選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
難しいですね
「ほら、ちょっと待って。口についてる」
言いながら、みたらし団子を頬張っていたネメシスの口の端を拭う。指先に伝わる唇の柔らかさと冷たい肌の感触。そして、絡みつくような甘い香り。
対するネメシスはと言えば、どこかにやにやとした表情でされるがままとなっている。
「くく、随分と献身的だな」
「……」
「まあいい。ほら、次はあれだ。行くぞ」
言って、俺の手を取り歩き出すネメシス。
何故俺がネメシスに対してこんなことをしているのか。その理由を話すには、少しばかり時間を巻き戻す必要があった。
◇
最近の俺にしては珍しく、一人で街を歩いていた時のこと。適当な出店でたい焼きを買ってベンチに座り食べていると、懐に忍ばせていた携帯電話から着信音が鳴ったのだ。
誰からだろう。そんなことを思いながら取り出すと──。
「……げ」
画面に燦然と輝いていたのは「ご主人様(予定)」の文字。
……無視したい。無視していいだろうか。無視しよう。
「とは、いかないよな……」
はあ、とため息をついて通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。すると、すぐさま電話口から──非常に不本意ながら──聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「おお、今日は早かったじゃないか」
「それで、何の用」
「この間の約束を果たしてもらおうと思ってな」
この間──メアの居場所を教えてもらう時にした約束のことだろう。
──俺の
「…………はぁ……わかった」
「それでいい。じゃ、前に遊んだゲームセンターに来い。いいか、すぐだぞ」
「は?いや、電話で十分──切れてるし」
わざわざ顔を突き合わせて話す必要はないだろ。しかも俺から出向く必要はもっと。
……。
「行くか……」
食べかけのたい焼きを口へ放り込み、携帯をしまって腰を上げる。足取りは重くて仕方なかった。
◇
「お、来たな」
「来たくなかったけど」
「そうは言うが、お前は来た。それが全てだ」
「……もうそれでいいよ」
待っていたのは、以前着ていた黒のワンピースとは違い黒いミニ丈の着物を着ているネメシス。帯の位置が高く、華奢な腰のラインが強調されている。
「で、ここで話すの?」
「まさか。ここは面白いが騒がしい。場所を移すぞ」
「……じゃあ最初からここじゃなくてよかっただろ」
「何か言ったか?」
「なにも」
言って、前を歩くネメシスについて歩く。ネメシスはといえば、いつの間にかどこからともなく取り出したみたらし団子を頬張っていた。
「お前、それまた偽札で買ったんじゃないだろうな」
「安心しろ、これはちゃんと買ったものだ」
「どうだか」
そんな話をしているうちに適当な場所についたようで、ネメシスは小さく「ここらでいいか」と呟いて足を止め「ほら、座れ」とベンチを指さした。
その態度にムカつきはするが特に断る必要もないので素直に座る──と、何故か俺の膝の上へとネメシスが腰を下ろした。
見た目通りの子供のような軽さと、ひやりとした冷たい感触が太ももに伝わってくる。
「邪魔なんだけど」
「別に重くはあるまい」
「重くなくても邪魔だよ」
「気にするな、私は気にしない」
言いながら、ぐりぐりと体を押し付けてくるネメシス。……猫かなにかか?こいつ。
そのままネメシスはぐい、と伸びをして再度口を開く。
「さあ、そろそろ聞かせてもらおうか」
首を後ろに傾け、覗き込むように話すネメシス。
「話す、と言ってもお前は俺の過去については大体知ってるだろ。今更何が聞きたいんだ」
「そうだな、死の感覚など色々聞きたいことはあるが……。やはりあれだ、結婚していた相手。お前のような人間が何を思って愛を宣っていたのか」
