淫魔の襲撃から一週間が過ぎた。
そろそろ、本部にあの報告が届くはずだ。特急便を使って送ったのだから、大丈夫だ。
そう信じようとするも、ノナはここ数日、どうにも落ち着けなかった。
その不安を晴らすように、毎日森へ出掛けては増え過ぎた魔物を駆除している。
しかし、ふと振り返るとあのカラスが自分を見ている。一体何が目的なのだろう。
まさか、自分を観察することだけが目的な訳が無い。何か、自分の動向を監視することで益があるはずだ。
「ノナさん、どうぞ」
「あ……」
こと、とソーサーに載ったティーカップが目の前に置かれる。
薄い緑色をしたハーブティーが湯気を立てている。
それと一緒に小さく切り分けられた焼き菓子も出された。ドライフルーツを練り込んだ生地はしっとりとしている。
「ここ数日、何か悩んでいらっしゃるようですね。お茶とお菓子で気を緩める、というのはいかがでしょうか?」
「……いただきます」
どうやらライラに露見してしまっていたらしい。同じ教会で過ごしているのだから、ある意味当然なのかもしれない。
ほどよい温度の茶を口に含む。独特な爽快感とスッキリとした飲みごたえ。ほんの少し、魔力が増えた気がした。
「これは……」
「魔香草のお茶です」
「魔香草!? しかもお茶!? た、高かったんじゃありませんか!?」
「知人に魔香草の栽培をしているものがいまして。お茶ができるとたくさん分けてくれるんですよ」
平然と言ってのけるあたり、嘘では無さそうだ。それにしたって、高級品であることに変わりはないのだが。
あれは魔物や悪魔が好むので、下手に作ると栽培中に襲撃されるのだ。
しかも、普通はマナポーションに使う。それは味を度外視し、効力を高めているらしい。
茶となると、逆に味を良くする必要がある。そして味の良い魔香草は魔物を呼び寄せる。結果的に収穫できる量はかなり少ない。
だからこそ、魔香草の茶は高級品となるのだ。
「……ノナさん。何か悩んでいることがあるのならば、私に話してください。一人では解決しないことも、二人ならば解決できるかも……」
「……」
ノナは逡巡した。
彼女に話して何になる? ただただ不安にするだけではないだろうか。
だが、既に淫魔に襲撃されたことは話している。
それから付け狙われていることを予測するのは、簡単なことではないだろうか。
「実は……」
最終的にはノナは話すことにした。
ここ数日、外に出ると常に不審なカラスに見られている。
それに向けて何かリアクションをすると、どういうわけかぼとりと落ちていく。
しかし、その先に死体も落ちた痕跡も何も無い。
きっと、あの淫魔の使い魔だとは思うが、なぜこうも連日自分を監視しているのか。
戦ってはいない。しかし、大罪神官だと名乗るほどの者だ。何やら怪しげな称号だし、自分では理解できない実力を持っていたのだろう。
ならば、なぜ襲撃してこないのか? 監視が付いている時点で、未だにあの男と戦っているとも、討伐されたとも思えない。
既に本部にこのことは報告し、応援を要請しているが、それも確実に来るとは限らない。むしろ、来ないのではないだろうか。
そうなると、自分があの淫魔に抵抗できるのか。それが不安だった。
「……そうですか」
静かにライラは自分のカップに茶を注いだ。これでもう5杯目だ。
なぜかライラはノナの話——特に不審なカラスの下りのあたりで茶をぐびぐびと飲み干していた。
そりゃ、ノナもこれで10杯目でそろそろ胃がたぷたぷ鳴る頃合いだが、ライラにしては珍しいなあ、と考えていた。
茶葉が高級だからか、ライラも茶を淹れるのが上手いのか。それとも両方か。それに茶菓子も美味しい。当然、茶が進むというものである。
「……そうですね。ならば良い物があります」
「良い物……?」
「はい。少しお待ちください」
そう言ってからたっぷり二杯ほど茶を飲み干した後、ライラは倉庫の方へと歩いて行った。
その飲みっぷりにやっぱり美味しかったんだろうなあ、とノナはどこか微笑ましい気持ちになった。
ノナ……。怖がらせちゃってごめんね……。
しかし、ここで正体を明かして謝罪をするわけにもいかない。正体を明かすのはもっと親密になってからの方が良いだろう。
最近はちょっと気が緩み過ぎている。いくらノナと好きなだけ会話ができるとは言え、分体が見つかっているのだ。
普段なら、もっと存在感を無くすことができているというのに、これはまずい。
それに、村人の前でぶっ倒れるなど、例え相手が指先一つで倒せるとしても、あまりに隙を晒し過ぎている。
いくら数年間ノナの近くで存在感を消して見守り続けていた反動だとしても、これは浮かれ過ぎている。
反省しなくては……。私の悪いところは男の娘のことになると感情の制御が効きにくいところである。
……淫魔としては普通のことでは?
