「どうやら先手を取られたみたいだね」と楽しそうに呟いたのは、大阪エリアからやって来た民警――垂水瑛都だ。柔らかいブラウンの髪を風に靡かせながら、遠方を臨む。「ガストレアが雪崩れ込んでくるまで、もう時間ないよ。屋島さん?」
瑛都と、彼のイニシエーターである世良陽毬がいるのは、金沢駅の建物の屋上だった。ここで起きた騒乱の全ては、すでに彼らの知るところだ。
耳に当てたスマートフォン越しに馴染みの軍人へ語りかけるが、スピーカーの向こうからは悔悟の混じった歯軋りが聞こえてくるだけだ。
瑛都は一つ息を吐くと、「昔の仲間の裏切りが、そんなにショックかい?」と問うた。屋島の反応を引き出すために、わざと煽るような口調で。
『……当たり前やろ』と瑛都の目論見通り、屋島の重たい声が返ってきた。『この作戦が成功すれば、「解放」されるはずやったのに……! 何でや……!? 何で須永は……ッ!?』
「神経逆撫でするようで申し訳ないけどさ、もしかして屋島さん――本気で『恩赦』の事、信じてた訳?」
『何やと……?』
「各エリアの凶悪犯や政治犯……要するに、国にとって都合の悪い人々を島流しにした結果、出来上がったのが先遣隊という『檻』だ。彼らは猛獣なのさ。鉄柵の内側で果てるまで飼い殺すための。なぜ、わざわざ社会から隔絶した場所に閉じ込めた獣を解放する必要があるのかな?」
『…………ッ』
「ようやく分かった? つまりはそういう事。斉武大統領や、各エリアの元首達は、最初から先遣隊を自由の身にするつもりなんかなかった。体の良い餌をチラつかせて、都合良く動かしたら、あとはポイ。おおかた戦いのどさくさに紛れて、先遣隊を秘密裏に処分するつもりだったんだろうね」
『そんな馬鹿な訳あるか! 俺は上から何にも……――ッ!』
「当たり前でしょ。それを知ったら反発するような人間に、わざわざ作戦を共有するはずがない」
屋島の息を飲む音が、緊張を伴って聞こえてきた。
それを分かった上で、瑛都は迷わずに言葉を紡ぎ続ける。「屋島さん――あなたも一〇年前のガストレア大戦で、大阪港の防衛戦に参加した人間だ。……大阪の人間なら、誰でも知ってる。英雄、須永二朗の事を」と青年は、遠い記憶に浸るように目を細める。「最初から先遣隊謀殺の件を知らされていたとしたら、あなたはどちらについていましたか? 少なくとも、僕なら連合軍側に与するような事はしなかった」
『俺だって……ッ! くそッ、くそッたれえッ!!』顔が見えなくとも、屋島がどんな面持ちをしているかは簡単に分かってしまう。
「悔やんでも、もう引き返せない」と瑛都は自身にも言い聞かせるように告げる。「僕らにできるのは、彼らに引導を渡す事だけ。そこに、たとえどんな大義名分があろうと、須永二朗が日本に反旗を翻した事実は覆らない。その罪は、命でも以ってのみ償われる」
『…………っ』
瑛都は語気を強める。「屋島さん、各エリアのアジュバントのリーダーは? 大阪エリアは僕らだけど」
ややあって、スピーカーからは幾分か冷静を装った声が返ってくる。『……東京がIP序列五二六位の木津河、亜耶瀬ペア。博多が四四三位の御堂、針生ペア、仙台が一〇一九位の仙洞田、識名ペア、北海道が六七一位の呉本、白仁田ペアやな』
「ずいぶんと中途半端な序列の民警ばかりだね? どのエリアも、もっと高序列な人いるでしょ? ほら、あの東京エリアの英雄だか救世主だか呼ばれてる子」
『九〇〇番代のお前が言える立場やないやろ』屋島は投げやりに言う。『今回、各エリアのアジュバントを統率する立場の民警は、全員自衛隊や軍との繋がりがある連中から選出されとる。これまでのなあなあで運用されてきたアジュバント・システムとはちゃう。それぞれが大部隊の指揮を担える能力を有しとる。序列による個々の戦力なんて、ハナから勘定に入れてないねん』
