暗闇の中、私はじっとノナの寝顔を見つめていた。
あどけない寝顔のおかげで、溜まりに溜まったストレスが和らいでいく。
もちもちのほっぺ……。触りたい。触っていいかな? バレない? 大丈夫?
これ以上無いほど慎重に指を伸ばす。ノナのほっぺ以外何も見えなくなる。時が止まっているのではないかと錯覚するほど静かだ。
……おっと、ここで寝返りか。このタイミングということは、今日はやめておいた方が良いのかもしれない。
未練はあるが、なんとか腕を引っ込めて自分のベッドに潜り込む。
ノナ……。ノナが足りない。やっぱりほっぺ触りたい……。
そうしてベッドを抜け出て、またノナの寝顔を見る。
別にほっぺじゃなくても髪でも……いやここはほっぺだな。他の場所よりは難易度が低い。もしノナが目を覚ましても、頬なら言い訳できる。
よし、よし……。今度こそ……。
『ライラー? 今どんな感じー?』
「……」
良いタイミングでみっちゃんからのテレパシーである。ド深夜だぞ。連絡する時間は考えろ。
ノナのもちすべほっぺを触るタイミングを逃した私は、なんかもう何もやる気が起きなかったので布団の中に入った。
『あれ? 聞いてる?』
『……うん』
まあまあまあ。何か良い知らせかもしれない。
明日ではなく、日が昇る頃には来るとか。マイペースなみっちゃんにしてはスピーディな行動を取った可能性がある。
『さっき出たから、次の夜には着くと思うよー』
『そっかー』
で、途中でイケメンに気を惹かれるから、やっぱり明日の夕方あたりに来るだろう。予想通りである。
こうやって連絡をしてくるところは成長している。だが、いくら私が寝る必要が無いからと言って、こうやって真夜中に連絡してくるのはどうなのだろうか。
『あと、申請された装備と……ちょっと良い物持ってくね』
『あぁ、うん……。ところでみっちゃん』
『じゃあねー』
『あ、うん……』
なんだか全てが虚しい。やる気が全く出ない。明日が憂鬱だ。
もう風邪引いたことにして一日中眠りこけるか?
でも、あんなやつにノナの料理を食べさせるよりは、私の料理を食べさせるほうがずっとマシだもんな……。弁当は作らないとな……。
はー。ノーナノナノナノナ。いかん。ストレスが溜まりすぎて無意識にノナノナ言いそうになっている。
ちょっとストレス発散しないとまずいか……?
「それでは……行ってらっしゃいませ」
いつもよりも随分と元気の無い様子でライラが手を振っていた。
朝食や弁当を作っている時も、心ここに在らずという様子で、瞬きもしないし、死んだ魚のような目で食材を見つめていた。
これからノナはエヴァンを連れて出かける。この数時間で回復してくれれば良いのだが。
「では、シスターノナ。よろしく頼むよ」
「は、はい!」
村を出て森への道を歩く。道中をなるべく引き延ばすために寄り道をしたり、休憩を挟んだりしてみる。
エヴァンは怪しんでいないようなので、この調子で少しずつ時間を稼ごう。
「時に、シスターノナ」
「はい」
「シスターライラ。彼女は清らかで美しいシスターだ……」
「はい?」
そんなふうに時間を稼いでいると、突然エヴァンがライラの話を始めた。
ノナが戸惑っている間にもエヴァンはなぜかライラのことを褒め続ける。
「まさに、シスターになるべくしてなった存在だと言ってもいいだろう……」
「……」
確かにライラはシスターとしての仕事をしっかりと熟しているようだが、果たして本当にそうなのだろうか。
エヴァンのことが苦手なのか、昨日からは元気が無いし、そう見えるだけで普通の少女なのだと思う。
そのような存在だとするならば、むしろ聖騎士を好んでいるはずだろう。
「汚れを知らぬ貞淑な乙女、とでも表すべきか……。それだけではなく、料理も得意なようで……」
なお、ライエントゥーラは悪魔なので汚れを知らないとは言えない。人間はともかく、悪魔はかなりの数を素手で殺しているし、勉強と称して昔は種族問わず男女の交わりをめちゃくちゃ見ていた。
そして、ノナのことを狙っているので奥手ではあるかもしれないが、別に貞淑ではない。
さらに、エヴァンの数倍は生きているので乙女とも言いづらい。
料理は得意だが、総じてエヴァンの言っていることはあんまり合っていなかった。
