選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
「ごめんなさい。ちょっといいかしら、成瀬くん」
放課後。授業も終わり、後は帰るだけとなった時。帰り支度をしていた俺にティアーユ先生から声がかかる。
「先生?なんですか?」
「明日の授業で使う機材の準備が必要なんだけど、私一人だと運べそうになくて……手伝ってもらってもいいかしら?」
「いいですけど……なんで俺?」
教室には俺以外にもちらほらと生徒が残っており、その中には学級委員である生徒もいた。
頼むならそちらではないだろうか。そう思いながら俺が返事をすると、先生はどこか焦ったような表情をしてわたわたと口を開いた。
「え!?え、え〜っと……そう!成瀬くんってみんなに頼られてるし、真面目だから!」
「はぁ。まあ、構いませんが……?」
「あ、ありがとう!」
俺が答えると、何故か感極まったかのように俺の手を両手で握りこんでくる先生。手を握った勢いで体が近づき、先生の強烈な胸部がその存在を主張してくる。
パーソナルスペースバグってるのか、この人!?
「せ、先生、近いです」
「……!ご、ごめんなさい……」
慌てて俺から離れる先生。顔を赤くしながら、ずれた眼鏡を直しているその姿はとてもじゃないがヤミさんと同じ遺伝子を持っているとは思えない。
「どこからどこに運ぶんですか?」
「え。……ああ!そうよね、運ばないと」
……大丈夫か?先生。どう見ても機材運びが本題ではないのがバレバレだけど。
そんなことを思いながら、先を歩く先生についていく。やがて「物理準備室」と書かれた教室へとたどり着いた。
「ここにあるらしいんだけど……ちょっと待っててね」
言って、扉の鍵を開け中へ入っていく先生。その後「あれ」とか「どこに……」とか、少し不安になりそうな声が聞こえたが、やがて……。
「あ、あったあった。成瀬くん、入ってきて!」
目的の物を見つけることができたらしく、嬉しそうな声で俺のことを呼ぶ先生。
その声に促されて、教室の中へと入った。むせ返るような薬品の香りと積まれた紙束、そして少しの埃っぽさが混ざった独特の匂いが鼻をくすぐる。
「それで、何を運ぶんです?」
「この薬品と、こっちの機材。薬品の方は私が持つから成瀬くんは機材をお願いできるかしら」
指さされたのは、用途の分からない古びた測定器のような鉄の塊。見た目通りずっしりと重そうだが、まあ持てないことはない。
「大丈夫ですが……俺が薬品の方がいいのでは?」
「ダメよ、危ないんだから」
だから俺の方がいいんじゃないかと思うんだが。
そんな本音を言えるわけもなく、二人で機材と薬品を持って部屋を出る。そうして歩いている途中、ティアーユ先生がおずおずと口を開いた。
「その、生徒にこんなこと聞くのは変かもしれないんだけど、いいかしら」
「なんですか?」
「イヴ……ヤミちゃんとメアさんのことなんだけど」
そう言って話を切り出す先生。まぁ、ティアーユ先生がわざわざ俺と話したい内容、と言えばヤミさんの話であろうことはわかりきっていたけれど。
──メアもか。
「ミカドや結城くんから聞いたの。成瀬くんが、ヤミちゃんやメアさんとすっごく仲がいいって」
「……まぁ、そうですね」
改めて第三者にそう言われるとかなり気恥ずかしいものがあるが。
「それで……その、二人のことをどう思ってるのかな~とか、色々聞いてみたくて」
「やっぱり機材運びって口実だったんですね」
「……うぅ、バレてたのね」
「かなりバレバレでしたね」
多分俺でなくても気づいたと思う。
「それで、二人について何が聞きたいんですか?」
「二人についてというより、成瀬くんと二人について、って言った方がいいかしら」
「俺と?別に面白い話は何もないですよ」
「それがいいのよ」
こちらへ微笑みながらそう呟くティアーユ先生。その顔はまさに母親と言った様子で心からヤミさんやメアのことを大切に思っていることが伝わってくる。
「と、言われても。何を話せばいいのか」
「じゃあ……どうやって二人と出会ったのかしら?」
「そうですね。それは──」
あえてゆっくりと歩きながら、先生へ二人との思い出を話す。それを聞いている先生はとても嬉しそうで──。
「先生は、ヤミさんたちのことをどう思ってるんですか?」
「え?……そうね、あの子たちは大事な家族よ。何よりも大切な娘」
「……そうですか。それを聞けて良かった」
──凄く、眩しかった。
◇
「ここでいいですか?」
そうやって話を続けているうちに、機材の運び先──理科室だった──へたどり着く。
持っている機材を下ろす場所について先生へ聞くと、すぐに「適当な場所に置いてもらって大丈夫」と返事が来たため一番近くにあった机の上へ機材を置く。
ガタン、という鈍い音とともにそれまで感じていた重さが腕を離れていった。
というか、二人について話をしたいなら素直にそう言ってくれればよかったのでは。そう思うも、まぁ何かしらの口実がなければ話しかけにくかったのだろうと自分を納得させる。
「ふぅ……ありがとう、助かったわ」
先生も薬品を慎重に棚へ置くと、白衣の埃を払ってこちらに向き直る。
「それで……その、よかったらもう少し話を聞きたいのだけど……」
「俺は構いませんが、先生は大丈夫なんですか?」
主に仕事とか。
「だ、大丈夫!こう見えて私、科学とか得意なの」
「まあ、それについては知ってますけど……」
というか、ヤミさんの話を聞くに「得意」とかいう次元ではないと思うけど。
「じゃあ、そうと決まれば善は急げね」
そう言って、俺の手を引き歩き出す先生。いや、仕事が終わっていても業務時間中なのは変わらないんじゃ。そんなことが頭をよぎったが……まぁ生徒との交流も教師の仕事の一部でもあるか。
そんなことを思いながら、ルンルンとした様子で俺の腕を引いて歩く先生について歩いて行った。
……ところで、どこへ向かっているんだろう。お茶でも淹れてくれるつもりなのだろうか。
◇
そうして連れられていった先は──。
「あら、いらっしゃいティア……に、成瀬くん?」
「どうも、御門先生」
何故か保健室だった。部屋の中ではいつものように御門先生がセリーヌちゃんをあやしながら仕事をしている。
しかし、何故保健室……?
