「では、行ってきますね」
「はい。気をつけてください」
ノナが教会にやってきて数日後。
簡単に村の案内をし、任務についての情報を提供したところで、ようやくノナが村の外に出ることになった。
ノナの手料理? 消化せずに胃に保存してある。概念的に美味しかった。
……それはともかく。退魔シスターは名前の通り、魔物を退治するシスターである。殺すか、追い払うだけにするか、封印するかなどはケースバイケースだ。
そして、このエトロの地は魔物だらけである。この村なんか、周囲に魔物の群生地だらけで、教会の魔物避けでなんとか保っている。
なお、魔物避けは一定以上の強さの魔物には全く効かない。私とか。
そんなわけで、退魔シスターや冒険者なんかが魔物を定期的に間引く必要があるというわけだ。ただし、ここは数十年は間引かれていない。終わりだ……。
流石にかわいいノナに怪我をさせるわけにはいかない。今日は偵察の予定だが、想定外のことが起きるかもしれないのだから。
最初は毒沼を見に行くと聞いている。あそこから出てくる魔物はほとんどいないが、万が一出てきた時には大変なことになる。
確かあそこにはクイーンポイズンスライムがいたはずだ。かなり毒性が強く、前食べたら口内がひりひりした。美味しかったけど。
ただ、それもノナが食らったら骨も残らずジュッ! である。これはとてもかわいそうなことだ。
なので、今はこうして適当な動物の視界を借りてノナを見守っているわけだ。ジュッ! しないように。
ノナは村の外の森というには木が寂しい場所を歩いていた。当然道は無い。毒沼なんてところに好き好んで行く人間がいるわけがない。
目的地に近づくにつれ、徐々に草木が少なくなっていく。
さらに、視界を借りられる動物も減ってきたので、仕方なく分体のカラスを動員した。コウモリはここには向いていない。
そうしていると、ついにはぺんぺん草すら生えていない土といかにも触れるとヤバそうな蒸気を立てる紫色の沼が見えた。あそこは変な臭いがするから嫌いだ。
「……
ノナは適応魔法を唱えると、沼に近づいていった。
荷物から小さな瓶を取り出している。あれは調査キットだったか。多分、沼の成分なんかを分析するのだろう。
そろそろと沼に近づいていくと、こぽり、と沼から何かが這い出てきた。
それは小さなスライムだった。紫色の体は沼と同じように気泡が混じっている。
ノナはそっと小さな瓶に沼の泥を詰め、スライムから離れて魔法の詠唱を始めた。
「……
落ち着いた様子で威力の弱い魔法を放つ。スライムの身体が波打ち、元に戻った。
基本の魔法にしては威力が高いと言ってもいいだろう。だが、ここのスライムは異様に丈夫なので、大して効いていないようだ。
というかノナにはここはちょっと早すぎる。大技を使ってようやくまともにダメージを与えられるレベルだ。
なので、ちゃんと撤退できるようにこうして見守る必要があるのだ。
資料を採取したノナはスライムを刺激しないようにすり足でそっと移動する。
しかし、スライムはノナの方に飛びかかってきた。ノナはそれを横っ飛びで避けると、再び魔法を発動した。
「
ポイズンスライムの表面が凍った。こいつは魔法抵抗力も強いので、並のスライムならば芯まで凍る攻撃もこんなところだ。
しかし、スライムは表面さえ凍らせれば、大抵の場合まともに移動できなくなる。ポイズンスライムを覆う氷にヒビが入り始めているが、ノナはその隙に新しい魔法を詠唱する。
「
次の瞬間、ノナは全力で来た道を戻った。魔法の効果で普通に走るよりも二、三倍ほど速くなっている。
スライムもノナを見失い、沼に戻っていった。これなら安全に帰って来られるだろう。
その後もノナを見守っていたが、今日はもう教会に帰ってくるつもりらしい。きっと、あの沼の成分を調べるのだろう。
ならば今のうちに焼き菓子でも用意して、帰ってきた時にお茶でもしようか。
そんなふうに考えていると、突如私の中の淫魔センサーが反応する。しかもこの反応は明らかにちょっと前に核を魔界の山に埋めてきた泥棒猫である。
ゆ、許せねぇ……。どうせまた私が粉かけようとしてる男の娘を淫蠱毒させやがるんだ。
