「くそッ! だから言ったんだ!」と二階堂は悔しさに表情を歪めて壁を叩いた。「やっぱり無茶だったんですよッ! 生身の人間が機械化兵士相手に戦うなんて……ッ!」
特戦機捜のジャケットを通じてリアルタイムに計測される着用者のバイタルサイン。幸山静雅のそれは現在レッドラインに達していた。
奇しくも誤作動を起こした強化筋繊維が、彼女の全身を締め上げ、傷口を圧迫しているため、失血死は免れている。しかし、それも時間の問題だろう。すぐに処置を行わなければ、絶命は避けられない運命となって彼女の肩を叩くはずだ。
すでに多田島と広野が、磯貝達のカバーに向かっている。他ならぬ聖天子の指示でだ。
「だが、時間稼ぎという第一目標は達成できている」若い警官とは対照的に、舘本の方は極めて冷静だった。「東京エリア自衛隊の依知川一佐も戦線に加わった。彼らの用いる軍用外骨格は、司馬重工との共同開発を行った特別製だ」
「……らしくないですね」二階堂はギロリと舘本を睨めつける。「本気で自衛隊員一人ごときの参戦で戦況が変わるとでも?」
二人の間に流れ始めた不穏な雰囲気を感じ取ったのか、「おやめください」と聖天子が凛とした声で諫めた。失態を犯したと面食らう者達を、澄んだ瞳で見据え、「磯貝さんと幸山さんは、危険を承知であの場に残りました」と綴った。「ならば私達にできるのは彼らを信じる事のみです。そして彼らの覚悟を無駄にしない事です」
白スーツの羽柴も頷く。「今しがた舘本さんが言った通り、彼らが敵勢力を足踏みさせたおかげで、こうして聖天子様を逃がす事ができた。彼らの働きは決して無駄ではない」
今、舘本達がいるのは、裏口の鉄扉の前だった。情報伝達が滞りなく行われていれば、外には聖居の白スーツ達――羽柴の部下達が装甲車を伴って待機しているはずだ。
舘本と二階堂が後方を警戒し、羽柴がドアに手をかけた。「……頼むぞ」と噛み締めるように言うと、拳銃を持ったままドアを開けた。外界と室内の境界が溶けて繋がった瞬間、吹雪が押し寄せてきて全身を滅多打ちにしてくる。
「――聖天子様! 羽柴さん! 良くぞご無事で!」果たして羽柴は賭けに勝ったらしい。一団を迎えたのは、武装した白スーツ達だった。彼らの後ろには、自衛隊から借り受けた装甲車が泰然と鎮座している。
「こちらへ」と先導されながら、聖天子と羽柴が装甲車へと乗り込む。次いで周囲を警戒していた白スーツ達が搭乗し、最後に舘本と二階堂が合流した。
車内の空気は冷え切っており、人口密度の点から鑑みても、決して乗り心地が良いとは言えなかったが、文句を垂れる者は誰一人いなかった。排ガスの臭いを噴出させながら、装甲車が走り出す。
「金沢駅は安全が確認されるまで、立ち入りはできないでしょう。向かう当てはあるのでしょうか?」
聖天子の問いに答えたのは、運転席に座る中年の男性だった。「東京エリア自衛隊の駐屯地――近江町市場跡です。携帯モノリス設置場所付近の危険地帯ではありますが……現状、いくつもの勢力が入り乱れる北陸の地において、手放しで味方勢力と言えるのは、東京の自衛隊だけです」
「構いません。確か、東京エリア自衛隊の総指揮を執っているのは、陸自の多嘉口陸将でしたね。彼への連絡は?」
「すでに済ませております。部隊の編成を見直し、二四時間体制で聖天子様の護衛を行うとの事です」
「必要ありません。多嘉口陸将には、そうお伝えください」
「え? いやッ、あの……」
呆気に取られる運転手に対し、純白の少女は泰然と、「新設された東京エリア自衛隊の外骨格部隊は戦場でこそ真価を発揮します」と言い放った。「私の護衛は羽柴さん達で問題ありません」
「しかし……」
「大阪エリア軍の屋島少佐からの秘匿通信は受けているはずです」
「…………ッ」と言葉に詰まる男性。「ですが……ッ!」
「何の話だ?」と割り込んだのは舘本だ。任侠者のごとき鋭い雰囲気を纏う老刑事の迫力に、周囲の白スーツ達がごくりと生唾を飲み込んだ。
