名もなき孤児が将軍様に拾われまして   作:せっせこパパイヤ

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第六話「須臾の永遠」

日が傾き始めた頃には、自分と眞様は鳴神大社に続く階段を登り始めた。

 

大社は標高が高い山の頂上にある。見上げれば、石段は霞むほど遠くまで続いていた。無限に思えた。

 

ようやく頂上の影が見えてきた頃には、足に鈍い痛みが走り、息が上がっていた。それでも眞様の表情は、まるで散歩しているかのように穏やかだった。

 

「大丈夫ですか?」

 

眞様が振り返る。

 

「は、はい。大丈夫です。お気になさらず」

 

できるだけ平静を装って答える。

 

ここに来るまで、眞様は何度も自分に声をかけてくれた。気遣いなのだとわかっていても、どこか申し訳ない気持ちになる。

 

自分の腰には一本の刀が差してある。自分のものではない。眞様の物だ。

 

この石段を登る直前、眞様は何も言わずにこれを自分に預けた。「使うかもしれないから」という、ただそれだけの理由だ。

 

自分は、深く問うことなく承諾した。

 

ただ、眞様が刀を手渡した時、その顔に浮かんだ表情が忘れられない。懐かしさと、忌避感。相反する感情が入り混じったような、複雑な色だった。

 

大社まで残り数十段というところで、視界が開けた。

 

朱色の鳥居が幾重にも連なり、参道の両脇には古びた石灯籠が整然と並んでいる。その上を、桜の花びらが静かに舞い落ちていた。

 

「綺麗でしょう?」

 

眞様が問いかける。

 

「そう......ですね」

 

確かに美しい。稲妻城から見える桜とは、どこか違う。花びら一枚一枚に、神聖な何かが宿っているように見えた。

 

「圧巻ですね。同じものを見続けると飽きてしまうと言いますが、鳴神大社の桜は一年中咲き続けるのに、いつ見ても初めて見たような感動を与えてくれます」

 

「さ、桜が一年中咲くのですか?」

 

自分は驚いた。そんな話は聞いたことがない。

 

「ええ。この山は神櫻が根を張る特別な場所です。力がこもっています。だからこそ、半永久的に美しく咲き誇るのです」

 

その言葉に自分は黙って頷いた。

 

やがて、最後の鳥居をくぐる。

 

目の前に広がったのは、想像を遥かに超える光景だった。

 

朱色と黒を基調とした荘厳な社殿。優雅な曲線を描く屋根。細部にまで施されている装飾が、この神社の格式の高さを物語っていた。

 

夕日に染まる空と桜が相まって、自分はその場に立ち尽くした。

 

そこへ、若い巫女が駆け寄ってくる。自分たちに気づいたのだろう。

 

「あの、すみません。本日の参拝時間は──」

 

だが、その声は途中で途切れる。眞様の顔を見て、血の気が引いていくのがわかった。

 

「しょ、将軍様!?」

 

巫女が慌ててお辞儀をする。その動きがあまりに急だったため、つまずきそうだった。

 

「お疲れ様です。急に押しかけてしまい申し訳ありません。狐斎宮はいますか?」

 

「お、お待ちください!い、今すぐ──」

 

「よい」

 

巫女の背後から、静寂を強制する声が響いた。女性の声だ。

 

一斉に振り返る。そこには頭から狐耳を生やしている、白い短髪の女性が立っていた。

 

服装は若い巫女と同じだが、纏う空気が違う。圧倒的だった。自分は一瞬でこの人物が狐斎宮だということがわかった。

 

「お主が来ることが気配でわかったわ」

 

狐斎宮が口角を上げながら、こちらに歩いてくる。

 

「お主は下がってもよい」

 

若い巫女に指示を出す。「は、はい!」と言いながら、その場を去っていった。

 

「しかしまあ、事前の連絡も無しに来て...」

 

「斎宮、久しぶりですね」

 

眞様が、穏やかに微笑む。

 

「久しぶりも何も、先月も来ただろう。しかも、またこんな夕暮れ時に」

 

