「……参った」
何も無い森で寝転がりながら、俺は項垂れていた。
端的に言えば、何も知らない俺は何も知らない世界に飛ばされてきたのだ。
この俺、神崎 氷雨──人からはヒサメと呼ばれている──は只、ゲームをしていただけなのである。
具体的には世間で今有名な「Pokémon LEGENDS Z-A」だ。ミアレシティで延々と色違いのケロマツを出すのに躍起になっていた。
そしてまさに、ケロマツが光ったその時だったのである。
「……俺が一体……何をしたってんだ……」
──気が付いたら、ゲームチェア諸共、この世界に来ていた。ニンテンドーSwitch2は置いてきてしまった。ちくせう。
思い出せ。さあ思い出せ。一体あの時何があったのかを。
──助けて……助……けて……。
──世界を……救えるのは……貴方しか……居ないのです……助……けて……。
「助けてほしーのは俺の方なんだがーッッッ!?」
──チート無し。武器無し。丸腰しで知らん森に転移させられた件。
これどうするのマジで。
※※※
持ち歩くわけにもいかないので、着地の衝撃でブッ壊れたゲーミングチェアは棄て置くことにした。
此処が何処の樹海かは知ったことではないが、俺はこれでもこの春高校デビューしたばかりなのである。明日は月曜、学校に行かねばならない。
尤も、趣味はゲームのポケモンだと自己紹介で話したら、高校生になってまだポケモンなぞやっているのか、と冷笑されたのでそれっきりロクにクラスメイト達と話していなかったのだがそれはさておき。
「此処、ポケモンが居る世界なんだな……」
最早そういうものと受け入れざるを得ない。此処まで散々ファンタジーな事が起きているのだ。
さっきから森の中には、やたらとデカい蜘蛛だとか頭から葉っぱを生やした生き物だとかが奇異なモノでも見る目で俺を見つめてくる。
木から糸を出してぶら下がっているのはポケモンのイトマル。頭から葉っぱを生やしているのはナゾノクサだ。間違いない。
こいつらは──ポケモン。
俺の居た世界では、アニメやゲームの中でしか居なかった生き物だ。正直悪い夢だと思いたいのであるが。
因みに恐る恐る近付いたら逃げられた。襲われなかっただけマシかもしれない。
正直途方に暮れているのである。こんな森で丸腰で居たら、いつ凶暴なポケモンに襲われるか分かったものではない。
どうにかして身を守る術を──いや、それ以前に水など生き残るための手段をどうにかせねばなるまい。
「ぴゃーッッッ!!」
「ぴゅいーッッッ!!」
ガサガガサガサッ──
茂みが揺れる。
そして、ナゾノクサやイトマル、さらにポケモン達が続け様に狂乱した様子で飛び出していくではないか。
だが彼らは俺の事なぞ一瞥もせずに通り過ぎ去っていく。正直、嫌な予感しかしないが──何が起きたのかどうしようもなく確かめたくなった俺は彼らの流れに逆らって走る。
どの道、数分先の命も知れぬ身なのだ。ええい、ままよ。人が居ればそれで良し。もうそうでないならば、俺も逃げるとしよう。
「グォオオオオオオオオンッッッ!!」
……俺は自らの好奇心を呪った。激しく後悔した。
間もなく。心胆が寒くなるような咆哮が聞こえてきた。そして、その主の姿も露になる。
木々が根元から圧し折れ、開けた場所の真ん中に──全身が青い鱗に、そして頭部だけが真っ赤な鱗に覆われた二足歩行の派手な龍。
コイツの名前を俺は──知っている。
「クリムガン……!! マジかよ、こんな所にいるのかコイツ──ッ!!」
【クリムガン ほらあなポケモン タイプ:ドラゴン】
確か、洞窟などに生息しているドラゴンタイプのポケモンだ。幸い、俺は背後を取る形になっており、木の幹の裏に隠れたのでヤツには気付かれていないようだが──到底人が戦って勝てる相手ではない、と一目でわかった。
全長は成人男性よりも低い程度だが、周囲の圧し折れた木々を見るにその力は人間の比ではないことは確か。
そしてゲーム中でも、そこらの進化前のポケモンを凌駕するステータスを持っており、少なくともこの森で見かけた小さなポケモン達では太刀打ちできる相手ではない。