「お褒めに預かり光栄だね」
『お前は除外や』
戯言に辛辣な言葉が返ってきた辺りで、瑛都はもう受話器の向こうの男は大丈夫だろうと結論づける。「それじゃあ『開戦の儀』は中止。このまま迎え撃つ方向で構わないんだね?」
『ああ』
「おっけ、それじゃあ、そろそろ僕らは配置につくよ」そう言って会話を切り上げると、通話を切った端末をポケットにしまって振り返る。「そういう訳だ、陽毬。準備は良いかい?」
「誰に言ってるのよ」と赤毛ツインテールの少女は、ぶっきらぼうに答える。
その手には、身の丈ほどもある黒色の棒が握られていた。メインの配色がバラニウム由来の黒である事以外は、西遊記の中で孫悟空が用いる如意棒と遜色ない見た目をしている。
「アタシを上手く扱ってよ、瑛都。じゃないとタダじゃおかないんだから」
「僕が一度でも君の期待を裏切った事があったかい?」
「……同じ事、さっき屋島にも言ってなかった?」
「さあ、どうだったかな? 良く覚えてないや。僕は陽毬との時間しか大切にしてないからね」
「嘘! 絶対に言った! この浮気者!」
頭に角でも生やしたように怒ってくる少女から視線を逸らしながら、瑛都はそこにはいない何かを睨みつけるように、鋭利な視線を表出させる。
――この戦場は、すでに一枚岩じゃない。
――先遣隊だけじゃない。ここには人間達の薄汚い利権争いの火種がいくつも燻ってる。
――その全部に酸素を加えたら、どうなるかは見ものだけど……。
――あいにく、僕も自分自身の目的ができちゃったしね。
陽毬に聞かれないよう、口の中だけで呟く。「……かつて命を拾ってもらった恩は、ここで返させてもらうよ。あんたをこの手で殺して、ね。――須永さん」
苛立ちに任せて、眼前にいる少女の矮躯を蹴り飛ばす。
雪の上に叩き伏せられる少女が苦鳴を洩らし、傍らにいた鹿嶽十五が、「やめろッ! フッケバイン!」と叫んだ。
烏丸臥恫は、痛みに呻く久留米リカの麦藁帽子を払い除けると、頭髪を強引に掴み上げる。「失敗作の分際で俺様の戦いを邪魔してくれやがってッ! ここでスクラップになる覚悟はできてんだろうなあッ!?」
「……ふふっ、良いザマね」しかし、リカの表情には相手を小馬鹿にするような嘲笑が浮かんでいた。頭皮を引き千切られるような撃痛に苛まれながらも、同僚の醜態が面白くて仕方がないという様子だった。「イキって飛び出した割にはその程度? 継麻の奴でさえ、もっと上手くやったわよ?」
「よほど死にてえと見える」烏丸のこめかみには、太い青筋が隆起している。彼はもう片方の手で、リカの細い首を鷲掴みし、徐々に力を込めていく。「死体は上の変態共の慰み者にしてやる方向で構わねえよな? 返事はイエスかハイの二選だ」
「――そこまでにしておけ、フッケバイン。ハミングバードは俺の指示で、お前を呼び戻したに過ぎない。文句があるなら、彼女に当たるのは筋違いだ」
「……ネスト、テメエ」背後から現れた青年を見やり、烏丸は罰が悪そうに目を細める。
白のロングコートに白髪、バイザーを深く被って目許を隠した青年は、「撤退は、俺より上の人間の判断だ。お前達はそれに従っただけ」と言った。「何も後ろめたい事なんてない。違うか?」
「……ちッ」と烏丸は、どこか腑に落ちない様子を見せながらも、リカの髪と首から手を離した。解放された少女は激しく咳き込みながら、必死に酸素を求める。
