「未踏査領域への……侵攻作戦……?」蓮太郎の声が上擦る。目の前の少女らが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
香帆が神妙な顔で頷く。「今、水面下では着々と準備が進んでる。まだ東京エリアでも、一部の人達にしか、この事は知らされてないよ。とは言っても……たぶん今日か明日にでも、聖居か自衛隊を通じて、民警各社にも通達されると思うけど」
「作戦決行は三日後」と千都世が説明を引き継ぐ。「五エリア連合は旧石川県のJR金沢駅跡周辺を拠点にして、そこから北陸各地に戦力を進軍させるつもりでいる。――一〇年前のガストレア大戦以来の総力戦だ」
「とりあえず言いたい事は分かった」リカルドが腕を組みつつ切り返す。「で……一つ訊かせてもらいたいんだが、おたくらは何でそんな機密情報を知ってるんだ? 民警には、まだ知らされてないって言ったのは、おたくら自身のはずだ」
「言ったでしょ。本業は探偵だって」香帆は言う。「民警としての情報アクセスキー以外にも、私は独自の情報網を持ってる。今回の奪還戦の情報は、その網に掛かった成果の一つだよ」
「――それで」ちょうど夕食を食べ終えた木更が、行儀良く手を合わせながら会話に割り込んでくる。「その事と私達への依頼が、どう結びつくのかしら? 香帆ちゃんの説明だと、どの道、作戦については近々周知されるんでしょう?」
先ほど香帆のイニシエーターである千都世はこう言っていた。天童民間警備会社に同作戦への参加を依頼したいと。しかし、先刻の説明を前提にするのならば、別に彼女達からの依頼を受けずとも、参加要請は自然と降りてくるはずだ。
説明を求めるように向けられた蓮太郎の視線に、香帆は小さく首を縦に振る。「もちろん、きーちゃんの言う通りだよ。放っておいても情報は共有されていくし、第三次関東会戦の立役者であるあなた達には、間違いなく東京エリア上層部から直接参加の打診が来ると思う」
「まあ、そうだろうな」蓮太郎は否定しない。事実、かつてのモノリス倒壊危機の際も、聖天子自らがこちらを訪ねてきている。
「あの時はどうだったか知らないけど、もう今は東京エリア中に天童民間警備会社の名が浸透してる。それが何を意味するかは分かるでしょ? あなた達と組みたいと思う民警は、あなた達が考えている以上にたくさんいる。作戦の詳細が公開されれば最後、私達みたいな弱小ペアが『東京エリアの英雄』と接触する機会なんて万に一つもなくなっちゃうんだよ」
「だから情報が統制されている間に、俺達に接触したのか」
「うん、実際食いついてくれたでしょ」
どうやら見た目とは裏腹に強かなようだ。同年代の少女とはいえ、まだ警戒は解かない方が良さそうだ。
「……それで、あなた達の目的は何?」里緒の低い声が差し込まれる。彼女と、傍らにいるティナの手にはお盆に乗せられた人数分のお茶がある。それを一人一人に手渡しながら、「言葉を選ばずに言って申し訳ないけど、あなた達の序列じゃ、そんな大規模な戦いには着いてこれないと思うよ」と言い放った。
「未踏査領域は人類の領地ではなく、ガストレアの巣窟です」ティナも続けて言った。「自衛隊や外注の民警がやっているような、モノリス近郊の防衛や掃討とは訳が違います。あそこは――文字通りの死地です」
天童民間警備会社の面々は、全員がモノリスの内側という『揺りかご』の外に出た事がある。
壁一枚隔てた先の世界には、もはや人類の安寧など微塵も残されていない事を、骨の髄まで思い知らされている。
リカルドが値踏みするような表情で、香帆と千都世を睨めつけた。「おたくらが、その事を覚悟していないとは思わない。だが、おそらく――おたくらの目的は奪還作戦そのものへの参加じゃあないだろ?」
「……そう思う根拠は?」香帆が声色がワントーン下がる。
「金や名声のために戦場に向かう奴の目じゃないからさ。少なくとも、俺や里緒ちゃんはそう思ってる。志咲さん、嫌じゃなければ教えてくれ。君はこの戦いの先に何を求めてる?」
「……はあ、やっぱりここの人達は凄いですね。私の考えなんてお見通しかあ」肺に滞留していた重苦しい空気を吐き出すように嘆息し、香帆は儚げな笑みを滲ませた。「……人を探してるんだ」
「人……?」
蓮太郎が訊き返すと、香帆は小さく頷いた。
「……うん。さっき連合軍の拠点については話したよね?」
「駅の跡地を基地代わりにするんだったよな?」
「そう。そもそも今回の奪還作戦が決行に踏み出せたのは、駅周辺のガストレアを排除し切って、そこを囲うように簡易モノリスを設置できたからなの。じゃあ、ここで一つ問題――そこまでの段取りを進めたのはいったい誰だと思う?」
蓮太郎は顎に手を当てて考える。
