょうか?」
患部の治療を続けながら、御門先生が口を開く。
「何ですか?」
「治ろうとしない患者」
「……」
俺が気まずさから黙っていると、その指先が包帯の上から患部をグイ、と──明らかに意図的に──強めに圧迫した。
「いっっ!?」
「はい、おしまい。ホントならギプスでも嵌めたいところだけど、それをしたら日常生活に支障が出るでしょうから勘弁してあげるわ」
「それは……どうも……」
痛みに耐えながらお礼を言う。確かに禁止事項を破って悪化させたのは俺だけど、あれは仕方なかったのだと声を大にして言いたい。
「成瀬さん、怪我するのお好きなんですか?」
「それが好きな人間はそうそういないと思いますよ、村雨先輩」
少なくとも、俺は好きではない。
「一日で悪化させておいて説得力ないわよ」
「それは……やむを得ない事情が」
「刺されましたか」
「刺されてません!」
◇
そんなこんなで傷の治療をした翌日。今日こそは安静にして、怪我を治そう。そんなことを考えていたのだが……。
「ほらリク、口」
そう言って差し出された箸先はプルプルと小刻みに震えていて、おかずを落としそうだ。
「あの、ナナ?普通に使う分には問題なくて……」
「ほらほらリクくん、こっちもこっちも」
横に座るメアも、楽しそうに笑いながら手に持ったキャンディーを差し出してくる。だからそれ食べかけだろ。
「メアも悪ノリをしてないで止めて欲しいんだけど」
「…………」
ヤミさんに至ってはもはや視線は読んでいる本に注いだまま、トランスした髪を使って俺にたい焼きを押し付けてきている。
「無言でたい焼きを差し出すのは……いえ、いただきます」
勘弁して欲しい。というかナナ、君はそんなキャラじゃなかっただろ。
顔を真っ赤にするくらいなら別にやらないでいいんだ、昨日のことも責任を感じる必要はない。
「ナナ、昨日のことなら何も気にする必要は……というか、むしろ俺がお詫びをする立場というか……」
俺がそう言うと、ナナも昨日のあれそれを思い出してしまったのか、ただでさえ赤い顔を更に真っ赤にしてしまう。
(ま、間違えた……!)
「あ、あたしのせいで悪化させちゃったんだから……その、あたしが責任取るのは当然だろ!」
「いや、さっきも言ったけど普通に使う分には問題ないから。それに悪化したのは自業自得だからナナが責任を感じる必要は……」
言葉の途中で、眼前に箸が突き付けられる。その先端には、俺が今朝作った卵焼き。
「いいから!」
その勢いは、食べさせるというより「ねじ込む」に近く、俺は身の危険を感じて反射的に口を開いた。
「ど、どうだ」
「まぁ、美味しいよ」
だって、作ったの俺だし……とは、流石に言わないけど。
「そ、そっか……」
ナナは一瞬、安堵したようにへへと口元を緩ませると、すぐに照れ隠しのように次のおかずを摘み上げた。
「ほら、腹減ってるんだろ?次」
俺の言葉に満足したのか、先ほどよりかは落ち着いた様子で箸を差し出してくるナナ。
これは、食べ終わるまで解放されないやつだ。そう観念した俺は、おとなしく口を開く。
「あー!ナナちゃんばっかりズルい!あたしもあたしも」
言って、先ほどのようにキャンディを差し出し──突き出してくるメア。
「……メア、分かったからせめて新品にして」
結局、その日の昼食は肉体的には楽だけど、精神的には辛いという何とも奇妙なものになるのだった。
◇
「つ、疲れた……」
おかしい。確かに空腹は満たされたはずなのに、明らかに食べる前よりも疲弊している。
「あら、成瀬さん。随分と楽しいランチだったようですが、お疲れのようですね」
「どうも、モモさん。嬉しいと辛いは両立するって初めて知ったよ」
「嬉しかったことは否定しないんですね」
「そりゃあね。俺のためにやってくれたことだし」
俺がそう答えると、モモさんは一瞬だけ虚を突かれたように目を丸くし──すぐに、いつもの完璧な笑みを張り直した。
