選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
時の流れというものを実感します
「わ、本当にくっついてる」
リト先輩の家へ上がった俺たちを最初に出迎えたのは、どこか胡乱な眼差しをした美柑さんのそんな一言だった。
「なんて言うか……そんなところまで似なくてもいいんじゃないですか?」
「誰にかはあえて聞かないけど、わざとじゃないことだけは主張しておく」
「まあ、そうなんだろうけどさ……」
小さくため息をつきながらも、夕食の準備を進めるその手は休むことなく動き続けている。
前にも思ったけど既に熟練だな……。
「ごめんね、こんなじゃなければ手伝えたんだけど」
モモさんの左手と繋がれたままの右手を軽く振って美柑さんへ謝罪する。振った反動で、モモさんが小さく「わ」と声を零した。
「ま、しょうがないですよ。それより、お風呂とかはどうするんです?」
「俺としては、一日程度なら我慢できるけど……モモさんは?」
「私は……我慢できなくはないですが、できれば汗くらいは流したいですね。今日は結構暑かったですし。とはいえ、この状況では仕方ないですね」
言って、扇ぐように右手をパタパタと揺らすモモさん。よく見れば、ほんのりと湿った髪が肌に張り付いているのが見える。
言っている通り今日はそれなりに暑かった──というかゲームに熱中しすぎた──こともあり、俺も彼女もそれなりに汗をかいている。
特に、何時間も密着し続けている掌の間はお互いの熱と汗でじっとりと湿っており、正直に言えばかなり気持ち悪い。
しかし、流石に一緒に入るのはいくらなんでも──と考えていると、キッチンに新たな声が響く。
「あ、リクとモモ!ごめんね~、私の発明品のせいで迷惑かけちゃって……」
「あら、お姉さま。いえ、私の不注意のせいですので」
「まぁ……悪気があって作ってるわけではないのだし」
手を立てながら謝罪をしてきたララへ返事を返す。モモさんも言っているが、今日のこれは事故のようなものだ。誰が悪いわけでも──強いて言うなら俺とモモさんだ──ない。
「そう言ってくれるなら嬉しいけど……。ところで、何の話してたの?」
「お風呂とかどうしようかって」
「ん~、確かに二人で裸になるわけにはいかないもんね」
「そういうこと」
俺の言葉を受けて、ララがうんうんと唸る。唸ったところで解決策が出るとは思えないけど、真剣に考えてくれているであろうことは伝わってきた。
そのことに少し嬉しくなっていると、何かを思いついたらしいララが「あ!」と声を上げた。
「ねえモモ、姿が見えなければ問題ないよね?」
「え、ええ。まあ、絶対に見えないのでしたら最悪は……」
「じゃあ、ほらこれ!私とリトがくっついちゃった時にも使ったんだけど、これを被れば視界も匂いも遮断してくれるんだ」
そう言いながらヘルメットのような何かを取り出すララ。
「くらくらダークくん!」
「くらくらダークくん」
なかなかとんでもないネーミングセンスだ。分かりやすさという意味ではピカイチかもしれないが。しかし今はそれよりも。
「それを被れば何も見えないし、匂いもしないって本当?」
「うん!実際にリトが使ったこともあるし」
「なら大丈夫──本当に?──いや、まあ一応大丈夫か」
あくまで俺は、だが。一番大事なのはモモさんの気持ちなのだ。
「見えないし、匂わないらしいけど、どうする?」
「そう、ですね。正直かなりベタついているので入れるのなら入りたいです。……お姉さまの発明なら、まぁ効果は確かでしょうし」
「……モモさんがいいのなら、俺はそれで」
正直、意外だ。いくら見えないし匂わないとはいえ、一緒に風呂に入るという事実は変わらないわけで。
ぶっちゃけモモさんがOKするとは思っていなかった。
そんな時、夕食の準備も一段落ついたのか美柑さんが「入るのはいいとしても、どうやって洗うの?」と声をかけてくる。
「確かに、片手で洗うのは結構難しいね。俺は……まあシャワーなりで汗を流せればいいけど」
「私は、やはりせっかくならちゃんと洗いたいですね。……そうですね、リトさんに頼んで──」
と、モモさんが案を口に出そうとした時。
「ダメに決まってんだろ!」
「あらナナ。いたの?」
「いちゃ悪いか?」
「そんなこと言ってないじゃない。悪い癖ね、やめた方がいいわよ」
「余計なお世話だよ!……じゃなくて、あのケダモノと一緒に風呂なんて自殺行為だろ」
リビングで聞き耳を立てていたのか、リト先輩の名前が出た途端にナナが乱入をしてくる。
酷い言われようだが、まあ確かにお風呂場にあの人を配置して無事で済むとは思えない。そうでなくても滑るのに。
しかし、そうなってくるとやはりシャワーで簡単に汗を流すくらいに留めておくのが無難だろう。数日それ、と言うのは少しキツいが一日程度であればまあ我慢の範囲内だ。モモさんも納得してくれるはず。
そうと決まれば二人にも伝えて──「あたしが洗ってやるって言ってんだ!」──……空耳かな?
