みっちゃんを出迎えるために教会へ意識を戻すと、そこではアグロッペヌヂョルがぐったりとしていた。
そういえば今は弱体化しているのだった。あの浄化でダメージを受けたのだろう。
見たところ、あと一押しで死にそうに見える。
『おい、アグロッペヌヂョル。生きてるか?』
『ギリギリ……』
『そうか。魔力はいるか?』
『あんたのはいらない……』
『そうか』
私は別にアグロのやつを殺したいわけではない。
そりゃ、今までの恨みつらみも無いわけではないが、毎回殺してちょっとは悪いと思っているのだ。
それに、あんな聖騎士の浄化如きで消滅されるというのは、大罪神官として許せない。
『よし、アグロッペヌヂョル。封印を解いてやる』
『えっ、マジ? 死ぬまでこのままだと思ってた』
『解いたらノナ以外のやつの精気でも吸えばいい。その後はここに戻ってくるんだぞ』
『何それ、ペット扱い? まあいいわ。久しぶりに精気を吸えるってわけね。この際、私の好みじゃなくても良いわ!』
『ほーら行ってこーい』
アグロのやつの封印を少しだけ解き、適当に魔力を隠蔽してやる。
そうすれば、人間の女に似た姿になって意気揚々と教会を飛び出して行った。
『あ、殺すまで吸うなよー』
『そんなヘマしないって!』
しそうだと思ったから、こうして声を掛けたのだが。あいつはたまに抜けてるからな……。
ともかく、これでしばらくはアグロのやつは教会にはいない。
みっちゃんに私以外の大罪神官を合わせると真面目に消滅させられかねないからな……。特に色欲、冒涜、強欲あたりは……。
冒涜はどうでも良いが、アグロのやつは昔からの腐れ縁なので、今更いなくなるのもなんだかなあ、というような気持ちがある。
あと強欲はたまにカツアゲすると楽しいので生きていて欲しい。支配下の鍛治コボルトの腕も良いし。
そんなところでノナが戻ってきた。
「ライラさーん、ただいま戻りましたぁー……」
「ノナさん、おかえりなさい。お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「だいじょーぶです」
本人が大丈夫だと言っているのだから大丈夫か。
それでも、少し疲れているようなので休ませてあげよう。
「では、お茶を淹れますので、待っていてください」
「ありがとーござます……」
ノナの後ろでは聖騎士が無言で手帳をパラパラと捲っては戻りを繰り返していた。
アグロのやつの情報をとりあえず思いつくままに話してみたのだが、ちゃんとメモができただろうか。
「あの……入らないのですか?」
「おっと、気を使わせてしまったかい? すまないね」
……話しかけない方が良かったかな。そうすればずっとここで立っていたかもしれない。
ともあれ、ノナが食堂へ移動したからか、歩きながら手帳を読んでいる聖騎士もその後に続き、勝手に私の席に座ろうとした。
そ、そこは私専用の席だぞ!? ノナを真正面からじっくりと観察できる特等席なんだぞ!? おまえの席はそこの一つだけテーブルの横に置かれた席に決まってんだろ!?
ということで瞬間的に聖騎士を移動させ、なんとか指定の席に座らせる。
直後、ノナに怪しまれるのではないか、とそちらを見ればうつらうつらとしている様子。どうやら見ていなかったようだ。
まだ夕方なのだし、眠気を覚ますためにも熱いお茶を淹れることにした。それをノナの前に置くと、聖騎士がそれを取ろうとしたので、咄嗟に取り上げる。
「……?」
「……」
聖騎士はなぜか不思議そうに私の方を見てくる。
なんだこいつ。まさか、ノナのために淹れた茶が飲めるとでも思ったのだろうか。いやしんぼめ。別におまえに茶を淹れるとは一言も言っていないだろう。
立場上、ちょっとぐらいはもてなしをしてやってもいいが、ちょっと今はそういう気分になれない。
今の私はノナの疲れを癒すことで、自分の心を癒そうとしているのだ。おまえの相手をしたいわけではない。
こと、とノナの前に置き直すと、眠たげなノナがちびちびとそれを飲み始める。小動物みたいでかわいいね。
「……僕の分は無いのかい?」
「すみません。お茶がお好きか分からなかったもので……」
「シスターライラ。あなたの淹れたものなら、喜んで飲み干すよ」
「では、ご用意いたしますね」
魔香草はこいつには高級すぎるだろう。ということで、適当なハーブでお茶を淹れる。その辺の雑草で淹れて、それが私の実力だと思われるのは我慢ならないし、ノナの舌が変なのだと思われるのも癪に障る。
ここは、舐められない程度のものを淹れるべきだ。
「どうぞ」
「ありがとう。……この香り、一体どのようなハーブを」
「では、私は用事がありますので。すぐに戻りますから、飲み終わりましたら、その場に置いておいてください」