狐斎宮は、呆れたように眞様を見た。だが、その表情は怒っているというより、どこか嬉しそうだった。

 

「すみません、今日はこの子と大切な話がしたいので、やってきました」

 

「ほう......。こちらが前から話していた侍女とやらか」

 

狐斎宮は自分と同じ目線の位置までしゃがみ込むと、じっと見つめてきた。思わず、半歩後ろに下がってしまった。

 

その目に敵意はない。だが、鋭い。興味深そうに──いや、何か探るような視線で見つめている。何か、内側を見られているような気分だ。

 

「烏の子か...」

 

低い呟き。

 

「わかりますか?」

 

眞様がすかさず答える。

 

「ああ。だが、妖の血は外見に特徴が出ない程度に薄い。大方、元々血の薄い妖怪と人間が子を宿したのだろうな」

 

「えっと...何のお話ですか?」

 

自分は困惑した。一体どういうことなのだろうか。私に烏の血が入ってるだって?

 

「知らなかったのですか?あなたの体の中に妖怪の血が流れてることを」

 

「は、はい......」

 

ますます動揺してしまった。そんなことを急に言われても、正直反応に困ってしまう。

 

「そう...でしたか。私はてっきり、あなたが知っていると思っていました」

 

「親が教えてくれなかったのか?」

 

狐斎宮が聞く。

 

「いえ。......ですが正直、私の血に人間ではないものが混ざっていても気にしません」

 

「気にしないという問題ではない。お主はいずれ──」

 

狐斎宮は自分の言葉に覆いかぶさるように言葉を発した。

 

だが、何かを思い出したかのようにそれは止まってしまう。理由はわからない。しかし、狐斎宮の視線は眞様に向いていた。

 

「斎宮?」

 

「いや...なんでもない。わすれてくれ」

 

今にも発せられそうな言葉を押し込み、狐斎宮は姿勢を正す。

 

「──それで将軍、お主はこの子と大切な話がしたいと言っていたな。部屋を貸そうか?」

 

「え、ええ。お願いします」

 

「案内しよう」

 

自分と眞様は、木の廊下を歩き、とある和室の一室を案内された。

 

格式高い外観と比べて、部屋は驚くほど質素だった。和室の中央には文机と座布団があるだけ。装飾らしい装飾もない。

 

「ここでゆっくりしていってくれ」

 

「ありがとうございます、斎宮」

 

「気にするでない」

 

狐斎宮は一度こちらを見てから、眞様に視線を移した。

 

「......そういえば、その侍女と大切な話とのことだが。どうしてもここでなくてはいけないのか?」

 

「ええ、できれば」

 

眞様は障子窓の前に立ち、そこから覗く桜を見つめた。

 

「あまり人の目がないところで話したかったのもあります。それに、大切な話をするなら、この桜の下で」

 

その横顔は、いつもの穏やかな微笑みではなかった。真剣な──どこか覚悟を決めたような表情だった。

 

「わかった」

 

狐斎宮は小さく頷いた。

 

「将軍の真剣な表情を見るのは数百年ぶりかな。お主がそんな顔をするのは、それだけの理由があるのだろう」

 

彼女は肩を軽く揺らした。

 

「あいにく、今は茶と菓子が切れていて、何も出すことはできんが......」

 

「ええ。また今度、みんなを呼んでお茶でも」

 

眞様は振り返り、ようやく口角を上げた。

 

「ああ。じゃあ、私はこれで」

 

狐斎宮はぶっきらぼうに手を挙げると、静かに障子を閉めた。

 

足音が遠ざかるのを待ってから、自分は恐る恐る口を開いた。

 

「眞様......」

 

「はい?」

 

「狐斎宮様は、なぜ私の血に気づいたのでしょうか」

 

眞様は障子窓のほうを向いたまま答えた。

 

「彼女は狐の血を引く者です。狐は元来、人の本質を見抜く力を持っている。あなたの中にある妖の血を、感じ取ったのでしょう」

 

「そう......でしたか」

 

自分は俯いた。

 

その時、気づいた。全身から汗が噴き出していることに。

 

こんな短時間で、これほどの汗をかくなんて。暑くないのに。不快感もなかったはずなのに。

 

なぜ──?

