選ぶこと、選ばないこと 作:思い出
──あなたは逃げているだけです、リクさん。
「逃げているだけ、か」
結局、あの後家に帰って眠っても、モモから言われた言葉が頭を離れることはなかった。
俺には愛が分からない。俺が愛だと思っていたものは、
──誰にでも優しいって、誰にも優しくないのと何が違うの?
悲しげに、けれど諦めたように微笑んで告げられたその声が、今も鼓膜に張り付いて離れない。
胸の奥が冷たい手で鷲掴みにされたように軋んだ。
死は人を永遠にする。
もう二度と会えないからこそ、彼女の言葉は俺の中で絶対的な真実として残り続けている。
俺の心は結局あの頃から一歩も前に進んでなどいなかった。
「どの口で人に助言してんだ……ってーの」
自嘲するように呟いて、屋上のフェンスへもたれ掛かる。
頭上には俺の気分など知ったことではないと言わんばかりに、気持ちのいい秋晴れの空が広がっていた。
そのまま無心で空を眺める。上空は風が強いようで、見る見るうちに雲が形を変えていく。
……酷く、自由に見えた。
そんな風に感慨に耽っていた時。
「あ!リクくんこんなとこにいた!探したんだから」
そんな明るい声とともに、屋上のドアが開かれた。
「……メア?」
「そだよ?」
いつものようにキャンディを舐めながら自然な形で俺の横についてくるメア。
メアには悪いが、今は少し一人になりたい気分だ。それを伝えようと口を開こうとして──。
「えい」
ぽん、と開きかけた口にメアが持っていたキャンディが押し当てられた。
そのまま押される力に負けて、口の中にキャンディを含む。
「……メア」
「何か悩み事?」
キャンディの棒をつまんだまま、メアは小首をかしげる。浅葱色の瞳がまっすぐにこちらを見つめていた。
「ま、ね」
「珍しいね。リクくんがそんな顔してるの」
「どんな顔?」
「ん~……リクくんやナナちゃんと喧嘩してた時の私みたいな顔」
そう言って、メアは悲しそうに眉を寄せ俺の眉間のしわを指先で伸ばすように触れてきた。
それは。
「相当だね、それは」
「相当だよ」
どうやらかなり酷い顔をしているらしい。見られたのがメアだったのは不幸中の幸いか。
「
「まえ……ってあの時わたしが見た、生まれ変わる前のこと?」
「そ」
がり、とキャンディと噛みながら返事をする。メアも、どこから取り出したのかいつの間にか新しいキャンディを舐めている。
「マスターに何か言われた?」
「それもある。けど、本題はそこじゃないかな」
「じゃあ、なに?」
なに、と言われると難しい。結局は俺の心の問題なのだから。
「逃げてるって言われちゃった」
「何から?」
「気持ちから」
言って、体の向きを変える。モモに言われたことを伝えながら校庭を見下ろすと、幾人かの生徒たちが遊んでいる。
何の悩みもなさそうにボールを追いかけるその姿が、今の俺にはひどく遠い世界の出来事のように見えた。
「モモちゃん、リクくんにもハーレム作らせようとしてるんだ」
「あれ、知ってたんだ」
「前にリトせんぱいにダイブした時に見ちゃった」
すごかったよ~、なんて笑いながら言っているメア。モモの計画と言うのはかなり本気で進めているらしい。
「まぁ、そういうことで。珍しくちょっと落ち込んでるってだけ。どうせすぐに戻るから大丈夫だよ」
そう言って笑いかけるも、メアはキャンディを舐めたままこちらをじっと見つめている。
そのまま少しの間見つめあい──メアが、口を開いた。
「リクくんはさ」
「うん」
「私のこと、好き?」
まっすぐとこちらに向けられた瞳は、悪戯っぽく笑っているようでもあり縋るように震えているようにも見える。
ただ一つ確かなことは、メアは決して悪ふざけで聞いてきているわけではないだろう、ということだった。
「俺は──」
口の中がからからに渇いている。言葉が喉に張り付いたように出てこない。メアは、ただじっとこちらを見つめている。
好きなのか、どうか。小学生でもわかる質問だ。自分で思うことを言えばいいだけなのだから。でも、今の俺にとっては世界で最も難しい質問と言っても過言ではなかった。
「俺は──わからない」
「……そっか」
俺の答えを聞いたメアが、キャンディを口の中で転がしながら空を見上げる。そしてそのまま、まるで「今日の天気は晴れだね」とでもいうような軽い口調で「私は好きだよ。リクくんのこと」と告げた。
「……知ってる」
「うわ、リクくんさいてー!」
メアは心底呆れたように、けれど楽しそうにケラケラと笑いながら、俺の肩を軽く小突く。
そして──ふと笑いを収め、飴玉を噛み砕く音と共に浅葱色の瞳で俺を射抜いた。
「私はあんまり難しいことわかんないけど、好きなら好き。嫌いなら嫌い。それでいいんじゃない?」
「それでいいはずだったんだけどね」
「それにさ。どうでもよかったんなら死んだ後まで引きずらないんじゃないかな」
「それは──」
否定しようとした言葉が、喉の奥で詰まる。
執着こそが愛の残滓だと言うのなら、俺の抱えるこの苦しみこそが、愛していた証拠だと言うのか?
