ブラック・ブレット9 Träume 開幕、北陸奪還戦   作:鏡之翡翠

5 / 26
4

 腹が膨れれば多幸感に包まれる。至極(しごく)当たり前の感覚を、久方(ひさかた)ぶりに取り戻せたような気がしていた。

 蓮太郎(れんたろう)達は大通りに面した歩道を連なって歩く。

 時間はちょうど二二時を回ったところ。すでに出歩く人は少なくなっているが、居酒屋や飲食店の活気は凄まじく、通りを挟んでもなお喧騒(けんそう)が押し寄せてくる。

 蓮太郎の後ろを歩く延珠(えんじゅ)とティナは、談笑しながら、近くのコンビニで買ったアイスクリームを食べていた。こんな真冬に良くもまあと思わなくもないが、どんなに季節にそぐわないものであろうとも、女子にとっては甘味(かんみ)は特別なのだろう。

 列の最後尾(さいこうび)にはリカルドがおり、先を行く子供達に気を配ってくれている。

 ――もうすぐ今年も終わりか……。

 ぼんやりと考えながら、空を(あお)ぎ見る。

 思い返せば、春先から怒涛(どとう)の日々だった。この八ヶ月の間に、何度も東京エリアは存亡の危機に立たされ、そして水際でかろうじて滅亡を(まぬが)れてきた。今の平穏があるのも、ある種の奇跡のように思える。

 蓮太郎と木更、延珠の三人だけで始まった天童(てんどう)民間警備会社も、気づけば(にぎ)やかになった。

 それぞれが抱えている事情が違ったとしても、広がったこの輪が続く事を、心のどこかで願っている自分がいる。

 ――そのためには……。

 蓮太郎は無言で後ろを振り返る。延珠と目が合うと、「どうしたのだ? 蓮太郎」と訊かれるが、「何でもねえよ。ちゃんと着いてきてるか確認してみただけだ」と誤魔化(ごまか)した。

 ――そのためには、何としてでも延珠を八方塞(はっぽう)がりの状態から救い出さないといけない……。

 前回の――ちょうど天秤宮(リブラ)騒動の直後に行われた、延珠の身体検査の結果を思い起こす。

 ガストレアウィルスの体内侵食率四四. 六%――彼女の中に根を張る悪魔の因子は、すでにデッドライン寸前まで来ている。

 このまま行けば、たとえ侵食抑制剤を投与し続けたとしても、幼い少女に残された時間はもはや一年にも満たない。

 この事実を知っているのは、蓮太郎と木更、そして担当医の室戸菫(むろとすみれ)だけ。リカルドは何かしら勘づいているようだが、あえて深入りはしない立場を貫いている。

「…………」首許から冷たい風が吹き込んできて、反射的にチェスターコートの前を閉じる。

 延珠(えんじゅ)を破滅への一方通行から引き上げるための(かぎ)――その断片は手に入っている。

 数日前に菫と交わした会話を思い出す。

 ――『伊熊(いくま)将監(しょうげん)から採取された血液には、ガストレアウィルスとバラニウムの成分が含まれていた』

 ――『これは驚くべき事だよ蓮太郎君。何せ、ウィルスと磁場(じば)が同じ体の中で共存していたのだから』

 ――『通常、ガストレア因子はバラニウムの発する磁場に(さら)され続ければ、有無を言わせず機能停止に追い込まれるものだ』

 ――『だが彼の血液に混入したバラニウムは、さながら良き隣人(りんじん)のようにウィルスに寄り添い、それが爆発的に増殖するのを抑え続けていた』

 ――『これが意味するところは、つまり――体内侵食率完全抑制の可能性さ』

 菫の説明は、今の蓮太郎にとって、まさに蜘蛛(くも)の糸にも等しかった。

 この仮説が実現さえすれば、もう『(のろ)われた子供達(こどもたち)』が侵食率に怯える必要はなくなる。ガストレアに直接体液を送り込まれない限り、彼女らが異形へと変貌(へんぼう)する事はない。ともすれば、人類がガストレア因子に対する免疫を獲得できる可能性だってある。

