東京エリア自衛隊駐屯地で必要な手続きを済ませ、蓮太郎達三人は市場跡を出た。
リカルドと玉樹の引くアウトドア用キャリーワゴンには、薪や携帯食料、生理用品、予備弾薬などがぎっしりと詰め込まれている。先ほど内容を精査したが、しっかりと全員の扱う銃の口径に合わせたバラニウム弾が支給されていた。普段、自前で調達した弾薬でやりくりするしかない民警としては、この上なくありがたいバックアップだ。
至れり尽くせりな理由は、民警の増援が空輸での移送だったために、各自が十分な量の物資を持ち込めないのを見越して――という理由もあるだろうが、それ以上に第三次関東会戦の反省もあるのだろう。
今の東京エリア自衛隊の中枢には、おそらく民警の存在を軽んじる者はいない。
自らの力だけでガストレアと対峙する術を失った自衛隊は、民警各社との全面的な協力を惜しまない方向性へと舵を切ったのだろう。全盛期と比べて大きく弱体化しているとはいえ、いち民警としては、以前よりも頼りになる存在になったのかもしれない。
「おいボーイ、そろそろ聞かせてもらっても良いだろ」と玉樹がこちらを見る。「あの気色悪いバッドガイはいったい何者だ?」
蓮太郎は僅かに逡巡したが、あの場を見られている以上は、隠しても無駄だろうと観念する。ティナの過去にも纏わる話なので、できれば彼女のいない場では話したくなかったが、相手が分別のある大人であれば問題はないだろうと、自身に言い聞かせる。
聖天子暗殺未遂事件の一部始終を順を追って説明する。
聖天子と斉武宗玄の因縁、『呪われた子供達』であるティナを施術した四賢人エイン・ランドについてと、イニシエーター産機械化兵士計画『NEXT』に関して。そして、当時、聖居から依頼されて聖天子の護衛を務めた蓮太郎と、そこで対立した、聖天子付護衛官だった保脇の事を――。
「何だよそれ」玉樹が怒りを露わにする。「ファッキン! ただの逆恨みじゃねえか」
「……たぶん、逆恨みかどうかは関係ないんだ。少なくとも、保脇にとっては」
奇しくも保脇の言った通りだ。
彼を生み出したのは蓮太郎自身だ。自らの信念を貫き通したがために、世界に不具合が起こった事で生じたバグのような存在――それが今の保脇卓人という男なのだ。
その憎悪は自ずと蓮太郎へと向かう。
「おそらく保脇は、またすぐに俺を狙ってくるはずだ」ある種の確信があった。かつての事件の際、彼が最後まで蓮太郎に対して狂気じみた執着を見せていた事が、揺らがぬ証拠となっていた。「……それは良い。俺が蒔いた種だからな。けど……もし、その時に皆も一緒にいたら――」
「……特にティナちゃんにとっては、トラウマを抉る人物なのは間違いないだろうな」とリカルドが言葉を選ぶように呟いた。
「あいつにゾッコンな弓月に知られるのも具合が悪い」玉樹も首を縦に振る。「事情を知ったら、間違いなく冷静さを欠く」
「この話は、いったん俺達だけの間で留めておこう」
リカルドの提案に、蓮太郎と玉樹の双方が首肯し、とりあえずの落としどころとなった。
玉樹が先行して雪道を進んでいき、追従するように蓮太郎とリカルドが行く。
「……なあ、藤沢さん」と蓮太郎は囁くように仲間の名を呼んだ。
「何だ?」
「さっきの保脇とのやり取り……もしかして、あいつと知り合いだったのか?」
所属は全く異なっていたとはいえ、二人共、元自衛隊所属だ。少なくとも、リカルドは保脇の事を把握しているような口ぶりだった。
「いや、俺が一方的に知ってただけだよ」リカルドは否定しつつ、「ちょっとした有名人だったからな、保脇は――」と過去を振り返るような顔で語った。「聖天子付護衛官に任命されるだけあって、元々、相当優秀な奴だったんだ」
そこは蓮太郎も気になっていた事ではあった。
聖天子直属のボディーガードなど、コネやゴマ擦りだけでなれるほど簡単な役職じゃない。聖居と防衛省のお墨つきを賜った選りすぐりのエリートだけが潜れる、文字通りの狭き門のはずだ。
しかし、思い返せば思い返すほど、かつての保脇と、その取り巻きは、求められる水準にはとうてい達していなかった。
幾度となくティナに翻弄され、聖天子を危機の渦中に晒し続けた。聖天子が土壇場で雇った蓮太郎と延珠がいなければ、一度目の襲撃で、あの純白の少女は無惨に命を散らしていたに違いない。
無能としか形容のしようがない行動の数々――それは、リカルドの語る『かつての保脇』の像とは似ても似つかない姿であった。
リカルドは溜息と併せて肩を竦める。「きっと、絵に描いたようなエリート様の脳が焼かれて、目も当てられないほどのポンコツになっちまうだけの何かがあったんだろうな」
「……ああ、納得がいったよ」と蓮太郎は、悍ましいものを目の当たりにしたような表情で言った。
