ブラック・ブレット9 Träume 開幕、北陸奪還戦 作:鏡之翡翠
腹が膨れれば多幸感に包まれる。
時間はちょうど二二時を回ったところ。すでに出歩く人は少なくなっているが、居酒屋や飲食店の活気は凄まじく、通りを挟んでもなお
蓮太郎の後ろを歩く
列の
――もうすぐ今年も終わりか……。
ぼんやりと考えながら、空を
思い返せば、春先から
蓮太郎と木更、延珠の三人だけで始まった
それぞれが抱えている事情が違ったとしても、広がったこの輪が続く事を、心のどこかで願っている自分がいる。
――そのためには……。
蓮太郎は無言で後ろを振り返る。延珠と目が合うと、「どうしたのだ? 蓮太郎」と訊かれるが、「何でもねえよ。ちゃんと着いてきてるか確認してみただけだ」と
――そのためには、何としてでも延珠を
前回の――ちょうど
ガストレアウィルスの体内侵食率四四. 六%――彼女の中に根を張る悪魔の因子は、すでにデッドライン寸前まで来ている。
このまま行けば、たとえ侵食抑制剤を投与し続けたとしても、幼い少女に残された時間はもはや一年にも満たない。
この事実を知っているのは、蓮太郎と木更、そして担当医の
「…………」首許から冷たい風が吹き込んできて、反射的にチェスターコートの前を閉じる。
数日前に菫と交わした会話を思い出す。
――『
――『これは驚くべき事だよ蓮太郎君。何せ、ウィルスと
――『通常、ガストレア因子はバラニウムの発する磁場に
――『だが彼の血液に混入したバラニウムは、さながら良き
――『これが意味するところは、つまり――体内侵食率完全抑制の可能性さ』
菫の説明は、今の蓮太郎にとって、まさに
この仮説が実現さえすれば、もう『
――だが……将監の血液だけじゃ、サンプルが圧倒的に足りない。
果たして、この現象に再現性があるのか否か。検体が違えば、どのような結果が算出されるのか。前提条件が同一でも、そこから
仮説の論証には、
要するに、将監と同様の容態となった人間の血液サンプルが大量に
それがどれだけ現実性のない話かは、改めて説明されるまでもない。
「……くそッ」と蓮太郎は、誰にも聞かれないように毒づいていた。ようやく掴んだ
コートのポケットに潜り込ませた拳を、固く握り締める。
覚悟はある。
延珠を助けるためなら、何だってしてやる。
彼女に明るい未来を用意してやる事は、誰に命じられるまでもなく、自分に課せられた使命なのだから――。
事務所のあるハッピービルディングに戻ると、そこには出発前とは一八〇度表情の変わった木更がいた。
気の抜け切った炭酸飲料のような
「まだまだおかわりはあるからね! 遠慮なく言ってよ、きーちゃん!」
その上、見知らぬ人間までいる。
おそらくは蓮太郎や木更と、そう歳は変わらないだろう。
服装は、この辺りでは見慣れないブレザーの制服。赤チェックのプリーツスカートに、ワイシャツとリボンタイ、その上からはピンクのカーディガンと黒のジャケット。
アクセントに差された赤以外、ほとんど黒一色の木更と比較すると、ずいぶんと今どきの学生らしい格好だ。
可愛らしい制服の上から、さらにエプロン(なぜか木更のもの)を羽織った少女は、手に持っていたお
木更の前には、その他にも、
状況が飲み込めずに呆気に捉われる蓮太郎に対し、あとから入室してきたリカルドが、「お客さんか?」と謎の少女へ近づいていく。さすがは大人、切り替えが早い。あるいは思考をわざと停止させて、社会人としての慣例的なマナーを行使する事を選んだと言うべきか。
リカルドは、「申し訳ない」と謝ってから、「せっかく来てくれたのに留守にしてしまってて」と続ける。「差し支えなければ、お名前を聞かせてもらっても?」
場の雰囲気的に、もはや木更がまともに応対しているとは
ケープコートを脱いだ
エプロン姿の女子高生は小首を傾げて、「あれ? 天童民間警備会社って、従業員は四人だけでしたよね?」と疑問を
情報こそ古いが、ある程度こちらについての調べはついているらしい。
蓮太郎の胸中に、ふつふつと疑念が湧き上がっていく。
少女に自己紹介するリカルドを横目に、チェスターコートを脱ぎながら、一心不乱に食事にありつく雇い主へ耳打ちする。「……どういう事だよ木更さん。俺達がいない間に何があったんだ?」
すると木更は露骨に頬をむくれさせる。「ふんっ」とわざとらしく鼻を鳴らして、ジットリと蓮太郎を睨めつけてくる。「……まずは私に言う事があるんじゃないの?」
「う……」
たじろぐ蓮太郎に対し、木更が水を得た魚のごとく問い詰めてくる。
「皆して私を置いていって……人のお金で食べるお肉はさぞ美味しかったでしょうね? ちょっとでも私の気持ちは考えた? 皆が楽しく晩御飯を食べてる裏で、一人
駄目だ。これは相当お
「それに引き換え
「ん?」と蓮太郎の眉がぴくりと動く。「達……?」
「――おーい。デザート買ってきたよ。全く、人使いが荒いお姉様だな……――って、いつの間にか
気怠げなボヤきと共に、幼い少女が事務所に入ってくる。先客の女子高生と同じブロンドヘアに、ブラウンのウールコート姿の彼女は、両手にコンビニのレジ袋を抱えていた。
「あ、お帰り! ちーちゃん!」と女子高生の方が手を振って、幼い少女を出迎える。「ちょうど良かった。おいでおいでっ」
呼ばれた少女は、
蓮太郎は、胸に渦巻いていた
わざわざ、こんな時間に民警のオフィスを訪ねてくる二人組。その内片方は、延珠やティナ達と同年代と見られる子供――。
もう答えは示されていたようなものだった。
「ごほん、それじゃあ改めて――」こちらの注目を集めるように
「呼ばんで良い」という苛立たしげな突っ込みを無視して、香帆と名乗った少女は続ける。
「本業は
顔の横に右手でピースを作りながら、左手で持ったスマートフォンの画面を
完全に冷めた目で香帆を見返す蓮太郎。間違いなく今まで関わってこなかったタイプの人種だ。どう反応するのが正解なのか、
「全員困惑してんじゃねえか」イニシエーターの少女、千都世が冷徹な指摘と同時に、無慈悲な肘打ちを香帆へ叩き込む。脇腹に
目尻に涙を溜めて、膝から崩れ落ちる香帆。「ち、ちーちゃん……それは駄目だって……。あ、これ本当にやばいかも……」
今にも
イニシエーターの少女は天童民間警備会社の面々を見回すと、引き締まった表情で切り出した。
「私達がここに来たのは、実力のある民警のアジュバントに組み込んでもらうため。あんた達に依頼したいのは、ただ一つ。