 

違う。暑いのではない。これは焦りの汗だ。

 

でも、なぜ焦っている?

 

理由がわからなかった。何かが、心の奥底で警鐘を鳴らしている。

 

「どうしましたか?」

 

眞様が振り返り、自分の異常に気付いた。

 

「い、いえ......!」

 

平静を装おうとした。でも──。

 

「な、なぜ、狐斎宮様は最後の言葉を濁したのでしょうか...!」

 

勝手に言葉が漏れ出ていた。自分でも、なぜこんなことを聞いているのかわからない。

 

眞様は数秒考えてから、穏やかに微笑んだ。

 

「彼女はそういう人です。時々、そんなことを言うんですよ」

 

眞様は自分の目を見た。

 

「気にしなくて大丈夫です」

 

その言葉で、嘘のように不快感が消えた。

 

さっきまでの謎の汗も、正体不明の焦りも──まるで最初からなかったかのように。

 

不思議だった。なにも解消されていないのに、消えた。

 

「さて」

 

眞様の声に、自分ははっとする。

 

「では、説明いたしましょう」

 

眞様は静かに畳の上に正座した。

 

自分は無理やり雑念を振り払い、向かい合うように正座する。

 

「確認ですが、あなたは型を覚えることに、苦しんでいるのですね」

 

眞様の言葉に、自分は頷いた。

 

「はい......退屈だとか、そういう次元ではなくて」

 

言葉を探す。

 

「自分の存在そのものを削られているような......そんな感覚なんです」

 

眞様は黙って聞いていた。

 

「型を繰り返すたびに、自分の中で何かが失われていく。生きるために刀を握ってきた私が、何のために刀を握っているのかわからなくなってしまう......」

 

眞様は静かに頷いた。

 

「では、まず型とは何か──それを理解する必要がありますね」

 

眞様は一呼吸置いた。

 

「型とは、先人たちが命を懸けて編み出した、生き残るための知恵の結晶です」

 

「生き残るため......」

 

「構えの角度、足の運び、刀の軌道。一つ一つの動きに意味がある。それら全てが、生き残るために最適化されているのです」

 

眞様の言葉は明瞭だった。

 

「型を身に着けるということは、先人たちの知恵を体に刻むこと。生存の技術を、受け継ぐことなのです」

 

眞様はその場から立ち上がり、障子をゆっくりと開けた。数枚の桜の花びらが部屋に舞い込む。

 

自分はそれを視線で追った。

 

「私が雷神の座についてから数千年──その間に、何万人もの剣士を見てきました」

 

眞様の声が、少しだけ低くなった。

 

「才能のある者、努力する者、運に恵まれた者......そして、型を軽んじた者」

 

「型を軽んじた者は?」

 

「戦いの中で、必ず死にました」

 

即答だった。

 

「どれだけ才能があっても、どれだけ力があっても──型という基礎を疎かにした者は、真っ先に命を落とすのです」

 

自分は息を呑んだ。

 

「それは......なぜですか?」

 

「刀を極めた者同士の戦いとなれば、一瞬の判断、一瞬の動きが勝敗を分けます」

 

眞様は桜を見つめたまま続けた。

 

「型があるから、体が勝手に動き、敵を斬れる。剣技を極めれば極めるほど、基礎がどれだけ身についているか──それが露わになるのです」

 

沈黙が流れた。

 

眞様は自分に考える時間を与えてくれているのだとわかった。視線を外に向け、桜を眺めている。

 

自分は眞様の言葉を脳内で反芻した。

 

型は生き残るための知恵。基礎を疎かにすれば死ぬ。理屈としては理解できる。

 

でも──

 

「ですが......」

 

自分は慎重に言葉を選んだ。

 