「あのようなシスターが身近に居てくれれば、僕の生活は一層華やぐことだろう」
「は、はあ……」
「そこで、シスターノナ」
「な……なんですか?」
一体何を言うつもりなのか。ノナは身構えた。
「彼女について教えてはくれないかな? 同じ教会で働いている君ならば、よく分かっているだろう?」
「えっとぉ……」
どう答えるべきなのだろうか。あまり色々と話すのも良くない気がする。
ノナはとにかく曖昧な情報で誤魔化すことにした。
「えー……。ライラさんは……その。シスターですね」
「それは知っているよ」
「そして……女性の方ですね」
「それも知っているよ」
「あとは……料理がとてもお上手ですね」
「身をもって知っているよ」
「えっと……。ペットを飼っていて……」
「ペット? 外にはいなさそうだったな……。鳥かい?」
「その……トカゲ? みたいな……」
「爬虫類か……。意外だ」
「あ、でもやっぱり鳥かもしれなくて……」
「どっちなんだい」
そんなやり取りでひたすら薄い情報だけを渡し、ようやくいつもの場所が見えてきた。
そこではライエンがハルバードを担いで、何かを待つように柄で肩を叩いていた。
「とても……ミステリアスな女性であることが分かったよ。ありがとう」
「あっ、はい」
悠々とエヴァンがライエンへと近づいていく。ノナもその後を追い、簡単に紹介をする。
「ライエンさん、こちらは聖騎士のエヴァン様です」
「……そうか」
「エヴァン様、こちらがライエンさんです」
「よろしく頼むよ」
なぜかは分からないが、ライエンは妙に不機嫌そうに尻尾で地面を叩いていた。べしん、べしん、と数秒に一度音が響く。
それに、馴れ合うつもりは無いと言わんばかりにエヴァンの差し出した手を無視していた。
まだ何も起こっていないはずなのに、なぜかもう雰囲気が悪い。これは偶然なのだろうか。
「あなたが大罪神官、その色欲と交戦したとこちらのシスターノナから聞いている。それが本当かどうかを確かめたい」
「エヴァン様……?」
「シスターノナ。色欲は人心を操ることに特に長けている。それに、淫魔ならば変化も得意だ。彼が操られ、色欲が消滅した演技をしていたとしたら?」
「……」
そういえばあの時、操られて犬の真似をしていたはずだ。
確かにそうだなあ、とノナは納得してしまったので何も言えなかった。それはそれとして、そんなリスクがあるならここで喋るのはどうかとも思ったが。
なお、実際にはライエントゥーラが色欲を(暴力と隷属魔法で)操り、消滅した演技をしていた。なので、案外その推測も合っていると言えるのかもしれない。
「彼の実力がそれほどのものなのか。それを確かめたい」
「ええっ!?」
「一つ、手合わせ願おうか」
「……いいだろう」
エヴァンとライエンがお互いに武器を構える。エヴァンの得物は祝福されたロングソードのようだった。大男の身長ほど長いライエンのハルバードに比べると、リーチはかなり短い。
それでどう戦うつもりなのか。
ノナが見守る中、戦いは始まった……。
私は思ったんだ。
どうせあの聖騎士が私のところに来るのならば、ぶっ飛ばしてやればいいって。
直接ぶん殴れば多少は溜飲を下げることができるだろう。もちろん、みっちゃんが怒らない範囲だが、顔が無事で骨折しなければなんとも思わないはずだ。
なので、手加減しながらそれぐらいの力で思う存分ボコボコにしてやればいいのだ。
まず初撃。懐に突っ込んできた聖騎士の胸あたりを右足で押すように蹴り飛ばす。
これぐらいなら大丈夫だろう、と手加減したのだが、聖騎士は真後ろに吹っ飛び、その辺の木に突っ込んだ。バキ、と木が折れ、聖騎士はその上に倒れた。
「……」
「えっ……」
思わずノナと顔を合わせる。ノナは驚いた顔もかわいいねえ……。
しかし、なるほど。きっと後ろに吹っ飛ぶことで衝撃によるダメージを和らげたのだろう。脆弱な人間に悪魔の一撃はあまりにも強すぎる、ということだ。そうに違いない。
そう考えながら、私はノナと一緒に倒れた聖騎士に近寄る。
「ふむ……」
本当に倒れているようにしか見えないが、演技かもしれない。
そっとハルバードの石突でつついてみるが、何も反応が無い。
あれ? これ、気絶してないか?
