名もなき孤児が将軍様に拾われまして   作:せっせこパパイヤ

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第三話「野性と理性②」

冷たい朝の空気が庭を覆う中、鋭い掛け声が一糸乱れずに響き渡っていた。

 

「えい!」「やあ!」

 

木刀を構えた数十名の者たちが、見事なまでに同期して素振りを繰り返す。その大半は幕府の兵士たちで、所々に混ざる侍女の姿が目立つ。自分もその1人だった。

 

自分がなぜ、この兵士の訓練の場に混ざったかと言うと、正直分からない。眞様に勧められ、来ただけだ。だが、面倒くさい雰囲気はしない。

 

「えい......」

 

彼女も周囲に合わせて木刀を振り下ろす。しかし、内心は混乱していた。想像していたのと全く違う。

 

───こんなのが武術の訓練?

 

孤児時代、彼女が覚えた「戦い」とは、もっと獣じみた、生きるか死ぬかの行為だった。無駄を一切省いた動き、相手の急所を確実に狙う技術───それが「強さ」だった。

 

ところがここでは今のところ、同じ動作を繰り返し、皆で声を揃え、木刀を振っている。

 

───何のために?

 

「やあ...」

 

侍女の次の一声が、僅かに遅れた。思考が乱れ、動作にも影響が出始めている。周囲の完璧な同期から、彼女だけが微妙にずれていく。振り下ろすタイミング、足を踏み出すタイミング、全てが周りの兵士たちと微妙に噛み合わない。

 

教官が静かに列の間を歩きながら、一人一人の姿勢を確認している。自分の前を通り過ぎようとした時、教官の足が止まった。

 

「呼吸が乱れておるぞ」

 

教官の声は、彼女だけに聞こえるほど低い。

 

「もっと動きに集中しろ。余計なことは考えるな」

 

「はい......」

 

自分は俯いてそれだけしか答えなかった。だが、内心では納得がいっていない。

 

───余計なこと?この動きの意味を考えることが、なぜ「余計」なのか。

 

「了承したなら、続けろ」

 

教官はそれ以上を追求せず、先へ進んだ。

 

彼女は再び木刀を構え、周囲に合わせて振り始めた。形の上では従っているが、心の中では疑問が渦巻いたままだった。この訓練では、彼女が求める「強さ」とは、どうにも方向性が違う。ただ、今は従うしかない。眉をひそめ、不満そうな表情を浮かべながら、彼女は型通りの動作を続けた。

 

何時間も続く型の稽古。ひたすら同じ姿勢を取り、同じ足運びを繰り返す度に、侍女の焦りは募っていった。木刀は相変わらず重く、型という檻は手足を縛り付ける鎖のように感じられた。

 

そして気づけば、もうすぐで夜が来る時刻になっていた。

 

「最後に組み手を行おう」

 

教官の一言に自分の目に光が戻った。

 

───ようやくか。

 

自分も含め、周りの人達が宛てがわれた兵士と一緒に散らばる。

 

「組み手を始める前に、互いに向き合って、礼を忘れるな」

 

教官の声が響く。兵士たちは慣れた様子でお互いに深く一礼する。周りの侍女や見習い兵士も多少ぎこちないながらもそれに倣った。

 

向かい側にいる兵士は侍女の緊張を解こうと思ったのか、口角をあげると深々と頭を下げる。だが、自分は相手よりも浅く腰を折った。

 

「礼が浅い。やり直しだ」

 

侍女のことをじっと見ていた教官がすかさず割り込む。

 

早速、相手の間合いを詰めようとしていたが、足が止まる。不満たらたらの顔で教官の顔を見た。

 

「......はい」

 

素振りの時に注意された時よりもさらに掠れた声で返事する。そして、深々とお辞儀をした。

 

「始め!」

 

号令と同時に、彼女は飛び出した。兵士が教えられた型通りに振りかぶる間も与えず、彼女の木刀は直線的に相手の懐へ突き進む。

 

結果は一瞬だった。兵士は吹き飛び、地面に叩きつけられた。

 

「何をしている!!」

 

教官が自分に向かって怒鳴る。周りの人々の手が止まり、一斉にその方向を向いた。視線という刃先が自分の肌に突き刺さる。

 

教官はその場から走り出し、地面に倒れている兵士の元に駆けつけた。

 

「大丈夫か?」

 

「は、はい...」

 

突き飛ばされた兵士は痛みで顔を歪めながらも、何とか立ち上がる。

 

「模擬戦を通しての型の復習だと言ったろう!話を聞いていなかったのか貴様は!!」

 

自分は立ち尽くしたまま、兵士を見つめた。相手は立ち上がっている。致命傷ではない。何か言うべきなのだろうか。だが、何を言えばいいのかわからない。

 

「......勝ったんです」

 