「型を繰り返しているだけでは、意味がないように思えるんです。どれだけ頭の中で理解していても、体が拒絶してしまうというか......」

 

眞様は振り返った。

 

「そうですね。それが今回の本題です」

 

眞様は再び自分の前に座った。

 

「確かに基礎は重要ですが、型だけでは足りません」

 

「足りない......?」

 

「型はあくまで器です。そこに何を注ぐか重要なのです」

 

眞様は一呼吸置いた。

 

「型とは知恵の結晶であると同時に、時間の結晶でもあります」

 

「時間......ですか」

 

眞様は頷いた。

 

「大きな話をしましょう。剣技に限らず、この社会には無数の型があります」

 

「例えば?」

 

「あなたの体に染み付いている礼儀作法。毎日口にしている料理を生む農業の知恵。そして今あなたが座っているこの建築様式も──全て型です」

 

眞様は再び桜を見つめた。

 

「先人たちが改良に改良を重ねたおかげで、今があるのです」

 

眞様の声が静かに響く。

 

「もしこれらがなければ、毎回最初から考える必要がある。過去の失敗を繰り返す。知恵も継承されない。小さな綻びが生まれ、やがて壊滅的な混乱を招くでしょう」

 

自分はじっと眞様を見つめた。

 

「型があるからこそ、文明が維持できる。知恵こそが同じ失敗を避け、社会の秩序と安定を生むのです」

 

眞様は再び自分の前に座った。

 

「ところで、あなたは守破離という言葉を知っていますか?」

 

「しゅ......しゅはり?」

 

聞いたこともない言葉だった。急に聞かれて、慌ててしまう。

 

「守破離です」

 

眞様は一瞬だけ口角をあげた。

 

「師の教えを習うことから始まる『守』。その教えを自分なりに変えていく『破』。そして新たな流派を作り上げる『離』──私はこの言葉こそが、社会の真髄だと思っています」

 

「......存じ上げませんでした」

 

「これがあるからこそ、今の多種多様な社会ができているのです」

 

自分は眞様の説明を聞いて、理解した。

 

型には理由がある。先人たちの知恵が込められている。強くなるために必要だ。

 

頭では、わかった。

 

でも──

 

「では......」

 

自分は思い切って口を開いた。

 

「なぜ、その師とやらに教えられた人は、他人に教えたがるのですか?」

 

眞様の表情が変わった。

 

「それは......どういう意味ですか?」

 

「だって、おかしいと思いませんか」

 

自分は言葉を続けた。

 

「せっかく手に入れたものを、他人にも与えるなんて。見返りがあるわけでもない。自分がそれを独占してしまえば、はるかに幸せだと思うんです」

 

「......」

 

眞様は黙った。

 

自分は怒らせてしまったのだろうかと、ちらりと眞様の顔を見る。

 

その目は怒っていなかった。だが、喜んでもいない。何か──喜怒の中心を平行移動しているような、不思議な表情だった。

 

「確かに......あなたの言うことは一理あります」

 

眞様はゆっくりと言った。

 

「時にはいるでしょう、習ったことを私物化しようとする者も」

 

自分はその言葉に少し安堵した。わかってもらえると──

 

「ですが」

 

眞様の次の言葉で、その期待は裏切られた。

 

「それでも今、この稲妻という社会は成り立っている。それはなぜか......私にも、明確な答えは導き出せないのです」

 

自分は眞様の顔を見た。

 

雷神が、わからないと言った。

 

「結局、命というのは継承しないと淘汰されるのかもしれません。ここには神さえも超越してしまう、自然淘汰がある」

 

眞様は桜を見た。

 

「でも......継承する者の気持ちはわかります」

 

「気持ち......?」

 

「根幹にあるのは、何かを後世に伝えたい思い、自分の生きた痕跡を、この世に残したい願い」

 

眞様は静かに微笑んだ。

 

「それは情熱──いや、畢竟『希望』なのかもしれません」

 

希望。

 

その言葉が、自分の中で空回りする。

 

希望ってなんだ?そんなもの持って、どうなるんだ?

