ブラック・ブレット9 Träume 開幕、北陸奪還戦   作:鏡之翡翠

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序章
産声を上げるのは


 鉛色(なまりいろ)に閉ざされた空からは、絶え間なく雪片(せっぺん)が舞い落ちる。

 ()(すさ)ぶ冷たい風は刃物のように皮膚(ひふ)を刺し、防寒着の僅かな隙間から侵入しては、末端(まったん)の血管から否応(いやおう)なしに体温を奪い去っていく。

 見渡す限りの銀世界(ぎんせかい)のさなか、粉砂糖(こなざとう)(まぶ)したような木立(こだち)(かげ)に身を隠した眞壁(まかべ)(めぐ)は、白い息を(うす)く吐き出しつつ、無線機を口許(くちもと)()せた。

「応答せよ。こちら眞壁(まかべ)。ポイントB4地点で、討伐目標(とうばつもくひょう)のガストレアを確認。あれが群れの司令塔(しれいとう)で間違いないはず――」

 ややもしない内に、『……ッ、ザザ……』というノイズを枕詞(まくらことば)に、応答があった。男性の低い声が鼓膜を震わせる。『須永(すなが)だ。良くやった眞壁。発見したのはお前自身か? それとも――』

()()()()()()()()――ですよ。須永隊長」と(めぐ)微笑(びしょう)と共に、自由な方の左手を下へ伸ばす。冷え切った指先が、(やわ)らかく温かい感触に触れる。彼女の(かたわ)らに(ひか)えていたジャーマンシェパードが、「はふっ」と嬉しそうに押し殺した鳴き声を()らす。

『――こちら安斎(あんざい)だ。はははっ、先を越されちまったな』

『――こちら益子(ますこ)。今日の配給(はいきゅう)はマロンの独り占めかな、これは』

 スピーカーからは続々と隊員達の楽しそうな声が聞こえてくる。

『心配せずとも』と須永が言う。『ご褒美には小田桐(おだぎり)お手製のジャーキーがあるだろう?』

「だってさ。良かったね、マロン」

「わふんっ」とジャーマンシェパード改め、マロンが得意げに答える。尻尾(しっぽ)が左右に揺れ、歓喜(かんき)の感情をこれでもかと表すが、決して大声は出そうとしない。

 恵を見上げる(ひとみ)には、確かな知性が宿っており、この場が数多(あまた)のガストレアが跋扈(ばっこ)する危険地帯――『未踏査領域(みとうさりょういき)』である事を理解しているようだ。

『――……どうにもこうにも……緊張感って奴が足りないんじゃないかな?』和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気(ふんいき)の中に、前触れなく刺々(とげとげ)しい指摘が差し込まれた。『目の前にいるのはステージⅣだろう? 良い加減に……』

『何だ保脇(新入り)、俺達の腕が信じられないっていうのか?』

 須永(すなが)冗談(じょうだん)めかした言い方に、スピーカーの向こうから雑音混じりの舌打ちが返ってくる。『……懸念(けねん)材料を挙げただけさ』と(あき)れたように、声の主は続ける。『君達の(ゆる)んだ空気に巻き込まれちゃ、たまったものじゃない』

『三日前にステージⅡの目の前で泣きべそかいてた奴に言われちゃ、俺達も気を引き締めざるを得なくなってしまうな』

『……ッ! あれは、たまたま発作がッ。元聖天子(せいてんし)付き護衛官(ごえいかん)の僕が、あんな下劣(げれつ)な化け物ごときにッ……!』

 弁解(べんかい)しようとした保脇(やすわき)に、益子(ますこ)失笑(しっしょう)を返す。『はいはい。何度も聞いたって、その話は』

『…………くそッ』さすがの彼も、この空気の中でこれ以上の悪足掻(わるあが)きは無理と踏んだのだろう。わざとらしく毒づくと、『それにしても』と露骨(ろこつ)に話題を転換(てんかん)してきた。『さっきから、鬱陶(うっとう)しくてしょうがいないよ。普段は僕らの事なんて、(つゆ)ほども気にしていないくせして――』