相変わらず嫌なことを聞いてくる。本当なら絶対に話すことなどないのだが、悔しいことにこいつとは約束をしてしまっている以上話さないわけにはいかない。
「……俺と彼女の出会いについては話す必要はないよな」
「ああ、見合いとかいうシステムだったか」
「そう。それで出会ってそのまま結婚した俺たちは、暫くの間はうまくいっていた」
思い出す。彼女の笑顔を。自分の笑顔を。放った言葉を。
「彼女は俺を愛してくれていた……と、思う。俺もそのつもりだった」
「だが、そうではなかった」
そうだ。
「俺は彼女を愛していなかった。……とは、少し違うか。
そう、思っていた。
「周囲からは理想の夫婦だと言われた。彼女も幸せそうに笑っていた。……俺も、そう思っていた」
自分の心なんて、この世で最も簡単に騙せるものとも知らずに。その結果が──。
「『あなたは誰にでも優しい』だったか?酷い女じゃないか」
ネメシスの言葉と共に、あの日の彼女がフラッシュバックする。悲しそうな、寂しそうな顔をしている彼女。
「それは、違う。絶対に」
膝上に乗っているネメシスを抱く腕に思わず力が入る。ネメシスは痛がる素振りも見せず、小さく「うぅん」と呻いた。
──違う、こいつが聞いたのはそれじゃない。
「俺がどういう気持ちで愛を言っていたか、だったか」
「おお、そうだ。それを聞いていたんだったか」
「答えは
「……ふぅん?」
みたらし団子を食べ終えたネメシスが残った串を指先から滲む黒い粒子で粉々に分解しながら口を開く。
「わからない、と。自分の心が」
「自分の心なんてこの世で最も難解なものの一つだよ。俺は、確かに愛してるつもりだった。でも彼女にとってはそうじゃなかった。どうやら俺は誰でも愛することができてしまうらしい、としかわからない」
「誰でも、か?」
「らしいね。これが俺の答えだ。満足?」
俺の言葉を聞いたネメシスは小さく「なるほど、ならば……」と呟くと、少し勢いをつけて俺の膝上から飛び降りた。
そのままこちらに振り向き、何やら楽しそうな笑みを浮かべて口を開く。
「じゃあお前、今日は私とデートしてみろ」
「…………は?」
◇
と、そんな意味不明な提案をされた俺は何の気の迷いかそれを受けてしまい、結果としてネメシスと一緒に街を歩いている、というわけだった。
──何故受けてしまったのだろうか。こんな意味不明な提案を。
「──い、おい!この私を無視するとはいい度胸じゃないか」
「ああ、いや。ごめん、ちょっと考え事」
言いながら、騒ぐネメシスの頭をポンポンと軽くあしらうように撫でる。
絹のような手触りの黒髪が梳いた指の間をさらさらと流れていった。
撫でられたネメシスはと言えば、気持ちよさそうに目を細めている。
「ふぅん、中々いい手つきじゃないか」
「そりゃどーも」
投げやり気味にそう答えると、ネメシスは俺の腕を引いて再度前を歩き始める。
「さて、次はあれだ」
「まだ食べるの?」
「当然」
にやり、と笑ってクレープのキッチンカーへ向かっていくネメシス。
ヤミさんといい、メアといい、
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
「そうだな……この「べリーローズミルフィーユ」というのをもらおうか」
「かしこまりました、お連れの方はいかがなさいますか?」
「あ、俺は大丈──」
「こいつも同じのだ」
言いながら、ネメシスが俺の腕にギュッと自身の体を押し付けてくる。
店員は「あらあら」と微笑ましげな目を向けてきており、俺は反論を飲み込むしかなかった。
「──夫……いえ、はい。それで」
「かしこまりました、少々お待ちください」
注文を受け付けた店員は、クレープを作るためにキッチンカーの奥へ引っ込んでいく。
「俺はいらないんだけど」
「そう言うな、デートというのはこういうものだろう?」
「デートじゃないんだけど」
話しながらクレープを受けとり、当てもなく歩く。