本当に、そうなのだろうか。俺が悩んでいると、思考を断ち切るように昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「あ、ほらほら。戻らないと怒られちゃうよ」
そう言ったメアに背中を叩かれるまで、俺はしばらく動くことができなかった。
◇
俺が悩んでいても世界は周り、時間は過ぎ去るもので。
結局答えはすぐに出るはずもなく、午後の授業の内容など何一つ頭に入らないまま放課後になった。
ざわめきだし、部活や帰宅の準備を始めるクラスメイトたちの喧騒がまるで水槽の外の出来事のように遠く感じられる。
「……帰るか」
暫く教室でぼーっとしていたが、どうにも気分が乗らない。……当然か。
軽くため息をついてカバンを持ち、教室を出た。
そうして、下駄箱で靴を履き替えて外に出ようとしたその時──。
「う、わわ~!!こ、こっちくるな!」
中庭の方から悲鳴が聞こえた。聞き覚えのある声だ。気が付くと、足がそちらへ向かっていた。履き替えたばかりの靴が地面を蹴る。
そうして辿り着いた場所には、なにやら謎のアンコウ型ロボに追い掛け回されてるナナと、それを抑えているリト先輩。
「ナナ!」
「り、リク~!た、助けてくれ!」
アンコウロボはリト先輩を引きずりながらナナを追いかけ、口から物凄い風を出して何かを吸い込もうとしている。
ナナも必死に逃げているが、吸い込む力が強いようでだんだんとロボの方に引き寄せられていく。スカートが強烈に吸い寄せられ、捲れ上がりそうな裾をナナが必死に手で押さえた。
周囲の小石や木の葉が凄まじい勢いで吸い込まれていき、このままだとナナ自身も吸い込まれかねない。
「こ、こいつ壊れたのか!?」
「先輩!こっち!」
抱えるようにアンコウロボを持っているリト先輩に声をかける。それを受けて、先輩がこちらを向き、ロボを手放した。
そして、空中にいるロボ目掛けて──。
「っ!!」
思いっきり、足を振り上げた。
ゴン、という鈍い音と共に足先に鋭い痛みが走る。蹴り上げたロボットが少し離れたところにどさりと落ちた。
「いっつ……。ええと、どういう状況?」
「それがあいつ、ララが作ったロボなんだけどいきなり壊れて誤作動して」
「急にあたしのこと追いかけてきたんだ」
ナナはそう言いながら、吸い込みの風圧で乱れた制服とスカートの裾を直す。かなりの力で引っ張られていたようで、顔は赤く息が上がっていた。
「ありがとな、リク」
「いや、無事ならそれで……」
思わず助けてしまったが、よくよく考えれば昨日あんなことがあった手前顔を合わせづらい。お礼を言ってくるナナから思わず目をそらし、そのままリト先輩へ「何で壊れたかわかります?」と聞いた。
視界の端でナナが少し寂しそうに口を噤んだのが見えた気がしたが、俺は気づかないふりをした。
「それがさっぱり。いや……そういえば」
「そういえば?」
「壊れる前にお静ちゃんの声が聞こえたような──」
ガガ、と甲高い音が響く。
直前まで消灯していたロボットの目が不気味な赤い光を放ち明滅し始めた。
「──し、た……って、こいつ!まだ動くぞ!」
気が付けば地面に倒れていたはずのロボはいつの間にか起き上がっており、素早い動きでナナの足元を通り抜け、校舎の方へと走って──泳いで?──行く。
「ま、まずい!止めないと!」
「リク、リト!行くぞ!」
慌てて叫んだナナとリト先輩が走ってロボを追いかけていく。ジンジンと熱を持つ右足の痛みを無視して、少し遅れる形で俺も後を追った。
「うわ、酷い」
校舎は既に散々な有様だった。ロボは所かまわず物を吸っては吐いてを繰り返しながら爆走している。
めくれ上がったカーペットや誰かの上履き、そしてあられもない下着までもが宙を舞い、吹き飛ばされた生徒の悲鳴が響いた。
