名もなき孤児が将軍様に拾われまして   作:せっせこパパイヤ

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第八話「期待」

漆黒が完全に空を覆っている夜。皆が寝静まった城の、眞の私室。私は眞の向かいに座っていた。

 

部屋には、私たち二人だけ。障子は閉じられ、外の気配を遮断している。

 

眞は、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。だが──その目には、どこか申し訳なさそうな色があった。

 

「影」

 

眞が口を開いた。

 

「先日は、ありがとう」

 

「何がですか」

 

「あの子と、話をしてくれたことです」

 

──ああ、あの侍女のことか。

 

「あなたの頼みでしたから」

 

私は淡々と答えた。

 

すると、眞は少し俯いた。

 

「ごめんなさい」

 

「......何をですか」

 

「あなたが居るのに、私があの子の願いを肯定したことです。あの子の願いは──影の役割と重なってしまいます」

 

眞の声が、小さくなる。

 

「あなたは数千年、私の影武者として在ってくれた。なのに私は──」

 

私は数秒ほど、返事を置いた。

 

「あなたは、あの子供が私に剣を学びたいと言うことを知っていたのですか?」

 

「──はい」

 

眞はゆっくりと、そして慎重に答えた。

 

「はっきりとは言いませんでしたが......恐らく、私が困ると思ったのでしょう。だから、せめて話だけでもと」

 

眞は続けた。

 

「あなたのことを思えば、断るべきでした。ですが──」

 

眞の声に、珍しく焦りが滲む。それは段々と増していく。

 

「あの子の目を見ていたら、どうしても──」

 

「眞」

 

私は眞の言葉を遮った。眞は私の目を見ている。それは彼女を制止するような、強い響きだった。

 

眞は、私の目を見ている。しばらく、沈黙が続いた。

 

私も静かに深呼吸をすると、再び口を開く。

 

「その言葉は、聞きたくありません」

 

眞の目に、行灯の光が優しく反射する。

 

「私は気にしていませんから──」

 

私は眞に、静かに言い聞かせた。

 

「......そう、ですよね」

 

眞が、慎重に口を開く。

 

「すみません。余計なことを」

 

「あなたにはあなたの判断があります。それに従ってください」

 

「──はい」

 

眞は返事をする。だが、その声はやけに弱々しい。

 

私が影武者になったことに後悔は──ない。

 

もし仮に、万が一でも、あの侍女が眞を守る器になるのであれば、それでもいい。

 

私がもう一人増えるだけだ。そのほうが、稲妻はより強固になる。

 

──だが、それはいわないでおこう。おそらく眞は、私が影武者であることに意味を見出している。

 

もし私がそれを口にすれば、眞はさらに悩むことになる。それは避けねばならない。

 

「お茶を淹れましょう」

 

眞が立ち上がる。

 

「はい」

 

私は答えた。

 

眞は茶器に向かい、静かに湯を注ぐ。湯気が立ち上る。

 

やがて、眞は私の前に茶碗を置いた。

 

「ありがとうございます」

 

私は茶碗を手に取った。眞も、自分の分を持って座る。

 

しばらく、沈黙が流れた。お茶を飲む音だけが、静かに響く。

 

「正直に言えば──驚きました」

 

私は口を開いた。

 

「何にですか?」

 

眞が顔を上げる。

 

「あの子供が、私に剣を学びたいと...。侍女としての教育を受けて、まだ二年でしょう。それなのに、神を守る刃になりたいと」

 

私は眞を見た。

 

「無謀です。蛮勇、と言うべきかもしれません」

 

眞は少し微笑んだ。

 

「そうですね。でも──それが、あの子らしいわ」

 

眞は茶を一口飲む。

 

「二年前、彼女は私に刃を向けました。家を壊されたからという理由で」

 

「...覚えています」

 

「あの時も、驚きました。幼い子が神に刃を向けるなんて」

 

眞の目が、どこか遠くを見ている。

 

「でも、あの目には嘘がなかったのです。純粋な怒りだけが込められていた」

 

自分は黙って聞いていた。

 

「それから侍女として迎え入れて──礼儀作法も学んで、変わっていくかと思ったけれど、根本は何も変わらなかった」

 

眞は私を見た。

 

「いつも真っ直ぐ。いつも無謀。そして──」

 

