名もなき孤児が将軍様に拾われまして   作:せっせこパパイヤ

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第十話「道の先」

夜明け前のヤシオリ島は、静寂に包まれていた。私は一人、獣道を歩いていた。湿った土を踏む音だけが、闇に響く。

 

島の空気は重い。説明しがたい圧迫感が肌に纏わりつく。じめじめした湿気が、着物の下までしみこんでくるようだ。魔神オロバシの残滓か、それとも戦いの記憶がこの地に刻まれているのか。

 

この道を、何度歩いただろう。魔神を滅ぼした日から、何度この地を訪れただろう。

 

だが、今日は違う。今日はあの侍女を待っている。

 

なぜ、あの娘を連れてきたのか。私でもわからない。

 

私と眞が双子としてこの世に生まれ落ちたのは、運命だったのだろう。

 

眞は光だ。この世の全てに愛を注ぎ、言葉で、思想で、在り方で、この稲妻を照らそうとした。私は──そうはなれなかった。

 

この世の全てを愛することも、人々に言葉を贈ることも、できなかった。自分を表現する術を、私は持っていなかった。

 

いや、持とうとしなかったのかもしれない。

 

眞が全てを担っている。ならば私は、その影であればいい。影は語らない。影は愛さない。影はただ、そこにあるだけだ。それが私の役割だと、そう決めた。

だから、刀で表現しようと思った。これが私だ。この刃が、私という存在の全てだ。

 

稲妻のために。眞のために。これまで数えきれないほどの魔物の血を流し、肉を断ち、命を刈り取った。

そして、武神と呼ばれるまでに至った。だが、そこから先は何も感じることはなかった。

 

達成感も、満足感も、正義感も。何もない。ただ、斬ることに何も感じなくなった自分がいるだけだった。

眞は持っている。人を愛する心を。変化を喜ぶ感性を。一瞬を慈しむ優しさを。

 

私にはない。絶対的な力の代わりに手に入ったのは、血と肉の山だけだった。

 

それでも、私はその道をあきらめることはなかった。眞という光があったから。

 

眞の思想が、稲妻には必要だ。この国を導く思想だと信じている。

 

その光がある限り、私はこの虚無を受け入れよう。これはきっと代償だ。武神になるということはそういうことなのだろう。

 

自分は足を止める。

 

では、なぜ私はあの侍女に期待しているのだろう。

 

不要だと切り捨てたはずのもの。諦めたはずの感情。それに、今、操られているのか。

 

あの侍女を見て、何を期待している。何を求めている。

 

これに正解は存在しているのか。

 

やがて、開けた場所に出た。

 

無想刃狭間。

 

かつて私が魔神オロバシを滅ぼした一太刀の痕。大地が裂け、今も癒えることのない傷跡。

 

自分はその縁に立ち、遠くの水平線を見つめた。

 

水平線が、白み始めていた。夜明けだ。

 

やがて、朝日が昇り始める。眩い光が、水平線から溢れ出す。

 

自分はその光を見つめた。だが、その瞬間視線を逸らした。

 

眩しい。いや、違う。痛い。胸が締め付けられるように痛い。

 

私には、直視できない。

 

無意識に手を上げ、目元を覆った。指の隙間から漏れる光が、網膜を焼く。

 

なぜこんなにも苦しいのだろう。

 

何度も見てきた朝日だ。

 

それなのに、今日は──。

 

私はゆっくりと手を下ろした。だが、視線は朝日には向けられない。足元の、己の影を見つめる。

 

長く伸びた影が、地面に黒く横たわっていた。

 

数分後、例の侍女が島にやってきた。ここから少し離れた所で、私を探しているらしい。

 

「こちらですよ」

 

私は少し声をあげて、呼ぶ。

 

気づいた侍女は駆け足で近づいてきた。

 

「少し──、遅れましたね」

 

「申し訳ありません。朝餉を食べる時間で少し──」

 

「朝餉の時間はまだ先では?」

 

「影様、この世には前倒しという言葉があります」

 

「...ただのつまみ食いですね」

 

私は侍女の頬についているご飯粒を指さす。

 

「言葉のあやということにしていただけませんでしょうか」

 

侍女は急いでそれを食べた。

 

「ここ最近のあなたの行動は不適切です。仕えるべき主の威厳を損ねることになるのでやめるように。──ですが、特別に今回は見逃しましょう」

 

「ありがとうございます」

 

「そうなった原因が私にありますから」

 

「──それでなぜ私をここに?」

 

「それは──その」

 

私は次の言葉が出なかった。

 

彼女を呼び出した者として、正直に言う責任がある。

 

ここまで時間があったのにも関わらず理由を考えられなかった。

 

今でもなぜあのようなことを口走ったのかおどろいている。

 

本当にこの娘の前では調子が狂ってしまう。

 

「正直に言いましょう。なぜ、あなたを呼んだのか、私でも分かりません」

 

「...えっ?」

 