先ほど香帆は、これは五エリア共同の軍事作戦となると述べていた。
であれば、普通に考えれば各国の自衛隊や軍が主導して進めているはずだ。だが、彼女の口ぶりから類推するに、事はそう単純な話でもなさそうだ。
横目でリカルドを見やるが、元自衛隊員の男は瞑目しながら首を横に振った。「少なくとも俺が自衛隊にいた時は、そんな話は一度も聞いた事がない。他のエリアの事は知らんが、東京エリアの自衛隊が関わっている可能性は限りなく低いんじゃないか?」
香帆は首肯する。「藤沢さんの言う通り、現地で戦っているのは正規の軍人や自衛隊員じゃない。――通称、北陸奪還戦先遣隊。各エリアから集められた凶悪犯や政治犯、あるいは『呪われた子供達』に武器を持たせた非正規の軍事部隊。彼らは未踏査領域に常駐――ううん、半ば幽閉されながら……八年に渡って、ガストレアの排除、兵站の整備、インフラの復旧、そして簡易モノリスの設置作業を行っていたの」
「八年だって?」蓮太郎は自身の耳を疑う。
まだ、ガストレア大戦が終結してから一〇年しか経っていない。
つまり領土奪還作戦の計画自体は、ほぼ戦争の終わりと同時に始動した事になる。
さすがに『呪われた子供達』が投入されるようになったのは最近の事だろうが、そんな場所で年単位で戦い続けている者がいる事実に、驚きを隠せずにはいられない。
――いや、でも……。
頭に一つの疑念が過ぎる。「そもそも、そんな寄せ集めの人員でガストレアと戦う事なんてできるのか?」
蓮太郎が抱いたのは、もっともな疑問だった。
訓練された自衛隊や、イニシエーターとバディを組む民警が、かろうじて渡り合えるのがガストレアという化け物だ。それを近年まで、犯罪者を寄せ集めただけの――悪く言えば烏合の衆だけで対処させていたというのか。
「それについては単純な話。先遣隊の隊長は、元軍人なの」そう言って香帆は、部屋の一角に置いていた鞄から、ノートPCを取り出した。立ち上げると同時に、ガラステーブルの上に置き、ディスプレイを蓮太郎達へ向ける。
画面には、ある男性のバストアップの写真が表示されていた。短く刈り揃えた黒髪と、威圧感のある顔立ちが特徴の軍服姿の男。写真の隣には、彼の経歴と思わしき文字列がびっしりと並んでいる。
「須永二朗」と香帆は言う。「大阪エリア陸軍に所属していた生粋の軍人。除隊時の階級は大佐。ガストレア大戦時には、大隊を率いて、海軍と共に大阪港の防衛を完遂してる。ステージⅣクラスが両手の指じゃ足りないくらいの大規模な侵攻だったにも関わらず。今の大阪エリアが、日本で唯一の国際海上貿易の窓口として機能しているのは、全て彼の功績と言っても過言じゃない」
それが事実なら、とんでもない英雄だ。
今日まで続く、か細い物流の糸。これが途絶していれば、今頃日本は世界地図から姿を消していただろう。いくら日本が世界一のバラニウム産出国だったとしても、輸出ができなければ外貨は稼げないし、他国から物資の輸入ができなければ、とっくの昔に資源は干上がっていただろう。
「そんな奴がいったい何で……」
「残念だけど、その情報はかなり強力に隠蔽されてるんだよね」香帆は肩を落として首を横に振る。「軍のデータベースにも、『軍規違反のため除隊処分』としか書かれてなかったし。たぶん、須永って人がやった事は大阪エリアにとって、よっぽど都合が悪いんだろうね」
「…………まあ、トップがあのクソ野郎だからな」
「? 何か言った?」
「いや、何でもない」
「とにかく、先遣隊の指揮を執っているのは、この人で間違いないと思う。当時、イニシエーターもいなければ、バラニウムの供給も追いついていなかった状況で、あれだけの大軍勢を退けてるんだもの。寄せ集めの戦力で、今回の奪還計画を実行に移せるところまで進められたとしても、おかしな話じゃない」
「その須永とやらが、お主の探している者なのか?」
延珠が何気なく訊ねるが、香帆はすぐに否定する。「これを見て」とPCの画面を切り替える。
「これは……」蓮太郎は目を細める。
次に表示されたのは、上空から撮影されたと思しき雪原の写真だった。そこが件の先遣隊がいる北陸地帯の風景なのだという事は、会話の流れから察せられた。
香帆が写真を拡大させていき、一点をフォーカスさせる。現れたのは小銃を手に戦う兵士の姿だった。拡大した画像はかなり荒いが、かろうじて目鼻立ちは確認できる。
二十代半ばほどの青年に見える。戦場の真っ只中に立つ鬼気迫った表情は、画面の向こう側にいる蓮太郎達にも、言いようのない緊張感を与えてくる。
「この人の名前は……安斎慎」香帆の唇から発せられる声音が、頼りなさげに震える。伏し目がちになりながらも、彼女は続きを口にした。「私の親戚のお兄さんで……六年前に、国家反逆罪の濡れ衣を着せられて逮捕されたの――」