「……成瀬さん」
「ん、どうしたの?」
「先日はありがとうございました。結果的に無事だったとはいえ、ナナの為に」
動物たちのこと──では、ないだろうな。多分、トラックの方だろう。
「それこそ気にする必要ないよ。結局ヤミさんとララがいなかったら助かってたのかも怪しいし。それに、メアも──どうやったのかはわからないけど──助けようとしてくれてたみたいだし」
「それでも、成瀬さんがナナのためにやってくれたことには変わりません」
そう言った彼女の表情はいつもと違い、どことなく穏やかな印象を受ける。
……ナナはなんだかんだ言ってるけど、やっぱり姉妹仲はいいらしい。
「リク」
「はい?」
「リクでいいよ。いつまでも成瀬さんじゃ、どこか他人行儀じゃない?」
もちろん、モモさんが嫌じゃなければ、だけど。そんな言葉をつけ足して、彼女の様子を窺う。
「……ふふ、そうですね♪少し、考えさせてもらいます♡」
「即お断り!ってならない分、多少はお友達になれてるって考えてもいいのかな」
「どうでしょう?……でも、まあ。あなたのことは嫌いではないですよ♡」
「それは、嬉しいね」
と、二人で話していたその時。廊下の方から、何やら騒がし気な声が響いてくる。
「リコちゃ~ん!!!待って~!!!」
「あ!せんぱい待ってくださいよ~!」
「ちょ……メア!待てって!」
ちら、と廊下を見ると見覚えのない女子生徒──何故か男子の制服を着ている──を確か猿山と呼ばれていた先輩が追いかけている。次いで、それを更に追いかける形でララ、メア、ナナが追従していた。
そんな光景に少し呆然としていると、隣にいたモモさんが驚いたような声を上げ、同じように走り出した。
「あれは……リトさん!?待って下さ~い!」
一瞬の後、全てが過ぎ去り静寂だけが残される。
何故モモさんがあの女性をリト先輩と呼んだのかはわからないし、そもそもなんでナナたちがそれを追いかけていたのかもわからない。
わからないが、まあリト先輩だしそういうこともあるか……と無理やり自分を納得させる。
「いや、あるのか?本当に?」
「なにがですか?」
独り言を言っていた俺の背後から唐突に声がかかる。
「ヤミさん?」
「はい。何か悩んでいたようですが」
「いや、リト先輩の周りはいっつも何かしらのトラブルだらけだなって」
俺がそう言うと、ヤミさんはどこか迷惑げな表情──珍しい──をして、口を開く。
「結城リトのトラブル体質は最早異能の域に達しています。リクも、なるべく近寄らない方が身のためです」
リト先輩……優しいヤミさんにここまで言われるって一体何をしでかしたんだろう。
「そんなことよりもリク、この後は空いていますか」
「え、うん。
「なら、少し付き合ってください」
「いいけど……」
ヤミさんから何かを誘ってくるのは珍しい。直近で言えば、美柑さんへの紹介がそうだったけど。
「何するの?」
「約束したでしょう。とっておきをごちそうすると」
そういえば、
「じゃあ、ごちそうになろうかな」
折角ヤミさんが誘ってくれたのに、そんな無粋なことを言う必要もない。
「はい。行きましょうか、リク」
そう言って歩き出すヤミさんの背を追う。……しかし、ヤミさんは数歩歩くと、何かを思い出したように足を止めた。
「ヤミさん?」
不思議に思った俺が声をかけるも、返事はない。どうしたのかな、なんて思っていたら、ヤミさんはおずおずと右手を差し出してきて。
「……その、手を」
「……」
驚きのあまり、思わず言葉を失ってしまう。これまでもヤミさんと手を繋いだことは何度かあったが、それは全部その場の勢い……というと少しアレだが、要は意識して繋いでいたわけではない。
すると、黙ってしまった俺の態度を拒絶と受け取ったのか、ヤミさんが「すみません、なんでもありません」と言って手を戻そうとする。