侍女が信じられないというふうに口を開けている。当然の反応だ。

 

迷っていてはダメだ。既にこの気持ちを処理することを数日前に決めたではないか。

 

──決心がぶれるのは自分らしくない。

 

「すみません、今の言葉は忘れてください」

 

「は、はぁ...」

 

「呼んだ理由は、あなたの覚悟を見るためです」

 

「覚悟、でありますか」

 

「あなたが目指す道は過酷そのものです。それに覚悟はできているのかということです」

 

風が吹いた。

 

「実際はどうなのですか?」

 

「無論です。とっくにできています」

 

私は侍女の目を見つめた。

 

彼女の瞳に曇りは一つもない。野生動物のような鋭い眼光の中に私の全身が映っている。

 

だが、まだ判断できない。この目は本気なのか、それとも、無知ゆえの勇気なのか。

 

「前を見てください」

 

侍女の視線を巨大な裂け目に誘導する。

 

私は侍女を見た。

 

驚いている様子はない。むしろ、淡々とした表情で狭間を見下ろしている。

 

「そこまで驚いていませんね。意外でした」

 

「何度も見ておりますから」

 

侍女は平然と答えた。

 

「そういえば、二年前にこの島で会いましたね。もしかすると──あなたはこの島出身ですか?」

 

侍女が頷く。

 

「何十回、何百回とこれを見ていますから──。そこまで驚いていません」

 

「なぜ、これができたのか知っていますか?」

 

「いえ」

 

淡白な返答だった。そこまで興味がなさそうなのがひしひしと伝わってくる。

 

「これはかつて、私が魔神を滅ぼした時の跡地です。ええ──’’一撃’’で」

 

私はあえて一撃という単語を強調した。

 

自慢したいわけではない。ただ、彼女に知ってほしかった。’’差’’というものを。

 

「あっ、魔神をですか」

 

侍女は改めて裂け目を見下ろした。だが、それでもまだ実感が湧いていないようだ。

 

考えてみればそうだ。目の前にあるのはただの裂け目。過去の出来事。そこに込められた力の大きさは見ただけではわからない。

 

と、なれば実際に体感してもらうのが一番だろう。

 

私は視線を上げ、遠くを見た。

 

海の向こうに小さな島が見える。

 

「あの島が見えますか?」

 

侍女が視線を向ける。

 

「はい」

 

私は足元に転がっていた木の棒を拾い上げた。

 

あの島には、生命の気配がない。人も、獣も、魔物すらいない。ただ岩と土だけの小さな無人島だ。

 

「見ていてください。──あと、少し離れるように」

 

侍女は不思議そうな顔をしながらも、二、三歩程下がった。

 

それを確認すると、私は木の棒を握り、構えた。

 

雷元素を巡らせる。木の棒が、負荷に耐えられず軋んだ。一撃だけなら、持つだろう。

 

振り上げる。

 

一拍。

 

振り下ろした。

 

紫電が棒を起点に迸り、空間を一直線に駆け抜ける。

 

海面すれすれを滑るように進み、波頭を蒸発させながら島へと突き進む。

 

その軌跡に沿って、海水が瞬時に気化し、白い蒸気の帯が生まれた。

 

雷光が島に到達した瞬間──轟音。

 

空気が爆ぜる音が、遅れて届いた。

 

島が消えた。

 

岩も、土も、全てが光に呑まれ、跡形もなく霧散する。

 

島があった場所の海面が深く抉れ、巨大な水柱が立ち上がった。

 

それもすぐに崩れ、波が戻る。なにもなかったかのように、穏やかな海だけが残った。

 

手の中で、木の棒が崩れた。

 

炭化し、風化し、塵になって落ちる。

 

私は侍女を見た。動かない。

 

口を僅かに開けたまま、消えた島を見つめている。瞬きすらしていない。呼吸が止まっているのではないかと思うほど、硬直している。

 

ああ。この娘にとっては、初めて見る光景か。

 

私にとっては何度も繰り返してきた、ただの一撃。オロバシを斬った時もそうだった。

 

だが、人の目にはこう映るのだろう。

 

理解を超えた力。それが神と人の差だ。

 

「これが神の領域です」

 

私は静かに告げた。

 

「人では届きません」

 

しばらくの間、返答はなかった。まだ言葉が追い付いていないのだろうか。

 

やがて、侍女がぽつりと言った。

 

「──すごいですね。島が...消えた」

 

私は黙って続きを待った。

 

侍女は少し間を置いてから、また口を開く。

 

「でも──それだけです。それ以上でも、それ以下でもない」

 

その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。

 

「と、いうと?」

 

「眞様の刀を見たときは、違いました」

 

侍女は続けた。

 

「あの剣劇をみていた時──目が離せませんでした。刀が動くたびに、胸の奥が締め付けられるような感覚があって、美しいとか、恐ろしいとか、そういう言葉じゃ足りなくて。でも確かに、何かが伝わってきました。ですが、影様の一撃には──それがなかった」