ノナをあの腐れ淫魔の毒牙に掛けさせる訳にはいかないし、害獣は駆除しなくてはならない。
しかし、今の私は本来の姿からちょっと悪魔的特徴を取り除いただけの姿である。せっかくノナに守ってもらえるポジションを確保しているのだから、それを崩すわけにはいかない。
ならばあの手しかないか。と私はバターを練りながら分体に意識を移すのだった。
ノナは毒沼のサンプルを採取し、教会へ戻るために帰路を走っていた。ある程度余裕を持ちながらも、なるべく早く分析をするためだ。
帰ったらすぐにこれを分析しなくては。うっかりライラが触れたらそれはもう大変なことになるだろう。自分ならば触れても少し火傷する程度で済むとは思うが、寂れた教会のシスターにそんな力があるとは思えない。
「……!」
道中をほどほどに急いでいると、妙な気配がした。魔の気配だ。それも魔界の硫黄に似た臭いがする。
どこからか悪魔が召喚されたのか、と警戒しながらそちらを見る。
そこには露出の激しい女の悪魔が居た。ハイレグのホルターネックのボンデージを着用しており、角や翼、尻尾といった特徴からして悪魔。その中でも淫魔に分類されるものだろう。独特な妖艶な雰囲気を漂わせている。
「ふふ……坊やがあいつの次の獲物ね」
「……何者ですか」
「あら。私のチャームに抵抗できるなんて。生意気……」
ノナは退魔シスターとしての教育の上で、当然ながら大抵の状態異常への耐性を得ている。
あと、それはそれとして目を掛けていた男の娘があまりにも奪られまくるライエントゥーラが、睡眠学習で精神的な状態異常に対する耐性を付けさせたり、淫魔のチャームをなんとも思わない暗示を掛けたりしていた。大体こっちの影響である。
「でも……せっかくなら名乗っておきましょうか。あいつはまだみたいだし……。先に奪ってあげるのは気分がいいもの」
女淫魔はニヤリと笑い、ノナを見据えながら名乗る。
「私は大罪神官、色欲のア——」
その時、二人は揃って上を見た。突如、上空から鈍く光を反射する黒い人間大の物体が落ちてきた。
どういうわけか、女淫魔の真上にそれは着地しようとしているようで、色欲のアなんとかは名乗り終える前に後ろに飛んで躱した。
「……」
着地と同時に辺りを覆った砂煙が晴れる。そこには黒い鎧姿の巨漢が立っていた。ノナよりも頭二、三個分ほど背が高く、ついでに横幅も二倍ぐらいある。
そして、鎧からは捻れた角と蝙蝠に似た翼、返しのようなものが付いた太いつるりとした尻尾が出ていた。奇妙なことにその角は左側が短かった。
「……あなたは」
「行け」
くぐもった低い男の声が聞こえた。歴戦の戦士を思わせるような鋭い刃にも似た雰囲気。
鎧も上質な素材のようで、ところどころに傷が付いている。
見える特徴は竜人のそれに見えるので、自分よりも種族的に強靭だろう。
この男にならば任せてもいいのではないか、という考えが一瞬よぎる。
だが、ノナは退魔シスターで、相手は女淫魔なのだ。素性の知れない男よりはノナの方がチャームに耐性がある。
しかし、男には何か考えがあるようだった。
果たしてこのまま行っていいのか、それとも自分が戦うべきか。ノナは迷っていた。
「……村が魔物に襲われてもいいのか」
「それは……」
「早く行け!」
「は、はい!」
正体不明の男だが、淫魔の足止めぐらいはできる実力があるだろう。願わくば、彼が操られないことを祈ろう。
ここの淫魔よりも村を襲う魔物の方がずっと大事だ。彼がなぜこんなことを知っているのかは不思議だ。全く事実無根の情報かもしれないし、それ以上の可能性もある。
だが、村人やライラは守らなければならない。その一心でノナは駆け出した。
「……行ったか」
「ライエントゥーラ。あなた、よっぽどあの子が大事なのね。あなたが魔物を呼び寄せたと知ったらどう思うのかしら?」
「今度は地獄山脈に埋めてやろうか?」
随分と久しぶりにこの姿で鎧を着た気がする。この重さが私に闘争心を思い出させてくれる。
それはそれとして私の心の大半は殺意で埋まっていた。今すぐ目の前の阿婆擦れを解体して魔界中に埋めてやらなくてはならない。