「完っ全に暴走してるな。掃除ロボのはずなのに散らかしまくってる」
「もしかして、俺が蹴ったせい?」
「考えるのは後だろ!今は何とかしねーと!」
三人でそんなことを話しながら追っていると、ロボが女子トイレへと入っていく。少しして何人かの悲鳴が響いた。それを聞いたリト先輩は躊躇なくロボを追って──。
「あ!先輩そこは──」
女子トイレですよ、ナナに任せて。そんなことを言う暇もなく。
「九条先輩!大丈夫です──」
「みっ!見るなーー!!!!」
バシン!という強烈な平手打ちの音と共に──。
「ご、ごめんなさーい!!!」
リト先輩が弾丸のようにトイレから弾き飛ばされてきた。
それと同時に、ロボもトイレから出てきてまたもあらぬ方向へ疾走していく。
その吸い込み口にはトイレットペーパーがぎっしりと詰め込まれていた。
「なにやってんだケダモノ!あっち行ったぞ、さっさと立て!」
リト先輩を助け起こすナナの横を通り抜けてロボを追いかける。幸い、足はこちらの方が早い。
そうして何とか追いついた……のはいいんだけど。
頭部の取っ手──ちょうちん部分──を掴んで引き止めようとした瞬間、逆に俺の体が浮き上がりそうになるほどの馬鹿力で引っ張られた。
「こいつ……なんでこんなに力が強いんだ!」
視界が揺れる。上下左右がぐちゃぐちゃになり、今自分がどちらを向いているのかもわからない。それでも何とか手を離さないように耐えていたが、やがて限界を迎えた手のひらからちょうちん部分が離れていく。
振り回されていた体はそのまま空を飛び、したたかに背中を打ちつけた。
「いったぁ……」
「リク!こいつ……もうエンリョしないぞ!」
追いついてきたナナが尻尾をロボへ向けながら叫ぶ。すると、尻尾の先からなにやらビームのようなものが発射され暴走しているロボへ直撃した。
ロボはそのままふらふらと校庭の方へ移動したかと思えば、ぼふんと煙を吐いて地面に崩れ落ちる。
打ちつけた背中を摩りながら、ナナへ声をかけた。
「いっつつ……、今度こそ、壊れた?」
「さぁな。ほらリク、降りるぞ」
と、差し出されたナナの手を掴む。右手に俺、左手に先輩を持ったナナはそのまま窓枠を蹴ると、ふわりと難なく校庭に着地した。
「ったく、苦労させやがって……」
「まぁ何とかなってよかったよ」
なんて、そんなことを言ったのが良くなかったのだろうか。
倒れていたロボの外装ががしゃんと音を立てて崩れ落ちたかと思えば、その中から何やら真っ黒な球体が浮き出てくる。
球体はそのまま上空に昇って行ったかと思えば、物凄い力で周囲の物を吸い込み始めた。
「なんか、もっとヤバくなってない?」
思わず呟く。どう見てもロボの暴走よりもマズそうだ。そんなことを思っていると、背後から声がした。
「ナナ!いったい何の騒ぎ!?」
見れば、モモがヤミさんの手を引いてこちらに走ってきていた。……正直今一番会いたくない相手だが、そうもいっていられない。
「モモ!それが、姉上の発明品が暴走したから仕方なくぶっ壊したんだけど……中からなんかヘンなのが出てきて」
「ヤ、ヤミさん……これは……」
「何かイヤな雰囲気ですね。離れた方がよさそうです」
「でも、放っておくわけにもいかないんじゃ……」
そんなことを話していると校舎から「ああー!ごーごーバキューム君
「しかも動力源の
「マイクロ……ブラックホール?!」
なんでそんなとんでもないものを動力源にしてるんだ。
そんな突っ込みをしている暇もなく、ブラックホールはどんどんと周囲を吸い込んでいく。瓦礫やゴミ、木の葉などに留まらず、今や校舎の外壁なども耐え切れずに剥がれていた。
「ダメですね、早くこの場を離れましょう。幸い、吸い尽くせば消えるようですし」
「でも、このままじゃ!」
ヤミさんとモモが言い合っている。ララ曰く、学校を飲み込むくらいのエネルギーはあるらしいが流石に命には代えられない。