烏丸は殺意を孕んだ瞳でネストを射抜くと、「で、どうすんだよ?」と問うた。「先遣隊を懐柔して、奪還戦を裏から操る計画は破綻した。五エリア連合にも、俺様達の素性はバレちまってる。今や五翔会も籠の中の鳥だ。……斉武の野郎は、間違いなく自己保身に走って、何とかして一人だけでも逃げ仰せるつもりだろうしな」
「しばらくは身を隠す」ネストは端的に告げる。「お前の言う通り、こちらはすでにお尋ね者だ。安易に表に出る訳にはいかなくなった。機会を見計らい、ここぞという時に戦況を変えるために打って出る」
「一つ言っとくが、俺様はテメエの事も信用できるとは思ってねえんだぜ? 上の連中に尻尾振って三枚羽根にまでのし上がった腰巾着野郎が」
「お前が俺の事をどう思おうと勝手だが」そう嘯いて、白髪の青年は感情のない瞳孔で烏丸を見据える。「幼稚な感情で和を乱す事に、明確なメリットはないはずだ。同床異夢でも構わないが、最低でもこの状況を切り抜けるための協力体制を敷く事は、誰の目から見ても合理的な選択だろう?」
「…………くそッたれ。最悪な日だ」
不貞腐れたように身を翻して、烏丸は一団から離れていく。
肩を竦めるネストに対し、巨漢の十五が重々しく訊ねた。「それで、具体的にはどうする? 表向きには、すでに任務は失敗している。中途半端な戦果では、たとえ生還できたとしても、俺達の立場は保証されないだろう」
「その通りだ」とネストは素直に肯定した上で、「だから、目的を二つに絞る」と指を二本立てて見せる。「一つは先遣隊の撃滅。最低でも須永二朗の首を手土産にすれば、斉武大統領の面子を守れる。もう一つは『ソロモンの指輪』を奪い返す事」
「ガストレアの侵攻については、どうやって対処するつもり?」とリカが訊く。「この拠点が陥落すれば、計画も全部水の泡になるわよ」
「そちらは五エリア連合に任せる。現状から判断する限り、全てのエリアが相応の戦力を有している。そう易々と敗北する事はないだろう。俺達は、この乱戦の隙を縫って先遣隊がどう仕掛けてくるかを見極めれば良い」
「了解」
ネストは頷く。「ハミングバード、ソードテール。お前達は戦況が混乱している今の内に『装備』を回収してくるんだ。自衛隊の守りが強固になればなるほど、俺達が自由に動く余地はなくなる。先を見据えて動け」
命令を承諾した二人が散開していくのを見送り、ネストは肩に積もった雪を払う。
それから、壁にもたれかかる烏丸に視線を移す。「警察は強かったか?」
「……馬鹿にしてやがんのか?」
「『第三次関東会戦』、『ブラックスワン・プロジェクト』に連なる事件を経て、警察も自衛隊も変わりつつある。俺達が相対するのは、特別な力を持った者達だけじゃない。あらゆる組織が、こちらに対抗するに足るだけの実力を手に入れている」
「…………」
「まだ俺達は失敗していない。だから今の内に意識を切り替えろ。――失敗者には死を。この言葉が俺達自身に向かないよう、全力を尽くせ」
磯貝は、傍らにいた依知川一佐を一瞥し、「この子が?」と問いかける。
ヘルメットを脱いだ三〇代ほどの佐官は、「ああ」と神妙に首肯する。「自衛隊員数名を負傷させ、先遣隊と合流しようとしていた。作戦本部が管理していた先遣隊の名簿に名前はなかったが、まず間違いないだろう」
「名簿に……名前がない?」
怪訝な表情を返す磯貝に、依知川は、「そうだ」と返答する。何かを思案するように腕を組みながら、「過去のデータを洗ってみたところ、『呪われた子供達』が先遣隊に配属された例は、いくつかあった。だが、公的な記録では、すでに全員が戦死した事になっている」
「その戦死リストの中に彼女の名が?」