 ――だが……将監の血液だけじゃ、サンプルが圧倒的に足りない。

 果たして、この現象に再現性があるのか否か。検体が違えば、どのような結果が算出されるのか。前提条件が同一でも、そこから分岐(ぶんき)するパターンは挙げ始めればキリがない。

 仮説の論証には、膨大(ぼうだい)な資料が必要だ。

 要するに、将監と同様の容態となった人間の血液サンプルが大量に()る――という事。

 それがどれだけ現実性のない話かは、改めて説明されるまでもない。

「……くそッ」と蓮太郎は、誰にも聞かれないように毒づいていた。ようやく掴んだ一条(ひとすじ)の光。だが、それは余りにも淡く頼りない。ほんの(かす)かな闇に当てられただけで、たちまち掻き消えてしまいそうなほどに。

 コートのポケットに潜り込ませた拳を、固く握り締める。

 覚悟はある。

 延珠を助けるためなら、何だってしてやる。

 彼女に明るい未来を用意してやる事は、誰に命じられるまでもなく、自分に課せられた使命なのだから――。

 

 

 

 事務所のあるハッピービルディングに戻ると、そこには出発前とは一八〇度表情の変わった木更がいた。

 気の抜け切った炭酸飲料のような(しな)びれ具合から一転、今にも泣き出しそうな感極まった様子で、ガラステーブルの上に並べられた料理に舌鼓(したつづみ)を打っている。

「まだまだおかわりはあるからね! 遠慮なく言ってよ、きーちゃん!」

 その上、見知らぬ人間までいる。

 おそらくは蓮太郎や木更と、そう歳は変わらないだろう。快活(かいかつ)そうな顔立ちに、それを引き立たせるナチュラルメイク。緩くパーマのかかったブロンドヘアは、二つ結びのお下げにしている。

 服装は、この辺りでは見慣れないブレザーの制服。赤チェックのプリーツスカートに、ワイシャツとリボンタイ、その上からはピンクのカーディガンと黒のジャケット。

 アクセントに差された赤以外、ほとんど黒一色の木更と比較すると、ずいぶんと今どきの学生らしい格好だ。

 可愛らしい制服の上から、さらにエプロン(なぜか木更のもの)を羽織った少女は、手に持っていたお(わん)をテーブルに置く。容器の中には、出来たてと思わしき肉じゃがが盛られていた。醤油(しょうゆ)とみりんの煮詰まった良い香りが、玄関まで漂ってきて鼻腔(びこう)をくすぐる。

 木更の前には、その他にも、味噌汁(みそしる)や卵焼き、焼き魚といった和食が所狭(ところせま)しと並べられており、そのどれもが見る者に食欲を沸き立たせてくるクオリティを放っていた。

 状況が飲み込めずに呆気に捉われる蓮太郎に対し、あとから入室してきたリカルドが、「お客さんか?」と謎の少女へ近づいていく。さすがは大人、切り替えが早い。あるいは思考をわざと停止させて、社会人としての慣例的なマナーを行使する事を選んだと言うべきか。

 リカルドは、「申し訳ない」と謝ってから、「せっかく来てくれたのに留守にしてしまってて」と続ける。「差し支えなければ、お名前を聞かせてもらっても?」

 場の雰囲気的に、もはや木更がまともに応対しているとは塵芥(ちりあくた)ほども考えていなさそうだった。

 ケープコートを脱いだ里緒(りお)とティナが、手洗いうがいを済ませて、そそくさとお茶の用意を始める。

 エプロン姿の女子高生は小首を傾げて、「あれ? 天童民間警備会社って、従業員は四人だけでしたよね?」と疑問を(てい)する。「新しい人ですか?」

 情報こそ古いが、ある程度こちらについての調べはついているらしい。

 蓮太郎の胸中に、ふつふつと疑念が湧き上がっていく。

 少女に自己紹介するリカルドを横目に、チェスターコートを脱ぎながら、一心不乱に食事にありつく雇い主へ耳打ちする。「……どういう事だよ木更さん。俺達がいない間に何があったんだ?」