 保脇の(げん)()られるように、(めぐ)は視線を上空へと(すべ)らせた。

 白と灰だけがぶち()けられているはずの空に、小さな黒点がいくつか点在(てんざい)していた。

 それらは未確認飛行物体(UFO)のように、陣取った座標(ざひょう)から大きく離れる事なく、ふわふわと浮遊(ふゆう)し続けている。

 直径五〇センチほどの黒光りする機体の四隅から、短い柱状(はしらじょう)のパーツが地面に対して垂直(すいちょく)になるように伸び、その先端にはプロペラが取りつけられている。

 バラニウム製のマルチコプター型偵察用(ていさつよう)ドローン――五エリア連合の作戦本部が所有(しょゆう)する無人偵察機だった。

 黒塊(こっかい)の前面には、無駄に仰々(ぎょうぎょう)しいカメラ・アイが(のぞ)き、宙空(ちゅうくう)に浮かぶ無機質な群れは、(まばた)き一つしないレンズの瞳で、ただ一点を凝視し続けていた。

 (かわ)いた(うろこ)が、少ない光を反射して、瓦屋根(かわらやね)のように(きら)めく。何も知らない者が姿だけを見れば、白亜紀(はくあき)恐竜(きょうりゅう)が、某映画のごとくバイオテクノロジーで(よみがえ)ったのかと勘違いするかもしれない。

 だが違う。

 (めぐ)や、他の者達は知識と経験を元に知っている。

 尻尾の先から顎先まで――体長一五メートルは優に超えるであろう巨大な爬虫類(はちゅうるい)が、既存の生物をモデルとして巨大化した末に産まれたものである事を。

 コモドオオトカゲの因子(いんし)を発現したステージⅣガストレア。

 極寒のさなかでも、その山のごとき巨体からは、陽炎(かげろう)を思わせる湯気が立ち昇っていた。体内から練り出される熱気が、変温動物(へんおんどうぶつ)という生物学的常識を嘲笑うかのように融雪(ゆうせつ)を促している。 

 (あか)く発光する虹彩(こうさい)がギョロギョロと(うごめ)き、グロテスクな口の先から粘液(ねんえき)(まみ)れの舌を出し入れしつつ、巨大トカゲの異形は、朽ちかけたビルの外壁に爪を立ててしがみついている。

 (おぞ)ましさの具現化のような存在を改めて視界に収め、恵は無意識に生唾(なまつば)を飲み込んでいた。

 無線機からは、なおも保脇(やすわき)の悪態が突き出てくる。『現場を知らないデスクワーカー共め。頼むから、あいつを刺激してくれるなよ……』

『気に食わんのも理解はできるが』と須永(すなが)が、やんわりと言う。『向こうさんも仕事でしょうがなく……ってところだろう。記念すべき最後の掃討戦(そうとうせん)だ。自分らの上司のご機嫌取りのために、何としてでも()()()を撮っておきたいんだろう。ここは大人の俺達が理解を示して、歩み寄ってやるべきとは思わんかね?』

『それで僕達に甚大(じんだい)な被害が出るとしてもかい?』しかし保脇は、なおも食い下がる。

『もう一度言ってやろうか保脇――』言葉尻が下がるにつれて、須永の声色が目に見えて冷え込んだ。『――()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 針で突き刺すような鋭利(えいり)な言葉に、『……ッ』と今度こそ、保脇の戯言(ざれごと)が途絶える。

 しばしの沈黙が滞留(たいりゅう)したのち、『疑っている……訳じゃない』と、保脇はかろうじて言葉を(しぼ)り出す。『あんた達の強さは……良く知っている。何度も間近で見てきたんだから……』

『なら、良い』

 すでに他の隊員達が放つ空気も、別次元のそれに変貌(へんぼう)していた。目が届く範囲にいなくとも、声が聞こえなくとも分かる。粗悪品(そあくひん)のスピーカーから洩れてくる息遣いだけで、彼らのスイッチが完全に切り替わった事が確信できる。

 それは当然、恵や足許(あしもと)にいるマロンも例外ではなかった。

 降りしきる雪と変わらないくらい冷たくなった脳が、思考を極限まで研ぎ澄ましていく。腰に備えつけた二つの(さや)から、バラニウムで鍛造(たんぞう)されたサバイバルナイフを抜き放つ。