「あ、あらナナ。随分と大胆なのね……?」
「……?ッ!ば、バカお前!洗うのは
そういう問題でもないと思うのだが。視覚と嗅覚が遮られているとはいえ、逆に言えばそれ以外はそのままなわけで。
二人でシャワーを浴びる程度ならともかく、しっかり洗うとなるとまた別の問題が発生するのでは。
あと単純に三人では狭いんじゃないだろうか。
「あの、ナナ」
「なんだよ」
「流石に三人だと狭いんじゃないかな」
俺がそう言うと、ナナはつんと目を吊り上げて声を荒げた。
「そんなにモモと二人っきりがいいのか?」
「そうは言ってないねえ」
どうやらナナは以前のごとく混乱しているようで、自分の中で出した結論に向かってひた走ってしまっている。
こうなってしまうともうダメだ。俺が何を言ったところでナナは止まらないし、止まったとしてもその後のケアも大変だ。俺にできることと言えば心を無にして激流に身を任せることくらいである。
結局モモさんも反対する素ぶりを見せず、そのまま三人で風呂に入ることになってしまう。
そうして脱衣所へ向かう前。
美柑さんが「やれやれ」とでも言いたげな表情で額を抑えている様子が酷く目に残った。
◇
「今更だけど」
「どうしました?」
「
頭には妙なヘルメット、腰にはタオルを巻いているというどこからどう見ても珍妙な格好でお風呂場に立っている俺。
リト先輩の家の浴室はそれなりに広いようで三人で入ってもすし詰め状態にならないことだけは不幸中の幸いというべきか。……服はどうあがいても脱げなかったので、裁断することになった。一応、元通りにはなるらしいけど。
くらくらダークくんの方も効果自体は本物らしく、今の俺は何も見えないしシャンプーや石鹸の匂いなども全くわからない。
「お姉さまが渡してきたということは大丈夫ということでしょう」
「そんなことより、本当に見えてないんだろうな?」
「うん、何も見えない。すごいね」
目を覆っているわけでもないのに何も見えない、というのはどういうことなんだろうか。仕組みがさっぱりわからない。
「ならいいケド……」
浴室にナナの声が反響する。どこかじっとりとしたその声を聴いていると、何故かこっちが悪いことをしている気分になるのだから不思議だ。
「ナナ、自分から入ってきておいてその言い方はどうなのかしら?」
「うっさいな、リクが気にしてないならいいだろ。そもそもお前が我儘言わなきゃこうなってないんだから」
「私は別に「洗ってほしい」なんて頼んだ覚えはないわよ」
「ああ言えばこう言う。風呂に入る話に決まってるだろ」
止まらぬ言い合い。喧嘩するほど仲がいいとは言うものの、時と場合を選んでほしいのも本音で。
「あの、二人とも。できれば早めに済ませて上がりたいんだけど……」
「う……それもそうだな」
「全く、あなたが妙に突っかかるから」
「はい、そこまで。ほらナナ、早く洗ってあげて」
放っておいたらいつまでも言い合いをしていて終わらなそうなので仕方なしに仲裁し、壁に手をついて腰を下ろす。
右手を通じて、少し遅れてモモさんも同じように座り込んだ感覚が伝わってきた。
「じゃあほら。洗ってやるから動くなよ」
「ええ、お願いね」
そんな短い会話の後、しゃこしゃことタオルで体を擦る音だけが静かに響き渡る。
ナナが動くたびにモモさんの体が小さく揺れ、その振動が繋がれた右手に伝わってくる。
ぴちょん、と右手に泡が跳ねた。
……気まずい。当たり前だけど。
「なあリク」
そんなことを考えていると、不意にナナから声がかかる。
「えっ!?あ、いや。なに?」
「何そんなに慌ててるんだ?……なんかヘンなことでも考えてたんじゃないだろうな」
「まさか」
「どーだか。……まぁ、いいや。それよりなんでこんなことになったんだ?」
「それは──」
ナナへ昼休みにあった出来事を説明する。といっても、モモさんの落とした道具を拾ったらこうなってしまったというごく簡単な説明だが。すると──。
「やっぱお前のせいじゃんか!」
「こ、これは事故みたいなもので」
「大体、なんでそんなもの学校に持って行ってるんだよ。危ないからって仕舞っておいたはずなのに」
「そ、それは~……」
「どーせまたロクでもないこと企んでたんだろ。自業自得だ」