口から出たのは、そんな言葉だった。

 

教官の顔が歪む。また、何か間違えた。

 

「何を言ってるんだ、そもそもこれは勝負ではない!ここは野獣の縄張り争いではないぞ!」

 

教官の剣幕に、周囲の兵士や侍女たちも息を呑む。

 

自分はただ、じっと教官を見つめ返した。

 

教官も周りの視線に気づいたのか、兵士や侍女たちに振り返る。

 

「......今日は、お前はもういい。城に戻れ」

 

「ですが...」

 

「戻れと言っている!!これは命令だ!」

 

「......わかりました」

 

自分は軽く会釈すると、訓練場の隅へと歩き出した。背中に突き刺さる視線の感触が、完全に姿が見えなくなるまで拭いきれなかった。

 

夜、布団の中で、思考を巡らせていた。木の天井の1点に視線を注ぎ込みながら、今日の光景を思い出す。

 

──なんだ?なんで自分はあんな行動をとった?周りに知らない人間が大量にいたからか?

自分は周りに嫌悪感を抱く。そして、無意識にそれが顔や行動に出る。それは分かっている。そのせいで自分はあの行動に出てしまったのだろうかと自問自答する。

 

ふと寝返りをした時、教官のとある言葉を思いだす。

 

「野獣の...縄張り争い...」

 

その言葉が妙に引っかかる。

 

相手の言葉なぞ数分も経てば忘れてしまうのに、時々その言葉は覚えている。その言葉はどれも2年前の自分の境遇に近いものを言い表すものだ。

 

そのことを思うと、段々と心臓の鼓動が早くなってくる。耳にそれが聞こえるほどだ。

 

──まさか...自分は今、’'焦って’'いるのか?自分と周りは違うから?

 

胸の奥に、ざわざわとした不安が広がる。それは、居場所を失うことへの恐怖に似ている。

 

「いや...それはないな...。絶対に。そう...絶対に」

 

そう呟いて、侍女は目を閉じた。すると、先程までの雑念は消え失せ、意識は奈落の底に落ちていく。

 

2日目、訓練場の空気は明らかに変わっていた。自分が足を踏み入れると、ちらりと視線を寄越す者もいたが、長くは続かない。目が合うと、気まずそうに逸らされる。

 

「おはようございます」

 

隣にいた侍女に声をかけてみる。相手は一瞬、驚いたように目を見開いた。

 

「あ......おはよう」

 

短く返事すると、すぐに別の侍女の方へ歩いて行ってしまった。その背中を見送りながら、自分は木刀を握る手に力を込めた。

 

組み手の相手が決められていくが、自分の名前は呼ばれない。教官は意図的に視線を逸らしているようだった。

 

「お前は今日も型の稽古だ。あそこでやれ」

 

教官が訓練場の隅を指差す。ほかの者たちから離れた場所だ。

 

この「排除」は、自分にとってなじみ深いものだった。孤独は昔から自分の居場所だ。誰もいないほうが、むしろ落ち着く。

 

──本当にそうなのか?

 

一瞬、胸に引っかかる何かがあった。だが、すぐに振り切った。考えても仕方ない。今は自分と木刀だけに集中すればいい。

 

侍女は訓練場の隅に場所を定め、ひたすらに木刀を振り始めた。周りの掛け声や木刀の触れ合う音は、もはや雑音でしかない。教えられた型通りに動くことはない。より鋭く、より速く、より確実に斬るための動きを、体で探り続ける。

 

──この孤独な反復の中にしか自分はいない。そう確信している。

 

3日目も同じだった。だが、昨日よりも周囲との距離は深まっている気がした。

 

「あの子、将軍様に拾われたからって、やりたい放題よね」

 

訓練前、着替え場で聞こえてきた声。自分のことを言っているのだと、すぐにわかった。

「でも、孤児だったんでしょう?かわいそうだとは思うけど......」

 

「可哀そうだからって、あんな乱暴な真似していいわけないじゃない」

 

ひそひそ話は続く。自分は何も聞こえないふりをして、黙って木刀を手に取った。

 

訓練場に出ると、教官が待ち構えていた。

 

「おい」

 

低く威圧的な声が背後で響いた。振り返ると、教官が腕を組んで立っている。その眉にはっきりと刻まれた皺が、彼の不満の深さを物語っていた。

 

「こっちへ来い。今すぐだ」

 

教官はそれ以上待たず、訓練場の裏手へと歩き出した。

 

自分は一瞬、唇を堅く結んだ。何を言われるかは容易に想像がついた。しかし、従う以外に選択肢はない。黙って教官の後を追った。

 

裏庭は訓練場の喧騒から隔絶された別世界のようだった。朝露がクモの巣を宝石のように飾り、小鳥のさえずりだけが平和に響く。教官は古びた井戸の縁に腰を下ろし、自分のことをじっと見つめた。その視線は重く、鋭かった。