「ガストレアです」聖天子は間髪を容れず答えた。「斉武大統領の襲撃とほぼ時を同じくして、監視の目がガストレアの大軍勢を補足しました」
「なッ……!?」と狼狽する二階堂に対し、聖天子は自身の端末を用いて中空にホロディスプレイを立ち上げる。
そこに映し出された光景に、特戦機捜の二人の顔から血の気が引いていく。
「――『ベテルギウス』。先遣隊隊長の須永二朗は去り際にそう口にしていたそうです」純白の少女の声がワントーン下がる。「おそらく、この先頭を歩くガストレアがそうなのでしょう。身体的特徴は間違いなくステージⅡのそれですが……」
そこで言葉を区切り、国家元首の少女は固く瞼を瞑ってかぶりを振った。
「……これまで数々のガストレアを目の当たりにしてきました。ステージⅤでさえも――。ですが……かのガストレアが発する雰囲気は、これまで確認されてきたどの個体とも異なります……」
二メートルほどの体躯。類人猿の容貌を有し、二足歩行で雪原を闊歩する姿。和服のように巻きつけたボロ切れと、腰に下げられた大振りの太刀――。その全てが、これまでの前例全てを覆すに足る説得力を持っていた。
「五エリア連合軍は、件のガストレア――『ベテルギウス』をステージⅣ相当の脅威を持つと認定しました。同個体は約一五〇〇〇体のガストレアを配下に置き、統率していると見られています」
「いちまッ……!?」二階堂が驚愕に言葉を詰まらせる。
「『ベテルギウス』の軍勢は、現在、一直線にこちらへ進軍してきています。携帯型モノリスの磁場程度では、これだけの数のガストレアの侵入を阻む事はできません。このまま軍勢が陣地へ到達すれば最後、たちまち戦線は崩壊し、五エリア連合は未踏査領域の深淵で息絶える事になるでしょう」
「待て。今、このガストレアを『ベテルギウス』と呼称したのは、先遣隊の須永だと言ったな?」話の腰を折ると理解していながらも、舘本は我慢ならず問うていた。「それはつまり、この軍勢を呼び出したのは先遣隊という事か? この話が事実なら――」
「――ええ、その通りです。先遣隊は現在、ガストレアを使役する術を有していると思われます」
「――…………『モルフォ蝶事件』……」
舘本の口にした単語に、聖天子と二階堂の眉がぴくりと動いた。
二階堂は恐る恐るといった様子で、「隆元さん……今、何て……?」と訊いてくる。
「……いや」と舘本は歯切れ悪く断りを入れてから、続きを話す。「かつて関わった事件に酷似していると思っただけだ」
聖天子が訊ねる。「舘本さんは新塚署の出身でしたね。事件が起きたのも第六区でした。当時、あの事件を捜査していたのですか?」
「捜査というほどでもない。あれはすぐに特殊捜査班の担当になったからな」
二階堂は記憶を探るように、「……僕がSITに入ったのは、モルフォ蝶事件が終わったあとでしたが……当時の資料を読んだ事があります」と言った。「新塚医科薬科大学の教授陣が、ステージⅢ『テレスコピウム・ハーシェル』の毒鱗粉から精製したフェロモン誘発剤を使って内地に空棲ガストレアの群れを侵入させた……」
「ああ。だが、それは最後の最後に表出した氷山の一角に過ぎない」
「?」と首を傾げる二階堂。
「どういう事ですか?」聖天子も疑問と興味を露わにする。
舘本は何かを逡巡するように二人から視線を切ると、重たい表情のまま、渇いた唇を開く。「……俺は、かつて無実の人間を見殺しにした」と瞳に暗い陰を落とす。「六年前――出どころ不明の情報提供がきっかけだった。大学の研究室を隠れ蓑にして、ガストレアを意のままに操る事を目的とした試薬品の開発が進められているとな」
「……! それって……!」
驚く二階堂に、舘本は首肯すると、「それがモルフォ蝶事件の始まりだ」と告げる。「あの時も同じだった。新塚署の動きを阻むかのように、上層部の一存で捜査はSITに引き継がれ――元々、捜査線上には存在さえしていなかった新塚医科薬科大学の学生達に疑いの目は向けられた。逮捕されたのは、ほとんど黒同然だった教授達ではなく、何の関係もないだろう研究室の学部生や院生だった」