 

理解できなかった。初めて触れる概念すぎて、理解に苦しむ。

 

「......その顔は、どうやらわかっていないようですね」

 

「も、申し訳ございません」

 

「よいのです」

 

眞様は立ち上がった。

 

「きっとあなたには、言葉より肌で直接体験してもらうほうがよいでしょう」

 

「体験......?」

 

「では、刀を私に渡してください」

 

刀は自分の横に置いてある。それを手渡した。

 

そして、自分と眞様は部屋を出て──桜の木の下へと向かった。

 

夜は完全に来ていた。月が桜を照らし、風が花びらを舞わせる。

 

眞様が刀を抜く。鞘走る音が静寂を断ち切り、月光を受けた刀身が冷たく光った。

 

「下がっていてください」

 

言われるがまま、自分は縁側に座った。眞様は刀を見つめている。

 

ああ、またあの顔だ──。懐かしさと忌避感。訓練場で他の者たちが刀を見つめる時の顔。道具を見ているはずなのに、まるで何か大切なものを抱くような、そんな表情。自分には理解できない。理解したくもない。

 

だが、それ以上に見たかった。

 

──雷神がその道具で何を為すのか。

 

眞様がゆっくりと数歩進むと、刀を横に一閃した。

 

その瞬間、自分の中にあった疑問と期待は、何もかも消し飛んだ。

 

目の前の眞様は月光を受けながら、もの柔らかに、そして縦横無尽に刀を振るう。月と桜を舞台に、慎重な足運びでその場で剣劇を披露していた。

 

目が離せない。何も考えず、何も動かず、眞様の一挙一投足を視界に焼き付けている。

 

刀が横に流れる。その軌跡に沿って、花びらが舞う。まるで眞様の動きに合わせて桜が呼応しているかのようだ。いや、桜ではない。世界そのものが、眞様に従っているように見えた。

 

足さばきは静かで、地を滑るように移動する。音がしない。あれほど速く、鋭い動きなのに、足音一つ聞こえない。一歩、また一歩。その度に刀の角度が変わり、月光を反射して銀色の光が夜闇に溶ける。

 

刀が描く軌道は──生きている。流れるように、滑らかに、一つの物語を紡いでいく。月光と舞い落ちる桜が見事なまでに眞様に調和している。違う。眞様が、月と桜を従えているのだ。

 

縦に振り下ろす。横に薙ぐ。斜めに切り上げる。一つ一つの動きは型通りのはずなのに──あの退屈で苦痛でしかなかった型のはずなのに──まるで舞のように繋がっていく。途切れることなく、淀みなく。呼吸さえも計算されているかのように、眞様の身体は次の動作へと移行していく。

 

気づけば、立ち上がっていた。いつの間にか。縁側から一歩、前に出ていた。身体が勝手に動いていた。

 

瞬きが、惜しい。一瞬でも目を離したら、何か大切なものを見逃してしまう。

 

眞様の着物の裾が翻る。袖が風を孕む。その動きすらも刀の軌道を邪魔しない。全てが、全てが一つの絵画のように完成されている。

 

桜の花びらが、眞様の周囲で舞い続ける。風に乗って、月明かりの中を漂う花びらは、まるで眞様を祝福するかのようだ。ちがう──花びらが眞様の剣劇に惹かれて、自ら舞い降りているように見えた。

 

刀が月光を纏う。その刃は、まるで流れる水のようだ。柔らかく、しなやかに。だが、その奥に何か、言葉にできない何かが潜んでいる。

 

眞様の表情は穏やかだった。まるで古い友人と語り合うように、刀と対話している。そこには迷いも、躊躇いも、怒りもない。ただ、静かな決意だけがあった。

 

胸に、何かが刺さる。

 

──美しい。

 

優雅に、麗しく。言葉が足りない。でも、胸が熱い。夢中だ。

 

汗が、額を伝う。冷たい夜なのに。手が震えている。心臓が、激しく打っている。

 