「いや」と依知川はかぶりを振って否定した。「眞壁恵という名前は、最初からどこにもなかった。――記録上、この少女は存在しない事になっている」
「…………」磯貝は唇を引き結んだ状態で、雪の上で蹲る少女を見やった。
ガサガサとした焦茶色の髪、ボロボロの野戦服。およそ、年頃の少女がして良い格好ではなかった。
顔を伏せる眞壁恵の側には、彼女を守るように牙を剥き出しにしたジャーマンシェパードが喉を唸らせて威嚇し続けている。
――記録を抹消され、叛逆作戦に参加させられず、一人敵地に取り残された『呪われた子供達』……。
先遣隊は――須永二郎は、何を考えて彼女をこのような目に遭わせたというのか。
考えても、やはり答えは出てこなかった。
磯貝は、主人を守護する犬を刺激しないよう、ゆっくりと跪いて、「顔を上げてくれないか」と少女へ投げかけた。
「…………」黙ったままではあったが、緩慢な動作で少女の首が持ち上がる。死人のごとき蒼白な相貌が露わになり、光のなくなった澱んだ両目が、こちらを睨めつける。
「まずは安心してほしい。我々は君を傷つけるつもりはない。俺は磯貝俊夫。東京エリアの警察官だ」
「……もう、良いんです」
「何がだ?」
問うと、恵は自嘲気味な笑みを浮かべて言った。「皆に置いて行かれた私に……もう価値なんてない。早く、その銃で私を撃って……全部終わりにしてください……。皆がいなくなった世界に、私の居場所はないんです……!」
絞り出すように放たれた悲痛な懇願。掠れた声と、決して饒舌ではない間が、彼女のそれが紛う事なき本心だと証明していた。
「……そうか」
だからこそ――磯貝は、接し方を変える事にした。
声のトーンが急速に冷え込む。極寒に晒された金属のように冷たい声音で、「残念だが、そうはいかない」と告げる。「分かるだろう? 君は五エリア連合にとって、貴重な情報源だ。君が自分自身に価値を見出せなかろうが、我々はその限りではない。少なくとも、必要な尋問が終わるまでは、君の命に銃口が突きつけられる事はない」
「…………」
「君の持つ価値は、こちらが決める。すまないが君に決定権はない。捕虜としての最低限の人権以外、尊重はされないと思ってくれ」
「……そう言えば、私が先遣隊の情報を売ると思っているんですか?」
挑発するような訊き方に、しかし磯貝の表情筋は崩れない。
「いいや、君の先遣隊に対する帰属意識は確かなものがある。そう易々と元仲間を売り渡すような事はしないだろう」
「なら……」
「それを突き崩して懐柔するのが、警察の責務なのでね」と腰を上げる。「これから君を連行する。聞き出すための時間は民警や自衛隊、軍が作ってくれるはずだ」
「……何かが、来る」と宝多郁未は、両目を瞬かせる。赤く染まった瞳は、それだけで無視できない状況が差し迫っている事を確信させた。
北海道エリアの民警、溝渕斉賀は、姪の突然の一声にも動じる様子を見せず、「ガストレアか」と問う。
「たぶん」郁未は頷いた。「でも」と歯切れ悪く言葉を繋ぐ。「……上手く言えないけど、嫌な感じがする。今まで感じた事のない……凄く不気味な何かが……」
斉賀は顎に手を当てて、短く嘆息する。普段から、ガストレアと見るや、問答無用で殺意を表出させる姪にしては、異様な反応だった。
それだけで警戒するには十分な理由がある。
斉賀はそそくさと自身の装備を整える。自前の白い迷彩服の上から、携行品を詰めたベストを羽織る。腰のベルトに、鞘つきのマチェットを取りつけ、ホルスターに銃身を切り詰めた散弾銃を収める。最後に主武装のライフル型の猟銃を、肩紐で掛けた。
「郁未」と冷静に姪を呼ぶ。「お前も戦いの準備をしておけ。その違和感は無視して良いものじゃない。お前の持つ因子が――狩人としての本能が何かを感じ取ったに違いない」
