名もなき孤児が将軍様に拾われまして   作:せっせこパパイヤ

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第一話「始まりの血」

その日、稲妻の大地には雪が降っていた。

 

しんしんと静かに降り積もる粉雪。稲妻という国の中心である稲妻城の中庭に、一筋の赤い線が描かれていた。それは人の血だった。短いながらも、鮮烈に白い雪の絨毯へと刻み込まれている。

 

その血痕を辿れば、一振りの刀に行き着く。

 

刀を握るのは、稲妻幕府の将軍・雷電影。その足元には、首を斬られた女の遺体が横たわっていた。彼女はたった今、この者を自らの手で処刑したのだ。

 

静寂の中、影は空を見上げた。

 

かつての教え子を、自らの手で斬った。この胸に渦巻く感情を、雪にぶつければいいのだろうか。───いや、そんなことをしても無意味か。

 

「愛し方を、間違えました」

 

女が最後に呟いた言葉。

 

影はその真意を理解していた。だからこそ、動揺してしまった。その証拠が、今握る刀身に付着した血だ。武神である自分の刀に、血が残ることなど本来あり得ない。

 

どうして……こうなってしまったのだろうか。

 

影の脳裏に、一人の少女の姿が浮かんだ。ヤシオリ島で出会った、あの孤児の───

16年前───。

暗い路地裏に、男性の呻き声が響いた。

 

「ぐっ...!」

 

少女が短刀で男の脇腹を突き立てると、素早くそれを引き抜く。鈍い音とともに血が吹き出した。男は苦痛で顔を歪めると、その場に崩れ落ちた。

 

男が落とした包みを迷いなく拾い上げると、一切の躊躇なく、少女は逃げ出した。

 

「待てっ...!このっ...!!」

 

後ろから怒号が聞こえてきたが、そんなもの当然無視し、どんどんと現場から遠ざかっていく。

 

裸足の足裏が、石畳の冷たさを感じる。息が上がり、心臓が激しく脈打っていた。だが、それでも走るのを止められない。止まれば終わりだ。捕まれば、殺されるか、それよりももっと酷いことをされるか。どちらにせよ、生きてはいられない。

 

少女に名前はない。親も兄弟もいない。

 

彼女は8歳になる孤児だった。ヤシオリ島の辺境の村で暮らしていたが、物心がついたころには両親も兄弟もあの世に逝っていた。村の人間が面倒を見てくれる訳でもなく、自分の力で生きてきた。生きるためには奪うしかない。

 

初めは店の商品を盗んだり、商人の荷物をスったりした。短刀を手に入れてからは、脅したりして傷つけたり、時には殺人も犯したこともある。それ以外に生きる術を知らない。善悪よりも、生きるか死ぬかの方が重要なのだ。

 

少女が信用できるのは、自分とこの刀だけだ。

 

神無塚の北西方向に位置する砂浜まで走ると、走る足を止めた。ここまで来れば、大丈夫だろう。追ってくる足音も聞こえない。

 

荒い呼吸を整えながら、奪った小包の中身を確認する。干し肉と数枚のモラ。まあまあな収穫だろう。少女は満足気に頷くと、干し肉を懐にしまい込んだ。

 

ヤシオリ島の外れにある廃屋が少女の家だ。

 

かつては人が住んでいたのだろうが、今では屋根が半分剥がれ落ち、壁には穴が空いている。それでも雨風を凌げるのならマシだ。少女は慣れた手つきで壊れた戸をこじ開けた。

 

薄暗い場所に足を踏み入れるとようやく緊張がほぐれた。ここは唯一安心出来る場所。誰にも邪魔されない、自分だけの家だ。

 

火が灯っていない囲炉裏の近くに座ると、干し肉を塊ごとかじりついた。固いし、味気ない。だが、それでいい。空腹を満たせればいい。

 

今日も生き延びた。明日はどうやって生きよう。8歳の頭なりにそう考えた。

 

少女は物心がつくのが早かった。兄2人もそうだったが、自分は兄よりももっと早く物事を考えられるようになった。自分も兄2人も何故か他の人よりも物心が早くついた。母親は私を産んですぐに死んだ。父も母を追ってあの世に行った。兄弟も野草を採っている時に、野盗に殺された。