反論ができないのか、ナナのくせに……とぼそりと呟きながら言われるがままのモモさん。
そうこうしているうちに洗い終わったようで、「流すぞ」という言葉のすぐ後にシャワーの音がすぐ横から聞こえてきた。
「ほら終わったぞ」
「ありがとナナ」
「……入る時も言ったケド、洗うのはモモだけだからな。リクは自分で洗えよ」
そう言って「ほら」と──何も見えないので恐らく、と頭につくが──シャワーヘッドを差し出してくるナナ。自分で流すことに異論はないのだけど……。
「いや、ほらと言われても何も見えないんだけど。出来れば手に渡してくれると嬉しい」
「んなもん手探りで分かるだろ」
「この状況で手探りはもう自殺行為なのでは?」
俺にセクハラをしろと?そんなことを思っていると、俺の言わんとすることに気が付いたのかナナが焦ったような声を上げた。
「は?何言っ…………て!?そ、そうだナ!変なところに当たっても困るもんな!じゃなくて変なところ触るなよ!」
「だから手に置いてと言っているのだけど……」
「……わかったよ! ほら、手!」
ナナの細い指が乱暴に、けれど慎重に俺の左手首を掴み、その手のひらへ温かいシャワーヘッドを押し付けてくる。
風呂場なので当然だが少し濡れた彼女の指先は熱を帯びていて、目が見えない分余計にその温かさを感じてしまうようだった。
「ちゃんと握ったか?離すぞ」
「うん、ありがとう」
ナナへ礼を言い、シャワーで体を流す。その際、ぐいと右手が引っ張られる感覚がしたかと思えばそのすぐ後にちゃぷん、と湯舟の揺れる音が聞こえた。多分、洗い終わったモモさんとナナが湯舟に入ったのだろう。
欲を言えば俺も湯につかりたい気分ではあるが、片手では体を流すことしかできない──というかそもそも一緒に入れない時点で無理──のでしょうがないと諦める。
まぁ、一日くらいなら別に死ぬわけでもないし。
「成瀬さんは本当に入らなくていいんですか?」
「ま、しょうがないでしょ。湯の外で待たせるわけにもいかないし。汗は流せてるけど洗えてないからそこまで綺麗でもないしね」
話しながら体を流すが、当然流すだけしかできないのですぐに終わる。文字通りの行水だ。
「あ、シャワー止めて大丈夫だよ」
「ん?もう終わりか?」
「流すだけだからね」
「……ふーん。ま、まあ、お前がそれでいいならいいけどサ。……風邪ひくなよ」
そんな言葉と共に、キュッという音が鳴り流れたままだったシャワーが止まる。
右手の先だけに感じる湯の温かさが、何とも言えない寂しさを感じさせる気がした。
◇
結局、その後も大きなトラブルはなく何とか風呂場を後にした俺たちは着替えや夕食を済ませて後は寝るだけ、となっていた。
服についてはペケ──これ……この子?もララの発明品らしい──というロボットを借りることで何とか着ることに成功し、夕食についても慣れない左手で苦労はしたものの、美柑さんやナナが手伝ってくれたおかげで何とか普通に食べることができた。二人には感謝してもし足りない。
さて、そんなこんなで激動の一日もようやく終わりが見えてきたというわけで。
「あ、モモさんリクさん。布団の準備終わったよ」
案内された和室には、二組の布団が隙間なく、それこそ一枚の大きな布団のようにぴったりと並べられていた。
……まあ、手が繋がっている以上、こうするしかないよな。
「ありがとうございます美柑さん」
「重ね重ねごめんね、迷惑かけちゃって」
「いいんですよ。困った時はお互い様ですから」
そう言うと、おやすみなさいとだけ言い残して美柑さんも自分の部屋へと上がっていく。残されたのは、手の繋がった二人と同じく密着した布団だけ。
「……まあ、悩んでいても解決しないし。とりあえず寝ようか」
「それもそうですね」
言って、二人で横になる。当然、俺が左でモモさんが右だ。……今思ったけどこれじゃあ寝返りも打てないのか。
しかし、時間はもう既に深夜と言ってもいいほどで、モモさんの言葉が確かならそろそろ外れてもいいはずの頃合いだ。あと少しの辛抱、と言ったところだろうか。
そんな風に眠りに落ちるのが早いか、手が外れるのが早いかと考えていると、ふとモモさんが口を開いた。
「今日は──」
「うん?」
「今日は、すみませんでした。私の不注意でご迷惑をおかけして」