 すると木更は露骨に頬をむくれさせる。「ふんっ」とわざとらしく鼻を鳴らして、ジットリと蓮太郎を睨めつけてくる。「……まずは私に言う事があるんじゃないの?」

「う……」

 たじろぐ蓮太郎に対し、木更が水を得た魚のごとく問い詰めてくる。

「皆して私を置いていって……人のお金で食べるお肉はさぞ美味しかったでしょうね? ちょっとでも私の気持ちは考えた? 皆が楽しく晩御飯を食べてる裏で、一人(さみ)しく事務所で待ってなきゃいけない私に対して、少しでも申し訳ないとは思わなかった訳?」

 駄目だ。これは相当お(かんむり)である。額を床に擦りつける勢いで謝らなければ、まともに口も聞いてくれそうにない。

「それに引き換え香帆(かほ)ちゃん達は優しかったわよ? 見ず知らずの私を助けるために――」

「ん?」と蓮太郎の眉がぴくりと動く。「達……?」

「――おーい。デザート買ってきたよ。全く、人使いが荒いお姉様だな……――って、いつの間にか大所帯(おおじょたい)になってるし……」

 気怠げなボヤきと共に、幼い少女が事務所に入ってくる。先客の女子高生と同じブロンドヘアに、ブラウンのウールコート姿の彼女は、両手にコンビニのレジ袋を抱えていた。

「あ、お帰り! ちーちゃん!」と女子高生の方が手を振って、幼い少女を出迎える。「ちょうど良かった。おいでおいでっ」

 呼ばれた少女は、緩慢(かんまん)な動きでレジ袋をガラステーブルに置くと、気乗りしない様子で女子高生の方へ歩み寄っていく。

 蓮太郎は、胸に渦巻いていた(いぶか)しさが徐々に晴れていくのを感じていた。

 わざわざ、こんな時間に民警のオフィスを訪ねてくる二人組。その内片方は、延珠やティナ達と同年代と見られる子供――。

 もう答えは示されていたようなものだった。

「ごほん、それじゃあ改めて――」こちらの注目を集めるように咳払(せきばら)いすると、ブロンドヘアの女子高生は自身の胸に手を当てて、高らかに告げる。「私は志咲(しさき)香帆(かほ)。こっちの可愛い子は私の相棒の久尾(くお)千都世(ちとせ)。ちーちゃんって呼んであげてね」

「呼ばんで良い」という苛立たしげな突っ込みを無視して、香帆と名乗った少女は続ける。

「本業は探偵(たんてい)と女子高生! あと副業でフリーの民警やってます! IP序列は九三四一位! 浮気調査からペットの捜索(そうさく)、ガストレアの討伐などなど何でもござれ! お仕事の相談はこちらの番号までっ!」

 顔の横に右手でピースを作りながら、左手で持ったスマートフォンの画面を(かざ)す。とびっきりの笑顔と共にウィンクすると、キラリと星が舞ったような気がした。

 完全に冷めた目で香帆を見返す蓮太郎。間違いなく今まで関わってこなかったタイプの人種だ。どう反応するのが正解なのか、皆目(かいもく)見当もつかない。

「全員困惑してんじゃねえか」イニシエーターの少女、千都世が冷徹な指摘と同時に、無慈悲な肘打ちを香帆へ叩き込む。脇腹に鉄槌(てっつい)が突き刺さり、「ふぐうッ!?」という悲鳴が上がった。

 目尻に涙を溜めて、膝から崩れ落ちる香帆。「ち、ちーちゃん……それは駄目だって……。あ、これ本当にやばいかも……」

 今にも嘔吐(おうと)しそうな主人を容赦なく足蹴(あしげ)にしつつ、「もう良い。私が話すから」と千都世は言い捨てる。

 イニシエーターの少女は天童民間警備会社の面々を見回すと、引き締まった表情で切り出した。

「私達がここに来たのは、実力のある民警のアジュバントに組み込んでもらうため。あんた達に依頼したいのは、ただ一つ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。