 肉眼(にくがん)でステージⅣを捉え、その周囲一帯を見回す。「――予定通り、奴の周囲に他のガストレアはほとんどいません」

『別働隊が上手くやってくれているんだろう』と須永が言う。『小田桐(おだぎり)、そっちはどうだ』

『目の前に広がっている光景が、そのまま答えだ』無線機から新たな声が聞こえてくる。副隊長の小田桐は平坦(へいたん)な調子で、『だが(かせ)げる時間はそう長くない』と断りを入れてくる。『作戦本部の連中の()があるせいで、あいつの協力は得られない。手持ちの磁場増幅装置(じばぞうふくそうち)包囲網(ほういもう)を敷くにしても限度がある』

十分(じゅうぶん)だ。それに最後くらい、俺達だけの力でやり切るのも悪くない』須永(すなが)はそう締め(くく)り、『さあ』と全員へと呼びかける。『ここが正念場だ。この局面を全員で乗り切り、英雄達を迎える準備を整えるとしよう。俺達のこれまでの戦いが――散っていった仲間達の命が、無駄ではなかったと証明するために。――先遣隊(せんけんたい)の志は、皆と共にあり』

『『『先遣隊の志は、皆と共にあり』』』

 須永に追随(ついずい)するかのごとく、宣言の重奏(じゅうそう)が木霊していく。

 当然、(めぐ)も同じ文言を繰り返していた。マロンも人間達が何を口にしているのかが分かっているかのように、呼応して短く(うな)る。

「行くよ、マロン」手の甲で愛犬の背中を小突いて合図する。ダブルコートの短毛が一気に逆立ち、筋肉質な後ろ脚が弾かれるように立ち上がる。「ゴー!」

 瞬間、マロンが雪煙(せつえん)を巻き上げて弾丸のごとく駆け出す。何の躊躇(ちゅうちょ)逡巡(しゅんじゅん)もなく、ただ主人の命令のままに、ガストレアの親玉めがけて突っ込んでいく。

 あっという間に小さくなっていく体躯(たいく)を見送りながら、(めぐ)は静かに息を吐いて両目を閉じた。

 厚ぼったい雲の間からは、ほとんど陽の光が差し込む事はなく、閉ざされた(まぶた)の裏側は途端(とたん)に闇一色に包まれる。

 何も写さぬ視界のさなかで、恵は自身の意識を冷たい水の底に沈める。自らの体内に根を張る『それ』を、ゆっくりと呼び起こす。溶鉱炉(ようこうろ)に火が()いたかのごとく、体の内側が熱されていき、血管と神経を経由して灼熱(しゃくねつ)が全身へと行き渡っていく。

「――――…………」

 閉ざされていた眼瞼(がんけん)を、再度外気へと(さら)す。冷却された外気が瞳の粘膜(ねんまく)に触れた瞬間に、蒸発(じょうはつ)するような感覚だった。

 恵は、改めて獲物を見据える。

 人類の敵(ガストレア)(たた)えるものと瓜二つの――鮮紅色(せんこうしょく)眸子(ぼうし)を以ってして。

 

 

 

 二〇三一年一二月六日。

 先遣隊より作戦本部へ報告。

 旧日本国未踏捜領域(みとうさりょういき)内、旧石川県金沢市木ノ新保町――JR金沢駅(かなざわえき)跡より、半径五キロ範囲からガストレアの脅威を取り除き、携帯型(けいたいがた)モノリスの設置に成功した。

 計画を実行に移すなら、今このタイミングしかないだろう。至急、五エリアの統治者達に連絡を求む。

 領土奪還の機会は、今この時を置いて他にない。

 これは攻め入ってくるガストレアから、生存圏を守り抜くための防衛戦ではない。

 こちらから奴らの領域へ仕掛ける侵攻戦だ。

 人類がガストレアに対し、反撃の狼煙(のろし)を上げるための戦い。

 東京、大阪、仙台、博多、北海道――日本の五エリア全てが手を取り合い、かつて失われた領土を取り戻すのだ。

 人類に暗澹(あんたん)たる影を落とし続ける天蓋(てんがい)を打ち破るための矛は、すでに手許にある。

 皆が烈日(れつじつ)を見上げる日は、そう遠くない未来にあるはずだ。

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