やがて、眞様の動きが徐々に緩やかになっていく。最後の一振りが終わった後、完全に停止した。

 

眞様は、深く息を吐いた。その息が白く夜気の中に溶けていく。

 

ゆっくりと刀を収める。カチリ、という小さな音が響いた。

 

「どうでしたか?何を感じましたか?」

 

眞様が自分に問いかける。その視線は自分の顔をしっかりと捉えていた。

 

自分はすぐには答えられなかった。心臓が激しく脈打っている。全身が震えていた。恐怖なのか、興奮なのか、自分でもわからない。ただ、圧倒されていた。

 

「……恐ろしかった、です」

 

ようやく絞り出した言葉は、震えていた。

 

「でも──」

 

言葉を続けようとして、喉が詰まる。何と言えばいい?あの美しさを、どう表現すればいい?

 

「美しかった」

 

眞様は静かに微笑んだ。

 

「恐ろしく、美しい。それでいいのです」

 

眞様はゆっくりと歩み寄り、自分の隣に腰を下ろした。そして、鞘に収めた刀を膝の上に置く。

 

「刀は、命を奪う道具です。それは間違いない。だからこそ恐ろしい」

 

眞様の声は、夜の静けさに溶け込むように優しかった。

 

「でも──刀に込められるのは、殺意だけではありません」

 

眞様は刀を撫でる。まるで大切な何かに触れるように。

 

「守りたいもの。信じたいもの。そういった思いもまた、刀に宿るのです。あなたが今、美しいと感じたのは──その思いが、見えたからかもしれませんね」

 

自分は黙って、眞様の横顔を見つめた。

 

月光に照らされたその表情は、どこか遠くを見ているようだった。

 

「あなたに足りないのは、信念です」

 

眞様はそう言って、自分の目を見た。

 

「刀は、自分を映す鏡。あなたが刀に何を込めるか。それが、あなた自身を形作るのです」

 

自分の胸に、何かが突き刺さるような感覚があった。

 

「信念.....ですか?」

 

孤児だった頃、刀は生きるための道具でしかなかった。奪うため、身を守るため、ただそれだけの理由で振るってきた。だが眞様の刀には、それ以上の何かがある。

 

言葉にできない、でも確かに存在する、重い何か──。

 

自分は口を開く。

 

「眞様は刀にどのような信念を込めているのですか?」

 

眞様は少し驚いたような顔をした。だが、すぐに柔らかく微笑む。

 

「もちろん、この国を守ることです」

 

即答だった。迷いも、 ためらいもない。

 

眞様が立ち上がる。月光が、その姿を照らし出す。

 

「稲妻という大地。そして、その舞台を人々が紡ぐ''一瞬一瞬'’──それが私の守るべきものです」

 

「一瞬一瞬...?」

 

自分は繰り返した。その言葉の意味が、掴めない。

 

眞様は桜を見上げた。

 

「人は必ず変わります。それは避けられぬ真理。そして、その変化は──永遠の時の流れの中では、瞬き一つ程の刹那にすぎません。私はその刹那を一瞬と呼んでいます」

 

その声には、どこか深い想いが込められていた。遠い何かを見つめるような、そんな響き。

 

「だからこそ、私はそれを愛したい」

 

眞様はそう言って、自分を見た。

 

「人が生きる一瞬は、かけがえのない尊ぶもの。その一瞬に込めた想い、祈り、希望──それらすべてを、私は守りたいのです。その積み重ねこそが、この国の永遠を紡いでいく。そう信じたい」

 

眞様は刀を撫でる。

 

「そういった思いを、私は刀に託していました」

 

自分は眞様の言葉を噛み締める。

 

だが、何かが引っかかる。

 

人は変わる。でも、永遠。

 

その二つが、どうしても繋がらない。矛盾している。そんな気がする。でも、どう言えばいいのかわからない。言葉にできない。

 

「でも──それは......」

 

口が勝手に動いた。言葉が続かない。喉の奥で詰まる。

 

眞様は自分の顔を見つめた。そして、静かに微笑む。

 