「……舘本さん」と聖天子は慎重に言葉を選びながら、「あなたは……すでに何かを掴んでいる……もしくは確信を持っていますね?」と訊ねた。
「証拠がある訳じゃない」と断りを入れた上で、舘本は迷いなく告げる。「だが、ブラックスワン・プロジェクトの件を経て情報が開示されてから、この一連の事件には間違いなく五翔会の関与があったと思っている。多田島が追っていた件、そして直近の『天秤宮騒動』の際に東京中を襲撃した『抗バラニウムガストレア』の失敗作――。俺は、この全てが繋がっていると見ている」
「隆元さんほど確信に迫っている訳じゃないですが、僕も『モルフォ蝶事件』については、いくつか不自然な点があると思っていました」と二階堂が口を挟む。「そもそも、あの事件そのものがSITの領分とかけ離れ過ぎていました」
特殊捜査班の本分は、誘拐や人質立てこもり事件などの重大犯罪において、犯人との交渉、説得を行い、現場への突入制圧を行う事だ。
通常の警察官では対処し切れない範囲をカバーする捜査第一課の精鋭ではあるが、その類のテロに対処するための部隊ではない。
「記録に残ってる限りの情報を洗っても、当時の捜査は杜撰そのものとしか言えなかった。……まるで結末が最初から決まっていたみたいに……」
「おそらく教授達も捨て駒の一つでしかなかったんだろう」と舘本は言う。「学生を身代わりにして延命したツケが、自身で自身の喉を裂いて死ぬ事だとはな……」
「舘本さんの推測は、おそらくは的を射ています」聖天子の声が響いた。「それらの失敗を経て、五翔会はガストレアを操るノウハウを少しずつ積み上げてきました。そして――須永二朗が斉武大統領に対し言い放った、五翔会が先遣隊に『ソロモンの指輪』を貸与したという事実……」
「その研究物は、天秤宮騒動の最後に、崩壊した那須鉱山諸共土砂の下に消えたと聞いたが――」
全員が唇を引き締める。舘本の言葉に誰も答えずとも、皆一様に何が起きていたのかを推測できていた。
おそらく、リトヴィンツェフ一派が全滅したのち、混乱のどさくさに紛れて、五翔会は『ソロモンの指輪』を回収していた。
彼らは簒奪した研究物を使い、先遣隊を取り込んで、この地で何かを成そうと画策していたのだろう。
だが、その目論見は失敗に終わった。懐柔しようとした先遣隊に梯子を外される形で――。
「……先遣隊はいったい何を考えているんだ……? 何の目的があって、こんな無謀な戦いを……――」
二階堂の絞り出すような疑問は、しかし、改めて考えるまでもなく明白であった。
復讐。
全ての尊厳を奪い尽くされ、使い捨ての尖兵として消費されてきた事への、余りにも真っ当過ぎる報復――。
「先遣隊の存在は、奪還作戦の開示までは国家機密扱いだった」舘本の怜悧な視線が、純白の少女を貫くように突き刺さる。「しかし聖天子様。あなたは知っていたはずだ。いや、知っていて然るべき立場だ。明らかに憲法から逸脱した基本的人権の無視及び剥奪。流刑とは名ばかりの、犯罪者に対する事実上の極刑。これらの悪質な越権行為の数々――」
「…………」
「もはや弁解の余地はない。東京エリアは、他エリアと共に、長年に渡って人々の尊厳を踏み躙り、足蹴にし続けていた。これはもう覆せぬ事実だ。先遣隊がここまで大規模な反乱を実行に移したのも、世界中に自分達の存在を知らしめるためだろう。世界各国が日本の悪辣な所業を知るところになれば、世界情勢は大きく動く。考えられる限り、最悪のパラダイムシフトが起こるはずだ。バラニウム産出国であるという一点で、立場を確立していた日本の地位が揺らぐ。今日においても『世界の警察』を自称するアメリカ合衆国が、この失態を見逃すはずがない。大国から向けられる圧は、やがてこの島国を滅ぼすに足るだけの大義名分を得るだろう」
舘本の弁舌に静かに耳を傾けていた純白の国家元首は、感情の読めない目許を少しだけ動かした。
そして、ゆっくりと艶やかな唇を開く――。