「ああ、いや。気にしないで……って言っても無理か。まあモモさんには前に助けてもらったし、この程度なんとも」
「そう言っていただけると助かりますが」
ちらり、と目線を横にやると、夜の薄闇の中でこちらを見るモモさんと目が合った。その瞳は、なんだかいつもと違って少し沈んでいるようにも見える。……暗いせいだろう、きっと。
会話は途切れ、何とも言えない沈黙が場を包む。繋いだままの右手だけがやけに熱く感じた。
耐えきれず、つい口を開いた。
「むしろ、謝るのは俺の方かな、って」
「成瀬さんが?何故?」
「モモさんは……リト先輩のことが好きでしょ?」
「は?え、ま、まぁ。……って、成瀬さんにお話しした覚えはありませんが?」
少し驚いたように目を見開くモモさん。まぁ、確かに言われてはいないけど。
「そんなの、見てればわかるよ」
「はい!?」
「まぁ、そこは置いておいて」
「置いておけるようなものではないのですが……まぁ、そう言うのなら」
渋々、と言った様子のモモさんを横目に話を続ける。
「好きな人がいるのに、そうじゃない異性と一日手を繋いで過ごす、なんて。正直たまったもんじゃないって思っても無理ないなって。だから、ごめんね」
「……いえ。最初にも言いましたが、私の不注意のせいですので」
頑なに自分の非を譲ろうとしないモモさん。まぁ、道具を持ってきたのは彼女で落としたのも彼女なので、事実としてはそうなのかもしれないけど。
「俺さ、モモさんのこと凄いと思ってるんだ」
「急に何ですか?」
「誰かを本気で好きになること。好きだと思えること。それって、俺にはよくわからないから」
「本当に、なんです?あなた、そんなこと言う人でしたか?」
確かにらしくないことを言っている自覚はある。と言っても、らしくないのは
「俺だって……まぁバカじゃないからさ。自分が憎からず想われてることはわかるんだ。でも、それに返す気持ちが分からない。俺は本当に好きなのか。好きと言われたから鏡のように返しているのか」
「……」
「ま、色々言ったけど。つまり俺はモモさんを尊敬しているってこと。だから、今日の事故もそんなに気にしないで大丈夫だよ」
何が「だから」なのかは自分で言っていてもよく分からないが。
「今日はもう寝ようか。おやすみ、モモさん」
そう言って、目を閉じる。薄闇の中にあった視界は完全な暗闇になり、右手の熱とすぐ隣のモモさんの呼吸だけが聞こえる。
そうして少し過ぎた後。ふと、声が聞こえた。
「成瀬さんは」
「うん?」
「成瀬さんはナナやヤミさんのことが好きではないんですか?」
「二人のことは好きだよ。二人だけじゃない。モモさんも、リト先輩のことも好きだ。でも、これは友愛であって愛情じゃない」
我ながら酷いことを言っているな、と思いながら返事を返す。
「それでいいんじゃないですか?」
「え?」
「好き、なんて一言で言っても色々な種類があります。それこそ、本人にだってわからないくらい。成瀬さんは、例えばナナと二度と会えないとなったら受け入れるんですか?」
二度と会えない。ナナに。
「それは、嫌だね。凄く嫌だ」
「じゃあ、それでいいんですよ。今はきっと」
それは。
「そういうものかな」
「そういうものです」
なんとも都合の良い考え方な気もするが。
そんなことを考えていると、パッと右手から熱が離れていく。それは、つまり。
「あ、外れた」
「やっとですか、長かったですね」
言いながら、右手をさする。半日繋がっていた相手がいないとなると、なんだか妙な喪失感が右手を襲ってくるな。
「寝る前に外れたし、俺はリビングで寝るよ」
「そんなわざわざ。あれでしたら、少し布団を離せば」
「大丈夫大丈夫。あ、それよりもさっきのことは秘密にしてね。分かってると思うけど」
ひみつ、と口に指をあてておどけて見せる。
モモさんもこれ以上は言っても無駄だと思ったのか、小さく息を吐くと口を開き返事を返した。
「ええ、それはもちろん」
モモさんはそこで言葉を切ると、少し悩んだ素振りを見せてから再度口を開いた。
「……それから、以前にも言いましたが「モモ」でいいですよ。今度は、本当に。
「……うん、おやすみ。モモ」
言って、部屋を出る。
背後から小さく「変な人」という呟きが聞こえた気がした。