選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
ヤミさんとたい焼きを食べてから数日。右手の包帯もようやく外れ、いつもの日常が戻ってきた頃。
俺はと言えば、一人で少し物思いに耽っていた。
「なんで構うの、か」
友達だからだ。そう思ってたし、思ってる。
好きだ、と言うのは簡単だ。言うだけなら。でもそれは、相手の全てに責任を持つことだ。
でも、あの時俺は──。
「う~ん、よくない。実に」
ぐるぐると考えが頭を巡り、自分の思考が迷宮入りしているのがわかる。
こんな時は──。
「走るに限るな」
先送り、ともいう。
ランニングウェアに着替え、水筒を用意したらあとはひたすらに走る。
無心で──ひたすら──まっすぐに──走って──。
「どこだ、ここ?」
ひとまず心が戻ってきた時。
今度は逆に、体が見知らぬ場所に来てしまっていたようだ。
◇
「まずったな……。とはいえ、そう遠くには来てないはずだけど」
そんなことを呟きながら、適当に歩き回る。迷子はその場から動いてはいけないというのが鉄則だが、それは迎えがいる時の話。俺は自分で帰らなければいけないのだ。
のだが。
「どうしたもんかな。最悪、電話して誰かに来てもらうのも一つの手ではあるけれど……」
とそんなことを考えている時。一人の少女の姿が目に入る。
長く伸ばされた黒髪に、同じく黒一色のワンピースを着た
迷子……にしては、少し様子がおかしい。
が、放っておくわけにもいかないので声をかける。
「君、どうしたの?」
俺の声を受け、少女が振り返る。その瞳はどこか妖しげな光を宿しており、気を抜くと吸い込まれそうな錯覚さえ受ける。
「もしかして迷子?や、実は俺もで──」
さ──と、続けようとした言葉の先は俺の口から紡がれることはなかった。何故なら。
「なんだ、存外普通だな」
「──君、誰?」
「私が誰か、か。そんなもの、お前にとってはどうでもいいのではないか?」
楽し気に、からかうように、品定めするように。色々な意味を持った視線をこちらへ向けながら、少女が話す。
「大事なのは私が誰かではなく、私が
聞いたことのある言葉。当然だ、だって俺が言った言葉なのだから。
そして、それを知っているのはあの場にいた人間と──。
「謎の声さん、で合ってるのかな」
「む、つまらんな。もっと恐怖で慌てふためくかと思ったが」
「心底びっくりしてるさ。驚きすぎて足も動かない」
「その割には、反応が面白くないがな」
驚いているのは本当だ。ヤミさんを狙う──で合っているのかはわからないけど──謎の声の正体が、こんな少女だとは思いもしなかった。
「理解しているのか?今貴様が生きているのは、ただ運がいいからだ。私がその気になれば、認識すらさせることなく貴様の首を落とせるのだぞ?」
「それならなおさら、警戒する意味がないよね。したって意味ないんだから」
「ほお……虚勢かと思いきや、本当に怖がっていないな、貴様。いや、恐怖はある。だが死に対してではない。ただの蛮勇か、それとも──」
そう呟いた彼女は、瞬きの隙に目の前に迫ると──。
「──覗かせてもらうぞ、貴様の裡を」
氷のように冷たい指先が、俺の額に触れた。
◇
──夢を見ている。
「──大学に現役合格って、流石だな」
「楽勝って感じ?やっぱ持ってるものが違うよ」
──違うな、ここではない──
ページを乱雑に捲るように、脳内の風景が強制的に切り替わる。その度に、頭の芯が痺れるような不快感が走る。
「この間の案件、お前のおかげで助かったよ」
「部長も褒めてたぜ。こりゃ、抜かされる日も近いな」
──こんなものに興味はない──
ノイズが走る。声がよく聞こえない。早送りされたビデオのように。
「お相手、いい人らしいじゃない。お母さんも鼻が高いんじゃないの?」
「こんな立派な子がいて羨ましいわ」
──次だ──
違う。俺は。わたしは。
「あなたは優しいけど、誰にでもそうなのよ」
「それって、誰にも優しくないのとどう違うの?」
──ここだ──
その声と共に、早送りだった景色が急停止する。ノイズが晴れ、色彩が戻り、当時の空気の匂いまでもが鮮明に蘇る。
彼女と出会ったのは、現代にしては珍しくお見合いによるものだった。
話を持ってきたのは上司だった。珍しいが、なくはない。そんな話。
断ることも出来た。だが、俺は断らなかった。そしてそのまま、俺は彼女を好きになることが
彼女は良い人だった。笑顔が可愛く、家事も出来、お互いを愛している──と、思っていた。
いや、彼女は確かに俺を愛してくれていた──の、かもしれない。愛していなかったのは俺の方なのだ。
だから、彼女は、そして俺は──。
◇
バツン、と音を立てて思考が戻る。
同時に、胃の腑を直接鷲掴みにされたような強烈な吐き気が込み上げ、俺は膝から崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。
周囲を見ても、先ほどと何ら変わらない光景が広がっている。
「なるほど、なるほど。そういうことか。お前が死を恐れないのは、知っているからだ。お前が愛を恐れるのは、知らないからだ。いいな、実にいい。お前、壊し甲斐がある」
そう告げる少女の顔は、無邪気な笑顔の形をしている。しかし、その瞳の奥には蟻の行列を踏み潰す子供のような、純粋で残酷な歓喜が渦巻いていた。
「お前を壊して下僕にし、その様を金色やお前の友人に魅せつけたらどんな表情をするのだろうな?お前が心の底で抱えている空虚さを、ヤツらは知らんのだろう?」
ぐらぐらと回る頭を、かぶりを振って何とか立て直す。気持ち悪い。脳みそをシェイクされたみたいだ。
「……空虚、ね」
嫌なことを思い出させてくれる。死の瞬間の次に見たくない景色だ。
──あなたは──
(違う。今、大事なのは、そこじゃない)
湧き上がってきた記憶を思考の外に追いやる。少女は、未だ楽しそうに笑いながらこちらを眺めている。
「一度死んでいるだけでも面白いが、死んだくせに生きているフリをしているのが一番面白い。最初は貴様を始末してダークネスを発現させられないかと思っていたが──やめだ。どのみち貴様では金色の闇は変えられん。ならば、ゆるりと待てばいいだけの話だ」
「生きてるフリ、とは随分だね」
「だが、事実だ。他でもない貴様がそう思っているのだから」
随分と、楽しそうに言ってくれる。
……違う、と声高に言えない時点で俺がどう思っているのかなんてのは明らかだった。
「くく、なんだ。いい顔もするじゃあないか。そら、受け取れ」
そう言って彼女は何かを投げつけてくる。
これは……俺の携帯!?