「矛盾している、と思いましたか?」

 

自分は頷くことしかできなかった。

 

眞様は優しく笑った。どこか懐かしそうに。

 

「影も、同じことを言っていました」

 

眞様は桜を見つめる。

 

「桜は春に咲き、やがて散る。葉は秋に色づき、冬には落ちる。けれど、幹だけは変わらない。何百年、何千年と、その幹は大地に根を張り、立ち続けています」

 

眞様は舞う花びらを一つ、掌に載せた。

 

月光がその花びらを照らす。

 

「花は散っても、幹が残る。そして、また新しい春に、新しい花を咲かせる。変わらぬ幹が、移ろう花を支え続ける」

 

眞様は花びらを風に乗せた。花びらは、夜の闇へと消えていく。

 

「それが私の考える永遠です」

 

そして、再び眞様はこちらを見た。その瞳は、優しく、まっすぐだった。

 

「では、あなたは刀にどんな思いを託したい──いや、どんな存在になりたいですか?」

 

眞様の問いが、夜の静けさに響く。

 

自分は何に──。

 

なにも浮かばない。頭の中が真っ白だ。

 

眞様は、自分を拾ってくれた。居場所をくれた。食べるものをくれた。今もこうして、私と会話をしてくれている。

 

恩がある。大きな恩が。だから、恩を返したい。そう思う。

 

でも──それだけじゃない。恩義だけなら、こんなに胸が熱くならない。こんなに手が震えない。

 

眞様の剣を見た時、美しいと思った。

 

守りたいものがあると、その声を聞いた時、何かが動いた。胸の奥で何かが。

 

型を覚えろと言われても、わからなかった。なぜ。どうして。何のために。

 

でも今はわかる。

 

眞様のようにありたい。眞様の横にいたい。

 

眞様を───手放したくない。

 

胸が熱い。息が苦しい。この感覚は何だ。

 

恩義?違う。

 

感謝?それだけじゃない。

 

何かが足りない。言葉が足りない。

 

でも、わかる。

 

自分は──。

 

「私は──あなたを守る刃でありたい」

 

言葉が勝手に出た。

 

眞様の目が見開かれた。月光の中でその瞳が揺れる。

 

「......私を?」

 

「はい」

 

眞様は黙っていた。何か言おうとして、口を閉じた。

 

その表情は困っている?嬉しい?分からない。

 

やがて、眞様はゆっくりと口を開いた。

 

「それは......あなたの本心ですか?」

 

その声はいつもより少し震えていた。

 

「はい」

 

迷いは無い。

 

眞様は困ったような、でも嬉しそうな顔をした。

 

「私は神です。あなたは人間。私を守るなど──」

 

「できます」

 

言い切った。

 

眞様は首を横に振った。

 

「それは、あなたにとって重荷になるのではないですか?」

 

その声には、痛みが滲んでいた。自分を責めるような、そんな響き。

 

自分を心配している。

 

なぜ──守りたいのか。

 

言葉にできない。でも伝えたい。伝えなければ。

 

口が開く。

 

「私は......眞様の、その......」

 

喉が詰まる。続かない。

 

「あなたの思想が......」

 

違う。そうじゃない。思想だけじゃない。

 

手が震える。心臓がうるさい。

 

言葉が足りない。何も説明できない。

 

もどかしい。苦しい。

 

拳を握る。唇を噛む。爪が掌に食い込む。

 

眞様は黙って、自分を見つめている。その瞳は優しくて、それが余計に苦しい。

 

分からない。自分でも分からない。

 

ただ──気づけば、口が動いていた。

 

「あなたに──惹かれたのです」

 

声は小さかった。震えていた。でも、確かに言った。

 

夜が静まり返る。桜の木が微かに揺れた。花びらが1枚、ゆっくりと舞い落ちる。

 

眞様は動かない。瞬きもせず、自分を見つめている。時間は止まったようだった。

 

やがて、眞様の唇が、微かに動いた。

 