甘い香りを漂わせているクレープを一口、口に含む。ネメシスも同じようにクレープを口へと運んだ。
「うん、美味い」
「……前々から思ってたけど、お前たちって食べるの好きだよな。特に甘味」
「そうだな、私たちにとって食事とは効率のいいエネルギー補給方法に過ぎなかった。この星に来るまではな」
「へえ、というと」
「どうせ補給するなら美味い物の方がいい、というのは当然の話だろう」
まあ、効果が同じなら美味しい方がいいに決まっているというのは確かだ。でも、それは──。
「酷く人間的、とも言える」
「そうだな、その通りだ。兵器としての考え方ではない」
口の端についたクリームを拭いながらネメシスが話す。
「だが、それでいい。人としての感性を磨けば磨くほど、己が人とは違うと理解できる。ここは自分の居場所ではないと」
「それを決めるのは、彼女たちであってお前じゃない」
「そればかりだな、お前は」
ネメシスが呆れたように口にする。そのすぐあとに「まあいい」と呟いて歩き出した。
「決めるのはあいつらだと、お前は言う。じゃあお前はどうなんだ?」
「俺?」
「そう、お前だ。お前は自分で決めているのか?お前自身の在り方を。自分ができていないことを他者に求めるのは酷く傲慢だと思わないか?」
……全くもって、嫌なところをついてくる。生まれ変わってこの方、納得できるように生きてきた……つもりだ。
そして、俺はその自分の「つもり」を一つも信用できていない。
口の中に残るクレープの甘さが、急に砂を噛んだように味気ないものへと変わっていく気がした。
「答えられないのが答えということだ。自分は安全圏にいるまま他人にだけ選択を迫る、随分と都合のいい生き方だ」
「……そうかもね」
俺は、怖いんだろう。自分の行動で他者の人生をめちゃくちゃにしてしまうことが。
彼女だって、俺が相手でなければもっと幸せに生きられたのかもしれない。
「私に身を任せろ。そうすれば、お前のことも導いてやる」
いつの間にかネメシスは俺の背後に回り込んでいた。
首筋に冷たい指先が這う。耳元で囁かれる甘い声は、毒のように脳に染み込んでくる。
「メアもいるし、いずれは金色も来ることになる。お前にとっても、悪い話ではないだろう?」
自分の意志を放棄して、示された道に従って生きる。それは、なんて楽で、甘美で──。
──あなたのことを、愛してた。
「絶対に、あり得ない」
背後から首元に纏わりついているネメシスを引きはがし、振り向いて視線を合わせる。
ネメシスはと言えば、どこかつまらなそうに口先を尖らせている。
「なんだ、つまらん」
「つまらん、じゃない。お前の話には乗らない。当たり前でしょ」
「そのまま逃げて生きていくのはいいのか?」
「いいわけない」
俺がそう言うと、ネメシスは呆れたように笑いながら口を開く。
「我儘なやつだ……。下僕は嫌だ、逃げるのもダメだ。何なら納得するんだ?お前は」
「そんなの、わからないよ」
そう、わからない。自分の気持ちも、何がしたいのかも、本当に好きなのかも、何も。
それを見つけるためにも、俺は自分の心から逃げちゃいけない。それだけは、わかっている。
「ああ、でも。もう一つだけ分かりきってることがあったな」
「へえ、言ってみろ」
そんなの、言うまでもない。
俺は今日一番の嘘偽りのない本音を叩きつけた。
「お前のことが大嫌いだ」
「そうか、私は好きだよ。お前のそういう部分が」
◇
「お前さ、話聞いてた?俺、お前のこと嫌いなんだけど」
「ああ、聞いていたぞ。その上で言うが
悪魔の論理だ。俺は天を仰ぎ、今日何度目かわからない深い溜息を吐いた。
……無敵か?こいつ。
「ほら、次はあれだ。さっさとやるぞ、時間は有限なんだ」
言いながら、ネメシスは悪びれもせずに再び俺の腕をがっしりと抱え込んでくる。
さっき振りほどいた意味が全くない。
結局、その日は日が沈むまでネメシスに振り回されることとなってしまって。
ああ、やっぱりこいつは──大嫌いだ。
そう、思った。