 

飢餓、極寒、野盗。そんな死が隣り合わせの環境で湧いてきたのが生への欲求だ。肉親みたいに死ぬのは嫌だ。死は怖いし、痛い。何としても生きてやる───、そう思いながら今日まで生きてきた。

 

1年前、窃盗を働いてる途中、ヘマをして逆に追い詰められたことがある。死への緊張が最高潮に達した時、私はとっさにそいつの腰に差してあった短刀を奪い取り、腹に突き刺した。男は数秒ほどその場で苦しみ、動かなくなった。

 

高まる心臓の鼓動、息切れる呼吸、短刀を握る手の手汗。そして、顔がゆがむほどの血の匂いと温かさ。この感覚を今でも覚えている。

 

罪悪感なんて感じなかった。代わりに高揚感を覚えたのだ。この世にはこんな道具があるのかと、これがあればもっと自分は空腹を満たせることができると。それから短刀を肌身離さず持っている。

これが少女の生きる術だった。

とある日、激しく乱れる雷光を見た。

 

地面を揺るがすほどの威力だ。自分が住んでいるヤシオリ島は、邪神が支配している。島の住人はその魔神に抵抗できない。だけど、その邪神が何者かと戦っていたようだ。

 

辺境に住んでいる私の所にもそれが伝わってきた。本能からここから逃げろと告げられ、島端に逃げた。そして、岩陰に縮こまりながら、その戦闘音が無くなるまで息をひそめていた。

 

空が紫色に染まり、雷鳴が轟く。大地が揺れ、風が唸る。少女は岩陰で小さく身を丸めながら、ただひたすら嵐が過ぎ去るのを待った。

 

騒ぎがおさまったのは夜が明けてからだった。

 

急ぎ足で家に帰ったが、一夜の間にすべてが変わっていた。ネコジャラシやセイタカアワダチソウなどの雑草が茂っていた草むらが荒れ果て、土ごと盛り上がり、丘までも形成されていた。見慣れた景色が、まるで別の場所のように変貌している。

 

だが、何よりも自分の家は悲惨なものだった。

 

無惨にも強風が吹いたかのように家が倒壊しており、柱だと思われるものが周りに飛び散っている。壁の破片、屋根の板、囲炉裏の石。すべてがバラバラになって、地面に散乱していた。

 

荒廃した大地にポツンと立つ孤児は残骸の前で立ち尽くした。

───昨日までちゃんとあったのに。

───夢ではないのか?

 

絶望と虚無が襲い掛かる。涙をながすことなくその場にひたすら立ち尽くす。喉の奥が熱くなったが、涙は出てこなかった。泣き方すら忘れてしまったかもしれない。

 

ただ、唯一の安息の場所が失われたという事実だけが、少女の心を締め付けた。

 

そんな時、がさりと足音が聞こえてきた。

 

孤児はゆっくりとその方向を見る。ここからそう遠くないところに二人分の人影が見えた。しかも、こちらに近づいてくる様子だ。

 

本能が警鐘を鳴らす。

 

それが分かると、急いで近くの丘裏に身を隠す。音でバレぬよう、ソロリソロリと姿勢を低くしながら、物陰から物陰へと謎の人物に近づいていく。

 

ある程度近づいた頃、目を凝らして様子を伺う。2人とも髪の毛が深い紫色の成人女性だ。だが、片方が後ろで長い三つ編みで黒色の着物を身にまとい、片方が髪を何も結んでおらず白色の着物を着ていた。

 

孤児は着物の知識なんぞ無いに等しい。だが、それでも2人の着物が一目見ただけでも高級素材を使っているのがわかる。鳴神島の城下町生まれのボンボンと言ったところだろうか。しかも、三つ編みの女性に限っては腰に刀を身につけている。それも上等な物だ。

 

───なんでそんな身分の者がこんな荒廃した島に...?