いやいや、これぐらい、アグロのやつなら後ろから腰に打ち込んでもたたらを踏む程度だぞ? 大罪神官が居ると聞いてやってきた聖騎士がこのレベル……?
こいつ、本当に聖騎士なのか? でも聖刻あるしな……。みっちゃんも知ってるしな……。確実に聖刻騎士なんだよな……。
「……」
「えっ……と」
なんだかものすごく微妙な雰囲気になってしまった。しょうがないので、魔法で水を出してぶっかけると、聖騎士は目を覚ましたようだった。
「……どうやら、負けてしまったようだね」
「そ、そうですね……」
「彼に色欲と戦う実力がある、というのは良く分かったよ。なんせ、僕よりも強いのだから」
「そうですね……」
とりあえず怪我はしていないようだ。みっちゃんの性格からして、お気に入りの聖刻騎士には特別な加護や鎧を渡しているとは思ったので、これぐらいは耐えると思っていたが。
ちょっとはストレスを発散できたが、ここまで弱いとなると逆に期待外れというか、失望したというか……。逆になんでこんなやつに褒められなければならないのか、という微妙な怒りが湧いてきている。
ここまで弱いとなると、もしかしたら顔採用かもしれないな……。
「……実は僕は聖刻騎士の中でも対人戦は強くないんだ」
「そうなんですね……?」
「それでも聖刻騎士になれた理由、分かるかい?」
うわこいつ、なんか語り始めたぞ。ノナが困ってるじゃないか。
やっぱり顔なんだろうか。顔をみっちゃんが気に入れば割とぽんぽん聖刻騎士にはなれるからな……。
「えっと……浄化の力、ですか?」
「そうだ。僕は浄化だけは得意でね。その才能をミトラ様に見出されて聖刻騎士になれたのさ。……実際に見てみるかい?」
「なら、お願いします……」
まあ、こいつ程度の浄化ならば大丈夫だろう、と油断していると本能的な危機を感じたので、咄嗟に身体構成を竜人のそれに切り替える。
その後にやってきた浄化の波動で鎧越しに僅かに肌が焼かれた。
まずい、あのままだったら変化が解かれてノナの前に真の姿を表していたかもしれない。流石にそれはまだ早いだろう。
この程度で死ぬことは無いが、アグロのやつなら腕一本ぐらい持っていかれたのではないだろうか。そのぐらい強力な浄化だった。
しかも、これで悪魔祓いが使えるとなれば、確かにアグロのやつを一時的に消滅させることもできる。
なるほど、人選の理由が分かった。完全に浄化に特化しているのか。
「……すごい」
「こんなところだ。それに、これで仮に彼が洗脳されていたとしても解除されるだろう。……ああ、そうだ。この辺りの地図はあるかい?」
「持ってないですが……」
「なら……」
洗脳のことを疑っているのなら、勝負の前に使えよ。殺される可能性もあったんだぞ? などと呆れていると、聖騎士はガリガリと地面に何かを描き始めた。それはどうやらこの周辺の地図のようだった。
そこにいくつかバツを書き加えた。
「ここが村で、ここが今居るこの場所だ。そして、この3か所……。ここに強力な魔の気配を感じる」
「もしかして、今の浄化で感じ取ったんですか……?」
「ああ。僕はここにはあまり長く居られないかもしれない。シスターノナ。そして実力の確かなあなたが居るここで話しておくべきだと考えた」
「……」
えっ、そんな3か所もなんかいるの? マジで? ええっと、ここがポイズンスライムで、ここは山かなんかだっけ……? 最後のこれはなんだよ。谷とかあったような気がするけど。
まあ、私は感じ取れていないようだが。なんでだよ。いくら今は本当に竜人になっているとはいえ、魔の気配ぐらい出てるだろ。
