警視庁内部は、いつになくどよめき立っていた。
警察組織を揺るがせる一大事件が起きた――という訳ではない。集まっている面々の表情は真剣そのものではあるが、捜査に当たる際の殺気立った質のものではなかった。
警視総監の椅子に腰掛ける初老の男――阿久津義建が、眼鏡の奥の眼光をギラつかせる。「今回の招集に応じてくれた事、心から感謝する」と周囲を見回す。「――櫃間親子……いや、組織に潜り込んだ五翔会のスパイ共によって仕組まれた『ブラックスワン・プロジェクト』事件、天秤宮騒動における情報隠蔽工作――警察の度重なる不祥事により、市民からの信頼は地に落ちた。このままでは法の番人としての名折れだ。俺達は、何としてでも失墜した信用を取り戻さないといけない」
阿久津新警視総監の前には、四〇人近い警察官達が集まっている。機動隊や特殊部隊のアサルトスーツを着用している者、制服警官、私服やスーツ姿の刑事など、それぞれの出で立ちはバラバラだ。
だが、彼らには一つだけ、ある共通点があった。
全員が共通したデザインのジャケットを羽織っている。濃紺のポリスマン・ジャケット風の上着の肩と背中には、それぞれワッペンと刺繍があしらわれており、そこには『S.O.M.I.D』という文言が記されていた。
Special Operations Mobile Investigation Division――日本語に訳するなら特殊作戦機動捜査課。それは新総監により、警視庁警備部に新設されたチームの名称だった。
ガストレアの絡む重大事件や大規模テロなどに対抗するために、東京エリア中の警察官の精鋭を集め、創設された集団。先述の天秤宮騒動の渦中で奔走した者達を中心に、志願した者、阿久津が直々にスカウトした者達がスタートメンバーとなった。
磯貝俊夫の胸にも、確かな覚悟が宿る。彼の隣には、広野雄光を始めとした特殊急襲部隊から転属してきた面々と、勾田署の殺人課出身の刑事、多田島茂徳もいる。
「さて」と言葉を区切ってから、阿久津は再度全員へと呼びかける。「特戦機捜の創設に当たり、諸君らに支給されたジャケット――これを着用している間、諸君らの所属は本来の部署ではなく、この特殊作戦機動捜査課であると見なされる」
「……なるほどね。元の所属との兼業ってのはそういう意味か」不意に背後から不敵な笑み混じりの声がした。阿久津に気づかれぬように振り返ると、ストライプ柄のグレースーツに特戦機捜のジャケット姿の青年と目が合った。二十代前半ほどの茶髪の若者は、「ああ、すみません。気が散ってしまいましたか?」と言葉とは裏腹に、何も意に介していないような顔で問うてきた。
「……何を言っている」
磯貝の言葉に、青年は首を横に振り、「少しばかり気になっていたんですよ」と答えた。「特戦機捜と僕らの所属は、言うなれば全くの別物です。既存の特殊部隊とも大きく異なります。担当する案件も、有している権限も――。そこをどうやって切り分けるつもりなのか。それが気がかりだったんですよ」
「――二階堂警部補。お喋りが過ぎるぞ」
「すみません、つい高揚してしまいまして」
阿久津の一喝にも、青年――特殊事件捜査班出身の二階堂健悟は、悪びれる様子もなく受け流す。
「全く……」阿久津は呆れたように呟きながらも、「まあ良い」と話を戻した。「今さっき、二階堂が言ったように特戦機捜はガストレアの関わる一大案件が起きた時に、都度招集されるチームだ。このジャケットがそのまま、『今諸君がどちらの立場で動いているのか』を明確にする。特戦機捜は従来の警察官とは違い、常時バラニウム弾及びバラニウム製武器の携行を許可される。装備も司馬重工製の最新式だ。SATや機動隊出身の者に関しては、試作段階の『強化筋繊維』の着用も許されている」
そこで阿久津は自身も羽織っている濃紺のジャケットを軽く叩く。
「こいつについても司馬重工の特別製でな。対防弾、対防刃に特化した素材で織られてる。その他にも、着用者のバイタルをリアルタイムで測定する機能もある。搭載された機能は多岐に渡るが、そっちについてはあとでマニュアルを渡すから良く読み込んでおけ」
「スポンサー様と全面協力ね。阿久津警視総監は、ずいぶんと特戦機捜の創設に力を入れているみたい。あなたもそう思わない? 磯貝」
「……また二階堂のようにドヤされるぞ」と磯貝は右斜め前から掛けられた声に、瞑目して答える。
「別に気にしなければ良いのよ」
――まさか、こいつもいるとはな……。
磯貝は内心で嘆息する。
幸山静雅。機動隊のアサルトスーツに身を包んだ三十代後半ほどの女性は、僅かに首を捻って磯貝を見やる。最低限の身だしなみとばかりに薄く施された化粧の下には、隠しきれぬ野心が滲んだ相貌が覗く。
細かい皺の刻まれた目許が歪められ、鋭利な眼光が値踏みするように磯貝を射抜く。
磯貝は観念したようにかぶりを振り、「注力するのも当然だろう」と言った。「これは分岐点だ。警察が東京エリアの治安維持組織として存続し続けるための」
「そのために、わざわざ那須鉱山まで機械化兵士とやらに喧嘩売りに行った訳?」
「…………」
「ふっ、冗談よ。そんな怖い顔しないでちょうだい。あんたがそんな打算的な人間じゃないのは、私が良く知ってる。おおかた予想はつくわ。自分の曲げられない信念を通すために行ったんでしょ?」
「……お前は昔と変わらず食えない奴だな」
「それはお互い様ね」幸山は含み笑いと共に返す。「同じ所属になれて嬉しいわ。これで、あんたより私の方が有能だって事を証明できるんだから」
「お前、まだ……――」
磯貝が口を開こうとした時、隣の多田島が挙手すると同時に口を開いた。「それで阿久津。わざわざこんな時間に俺達を集めたのは、別に急ぎでもない業務連絡のためだけじゃないだろ? こうして各部署の垣根を超えて特戦機捜の面子を招集した――つまりはそういう事なんだな?」
「――!」その瞬間、磯貝を含めたメンバーの表情が強張った。
阿久津は頷く。「ああ、その通りだ」と肯定する。「こうしてお前らを集めたのは他でもない。特戦機捜として対応すべき案件が降って湧いたからだ」
「それは……」
全員に緊張が走る。特戦機捜の本懐を果たすための事件。それはつまり――再び東京エリアに危機が迫り来ているという事。
過去の経験から、そう判断した磯貝は、首筋に冷たい感覚が刺さるのを自覚する。
だが、そんな磯貝達とは対照的に、阿久津はニヤリと笑って告げた。「心配しなくて良い。これは俺達が関わるべき案件だが、嬉しい事にネガティヴなもんじゃない。依頼主は聖居。この情報は統制が敷かれていて、まだ民警達には降りてきていない。俺達以外には、自衛隊の上層部くらいにしか知らされていない」
間髪を容れずに、阿久津は言い放つ。
「未踏査領域――旧石川県に常駐していた先遣隊が、簡易モノリスを設置して大規模な拠点の確保に成功した。これから、日本中の戦力が北陸に集結する。日本の威信を懸けた領土奪還作戦が始まる。俺達に課せられたのは、ガストレアが跋扈する危険地帯での治安維持任務だ」