「うん、分かった」郁未は素直に従う。マウンテンパーカーに袖を通し、自身の灰色の髪を後ろで結わえる。大量の矢が収められたバックパック型の矢筒と、弓袋から取り出した競技用弓を背負う。
「分かっているな郁未。狩りの基本は――」
「――獲物に捕捉されない事、でしょ」間髪を容れず郁未は答える。「私達は兵士じゃない。自然に溶け込んで標的を一方的に仕留める暗殺者。私達の与える死に名誉は必要ない」
「分かっているなら良い」斉賀は首肯する。「必ず生き残るぞ」
その時だった。
郁未の直感と、斉賀の予想を裏づけるように、突如として鼓膜をつんざくような警報が鳴り渡る。
それは一触即発の雰囲気を引き裂くには、十分過ぎるほどの迫真さを伴っていた。甲高い警報が鳴り止んだと思えば、音割れしそうなほどの大声量が野営地に迸る。
『大阪エリア陸軍少佐、屋島司や! 総員に告ぐ! 北西方向よりガストレアの大群が接近中! 数は概算で一五〇〇〇! 軍勢を統率しとるんは未確認のステージⅡや! 五エリア連合は該当のガストレアを敵性コードネーム「ベテルギウス」と任命し、ステージⅣ相当の脅威を有すると認定した! 「開戦の儀」は中止! すぐに迎撃へ移行! 今から五分後に作戦区域への人員輸送を開始する!』
蓮太郎のこめかみから、一筋の汗が伝う。「ガストレアの……攻勢だって……!?」
この場に集まった者達のほとんどは、かつての第三次関東会戦を最前線で戦っている。その瞬間、皆が一様に、忘れ難き悪夢を脳裏に反芻した事だろう。もちろん、悪名高きテロリストたる蛭子親子ですらも――。
「ヒヒッ、どうやらガストレアに先手を取られたようだね」影胤は仮面を押さえながら、乾いた笑いを洩らす。「ずいぶんと図ったようなタイミングだとは思わないかね? さながら誰かが裏で糸を引いてるように――」
「ねえパパ、斬れる? ガストレア、斬れる?」左右に揺れる小比奈は、ようやく退屈が終わると思っているのか、心の底から嬉しそうだ。
玉樹がブーツの底で地面を叩く。「ファッキン!」と汚く毒づいた。「攻め込むのは俺達の方じゃなかったのかよ!? これじゃ、あの時と変わらねえじゃねえか!」
「文句はあとだ!」とリカルドが玉樹を嗜める。「すぐに装備の確認と、予備弾薬の準備を! このまま自衛隊の迎えが来たら、丸腰で戦場に放り出されちまうぞ!」
リカルドの指示に合わせ、蛭子親子と蓮太郎、そして香帆以外が戦闘準備に移る。
香帆は震える口を動かして、「……あなたは、何か知ってるの?」と影胤へ訊ねる。
「いいや?」対する仮面の怪人は、無駄に仰々しく首を横に振った。そこには目の前の少女を見下す感情が、明確に含まれていた。「今回の件、私は何一つとして関与などしていないよ。もちろん、そう言ったところで君らが信じるはずもないのは承知の上だがね」
影胤は、忙しなく揺れる娘を制しながら、マスケラの奥でくぐもった笑いを溢す。
蓮太郎が、「何がおかしい?」と睨むと、「逆に訊くが、君は胸が踊らないのかね?」と質問が返ってきた。
「笑える訳がねえだろうがッ」蓮太郎は激昂する。「この状況で何を楽しめって言うんだ!? 貴様のような戦闘狂と一緒にするんじゃねえよ!」
「少なくとも、私は今、命のやり取りに対する悦びに触れたつもりはないよ」
「何……!?」
「里見君もさっきの放送を聞いていただろう? 軍勢を率いるガストレアについて――」
「……『ベテルギウス』って奴か……?」
「今しがた我々に通達を行った軍人が何をどこまで把握しているかは分からないが、こちらに降りてきた情報だけで見ても、いくつか不審な点があったとは思わないかね?」