茶を淹れるぐらいの余裕はあったが、みっちゃんを出迎える準備は必要だ。こいつと話している時間は無い。
みっちゃんはそれはもうとんでもなく重要な存在なので、無礼があってはならない。
聖騎士なんかはその辺の有象無象。ただの浄化が得意なイケメン如き、みっちゃんとは雲泥の差! 月とスッポン! いや、それどころではなく、本当にどうでも良いほどの存在なのだ。
……まあ、みっちゃんはそういうのをちょっと嫌がるというか、イケメンにはもうちょっと価値があると思っているはずだが、一応気を使ってますよとアピールしないと私が殺されかねないので勘弁して欲しい。
ちょっと急いで最寄りの町への道を見に行く。
みっちゃんは気配が探りにくいので、目視に頼るしかない。
しかも、生半可な分体ならば視界に納めただけで消し飛ばされるので、ちょっと工夫が必要なのだ。動物の視界を乗っ取っても魔法が解除されるし。
ひとまず、私のスーパー淫魔アイで見える範囲にはいないことが分かった。今すぐには到着はしないだろう。
ならば、と小さな虫の使い魔を生み出す。分体でも良かったが、私の一部が例え脆弱な分体とはいえ、そんじょそこらの畜生如きに殺されるのはイラっとするので、適当に素早くて小さい、作るのにほとんど力を使わない存在を選択した。
こいつを大量に放ち、反応が返ってこなかったところは消えている。つまり、そのあたりにみっちゃんがいるということだ。
真夜中に来るとのことだが、やっぱり少しぐらいは遅れるのではないだろうか。
いやいや、みっちゃんの言葉を少しぐらいは信じてあげよう。まずは村のイケメンに釣られないように、そいつを遠ざけておこう。
みっちゃんはド田舎の農家のイケメンとか、スラムの孤児のイケメンとかも大好きなので、さっさとあの聖騎士を連れ帰ってもらうためにも見えない場所に置いておかなければならない。
ということで、うっすらとみっちゃんが好きそうだなー、と思っていたイケメンを探す。いや、そこまでイケメンでも無い気がするが、念の為……。
この時間帯ならばもう帰っているはずなので家へ向かう。そこから何やら妖しげな気配を感じる……。
「あっ、死ぬー! 死ぬーっ!!」
「こんぐらいで死なないわよ。何言ってんの?」
「サキュバスに搾り取られて死ぬーっ!! あぎゃーっ!!」
「死んでも良いって言ってなかった?」
「生存意欲出てきました!! すみません!!」
「あっそ……」
「あーっ! あーっ!! あぁぁーーッ!!」
そっと壁に耳を当て、沈黙貫通の魔法を掛けてやればこんなもんである。
どうやらアグロのやつが精気を搾り取っている途中のようだ。あいつの情事など見たくもない。
一応、隷属の効果で殺さないようにはなっているはずなので、まあ大丈夫だろう。
念入りに魔の気配を漏らさない結界を張り、その場を後にする。
そして、教会以外の村全体に遅延させた眠気と熟睡の魔法を掛けておく。これで夜になれば自然と眠くなり、朝になるまで目覚めない。
つまりは、夜だととんでもなく目立つみっちゃんが来ても大丈夫だというわけだ。
他にも教会までの道が分かりやすいように目印を置いておいたり、怪我をしないように小石を取り除いたりしておいた。
ひとまずはこれで私が殺されることはないだろう。一安心だ。
「ライラさん? 何かあったんですか?」
「いえ……。なんでもありません」
一度教会へ戻ると、眠気が覚めたらしいノナが出てきた。使い魔の感覚からして、少なくともみっちゃんはすぐには着かないだろう。
いつもの移動方法ならば、最速でも真夜中と言ったところか。だが、油断はできない。本当に珍しく、みっちゃんが早く着くかもしれない。
それでも夕食を作る程度の余裕はあるだろう。私は使用済みのカップを回収し、手早く夕食を作ることにしたのだった……。
……やっぱり、村までの道で迷うかもしれないし、あの辺で待っていた方が良いだろうか。
「……」
夕食後、ライラはなぜか教会の外へ出て行ってしまった。すぐに帰ってくるかと思ったが、もう外は暗くなっている。
そろそろ夜も冷え込む時期だ。それに、明かりも持っていかなかったようだし、それぐらいは届けなければ。
ノナはランタンを手に外へと出ることにした。
「……」
「一体何を待っているんだい? こんな寒い夜だ。教会に戻って暖かくした方が良い」
そこでは無言で町への道を見つめるライラと、彼女にしきりに話しかけるエヴァンが居た。
エヴァンを見かけないのは部屋に居るからだと思っていたが、ここに来ていたせいだったようだ。
話しかけられているライラはこれまでのように困っている様子ではなく、むしろ町の方に何かがあるようにただ一点を見つめ続けていた。