眞は、少し嬉しそうに笑った。

 

「いつも、私の予想を超えてくる」

 

私は少し、戸惑った。眞はあの侍女のことを本当に気に入っているのだ。

 

「彼女の一瞬を──’’見届けて’’いたいのです。──たとえ、その夢が途中で砕けたとしても」

 

自分はそれに引っかかった。

 

「眞は、あの侍女が端からなれるわけがないと思っているのですか?」

 

「そういうことではありませんよ。あくまで、もしもの話です。もしもの」

 

眞は少し笑いながら、答える。

 

「もしかしたら、彼女の烏の血によって潜在能力を至高の領域にまで引き上げてくれるのかもしれないのですよ?」

 

「まさか。混ざっていても、薄すぎます。ただの人間と同義ですよ。濃ければ話は別ですが」

 

喋り終わったあと、自分でもかなり喋りすぎたと思ってしまった。

 

眞は立ち上がり、障子を静かに開ける。綺麗な夜空が小さい木枠の中に映っている。

 

「しかし眞は彼女の純粋な心がよろしくないものでも──、信じているのですか?」

 

自分は問うた。眞はすぐに答えなかった。

 

「と、いうと?」

 

「彼女の行動原理は純粋な心ではなく、依存ですよ...。いくら純粋でも、神に並ぶ人間になりたいと思いますか?」

 

「少々──飛躍していますね」

 

眞は依然、静かに答える。

 

「かなりです。まだ10歳になる子供が、一時的な熱に突き動かされ──、叶いもしない夢を追い続けるのは酷なのでは?」

 

再び沈黙が続いた。眞はずっと外を眺めているが、その背中から何かを考えているかのような感じがした。

 

やがて、眞が口を開く。

 

「確かに──うすうす、そんな感じはしていました」

 

眞の声は、どこか遠い。

 

「あの子は、私に依存しているのかもしれない」

 

私は黙って眞の背中を見つめた。

 

「でも、依存も人間の生き方の一つです」

 

眞は振り返った。その目には迷いはなく、確信があった。

 

「......眞」

 

「依存を言い換えれば、それは信条です。何かを信じて、それに従って生きる。それもまた一瞬を形作るものではないでしょうか」

 

私は眞を見つめた。眞らしい考え方だと思った。

 

「あの子はまだ幼い。今は私に依存しているように見えても──時がたてば変わっていくでしょう。人は成長します。依存から自立へ。それもまた、人の歩む道です」

 

眞は一呼吸置いた。

 

「私はその過程を見守りたいのです。彼女が私への依存を糧にして、やがて自分の足で立つ日を」

 

私は、眞の言葉を嚙み締めた。

 

確かに、眞の言う通りかもしれない。人は何かに依存し、何かを信じて生きる。そして時と共に、その形を変えていく。それを否定することは──。

 

「それに」

 

眞は私を見た。その目は、どこまでも優しかった。

 

「依存していたとしても、あの子の真摯さは本物です。不器用でも、無謀でも──まっすぐに生きようとしている」

 

「......」

 

「人は完璧ではありません。弱さも、脆さも、未熟さも──すべて含めて、人間です」

 

眞の言葉に、私は何も言えなくなった。

 

「影」

 

眞が、穏やかな声で言った。

 

「それが──人間への、無条件な愛というものです。いいところも、ダメな部分も、すべてを受け入れて、見守る。それが私の在り方です」

 

私は少し驚いた。

 

これが眞という神なのだ。人間の全てを肯定し、その可能性を信じ続ける。

 

──それは、ある意味では傲慢とも言えるかもしれない。

 

神が人間をその弱さごと愛すると言う。それは人間を、下に見ているということでもある。

だが、眞にそんな意識はない。ただ純粋に、人間という存在を愛しているだけだ。

 

「......わかりました」

 

私は静かに答えた。

 

「あなたがそう思われるのなら、私は何も言いません」

 

「ありがとう、影」

 

眞は安堵したように微笑み、背を向けた。再び外を眺めている。

 

しばらくして──

 

「あら」

 

眞が小さく声を上げた。

 

「どうかしましたか」

 

私も立ち上がり、眞の隣に立つ。

 

眞が指差す方を見ると、遠くの城壁を、城内からよじ登っている、小さな人影が見えた。

 