早く避難したほうが──と伝えようとしたその時。
「わ、私が念力で抑え込みます!」
「お静!?」
ぎゅん、とブラックホールの形が歪んだかと思えば、村雨先輩がブラックホールを指さして力んでいる姿が目に入った。
「あのロボの暴走は私のせいなんです!だから、私が……!」
だんだんと小さくなっていくブラックホール。そのまま抑え込めるのか、と淡い期待を抱いたが、突如としてがくん、と村雨先輩が倒れこんでしまう。
「だ、ダメ……あと少し、なのに……!」
万事休す、ということだろうか。そう思っていた時。
「しょうがないなぁ」
「メアさん!?」
倒れこんだ村雨先輩が、信じられないものを見る眼差しでメアを眺めた。
「ま、村雨先輩が驚いたことが原因なら……確かに責任は私にあるもんね」
ふわり、と村雨先輩の隣に降り立ったメア。その右腕が液体のように蠢き、瞬く間に無機質な光沢を放つ巨大な砲身へと変貌する。
そしてそのまま上空のブラックホールへ狙いを定めると──。
「えいっ!」
──一筋の光が、空を走った。
◇
「ありがと……助かったよ、メア。……でも、よかったの?」
ブラックホールが消し飛び周囲が茫然としている中、メアへ声をかける。それを聞いて、村雨先輩がハッとしたように口を開いた。
「そっ!そうですよ!正体バレたくなかったんじゃ!」
「まぁ、仕方ないよね。学校がなくなっちゃったら元も子もないし」
そう言って、メアは無機質な砲身となっていた右腕を何事もなかったかのように元の華奢な腕へと戻す。
「でも!」
なおも食い下がる村雨先輩。周囲も頭が追い付いてきたのか「今のあの子か?」「いったい何が」と騒めいている声が聞こえてきた。
その声を聞いたメアが、悪戯っぽく笑って俺を見る。
「あーあ、これで学校来れないね。リクくんの家にでも転がり込んじゃおっかな」
「その必要はありません」
とん、とヤミさんがメアの隣に立ってそう呟いた。そのままざわざわとこちらを見ている生徒たちに向き直り、口を開く。
「彼女は──私の妹です」
そう告げた瞬間、ぴし、とメアの表情が驚きで固まる。
周囲のざわめきも、ぴたりとやんだ。
「血の繋がりはありませんが、同じ
以後ヨロシク、と言ってメアの頭を掴み、二人で頭を下げるヤミさん。
そして、一瞬の静寂の後に──。
「……すげぇ! さっきのビーム見たかよ!?」
誰かが発したそんな興奮した声を皮切りに、わっと歓声が上がった。
「芽亜~!かっこよかったよ!」
「腕からビームとは……震えたぜ!」
「さすがヤミちゃんの妹だな!」
そんな言葉たちとともに、ぱちぱちと拍手の音が響く。ナナもメアに近寄り「だから言ったろ?」と呟いた。
対するメアは、少し呆れたように頬をかいて笑う。
「ありがとう、ヤミお姉ちゃん。初めてはっきり「妹」って言ってくれたね」
「私は、別に……」
メアからお礼を言われたヤミさんはと言えば、言葉に詰まったかと思えば背中から羽を生やしてどこかへ飛び去ってしまった。
「あれ、お姉ちゃん?」
「なんだか急に恥ずかしくなったみたいですね……」
メアとモモがそんな話をしている。
メアも、ヤミさんもどんどんと変わっている。過去を乗り越え、家族を受け入れて、新しい自分を受け入れている。
……俺だけが、いつまでも同じ場所に立ち止まったままで。
──今の自分も、同じくらい見てあげてください。
──どうでもよかったら、死んでまで引きずらないんじゃない?
なんて、考え込んでいたのがいけなかったのだろうか。「バウ!」というメアの声がしたかと思えば、村雨先輩の悲鳴が校庭に響きわたる。
そして、目の前にピンク色の髪と、焦ったような表情が飛んできて、ドサッという衝撃とともに視界が反転した。
そして──。
「リク!離れろ!」
騒がしい校庭にナナのそんな声とメアの笑い声が響いた。