「心当たりがあるのか?」
「奴は病的なまでに聖天子様に執心していた。最初は、護衛官である自分達がいるにも関わらず、聖天子様が民警を雇った事に腑を煮えくり返らせているのかと思ってた」
「違ったのか?」
「理由の一つではあったと思う。けど、それ以上に……保脇は聖天子様とその……婚姻して、聖居の中枢に入り込む事に執着していたんだ」
リカルドが露骨に嫌な顔をした。「ずいぶんと突飛な話が出たな。……要職に就いてるとはいえ、まだ高校生だろ。聖天子様も」
「保脇自身が言っていたから間違いはない。聖天子様が一六歳になったのを理由に、結婚を迫ろうと考えてたみたいなんだ。だから、そのための手土産として『分かりやすい功績』を求めてた……」
「確かに辻褄は合うな。……功を急ぐあまりに、作戦の破綻にも気づかず、要人警護の本懐さえも忘れ去った。全く……古巣ながら、こっちが恥ずかしくて死にたくなる失態だぜ」
リカルドは弱ったように頭を掻き毟りながら、再び大きく息を吐き出した。
「里見。この話、里緒ちゃんにはしておいても構わないか? 話が嫌な方向に生々し過ぎて、確かに女性陣には極力話したくない内容だが、いざという時に頼れる味方は、一人でも多い方が良いだろ?」
「大丈夫なのか? 正直、里緒の事はまだ良く分かってないけど……」
「そこはプロモーターの俺が保証する。賢い子だ、悪いようにはならないさ」
「それなら……」と恐る恐る肯定する。
それからは会話もまばらに歩き通した。しばらくすると、連合軍の作戦本部と、民警に割り当てられた野営地が見えてくる。
蓮太郎が自身の端末で詳細な場所を調べながら、他のメンバーが待つキャンプ地へと向かう。
モスグリーンのテントがそこら中に建ち並び、天井部分からはストーブの煙突が伸びている。すでに、それなりの人数が暖房器具の恩恵に預かっているらしく、辺りからは薪を焼く焦げた匂いが漂ってきていた。排気筒の先端からは、猛烈な勢いで白煙が吐き出され、寒空の彼方へと立ち昇っていた。
その光景を眺めているだけで、室内の空気が恋しくなってくる。一刻も早く、キャリーワゴンに入っている薪を火室へと放り込みたかった。
その気持ちはリカルドや玉樹も同じだったようで、二人共あからさまに早足になっている。
人混みを掻き分けてアジュバントの幕屋へ辿り着くと、誰にともなく戸口を開け放って入室する。
次の瞬間――蓮太郎は自身の軽率な行動を後悔する事となった。「――――――は」
一〇坪ほどの空間には、簡素な机と椅子が配置され、天井の中央にはオイルランタンが吊り下げられている。部屋の両端は就寝場所として想定されているらしく、強化段ボール製のベッドが設えられており、それぞれが持ち込んだ寝袋が並んでいる。
ベッドには、先んじて野営地に向かった面子が腰掛けていた。
延珠にティナ、里緒に弓月、香帆と千都世も含めて全員いる。彼女らは皆一様に緊張に顔をしかめ、緊迫した視線を一点へと注いでいた。
空間の最奥――備えつけのエアーソファーに深く身を沈み込ませるシルエットが二つ。
今しがた言及した通り、両端のベッドにいる六人と、蓮太郎達三人でアジュバントの構成員はもう揃っている。
そう――そこにいたのは、全くの無関係の第三者。
しかし、知らない顔ではなかった。
その事実が、蓮太郎の思考をさらに凍りつかせる。
保脇といい、なぜこうも再会を望まない者達が次々と現れるのか。まだ作戦が始まっていないにも関わらず、すでに蓮太郎は自身の不幸をこれでもかと呪い始めていた。
「――久しいね、我が友よ。君が来るのを心から待っていたよ」
ソファの真ん中に座る長身の男が、僅かにくぐもった声音で、そう嘯いた。
シルクハットを被った白貌の仮面が薄闇に浮かび上がり、無機質な笑みが、ゆっくりと蓮太郎へ向く。嫌というほど記憶に焼きついていた深紅の燕尾服は、落ち着いた色合いのフロックコートに置き換わっていたが、彼の持つイメージを崩すほどではなかった。
ホルスターにはベレッタ拳銃を悪趣味にカスタマイズした二挺、『スパンキング・ソドミー』と『サイケデリック・ゴスペル』。
長躯の傍らに座るのは、コートの裾にしがみつく小柄な少女。黒いフリルつきワンピースの上から、襟と袖口にステッチのあしらわれたショートコートを羽織っている。背中からは、物騒な小太刀が二振り覗いていた。
「……俺はお前達を呼んだ覚えはねえよ」硬直した喉の筋肉をかろうじて震わせ、精一杯の毒を吐き捨てる。「――……今度は何をしにきやがった。影胤」
蛭子影胤と蛭子小比奈。
蓮太郎の帰りを待っていたのは、かつてゾディアック『天蠍宮』を呼び出し、東京エリアを大絶滅の瀬戸際まで追い込んだ稀代のテロリスト本人であった。