 

「昨日は、お前を放っておいた」

 

教官の声は低く、渇いていた。

 

「わかるか?あれはな、お前が己の過ちに気付き、輪に戻ってくるのを待っていたのだ。だが、お前は相変わらずだ。あの場所で、己が正しいと信じる動きを続けていた」

 

自分は黙っていた。

 

教官は深く息を吐き、言葉を選ぶように間を置いた。

 

「聞こう。お前はなぜ、型にそこまで反抗する?」

 

「回りくどいからです。あの動きには無駄が多すぎる。もっと直接的に、速く斬り込む方法が存在します」

 

迷いなく、しかし確かな意思を持って答えた。だが、教官はその言葉を聞いて、苛立ちを滲ませて首を振った。

 

「回りくどい?無駄?その狭い了見がすでに過ちの源だ」

 

教官は立ち上がり、自分の目の前に立った。

 

「型は千年を超えて受け継がれてきた──だが、それは飾りではない。お前の動きは確かに鋭い。だが一度きりだ。型とは、何度でも同じ精度で技を繰り出せる再現性を与える。疲れていても、負傷していても、動揺していても、型に身を任せれば、体が勝手に動く」

 

教官は続ける。

 

「第二に聞け。お前も含めて兵士と侍女は稲妻幕府に仕える者だ。そこには秩序があり、礼節がある。乱暴なふるまいは決して許されぬ」

 

教官の声に熱がこもり始める。

 

「第三に、何よりこの国を守る真の強さを身に着けるためだ。将軍様は強大な御方だ。だが、この稲妻全体を、その広大な領土と民すべてを、御一人で守り切れると思うか?我々一人一人が強くなることで、将軍様の御力が行き届かぬ隅々まで光を届け、国の平和を守ることができるのだ!型を学ぶとは、己の剣技を磨くだけでなく、個人の強さを超え、国を守る一員として自覚を持つための第一歩なのだ!」

 

教官の言葉は、頭には入った。論理としては理解できる。だが、なぜかそれが「綺麗ごと」のように聞こえる。路地裏で培った感覚が、理想論をまったく受け付けなかった。

 

「......お言葉は承りました」

 

自分は一礼した。口元は礼儀正しく整っているが、その目は一点の曇りなく、芯まで確固としていた。心の中では、教官の言葉が遠くの世界の話のように響いていた。

 

教官は侍女の様子をじっと観察し、細めた目をさらに細めて、冷たいため息をついた。

 

「ふん、口先では穏便に取り繕いながら、その目は何一つ受け入れていない。馴染めぬ獣が無理に従うふりをしているようだ」

 

教官の声には、もはや怒りすらなく、ただ呆れと諦めだけがにじんでいる。

 

「いいだろう。ならば、はっきりさせよう。お前のような考えの者は、集団訓練には不要だ。お前がこの場にいる限り、風紀は乱れ、他の者の邪魔でしかない」

 

教官は見下すように言い放った。

 

「選択肢は二つに一つだ。わが方針に従い、己を律して皆と足並みを揃えて訓練に励むか......この訓練を外れるか。今ここで選べ」

 

一瞬の、しかしあまりにも深い沈黙が庭を包んだ。小鳥のさえずりさえもが止んだように感じられた。自分は己の鼓動を耳にする。頭では教官の言うことが正しいのかもしれないとわかっていても、胸の奥で燃える何かが許さなかった。

 

自分は静かに、しかし揺るぎない決意をもって首を振った。

 

「ありがとうございました」

 

深々と頭を下げ、その場を後にする。

 

石畳を踏む足音だけが響く。振り返れば、あの広い庭、整然と並ぶ兵士たち、木刀の擦れ合う音──すべてが遠ざかっていく。訓練場を去る足が微かに震えていた。

 

──また、失うのか?いや、そんなことはどうでもいい。自分には刀があればいい。

 

そう自分に言い聞かせながら、城へ戻った。

 

部屋に戻り、障子から訓練場を見下ろす。兵士たちが入り乱れていた。

 

違和感は消えなかった。

 

みんなは何のために刀を振るのか。自分とは何かが違う。その何かがわからない。

 

自分にとって刀は生き延びるだけの道具だった。ここは衣食住が保証されている。それなのに強くなろうとしている。刀を特別なもののように扱っている。美しくふるまい、型にこだわり、礼儀作法にうるさい、そんな物が自分にとっては気持ち悪いものに見える。

 

──いや、本当はわかりたくないだけか?

 

その問いが、ふと心に浮かんだ。

 

自分は急いでその考えを振り切った。考えても仕方ない。

 

ふと、目の前に転がっている木刀を見る。だが、すぐに目を逸らし、残っていた仕事を終わらせるために部屋を出ていった。

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