「珍しい組み合わせね」
「ミカドが教えてくれたんじゃない。成瀬くんがヤミちゃんたちとすっごい仲がいいって」
「そうだったかしら」
そんな会話を続ける二人。そして放置された俺。どうしたものか、と手持ち無沙汰になっていると、とてとてという足音とともに「まうっ!」と元気な声が足元から響いた。
そして、そのすぐ後に足を掴まれたかと思えば何かがぐいぐいと体を登ってくる。
「まう!」
というか、セリーヌちゃんだった。以前のごとく俺の頭へ登頂したセリーヌちゃんは、どこか自慢げな声を上げながら髪の毛を掴んでいる。
「元気ねぇ」
「まぁ、子供ですし。それよりティアーユ先生、何か話したいことがあるんじゃなかったんですか?」
「あ、そうだったわね」
そう言って椅子に座るティアーユ先生。「成瀬くんも座って」と促されるまま、同じように腰を下ろした。
そうして話が始まる──と、思いきや。何やら先生はうんうんと考え込んでしまい話が始まらない。
「あの、先生?」
「……ふぇっ!あ、ご、ごめんなさい。何から聞こうか悩んじゃって」
慌てて頭を下げてきたティアーユ先生。
それを見ていた御門先生がやれやれと肩をすくめ、手にしたコーヒーを一口啜ってからかうように口を開いた。
「何言ってるのよティア、母親が娘の男友達に聞くことなんて一つしかないじゃない」
「一つって……?」
「そんなの「ヤミちゃんのことをどう思ってるの?」よ」
その直球すぎる質問に思わずぴくりと体が動いた。
俺の動揺が伝わったのか、頭上のセリーヌちゃんが「まう?」と不思議そうに鳴いてぺしりと俺の額を叩く。
「で、でもそういうのは当人同士の問題じゃ……」
「いーのよ母親なんだから。あれよあれ。ウチの娘は簡単にはあげないわよ!みたいな」
それを聞いてなお「でも……」と悩んでいるティアーユ先生を横目に、御門先生が「どうなの?」と問いかけてくる。ティアーユ先生も気にはなるようで、止めるそぶりを見せずにちらちらとこちらの様子を窺っていた。
「どう、と言われても……」
「あら、ただの友達?それにしては随分と過保護みたいだけど」
そうだろうか。そうだろうな。傍目に見ても、俺と彼女たちの関係はただの友達と言うには近すぎる、ということくらいは客観視できる。
でも、それではいけない。俺と彼女たちはただの友達で
「まぁ……大事な友達ですよ」
「それだけ?」
「それで十分じゃないですか?」
「知ってるかしら。優しさって時には毒にもなるのよ」
「知ってますよ。嫌というほどに」
場に沈黙が満ちる。急に重くなった空気に、ティアーユ先生がおろおろと視線を彷徨わせた。
頭上のセリーヌちゃんも、異変を感じ取ったのか髪を引っ張るのをやめて「まぅ……」と不安げな声を漏らす。
「え、えっと……ミカド? 成瀬くん?」
「いえ、すみません先生。ちょっと大げさに言いすぎましたね。ヤミさんのことは大切に思っています。これは本当です」
「これは、ねえ」
「ちょっと、ミカド」
「わかってる、からかっただけよ」
二人の会話をよそに、俺は誤魔化すように頭上のセリーヌちゃんをあやして遊ぶ。
小さな手を指先でつつくとセリーヌちゃんはキャッキャと無邪気に笑った。その屈託のなさが、今はありがたい。
……ただの雑談と思ってついてきたらいきなり背後から刺された気分だ。いや、悪いのは完全に俺自身なんだけど。
「すみません、変な空気にしちゃって」
「いいのよ。妙な事を聞いたミカドが悪いんだから」
「はいはい、悪いのは全部私なのよねえ。昔からティアは」
そう言いながら笑いあう二人。幸い、空気もすぐに戻り、その後は普通の話題──ヤミさんが普段どんなことをしてるとか、何が好きとか、メアとどこそこに行ったとかだ──が続き。
「あら、もうこんな時間」
気が付けば、窓から差し込む光はうっすらと赤みを帯びていた。
「そろそろ帰らないとですね」
「ごめんなさい、こんな時間まで」
「いいですよ。俺も楽しかったですから」
いつの間にか頭上で寝てしまっていたセリーヌちゃんを起こさないようにゆっくりと下ろしながら声を返す。……というか、セリーヌちゃんの迎えは来ないのだろうか。
そんなことを思いながら差し出された御門先生の腕の中にそっと預けると、彼女は慣れた手つきで抱きかかえた。
「私も二人の……三人の話が聞けて良かった。あの子たちが兵器じゃなくて人として生きていけるって改めて思えたから。……あなたや美柑さんのような人たちがあの子の友達になってくれて本当に良かった」
泣き笑いの笑顔でそう告げるティアーユ先生。
それは──。
「それは、俺のセリフですよ。俺の方こそ、助けられてばかりです」
本当に、心の底からそう思った。