俺は思わず──じゃなく、自分の意志で──左手を伸ばし、その手を。
「あ」
掴んだ。
◇
「あの、ヤミさん。おすすめのお店まであとどのくらいなのかな」
「も、もう少し、です」
「そっか……」
……き、気まずい。ヤミさんの手を取ったのはいいのだけど、なんだか変な空気になってしまった。心なしか、通り過ぎる人たちもチラチラと見ているような気がしてならない、というのは流石に自意識過剰か。
そんなことを考えていると、いつの間にか目的のたい焼きやへたどり着いたようだった。
「おっ!ヤミちゃん、彼氏と手なんか繋いじゃってラブラブだね~!」
「違います。いつものをお願いします」
「あいよ!」
いつもの。たい焼き屋ではなかなか聞かないセリフだ。
「はい、ちょいとオマケしといたから!」
「ありがとうございます」
「いいっていいって、うまくやんなよ!」
そういうのはせめて俺に聞こえないように言うものではないのだろうか。
いや、俺とヤミさんはそういう関係ではないのだけど。
「行きますよ、リク。これを持ってください」
そう言って、たい焼きの入った紙袋を手渡して──髪で、だが──くるヤミさん。
受け取って、右手で抱えるようにそれを持つ。
「ここから少し行くと公園があります。そこで食べましょう」
「ん、わかった」
言って、連れ添って歩き出す。公園は本当にすぐそこで、少し歩いたら着いてしまった。
空いているベンチを探し、二人で座る。……手は、握ったまま。
「リク、どうぞ。あそこのたい焼き屋は私のおすすめなので」
「いただきます」
言って、差し出されたたい焼きを口に含む。出来立ての温かさを保っているそれは程よい甘さをしており、サクサクの生地との相性が抜群の美味しさを演出している。
「美味しい」
俺がそう言うと、ヤミさんも自分の分を口に運ぶ。
沈黙と、たい焼きを齧る音だけが場を支配する。少し遠くで、リンリンと鈴虫が鳴いていた。
◇
たい焼きを食べ終えるのに、さほど時間はかからなかった。美味しかったから、というのももちろん理由の一つだが、お互い一言も発することなくただたい焼きを食べていたのだから当然だ。
……というか、ヤミさんはいつもあの量を一人で食べているのだろうか。
正直食べ過ぎて夜ご飯が入りそうにないのだけど、改めてヤミさんの健啖家ぶりを実感する。
「どうでしたか?」
「え、ああ。美味しかったよ、すごく」
「そうですか」
たい焼きも食べ終わり、会話もない。となると、残った一つに感覚が集中してしまうわけで。
小さく、冷ややかで、それでいて柔らかさを残した手。意識してしまった途端、なんだか手が汗で滲んできてしまったような気さえしてきてしまう。
……流石にそろそろ離した方が。いや、でも。そんな葛藤をしていると、ヤミさんから声がかかる。
「リクは」
「え!あ、いや。なに?」
「リクは、何故私に構うのですか?」
その質問に、浮ついていた思考がガツンと殴りつけられたような気がした。
「それは──」
友達だから。便利な言葉だ。
困っていたら助ける。友達だから。
頼みは聞いてあげたい。友達だから。
笑顔でいてほしい。友達だから。
でも、それは。
「俺にとって、ヤミさんは──」
ヤミさんがじっとこちらを見ている。
手を握る。存在を感じる。俺がいて、君がいる。でも、俺は──。
「
そう言った瞬間、彼女の手がぴくり、と震えた気がした。
ヤミさんは一瞬目を伏せると、何事もなかったかのようにこちらを見つめる。
「そう、ですか。分かりました。ありがとうございます」
ヤミさんはそう言うと「もういい時間ですし、帰りましょう」と言って立ち上がる。
その顔を見て、思わず声が出てしまう。そんな資格はないのに。
「ヤミさん──」
「今は、それで。でも──」
いつかは。そんな言葉が聞こえた気がした。