一体何が彼女をそうさせるというのだろうか。
「シスターノナ。すまない、どうやら動くつもりが無いようで……。君が説得してくれないか?」
「えっと……」
ライラはいつものシスター服だが、意外にも全く寒そうには見えない。それに、暗い中でも前が見えているかのようにただ前だけを見つめている。
明らかに尋常な様子ではない。だが、その行動には強い意志を感じさせた。
「あの、ライラさん? どうしてこうしているんですか?」
「勘です」
「勘、ですか……」
そういえばエヴァンが来る前もなんとなくだと言って準備をしていた。ライラには何か、不思議な勘があるのかもしれない。
それを思うと、これは何かが来る前触れなのでは無いか、と思えた。
それがエヴァンのような存在ならば良いが、もしも強力な魔物だとしたら……。
ライラはきっとその勘の説明はしてくれない。ライエンも夜はどこに居るのかが分からない。この場で最大の戦力はエヴァンだ。
となると、魔物が来た場合にはノナがライラを守り、エヴァンに助けを求める必要があるだろう。
「……分かりました。僕もここに居ます」
「シスターノナ!?」
「何も無いなら無いで良いんです。でも、少し心配で」
「……分かった。ならば、僕もここに残ろう」
「エヴァン様……」
……普段に比べて妙に静かな村の入り口で三人が並んで立っていた。ライラは微動だにせず、たまに思い出したかのように瞬きだけをする。
もうずっとこの状態だ。話しかけても一言返すぐらいで、いつものように会話はしてくれない。
あれからかなりの時間が経った。もう真夜中と言っても良いような時間で、眠くなってきた。
不意にびゅう、と風が吹き、服の裾から冷ややかな空気が入ってきた。その冷たさにノナは身震いした。
「ライラさん、少し肌寒いので、何か暖かいものを……!?」
ライラに声を掛け、一度教会へ戻ろうとした瞬間、何かに引き寄せられる。
柔らかいような、暖かいような何かが背中に触れている。そして、腹のあたりを少し硬いものが押さえている。
これはなんなのか。見下ろせば、暗い布地に包まれた腕が見えた。
そして、振り向けば真後ろ、触れ合う距離にライラが居た。どうやら、ライラに抱きしめられているらしい。
「あ、あの? ライラさん?」
「……こうすれば、暖かいでしょう?」
「で、でも、これは少し……」
なんというか、恥ずかしい。顔が少し熱い。
というか、ライラのためにも暖かいものを持ってこようとしたというのに、なぜライラはこれほどまでに暖かいのか。
それに、こんな状態では魔物が来た時に咄嗟に動けないではないか。
だというのに、もう少しの間、こうしていたいと思ってしまうのは一体なぜなのだろうか。
「そ、その。何かが来たら……!」
前を見ると、遠くに小さな明かりが見えた。それは少しずつ大きくなっている。何かが近づいてきているのだろうか。
ノナは冷静にライラの腕を解くと、意識をその明かりへと集中させる。一体どれほどの時間が経っただろうか。ぼんやりとした光の中に少女が見えた。
少女は白い服とベールを纏い、たった一人で道の真ん中を歩いていた。
こんな時間にあのような少女が歩いているなど、到底信じられない。真っ白な衣装も、あの光も。これほどまでに目立つのだから、よからぬ者の襲撃を受けないとは考えられない。
だが、その少女には一種、そういったものが犯しがたいような神聖さがあった。魔物や悪魔なのだとは到底思えない。それどころか、天上の存在だと思わせるような雰囲気を持っていた。
そのうち、少女はこちらに気がついたように小さく手を振った。それに合わせてライラも表情を緩め、小さく手を振った。
「……ライラさん、お知り合いですか?」
「はい。そのようなものです」
「そうなのですか……」
一体どこで知り合ったのだろうか。ライラが待っていたのは彼女のようで、先程までとは違い、いつもの様子に戻っている。
彼女について教えてもらった方が良いだろう。そう思って口を開こうとした瞬間、エヴァンが呆然と呟いた。
「ミトラ様……?」
「ミトラ、様……? それって……」
「聖女様だ! なぜこのような場所にお一人で……」
「えっ……」
ノナは交互に視線をミトラとライラに合わせた。聖女と田舎のシスター。見た目の年頃は近いようだが、果たしてこの二人はどこで知り合ったのか。
そして、なぜライラはミトラが来ることが分かったのか。
そんな時、エヴァンのセリフが思い浮かんだ。
『とても……ミステリアスな女性であることが分かったよ。ありがとう』
なぜ聖女と親しげなのか? その謎の答えは本人から聞かない限り、分からないだろう……。