「……そうだ。あなたは悪魔に詳しいと聞いた。ぜひ、その知識を聞かせてもらいたい」
今度は聖騎士は手帳とペンを取り出した。それがあるならなんで今地面に書いたんだよ。おい。
そう言ってやろうかとも思ったが、全くその自覚が無いようだ。
悪魔の知識をこいつに話すのもなんだか気に障るな……。そうだ。アグロのやつの話をしよう。私のことをあれだけ話していたのだから、私が知っている限りのことを話してもいいだろう。
「分かった。なら、色欲の話をしよう」
「本当かい? 助かるよ」
「まず、大罪神官の色欲はアンテグロスヌートと言う淫魔だ。通称はアグロと呼ばれている。人間の若い男を好んでいる。次点では人間の女。他の種族も気分によっては食う。数人の人間を集めて淫蠱毒と呼ばれる儀式を執り行う。この生き残りの精気を吸い取り尽くし……」
「待ってくれ。想像以上に詳しい」
「……生き残りを殺す。それにより力を得てきた淫魔だ。また、魔界では数々の娼館の指名回数、売り上げ、付き合いたい淫魔ランキングなどでナンバーワンを記録。同じ大罪神官に殺された回数ナンバーワンの淫魔だ」
「なんで続けるんだい?」
「現在は魔界の娼館運営に励んでおり、睡魔や食魔からも精気を吸い取れるような技を考案している。さらに、地上へGO! 〜人間の精気の吸い方ガイド〜は淫魔間でのベストセラーだ。これは何度も増刷されており、淫魔だけではなく契約悪魔の間でも対象を変えれば役に立つと言われている。なお、天界へGO! 〜天使の精気の吸い方ガイド〜は天界の環境に耐える身体作りにページ数を割きすぎて淫魔達には不評だ。そして……」
「魔界って本とかあるんですねー」
よく考えればここでこうやってアグロのやつの情報を話し続ければ、教会に帰る時間を遅らせることができる。
つまり、私がまともに聖騎士と話す必要が無くなるということだ。
なるほど。話すことならいくらでもあるぞ。これならば日が沈むまで話し続けることができるのではないだろうか。
ということで、私は半日近くアグロにやつについて話し続けた。同じ情報を何度か繰り返し話していたかもしれないが、そこは許してほしい。
「大罪神官になった理由としては、目当ての人間を魔界に連れ帰った際に環境に適応できずに死にかけたので、魔神の地へと立ち入ったとのことだ。魔神の地に生える生命体の寿命を伸ばす果実を求めたとのことだが、その際に……」
「ああ、もういい……。ノートのページがいっぱいだ」
「そうか?」
結構前から何も書いていないように見えたが、いっぱいらしい。これからアグロのやつの爆笑エピソードがあったというのに……。
しかし、空を見てみれば、もう日が落ちかけている。どうやら話しすぎたらしい。
さっさと帰れ、とばかりにノナを見送る。ついでに聖騎士も帰っていったので、私もこの分体を消すか、と思っていたところにみっちゃんからの通信である。
『あ、ライラ? もうそろそろ着きそうだから』
『み、みっちゃん……? 本気で?』
『そうだけど? 真夜中になったら、ってところかなあ』
ば、バカな……。あのみっちゃんが宣言した時間通りに来るだと……!?
あの、いつもいつも集合場所に来ないなー、と思っていたらホイホイとイケメンにイケメンに着いて行っていたみっちゃんが!?
そんなことがあって良いのか!? という驚きと、これでようやくあいつから解放されるぜやったー、という喜びが私の中で渦巻いていた。
ともかく、大急ぎでみっちゃんを出迎える準備を整えなければ、とさっさと分体を消し、教会での準備に取り掛かるのだった。