ならいいか……。
いや良くない。実際、ノナのメンタルにダメージが入っている。ノナは元気な時が一番かわいいのだ。
分体を使うことはこれからは控えよう。
ということで、代わりになる物をノナに渡すことにした。
まずは倉庫を漁り、魔神様からご褒美に貰った魔界血鋼を取り出す。これはなんと、魔神様の血が含まれた最高級品である。これ以上の品は無い。
それをなんか良い感じに形を変え、手のひらより小さいぐらいのお守りを作る。こっそり監視用の魔法陣も仕込み、本体はこれで大体完成。
そして、首から垂らせるぐらいの長さの紐を付けて、全体的に私の魔力を染み込ませておく。
これでそんじょそこらの悪魔は手を出さなくなるだろう。しかも今までのようにノナを見守ることもできる。完璧だ。
早速ノナにあげよう。
「ノナさん、どうぞ」
「これは……?」
「悪魔を寄せ付けないお守りです」
「その……ありがとうございます」
「見えていると効果が無いので、服の中に入れておいてください」
「……はい」
なんだか半信半疑のようだが、少なくともこれでノナの見た不審なカラスは現れなくなるので、そのうちノナも信じてくれるだろう。
悪魔を寄せ付けないというのも実際に効果があるのだし。
しかし、魔界血鋼(特に魔神産)はかなり希少なので、逆に上位の悪魔はそれを見たらノナを付け狙うだろう。ある程度は私の魔力で引くとは思うが、最近の悪魔はライエントゥーラの名前と魔力を知らないらしい。全く、嘆かわしいことだ。
まあ、その時は私がどうにかすればいい。ノナが倒せそうな相手ならば、サポートし、無理ならば私が捻り潰せばいいのだ。うん。それがいい。
ノナは素直にお守りを首に掛け、そっと服の中に仕舞った。
よく考えれば、これはノナにとって初めてのアクセサリーなのではないだろうか。……もっとおしゃれなのにしておけば良かった! いやリボンがあったな……。初めてではないか……。
ここはアクセサリーではなく、アミュレットということにしておこう。それがいい。
「……なんだか、落ち着くような気がします」
「それは良かった」
うーん、健気だなあ。そこまで落ち着いているわけでもないようだが、きっと私を安心させるために言っているのだろう。
大丈夫だよ、ノナ……。私が守ってあげるからね……。
でも普段はノナに守ってもらいたい。かわいいだけじゃないところをいっぱい見せてほしい。
ノナはね……見た目はかわいいけど、ちゃんと戦えるんだ。退魔シスターだからね……。当たり前だけどね……。
その時はキリッとしているのが、普段のちょっとぽやっとしたところと印象が違ってね……。良い……。
「では、行ってきますね」
「あっ、はい。行ってらっしゃい」
ふと視線を上げれば、ノナが教会を出て行くところだった。危ない危ない。ちょっと浸りすぎた。
気がつけばティーセットも片付けられている。私が浸っている間にノナが片付けてくれたらしい。
ありがとうノナ……。今日も勇姿を堪能させてもらうね……。
ノナは胸のあたりをそっと撫でた。硬い感触が指先に引っかかる。ライラからもらったあのお守りだ。
なんとなく今まで無かったそれが気になって、その形を確かめるように服の上からそれを弄る。
「……」
正直、悪魔が寄り付かないだとか言ったことはあまり信じていない。
悪魔を避けるものはどこかの街の領主の館だとか、そういう拠点に大掛かりな装置として置いてあるものであって、こんなに小さなものではない。
きっと、自分を励ますために渡したものであって、それほど特別な物ではない。だが、その心遣いが嬉しかった。
「……いない」
ふと立ち止まって辺りを見回す。どこにもあの黒い姿は見えなかった。
このお守りが効いたのか? それとも、もう自分を監視する意味が無くなったのか。
ライラのお守りが効いていたのならいいな、とノナはふっと頬を緩ませた。
「ん……? あれは……」
森へと続く道中。何か違和感を覚えた。視界に見覚えが無いものが入り込んだ気がする。
赤黒いぬらぬらとした独特な光沢。細長いそれが木々に先端を巻き付け、飛ぶように移動していた。
「……触手?」
頭の無いタコのような姿をした、ノナの背丈の半分程度の大きさのそれが木に実った果実を取ってどこかへと飛び立っていった。
ノナはそれを口をあんぐりと開いて見ていた。
「な、なんでこんなところに触手が……?」
幼体のようだったが、小さな触手は特に乾燥に弱いので、基本的には湿った場所に居るはずだ。なぜこんな森に居るのだろう。