対戦ではパッとしないポケモンだが──それは此方も同レベルの強いポケモンを連れている前提での話であって、丸腰の人間が遭遇して良い相手ではないだろう。ヒグマか何かと同レベル、いやそれ以上の脅威だ。
何故こんな怪物がこんな長閑な森に居るかは知った事ではないが、状況は想像以上に切羽詰まっているようだった。
クリムガンは鼻息を荒くしながら興奮した様子で──何かに近付いている。
木の幹に隠れながら、俺は目を細めた。思わず寒気がした。女の子が──倒れている。オマケに血が流れており、地面に水たまりが出来ているではないか。
「マズいッ……!!」
俺は──落ちていた石をクリムガンの後頭部目掛けて投げ付けていた。
……何をバカな事をやっているのだろうか俺は。注意を引き付けたかったのだろうか。隙を突いて女の子を助けようとでも思ったのだろうか。
我ながら何もかもがお粗末すぎた。
奴の素早さのステータスはゲーム中では然程高くはないどころかむしろ遅い部類に入る。
だが、走って逃げられる保証など何処にもないだろうに。
「グオッ!? ──グオオオオオオオッ!!」
「よっし、こっちだぁ──ああ!?」
クリムガンが此方を振り向くなり──何かを飛ばしてきた。
盾代わりにしていた木にそれが深々と突き刺さっている。
更に地面にも何かが突き刺さった。拾ってみると、指が切れた。鋭く鋭利な鱗──クリムガンが自分の体から飛ばしたのだろう。
「”スケイルショット”……!! マズい、あいつ鱗飛ばしてきやがった!!」
これでは走って逃げても意味がない。
後ろから飛び道具の鱗で背中を刺されてゲームオーバーだ。
何故俺は肝心なところで考えなしなのだろうか。振り返ったクリムガンが木を薙ぎ倒しながら迫ってくるのを見てへたり込んだその時。
「ぷっきゅるるるるるるるっっっ!!」
甲高い鳴き声が響いた。
そして、何かがクリムガンの頭にぶつかった。
衝撃で、クリムガンはよろめく。その隙に俺は走ってクリムガンを横切り──女の子に駆け寄っていた。あの様子では介抱しなければどの道長くはない。
「おい!! 大丈夫か!! おい!!」
「う、あ、う……ッ」
呼びかけに対し、少女の意識は朦朧としていた。
それにしても日本人離れした乱れた金髪、そして鮮血に染まった真っ黒なローブ。
思わず抱き起してゾッとした。腕が本来曲がらない方向に曲がっている。あのクリムガンにやられたのだろうか。
「ッ……とにかく、此処を離れるぞ」
「ま……て……ッ」
「ああ!? 逃げねえと死ぬぞ!! あんた、血ィ流しすぎだッ」
「イー、ブイが……」
「ぷっきゅーっ!!」
甲高い叫びと共に、それは俺の前に飛び出してクリムガンに立ちはだかる。
焦げたような茶色の毛皮に身を包んだ、犬のような体躯に兎のような細長い耳を持った生き物だ。
それが小ささからは考えられないような殺気を放ちながら、後ろ脚で地面を蹴ってクリムガンを威嚇している。
「イーブイ……本物の……」
「あの子……私の、イーブイで……すごく、好戦的なんです……! でも、捕まえたばかりのあの子じゃ……勝ち目が……」
「ぷっきゅるるるるるる!!」
「グオオオオオオオンッ!!」
吼えるクリムガン。立ちはだかるイーブイ。
だが、イーブイも身体が擦り傷塗れだ。恐らくクリムガンとの交戦でついたものに違いない。
この体格差だ。きっと、真っ向から戦って勝てる相手ではないだろう。
「……イーブイが……」
「──ぷっきゅーっ!!」
「待てッ!!」
飛び出そうとするイーブイを俺は呼び止める。
帰ってくるのはガルル、と低く唸るような威嚇。
しかし──強敵相手にまともに戦って勝てる程、俺の知るポケモンのゲームは簡単ではないし──この世界も例外ではない。故に。
「おい、イーブイ。ゴシュジンサマ、助けたいだろ。死なせたくないだろ」
「ぷっきゅ!!」
言葉が通じるのか。確かに今、俺の声に頷いた。
ならば話は速い。クリムガンの鱗がささくれ立っている。チャンスは此処しかない。