 

そんな疑問が浮かび上がった。だが、女性2人の顔が分かった瞬間、そんな物など頭から吹き飛んだ。

 

「(あ、あいつらだ...!)」

 

孤児はすぐにあの者達が昨日の魔神と交戦していたことに気づく。この家から逃げ出す時、一瞬だけだがあの2人の姿が見えたのだ。雷光の中に立つ、紫色の髪の女性の姿を。

 

家を直接壊した場面を見ていないが、少なくともあいつらが魔神と交戦した余波で、私の家は崩れ去ったのだろう。

 

そういう結論が付くと、すぐに頭に血が登った。

 

───そうか、こいつらが私の家を...。

 

許さない。どうして私から安息の場を奪うんだ。

 

怒りが込み上げてくる。それは理不尽な怒りかもしれない。だが、少女にとって、あの廃屋は世界のすべてだったのだ。唯一安心出来る場所。唯一帰れる場所。それを奪われた怒りは行き場を求めて少女の心を焼いた。

 

2人は周りを見渡しながらこちらに近づいてくる。そんな時、黒色の着物を着た女性が口を開いた。

 

「魔物の残骸の気配すら感じません。とりあえずは安心のようです、眞」

 

「あなたの過剰な雷で魔神の残骸すら残っていないのでしょう。......ねぇ、影。ここまでする必要はなかったのではないのですか?まだ対話の可能性が───」

 

「ありません、あなたも見たでしょう。あの魔神は既に穢れていました」

 

「......それはそうですが」

 

この会話から、白色の着物を着ている者が眞、黒色の着物を着ている者が影と言うのが分かった。眞はとても柔らかくて優しい口調だが、影はツンとしていて厳しいという印象を受けた。だが、両者の違いは口調ぐらいであり、顔も雰囲気もそっくりだった。

 

───もしかして、双子なのか?

 

「そもそも、昨日始末した魔神は魔神戦争の生き残り───、本来なら死ぬはずの存在。今まで居たのがおかしいのです。現にこの稲妻幕府を脅かそうとしていたのですから」

 

「で、ですが...」

 

「いいですか、眞。甘さと優しさは別物です。あなたの思想を全面に支えますが、私にだって思うところはあるのですからね?」

 

「分かりました!わーかりました!!次から気をつけます!」

 

影からの説教混じりの言葉に眞は耳に蓋をするかのように会話を終わらせた。まるで姉妹喧嘩のようなやり取りだったが、その親密さが逆に孤児の怒りを煽った。

 

こんな会話を聞いていた少女は、怒りで短刀の柄を強く握りしめていた。だがその日、初めてその柄が震えていた。いや、刀そのものが震えているように見えた。

 

恐怖だった。

 

目の前の2人に、体が勝手に怯えている。すぐ近くに立っているだけなのに空気が重い。

 

肌の上を、見えない圧が這い回る。息が詰まり、喉が鳴る。

 

───何かがおかしい。

 

少女は悟った。あの2人は人間ではない。

 

人の形をしていながら、人ではない’'’何か'’だ。

人の理の外にある存在が、そこに立っている。

 

息を殺して様子を伺う。

その瞬間、2人の視線がこちらを向いた。

 

「誰かいますね...」

 

眞の静かな声が響いた。

 

まずい。気づかれた。逃げなければ──。

 

少女は踵を返そうとした。だが振り向いた先、すでに影が目の前に立っていたのだった。

 

「うわああああああ!!!」

 

喉の奥から悲鳴がほとばしる。人生で1番大きな声を出した。

 

近距離で感じるその圧は、人の形をした雷鳴。

空気が歪み、足元の地が沈む錯覚に襲われる。

恐怖が脊髄を駆け抜け、少女は腰を抜かした。

 

「子供?この島の者でしょうか」

 

影が顔色ひとつ変えず、眞に問いかけた。だがその眼光は冷たく、刃のように細められている。

 

「影、子供が怖がっているでしょう」

 

「私はなにもしていませんよ」

 

「あなたの気配は人間にとって脅威なのです。......ごめんなさい、怖がらせてしまって」

 

眞の声は、まるで子守歌のように柔らかかった。それでも震えは止まらない。

 

優しい声であやされたところで、こいつらが壊した事実は消えないんだ。

 

全ての勇気を振り絞って、少女は短刀を引き抜いた。腰が引けたまま、後ずさりしながら2人に刃先を向ける。

 