しかも、かなり素早かった。触手があんな移動方法をするとは聞いたことがない。普通は地面を這うように移動するはずだ。
あれはどう考えても変異種だろう。しかも、幼体が一体だけでここに居るとは思えない。
きっと、この森には変異種の成体が存在する。それが森から魔物が出てきた原因だろう。
「……」
ノナは自分の武器を見た。槍だ。その先端はミスリルでできている。魔物には良く効くだろう。
しかし、槍だという時点で触手と戦うには向かない。対触手武器としては炎のエンチャントをされた剣が良いと聞いている。
だが、ノナの得物は槍だ。魔法は使えるが、そこまで強力ではない。
「あ、あれ……?」
ついこの前、自分がこの村を守るのだと決意したはずだ。
だというのに、相手に触手がいる。しかも変異種だ。相性が悪すぎる。
自分では対処できないのではないか。いつの間にか、頬が引き攣っていた。
「……」
無理だとは言わない。言わないが、どうすれば良いのか。
こんなところで諦めたくはない。だが、無謀に突撃したところで何になるというのだ。
「そうだ……」
何か使えるものは無いだろうか。ノナが思考を巡らせたところ、一つの物が思い浮かんだ。あれなら有効そうだ。
今のままでは対抗するのは難しい。あれを取りに教会へ戻り、村人にしばらく森に入らないように忠告しなければ。触手に村人が出会ったら、それはもう大変なことになるに決まっている。
ノナは魔法を使って急いで教会へ戻った。ノナを観察しながら触手を発見したライエントゥーラが焦っていることを知らずに……。
「あ、あ、アグロッペヌヂョル!? あんた、なんで触手を放し飼いにしてんの!?」
『美容品代わりに』
「しかもあの触手、アレじゃん! 前、冒涜と一緒に作った……!」
『そうそう。あの粘液が肌に良いのよね』
「ワーッ! ノナが危ない!!」
『美容触手は単為生殖じゃないから大丈夫だって』
なら良いか、と一瞬納得しかける。触手のほとんどは単為生殖ができて、別の生物の体内に卵を産みつけて生命力を吸わせるからな……。
アグロのやつはどうやら美容触手を有性生殖しかできないようにしたらしい。つまりは繁殖には2体以上の触手が必要だということだ。他の生命体はいらない。
確かに、淫魔は身体が丈夫なせいで、触手に繁殖用に捕らえられがちだからな……。悪魔だから魔力も多いし……。腹突き破られても治るし……。美容品に反逆されても困るということだろう。
ともかく、ノナがあの触手にそういうことはされない、というのは安心だ。少なくとも腹を掻っ捌かれることはない。ノナの薄いお腹を撫で回して良いのは私だけだからな……。
『……まあ、その代わり食欲は強いけど』
「ウワーッ! ノナーッ!」
『まあまあまあまあまあ。大丈夫大丈夫。淫魔の魔力には反応しやすいけど、人間には全然反応しないから』
「……」
『多分私が餌付けしてたからだけど……ライエントゥーラ?』
ちょっと待て。私はさっき魔力をたっぷり込めたお守りをノナにあげたばっかりなんだが? 魔界血鋼と混ざって人間には淫魔の魔力だとは分からないだろうが、触手はどうか。
それを確かめるためにノナに渡したお守りを起点に辺りを索敵する。すると、あの触手の反応がわらわらと後方からノナの方に近づいてきているではないか。
ふむ……。これはノナがピンチだな? 一応教会に頑張って戻ってこようとしているようだが。
「アグロッペヌヂョル」
『その名前、まだ認めてないんだけど』
「今のあんたを触手の前に差し出したら……。どうなるんだろうね?」
『待ちなさい。早まらないで。やめて。食われる』
「冗談だけど……。ふむ」
さて、淫魔の魔力に反応すると言うのならば、当然、ノナよりも私かアグロッペヌヂョルの方が反応しやすいだろう。
だが、この状態で魔力を解放した場合、ノナに正体がバレてしまう可能性がある。
「そうだな……」
『何が?』
「どうやら私はイケメンになるべきみたいだね……」
『そうかしら……。そうかも……』
「よし、良い考えが浮かんだ。あんたも必要だ」
『ちょいちょいちょいちょい。今の私、何もできないんですけどぉ!?』
「関係ないね」
『みぎゃーっ!!』
ここは、この手しかあるまい。私はアグロッペヌヂョルを掴み、分体を教会に残して鎧を纏い、ノナの近くへと転移したのだった。
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