「......惹かれた、と」

 

繰り返す声はとても静かだった。

 

自分は頷く。そして、続けた。

 

「眞様の剣を見て──」

 

胸に手を当てる。心臓の鼓動が、掌に伝わってくる。強く、速く。

 

「眞様の言葉を聞いて──私は惹かれてしまいました」

 

言葉が出てくる。さっきまで詰まっていたのに。

 

「胸の奥が熱いのです。こんなの初めてで」

 

眞様は黙って聞いている。その目は、自分だけを見ている。

 

「きっとこれが、眞様の言っていた、想いとか、希望とか、そういうものなのだと思います」

 

自分は眞様の顔を、真っ直ぐ見た。

 

「だから、私はこの熱に突き動かされたい」

 

口から出る言葉が止まらない。

 

「いつまでも、あなたのお側にいたいです」

 

一歩、前に出る。眞様の足が、微かに動いた。

 

「眞様がこの国を守る刃であるなら──私は、あなたを守る刃でありたい」

 

もう一歩。

 

「私が、あなたの思想を体現したい。あなたの一瞬一瞬を、この目で見ていたい」

 

眞様は、後ろに下がらない。ただ、自分を見つめている。

 

「どうか──お側で、私の一瞬を見届けていただけませんか」

 

沈黙が流れた。長い、長い沈黙。

 

風が吹く。桜の花びらが、二人の間を舞う。

 

眞様は息を吐いた。そして、笑った。悲しそうに、嬉しそうに。複雑な笑みだった。

 

「わ、私は本気です!」

 

自分は言った。負けたくない。

 

眞様の笑みが、いつもの優しい笑みに変わる。

 

眞様はそのばにしゃがみこんだ。そして、自分の頭に手を乗せた。

 

その手は温かった。

 

「期待していますよ」

 

その声は、とても優しかった。

───◇───◇───◇───

鳴神大社の長い石段を、眞様と降りていた。

 

夜はまだ明けない。月が二人の影を長く伸ばしている。

 

石段を踏む音だけが、静かに響く。

 

「今日はありがとうございました」

 

自分は口を開いた。

 

「いいえ、私の方こそ嬉しかったです」

 

「嬉しかった、ですか?」

 

「ええ。あなたの思いを聞けて」

 

眞様の声は、穏やかだった。自分は少し照れくさくなって、視線を足元に落とす。

 

しばらく、沈黙が続いた。悪くない沈黙だった。

 

やがて、自分は意を決して口を開いた。

 

「眞様」

 

「はい」

 

「もしいつか、眞様が私を認めてくださる日が来たら──」

 

眞様が足を止める。自分も立ち止まった。

 

「その時、私に名前をください」

 

眞様は少し驚いたような顔をした。

 

「名前ですか」

 

「はい」

 

自分は頷いた。

 

「今の私には、名前がありません。みんなが勝手につけた呼び名があるだけです」

 

眞様は黙って聞いている。

 

「でも、眞様の刃になると決めた今、私はちゃんとした名前が欲しいのです」

 

自分は眞様を見上げた。

 

「眞様がくれた名前なら、それが本当の私になれる気がするのです」

 

眞様は優しく微笑んだ。

 

「わかりました。では、約束しましょう」

 

眞様は再び歩き出す。自分も隣を歩く。

 

「あなたが本当に強くなった時、必ず名を授けます」

 

「はい!」

 

自分は嬉しくなって、少し早足になった。眞様が小さく笑う。

 

「そんなに急がなくても、名前は逃げませんよ」

 

「あ、申し訳ありません」

 

自分は歩調を戻した。でも、胸の高鳴りは止まらない。

 

「どんな名前がいいですか?」

 

眞様が問う。

 

「わかりません。でも、眞様がくれる名前ならなんでも」

 

「では、楽しみにしていてください」

 

眞様の声はどこまでも優しかった。

 

石段を降り切る。稲妻城の灯りが遠くに見えた。

 

自分は空を見上げる。星がたくさん輝いていた。

第六話【完】

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