「お、お前たちなんだろ!!わ、わ、私の家を───

!!」

 

声が裏返る。恐怖で舌がもつれる。それでも、精一杯の怒りを目の前の雷鳴にぶつける。

 

刃が震えている。それは彼女の心そのものの震えだった。

 

だが、2人の表情は微動だにしない。影の眉が、ほんの僅かに動いた。それだけだった。

 

「家...ですか?」

 

眞が静かに問い返す。

 

「眞、横に見える残骸のことでしょう。きっとそれで怒りを露わにしている」

 

影が冷ややかに言い添えた。

 

眞はゆっくりと視線を向ける。

そこには、崩れた柱と散乱した屋根瓦、焼け焦げた土壁の破片。

かつて家だったものの残骸があった。

 

眞の表情が、僅かに陰を帯びる。

 

「......。私たちのせいです。私たちが魔神と戦ったせいで...。この子から家族を奪ってしまった...。あの戦闘で巻き込まれてしまった人々がいるのなら怒りは当然です」

 

少女の胸に、何かが弾けた。

その言葉は、同情でも哀れみでもない。

彼女にとっては、侮辱だった。

 

「違う!!!!」

 

声が裂ける。

 

「そんな奴らの命なんてどうでもいい!!私の家を...私の'’居場所'’を奪ったお前らが憎い!!!」

 

その叫びは、悲鳴でも泣きごとでもない。

魂の奥から溢れた怒りそのものだった。

 

しばし、沈黙。

 

雪のような静寂が、3人の間に降り積もる。

 

刃を構えたまま、少女は息を荒らげる。

眞は、ただその顔を見つめていた。

怒りを受け止めるように、責めるでもなく、ただ見ていた。

 

「この子......人ではありませんね」

 

影の声が、空気を裂く。

 

「烏の妖気を感じます。妖の血が混じっているようです」

 

影の眼差しは、少女の勇気ではなく存在そのものを見透かしていた。彼女にとって自分は観察対象に過ぎない。

 

「そう...でしたか......。私たちがあなたの居場所を奪ってしまったのですね」

 

眞が1歩、近づく。影が即座に腕を伸ばした。

 

「眞、下がってください」

 

「よいのです」

 

眞は制止を解き、しゃがみこんで少女と目線を合わせた。

少女は戸惑いながらも、後ろに下がる。

 

「では、今度は私が居場所を与えましょう。あなたを稲妻城の侍女として迎え入れます」

 

「......え?」

 

その瞬間、体を支配していた恐怖も怒りも、音を立てて崩れ落ちた。

理解が追いつかない。

稲妻城───あの鳴神島の、あの城に?

 

「眞!本気ですか!?」

 

影が珍しく声を荒らげた。冷たい声音に熱が宿る。

 

「私がこの子の家を奪ってしまったのは事実です。ならば、贖いを果たさなければ」

 

「ですが...この童は刀を向けた者ですよ。不安因子です!」

 

「確かにこの胆力は他のものにとって毒になるかもしれません。ですが、それならば私が向き合って矯め直します」

 

「...!あなたという人は...!」

 

眞は再び少女に向き直る。

 

「私はこの国、稲妻の将軍──雷電眞といいます。そしてもう1人は───」

 

「眞!それは秘密でしょう。その子供に教えて言いふらされたらどうするつもりですか」

 

「もう遅いですよ、影。聞かれてしまいました」

 

「...っ」

 

少女は息を呑む。稲妻の将軍。神の名。

その存在が、目の前に立っている。

 

「あなたはきっと喪失の中で生きてきたのでしょう。もう大丈夫。稲妻城は安全です。そこで、本当の人生を始めてみませんか?」

 

眞の声が雪解けのように穏やかに響く。

まだ状況を呑み込めない少女に、眞は手を差し出した。

 

白くて、汚れのない手。氷のように冷たいはずの指先が、不思議な温かさを宿していた。少女は初めて知った。人の手とは、こんなにも温かいのだと。

 

気づけば──その手を、握っていた。

 

この物語は国の将軍に拾われた少女が侍女として成長していく話である───。

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