影胤の発した鋭い問いを受け、無意識の内に生唾を飲み込む。
あの短い通達の中に、いったい何を見つけたというのか。影胤の洞察力に、思わず背中に怖気が走る。
「群れを率いているのは、ステージⅡと言っていただろう?」と影胤は続ける。「君らも周知の通り、普通に考えれば、そんな事はありえない。通常、ガストレアはステージⅠから変異、変態、成長が起き、ステージⅣで個体として完成する。成熟しかかったステージⅢの個体は、時折、目を見張るほどの能力を獲得する事もあるが、それも極めて稀だ。かつての『アルデバラン』のように、本来はゾディアックを除いたガストレアとしての最高到達点に達した個体のみが、他の個体を統率する事が可能な訳だ」
「……!」とそこで蓮太郎も勘づく。
「どういう事? 蓮ちゃん」香帆の方は、まだピンと来ていないようだ。
「簡単に言えば、指標の有無だね」と影胤は言った。
香帆が首を傾げる。「指標……?」
仮面の怪人は首肯してみせる。「――ステージⅣだから群れを率いる手段を持っている。上澄みのステージⅢだから何かしらの特別な能力を獲得している。高ステージゆえに、我々は一目見ただけで、軍勢の中でそのガストレアがどういう立ち位置にいるかを判別できる。しかし、それ未満のガストレアには本来見た目で分かる判別基準がない」
「……そっか、そういう事か……!」ようやく香帆も得心いったらしい。驚きに目を見開いた少女は、「どうして連合の人達は、そのステージⅡが司令塔だって分かったんだろう……!?」と蓮太郎と影胤を見やった。
「考えられる可能性は三つ」と影胤は、白い手袋に覆われた指を三本立てる。「一つは、件の個体が、明らかに既存のステージⅡとは異なる身体的特徴を持っていたから。二つ目は、何らかの手段で、連合側があらかじめ答えを知っていたから――」
「……三つ目は」
蓮太郎が促すと、影胤は、「ヒヒ」と笑う。「どちらも該当する――だね」
影胤の推測は、恐ろしいほどに腑に落ちてしまう。
「命名されたコードネームについても、何か引っ掛からないかね? 星の名を冠するコードネームを与えられるのは、本来、相応の脅威を認定されたステージⅣのみ。過去にそれを逸脱した事例がない訳ではないが、今回は余りにも認められるのが早過ぎる。さながら最初から個体名が決まっていたかのように――」
「影胤、お前はこのガストレアの襲撃が仕組まれたものだと考えてるのか?」
「結論を急ぐつもりはない。しかし、可能性の一つとして考慮に入れておく価値はあるというだけさ」
「…………」
影胤が予想を述べ終えるのを待っていたかのように、電子ノイズと共に、再び屋島少佐の大声が響いてきた。
『全エリアの民警に自衛隊! 今からお前らに命じる! 俺からお前ら全員に通達する最優先事項やと思え! 良えか、死ぬなッ! 絶対にこんなとこでくたばるんやない! 所属も立場の違いも関係ない! 互いを生かすために最善を尽くし、必ず一人も欠けずにここへ戻ってこいッ! これよりガストレア殲滅作戦を開始する! 一匹たりとも防衛線を突破させるなッ!! 大阪エリア陸軍少佐及び、五エリア連合作戦本部長の名において、北陸奪還戦の開幕をここに宣言する――ッッ!!』
役者は出揃った。
人類の悲願たる領土奪還作戦の舞台で、日本中から集まった勢力が動き出す。
――これは攻め入ってくるガストレアから、生存圏を守り抜くための防衛戦ではない。
――こちらから奴らの領域へ仕掛ける侵攻戦だ。
打ち破られた天蓋から差し込んだ烈日を見上げるのは、果たして人類か、もしくは――。
了