俺はこれでもポケモンと言うゲームをやって長い。かれこれ10年近くのキャリアだ。
だから──どのポケモンがどんな技を覚えているかは覚えている。
だが、リアルなポケモンバトルはこれが初めてだ。そして真っ当に戦って、恐らくクリムガンは勝てる相手ではない。
しかし──勝てないならば、安全にこの場を離脱すれば良い。
「──
イーブイは頷くと──クリムガンに尻尾を向け、そして思いっきり後ろ脚で地面を蹴る。
大量の砂が舞い散り、それがクリムガンの目に掛かった。
「グガァ!?」
間もなく、地面に次々にクリムガンの鱗が飛んできて突き刺さるが──いずれも明後日の方向に飛んでいる。
「ガッチャ!! ”すなかけ”で命中が下がった!! 今のうちに逃げるぞ!!」
「ぷいッ!? ぷっきゅるるるるる!!」
猛抗議するようにイーブイが吼える。
……どうやら言い方を改める必要がありそうだ。
「
「ぷっきゅ!」
……意味が分かったかは知らないが同意してくれたらしい。
俺は女の子を背中に担いだまま、イーブイと共にその場から離れた。
※※※
「……此処まで来れば、大丈夫です」
「此処って」
少女の案内に従うと、俺達は森を出ていた。
あのクリムガンがこっちを追いかけてくる様子もない。危機は脱したようだ。
崖下から見えるのは石の防壁に囲まれた広大な町。
なんか、俺の知ってるポケモンの世界とはちょっと世界観が違うような気がする。
「何処の地方なんだ此処は……」
ポケモンは全作やっている俺だが、今まで出てきたどの世界のマップとも記憶が一致しない。
強いて言うならパルデアのテーブルシティだが、それならば周囲は大きな川に囲まれているし、中央には特徴的なアカデミーがあるはず。
だが、中央にあるのは巨大な城だ。それも三流なろう小説にでも出て来そうなよくあるデザインだ。
「御存知……なかったんですか? 此処はドラマツルギア」
「生憎、旅人でな」
ドラマツルギア。案の定知らない町だ。じゃあ此処は俺の知らない地方なのだろう。
大分落ち着いてきたのか、少女も言葉がハッキリとしてきた。命に別状は無さそうで何よりだ。取り合えず、山道を降りていき、俺達は町のある方へと向かっていく。
「まあいいや、とにかくポケモンセンターに早くいこうぜ。あんたもイーブイもケガしてるし」
「ぷい?」
「え?」
イーブイも少女も同時に首を傾げる。俺なんか変な事言っちゃいました?
「ぽけもん……せんたぁ……? なんですか、それ……」
「ぷっきゅるるるるる」
……おいヤベーぞ。嫌な予感がする。
「おい。ポケモンセンターを知らないって事はないだろ。ポケモンを一気に回復してくれる──」
「そんな魔法のような場所が?」
「ぷい」
「……教会のような場所でしょうか」
おい。教会? 教会っつったか今。
教会で回復って、それもうポケモンじゃないよね。
ドラ〇エとかそっち系のゲームの世界観だよね。
そう言えば、この少女の恰好も妙と言えば妙だ。
ローブで目立っていなかったが、腰のベルトには皮袋に入ったナイフがぶら下がっているし、ぶら下がったモンスターボールらしきものも──なんか形状が違う。
まるで木の実をそのまま削って加工したかのような原始的なデザインをしているし。
「おい。ポケセン無いの? フレンドリィショップは? なァ何なら──」
「とにかく……ギルドに事の顛末を説明しなければなりません。クリムガンがあんな場所にいるとは」
ギルド? 今ギルドっつった?
「──ねえ、ギルドって何のギルド──」
「そんなの決まっているじゃないですか」
少し呆れたように少女は言った。
「冒険者ギルドです」
俺は無事に元の世界に戻れるのか──激しく心配になってきた。
俺の知ってるポケモンは近代ファンタジーのはずだ。
誰が異世界ファンタジーの世界観持って来いって言った? 危険度跳ね上がるよね、どう考えても。
「……そっか……そういう世界観かァ……」
「ぷいー? ぷっきゅるるるるる!」
イーブイが──不思議そうに俺の顔を覗き込み、そしてクスクスと笑っていた。
──ポケモン廃人、知らん異世界に転移した。