投げ渡された携帯の画面が光る。そこには、勝手に登録された『ご主人様(予定)』というふざけた名前と、真っ黒な猫のアイコンが表示されていた。
「私の直通だ。泣いて喜べ、それを知るのは貴様で二人目だ」
「いつの間に……!?」
「は、言っただろう?貴様は私の下僕にする。その気になったら連絡するがいい」
「そんな日は、来ない」
「どうかな」
少女はそれだけ言うと楽しそうに笑いながら溶けるようにして消える。
まるで、最初からそこには何もいなかったかのように。
しかし、俺の手の内で光る画面に表示された「ご主人様(予定)」という文字が、先程の出来事は夢でもなんでもないということを証明していた。
◇
あの後、どうやって家に戻ったのかは正直よく覚えていない。
勝手に登録された番号も、何故か消そうとしても消せなかったし、登録名を変えることすらできなかった。
ベッドに横になりながら、彼女の言葉を反芻する。
「はぁ……キッツい……」
久々に思い出した。
「蓋をしただけ、ともいう」
頭の整理をつけるために走ったのに、その先で特大の爆弾を爆発させられた。そんな感じ。
──俺は誰だ。
成瀬凌空。彩南高校の一年生で、ヤミさんやナナ達の友達。
──生きているフリが上手いなあ──
本当に「そう」なのか。それとも「そう」演じているだけなのか。俺は俺を信じられない。
俺を信じられないけど。
──リク──
脳裏に蘇る、ヤミさんの声。
そして、右手に残る美柑さんの弁当の重みと、左手に残るナナの体温に、つついてくるメアの手の感触。
「俺を信じられなくても、みんなは信じられる」
少なくとも、今はそれで。
◇
なんて、シリアスな風に締めたけど。
「遅いぞ、私の電話にはワンコールで出ろ。それが下僕の務めだ」
「なった覚えはないし、あんな意味深に消えたくせにすぐかけてくるのってちょっとどうかと思う」
「知ったことか。ヒマだ、何か面白い話でもしろ。そうだな……お前の
「する義理も義務もない。切るぞ」
「切ってもいいが、そうなったらかけ続けるだけだ。今私はやることもなく退屈だからな。片手間にコールするくらいならいくらでもできる」
「お前、性格悪いだろ」
「今更気づいたのか?」
マジでこいつどんな神経してたらあの数時間後に電話かけてこれるんだ?
「ほら、私はどっちでもいいぞ。話すか、話さないか」
「……はぁ、一つ話す。聞いたらさっさと切る。二度とかけてくるな」
「勘違いするなよ、貴様に命令権はない。わかったら話せ」
「……別に、よくある話だよ。小さい頃から人より要領がよかった。何事も。褒められるのが嬉しかった。期待に応えればみんなが喜んだ。だから、それを支えにしたバカが一人いた。それだけの話」
「つまらん」
「は?」
こいつわざわざ人のトラウマ穿っておいて言うに事欠いて「つまらん」の一言で終わらせる気か?
「もっとこう、ドロドロした話はないのか」
「ない。あっても話すわけないだろ」
こいつなんでこんな馴れ馴れしいんだ。普通に考えて敵同士なわけだけど。
「ま、今日のところはこの辺で勘弁してやるか」
「二度とかけてくるな。……いや、待て」
「ん?なんだ?下僕になりたくなったか?」
「なるわけないだろ。お前の番号、削除も編集もできないんだけど、何をしたんだ」
「言うと思うか?」
「思わない」
思わないけど、聞くだけならタダだ。
「まぁ、今日は切る。次からはちゃんとワンコールで出ろ。さもないと、どうなっても知らんぞ」
その言葉を最後に、電話が切れる。
残されたのは消せない番号に、忌まわしい通話履歴。
そして、これからもかかってくるであろうという現実だけ。
「噓でしょ……」
手に持っている携帯電話が急に呪いの装備に見えてきた。
勘弁してくれ、本当に。
そんなことを思いながら、ベッドの上に体を投げる。
……ヤツからの電話が来る前より、気が楽になっているのは何かの気の迷いだ。きっと。
自分にそう言い聞かせながら、いつの間にか眠りに落ちていった。