「あれは......」

 

「彼女ですね」

 

眞は静かに答えた。

 

小さな影は、城壁を飛び越えると外へと向かっている。月明かりの中、その姿はすぐに闇に溶けていった。

 

「なにをしているのでしょうか」

 

眞はじっと闇を見つめながら、つぶやいた。

 

「夜中に城を抜け出したことは確かです。──そういえば、規則で夜中に抜け出すことは禁止されているはずでは?」

 

自分は静かに聞いた。眞はバツが悪そうな顔をしている。

 

「そ、そうでしたかねー……」

 

眞は、あからさまに目を逸らした。

 

「規則を作ったのは、眞ご自身では?」

 

私は淡々と指摘する。

 

「え、ええと、規則というものはですね、時代と共に柔軟に、その……適用されていくべきというか、はい。それに、ほら、あれは夜間の散歩を推奨しないものであって...」

 

私はため息混じりに話す。

 

「数日前に会った時、彼女のことを礼儀作法は最低限身に着けたと評価しましたが、撤回することにします」

 

「...このことは私から言っておきます」

 

「示しがつきませんからね」

 

「はい......」

 

眞はしょんぼりしている。そんな様子を見ながら、私は障子の木枠に手を触れた。

 

「彼女はどこへ向かったのでしょうか」

 

私は静かにそう口にした。

 

「そういえば......」

 

眞は何かを思い出したかのように呟いた。

 

「最近、あの子のけがが多くなっているのです」

 

「怪我、ですか」

 

「はい。擦り傷や、打撲の痕。侍女の仕事でつくようなものではありません」

 

眞は眉を寄せた。

 

「もし──。彼女が強くなるために、城を抜け出して、無茶をしているのかもしれません」

 

私は黙って、眞の顔を見た。

 

眞は再び外を見る。もう、あの侍女の姿は見えない。

 

「影」

 

眞が、静かに呼んだ。

 

「はい」

 

「お願いがあります」

 

眞は私を見た。その表情は、真剣だった。

 

「全てを、あなたに任せます。一度、彼女を試してください」

 

眞は頭を下げた。

 

「試す......とは?」

 

「あの子が本当に、剣を学ぶに足る者なのか。ただの子供として見るのではなく、一人の人間として。影の目で、判断してほしいのです」

 

眞の目は、影をしっかり捉えている。

 

「彼女の覚悟が本物なのか。それとも──」

 

眞は言葉を切った。私は数秒、沈黙した。

 

眞の言葉の意味を、噛み締める。

 

「......考えさせてください」

 

自分は静かに答えた。

 

「はい。お待ちしています」

 

自分はその場を離れる。眞が振り返った時には、既に私室から気配を消していた。

 

私は草原を歩き出す。足音だけが、静かに響く。

 

──あの場では、考えさせてくださいと言った。

 

だが、本当は違う。

 

私は、眞が何を期待しているのかわからなかった。

 

あの侍女を試せ、と言う。一人の人間として判断しろ、と言う。

 

眞はあの子供に何を見ているのだろうか。

 

私には、ただの無謀な子供にしか見えない。神を守る刃になりたいなどと、身の程知らずな夢を抱く、幼い侍女。

 

それなのに、眞は「一瞬」を見届けたいといった。依存も信条だと言った。時がたてば変わると言った。

 

──眞は、彼女に何が見えているのか。そして、私は何が見えていないのか。

 

私は立ち止まる。はっとした。

 

私は今、あの子供について考えている。眞の私室を出てから、ずっと。

 

たかが子供なのに。たかが人間なのに。

 

私の思考を、こんなにも占めている。

 

「まさか......」

 

私は小さく呟いた。

 

私は無意識のうちにあの子供に期待してしまっているのではないか。

 

私は否定したい。ただの子供に期待などしていないと。人間の神の領域に至れるはずがないと。

 

だが、この胸の奥にある、微かな感覚。これもまた本物だ。

 

「ならば...この気持ちに決着をつけよう」

 

あの子供を試す。そして、私自身のこの曖昧な感情にも。

 

私は再び歩き出した。

 

月明かりが自分の影を長く伸ばしている。その影はどこか、あの小さな侍女の姿と重なって見えた。

 

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