 

私は答えなかった。否定はできない。否定するための言葉もない。

 

「......そうですか」

 

私は短く答えた。

 

しばらく、沈黙が続く。

 

「道を極めれば、何かを失います」

 

私は静かに口を開いた。

 

「私は力を手に入れました。斬れないものはありません。今見せた一撃が、その証です。ですが──斬ることに何も感じなくなりました」

 

侍女は黙って聞いていた。

 

「怒りもない。悲しみもない。斬るべき理由があるから斬る。ただ、それだけです。事実が積み重なるです。一瞬は──そこには宿らない」

 

海鳥が一羽、遠くを横切った。

 

「眞は、自分自身に力がないと思っているようですが、いざとなれば、一人で戦えると信じています」

 

私は少し間を置いた。

 

「眞の刀に何かを感じたとあなたは言いました。それが答えです。強さではなく──眞が人を、一瞬を、この国を愛しているから、その思いが刀に宿る」

 

「......はい」

 

「私にはそれがありません」

 

静かに、しかしはっきりと、私は言った。

 

「美しさも、温もりも、一瞬を慈しむ心も──今の私にはない」

 

 

侍女は何も言わなかった。

「あなたも眞の思想に魅了されたのでしょう。そうなりたいと、どこかで願ったはずです」

 

侍女は答えない。だが、否定もしなかった。

 

「眞の刀が美しかったのは、眞が一瞬を愛していたからで──、その道を歩むということは常にそれと向き合い続けるということです」

 

私は侍女から視線を外し、水平線を見つめた。

 

「いずれ、先の見えない暗闇に立つ時が来ます。道が途絶え、光が消え、自分が何のために刃を振るっているのかさえわからなくなる時が」

 

私は一瞬を間を置いた。

 

「──その時、あなたは後悔する」

 

風が止んだ。沈黙が落ちた。

 

波の音だけが、遠く低く響いている。

 

侍女は何も言わない。言葉を探しているのか、それとも、もう答えを持っているのか。

 

やがて──侍女が笑った。

 

声を立てるほどではない。ただ、こらえ切れないように、口の端が持ち上がった。

 

短く、軽く。まるで、今の自分には関係のない話だとでも言うように。

 

──何だ、この娘は。

 

あれだけの言葉を聞かされて、笑う。恐怖でも強がりでもない。本当に、何でもないように笑っている。

 

「......よかった」

 

侍女が呟いた。力が抜けたような、ふっと息をついたような声だった。

 

「よかった...とは?」

 

「そんな程度で済むなら、喜んで差し出します」

 

侍女は私を真っ直ぐ見た。笑みはもうない。ただ、静かな炎のような目だった。

 

「後悔だろうが、虚無だろうが、結構です。それがこの道の代償なら、今すぐ払いますよ」

 

「......」

 

「道がないなら、作ればいいんです」

 

短い言葉だった。だが、その一言に、迷いが一切なかった。

 

「道の果てに何もなかったと言いますが、私はそれでもその先も歩きます。誰も歩いていないなら、踏み固めながら進む。それだけのことです」

 

侍女は一歩、前に出た。

 

「眞様という光がある。私にはそれで十分です。光に向かって、ただ突き進む。道の終わりは──自分で決めない。それが、私の存在証明です」

 

風が吹いた。侍女の髪が、朝の光の中で揺れた。

 

「影様の存在意義はなんですか?」

 

私は動けなかった。

 

言葉が来ない。反論ができない。この娘の言葉の何を、どこを、どう崩せばいいのかわからない。

 

無謀だ。子供の言葉だ。本当にこの意味を理解しているのかわからない。

 

それはわかっている。

 

それでも──。

 

沈黙が続いた。

 

やがて、今度は私は笑っていた。

 

自分でも気づかなかった。いつの間にか、口の端が上がっていたのだ。

 

今なら眞が気に入った理由が少しはわかるような気がする──。

 

「面白い」

 

声に出ていた。

 

侍女が目を丸くする。私は構わず続けた。

 

「いいでしょう。そこまで言うのならば、あなたに武を教えることを約束します」

 

「えっ!いいんですか!?」

 

侍女の声に色がつく。

 

「ただし──!基礎的な部分だけです」

 

「き、基礎...?」

 

「今でも人と神の差ははっきりとしています。それは事実です。それに、武の型を身につけた後は──己の才能と経験あるのみだからです」

 

侍女は黙って頷いた。しかし、その顔は少し不服そうだ。

 

「ですが──、土台すらない刃は、光にすら届きません」

 

私はゆっくりと朝日の方へと向き直った。

 

眩しい。だが今は、目をそらさずにいられた。

 

「あなたの刀は、まだ剥き身です。斬れはします。しかし今のままでは自分も──眞も傷つけてしまう」

 

水平線の光がじわりと広がっていく。

 

「私があなたの鞘をつくりましょう」

第十話[完]

 

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