しかし、残念ながらこいつは大罪神官なので、私の頭が純然なる殺意で埋まらない限りはこいつを殺すことはできない。私があんまり同僚を殺しては埋めを繰り返したせいで魔神様が同士討ち禁止だと制約を決められたのだ。
なので、その制約を忘れるぐらいブチギレないとこいつを殺せないというわけだ。
「ふん。そんなことをしても魔神様が片手サイズのスコップ持って掘り起こしに来るだけよ」
「何ぃ……? 魔神様があんたみたいな低俗な淫魔に拘う訳が無いが?」
「これでも大罪神官の色欲なんですけど? あんたがいくら殺しても復活させてもらえるってわけ」
「なら毎日殺せるってことか」
「……あんた、魔神様に角折られて反省したんじゃなかったの?」
「それとこれとは話が別だろ……」
ちょっと魔神様には残念な思いをさせるかもしれないが、こんなやつを栄えある大罪神官の末席に置くのはマイナスイメージしかないので、早く交代させるか空席のままにしてあげよう。
大丈夫。亡骸は魔神様でも見つからない場所に埋めればいいのだ。
「しっかしまあ、いつもはあんな貧相な小娘みたいな姿してるくせに、そっちだと中々のイケメンよね」
「……」
「何、その嫌そうな雰囲気。褒めてあげてるのに」
ところで、淫魔というのは大抵他の生き物や性別への変化が得意だ。大体は人間の男女寄りの容姿をしているだけで、犬や猫にもなれるし、性別は気分的な問題だ。
ということで私もなろうと思えばいつでも男になれるのである。そうは言っても変化があまり得意ではないので、パッとなれて戦えるのはこの姿だけだが。
なお、なぜか私の男性体は偉丈夫である。なんでやねん。いや理由に心当たりが無くはないけどさ……。
「どう? あんたが一晩相手してくれるなら、あの子に手を出さないって約束してあげるけど?」
「……」
「あんた、その歳で未だに経験無いんでしょ? 淫魔としてはあり得ないって言うか、絶滅危惧種って言うか……。でも、むしろそこまで行けば希少価値があるわよね。あんたの相手をすれば、私はあのライエントゥーラの童貞を奪った淫魔として有名に……」
「いや、シスターの相手をするには自分の身と心も清らかじゃないといけないし……」
「あんた何言ってんの?」
こいつは一体何を言っているのだ。
シスターの相手が身も心も清らかでないといけないというのは常識だろう。純愛派の聖典に書いてあるぞ。ついでに地上の教会の聖典にも書いてある。ありがとうみっちゃん。
「あと正直淫魔ってなんか変な病気とか持ってそうだし……」
「あんたも淫魔でしょうが」
「同族よりも人間の方がずっと興奮するというか……」
「それは分かるけど」
「やっぱりシスターやってる以上は配偶者以外とそういう行為をするべきじゃないと思います」
「シスターやってんの?」
「やってるやってる」
「じゃあ私もあんたと同じところでシスターやろうかしら」
「ア゛ァ゛?」
よし殺そう。私とノナの愛の巣を穢す淫魔に容赦してやる筋合いは無い。
次は地獄山脈の穢れた溶岩に埋めてやるのが良いだろうか。それとも悪霊谷。いや天界の神聖渓谷なんて面白いんじゃないだろうか。永世神殿の下なら魔神様もそうそう掘り起こせないだろう。
「待って? 今なんで突然キレたの?」
「貴様に語る理由なぞ存在しない!!」
「あんたの沸点意味分かんないんだけど!? しかも理由も言ってくれないし!」
「純愛派の聖典を読め!!」
「あのクソ文章を!?」
ノナに手を出そうとした時点で割とキレていたが、私が丹精込めて毎日頑張って書いた聖典をバカにされてさらにキレッキレである。
額の血管が切れたのか、頬を熱い液体が流れた。クソ、こいつ私の顔に傷付けやがって……。さらに怒りと殺意が増大する。
「よーしよし。復活を自分から拒むほどに痛みつけてやろう。大丈夫。すぐに死にたくなるから」
「また!? またなの!? 私、あんたと会うと大体五分ぐらいで殺されてんだけど!?」
「ええいこの大罪神官め! 死を持って贖え!」
「あんたも大罪神官でしょうが!」
これがこの作品の性転換要素です。多分。