「はぁっ、はぁ、はぁ……。あぁ……」
全速力で村へと戻ってきたノナは肩で息をしながら村人に話しかけた。
触手がいると言えば無駄に不安を煽るだけだろう。森に危険な魔物がいること、これから数日掛けて自分が討伐することを伝える。
「恐らくは、あの魔物が原因で村に獣がやってきていたのでしょう」
「そうですか……。他の村人にも伝えます」
「そうしてもらえると助かります……」
「ところで……あれは?」
「あれとは……えっ」
村人がノナのやってきた方向を指差した。振り返ると、道の一部が赤黒く染まっていた。
それは触手だった。わらわらと、まとまって地面を這っているようで、そこだけ毛の長いカーペットでも敷いたかのような様相だ。
「わ、わぁ……」
「シスターノナ?」
「あっ。あれが原因です」
「はいぃ?」
「とにかく危険な魔物なので、近寄らないようにしてください。では」
「向こうから近づいて来てません?」
「……そうですね!」
触手の群れは村に少しずつ近づいて来ている。
決して早くはない。人が歩く程度の速さだ。
だが、あの触手達が通った後には緑が残っていないような気がする。あの粘液で溶かされてしまったのだろうか。
「……では、僕は教会に行きます」
「シスターノナぁぁ!?」
村人は思う。シスターライラとは違い、真面目なシスターだと思っていたのだが、村の危機に教会へ行ってしまうとは。まさか荷物をまとめて逃げるつもりではなかろうか。
しかし、ノナはかなり冷静だった。あの速度なら自分が教会へ戻って準備をする程度の時間はあるだろう。
そう考えて振り返ったその時だった。
ぐるるるる、と何かが唸るような音が聞こえた。それは確かに触手達の方からしていた。
「ん?」
ノナと村人は揃ってそちらを見る。かなりの距離があるというのに聞こえたあの音は一体なんなのか。
少しの間見ていると、触手達の移動する速度が上がっていく。そして、今までみっちりと詰まっていたそれぞれの距離が開き、個体が認識できるようになる。
その個体たちは散開し、それぞれ勝手な行動を取り始めた。
具体的にはその辺の木の幹に齧り付いたり、その辺の小動物を踊り食いしたりし始めた。
「……な、なんかやばくないですか?」
「……お腹空いてるんですかね?」
「あれって人間食べるんですか?」
「……」
食べそうだなー、などと考えていると、先頭付近の触手達の速度が更に上がる。もう数分もすれば村に着きそうだ。
いや、数分も掛からないだろう。なぜなら、一部の触手が木を使って飛び始めたからだ。
ぽとり、と一匹の触手がノナと村人の前に落ちてきた。それから勢いよくノナの胸元に飛びかかってくる。
「わっ」
驚きながらもノナが槍で叩き落とすと、触手は裏返って地面にべとりと延びた。つついてみると、ぴくぴくと痙攣はしているものの、動きそうな気配は無い。
普通の生き物と同じかは分からないが、気絶していそうだ。
ひっくり返ったその裏側には何本もの歯が円状に並んでいた。その一部に草や小さな骨が挟まっている。どうやら、これらを道中で食べてきたらしい。雑食だという話は聞いたことがあるが、ここまで見境が無いとは。
「し、シスターノナ? この生物は……?」
「……」
ノナは観念してこれが触手だと言うことを伝えた。
しかし、村人は知らなかったようなので、詳細も話してしまうことにした。
大抵は湿った場所に住んでおり、ここでは珍しい魔物である。そして、繁殖期には近くにいた生物を巣に持ち帰り、その体内に卵を産みつけるのだと。これには雄雌の区別などは無く、孵化した場合、再生能力のある生き物で無い限りは普通死ぬ。
そんなようなことをノナは襲いかかってくる触手を叩き落としながら村人に口早に伝えた。
「じゃあなんですか!? これは繁殖期だとでも言うんですか!?」
「そうかもしれません……ふっ!」
成体ともなると、家を越す程度の大きさになると聞く。そして、巣から動くことは滅多に無いと。
恐らく、成体のために幼体達が食糧や繁殖用のそれを集めて来ているのではないだろうか。
「コケーッ!!」
「ああっ、鶏が!」
「きゃああああ!!」
「今の声は……!?」
女性の悲鳴が聞こえた。そちらを見ると、村の女性が鶏を攫って行こうとした触手にヒップドロップを食らわせていた。
どうやら気合いの声だったらしい。女性は触手を潰し、即座に鶏を担いで逃げていった。パワフルな村人だ。
しかし、ノナがそうやってそっぽを向いたところで、隙をついた触手が胸元に張り付いてきた。
「うわっ! と、取れない!?」
叩き落とそうにも服に吸着して離れない。槍の穂先で刺そうとしても、弾力が邪魔をして全く刺さらない。
それどころか、その触手は異様に器用で、ノナの服を脱がそうとしてきた。
「くっ……」
「シスターノナ!? なぜ突然野外ストリップを!?」
「見せ物じゃないんですよ!? というかさっさと逃げてください!」
「あっ、はい」
肌に張り付かれたら引き剥がすのは困難だろう。それならば服ごと剥がした方がいい。
そんな合理的な理由でノナは突然脱衣した。彼には露出癖は全く無い。
シスター服とベールを一緒に脱ぎ捨てたノナは上半身を包む肌着とアンダースカート姿になった。その胸元でライラからもらったお守りが鈍く光を反射している。
「
そして脱ぎ捨てたシスター服に張り付いた触手に火魔法を放つ。
哀れな触手はあっという間に干からびた。なお、退魔シスターの制服には魔法耐性があるため、無傷である。
「せいっ! やっ、とぉっ!」
そのままノナはシスター服を盾のように使い、やけに自分(それも胸元)に襲いかかってくる触手達を叩いていった。
しかし、いくら倒しても全く勢いは衰えない。それどころか、遅れてやってきた触手達が同時に何匹もノナに飛びかかってくる。
「くぅっ!」
ある程度はシスター服に飛び掛からせることで回避したが、その内ノナの肌着や素肌に取り付くことに成功するものが現れた。
そのほとんどがノナの胸元を目指してぬるぬると動き始める。
「こ、この!」
ついには脚にも取り付かれ、ノナのほぼ全身を触手が這い回る。
一匹一匹は軽くとも、これだけいるとノナの動きも鈍る。
槍を振るおうにも身動きが取れない。
こうなれば、自分ごと焼くしかないか、とノナが迷ったその時だった。
突如、空から黒い物体が落ちてきた。それは、ノナが以前遭遇したあの男だった。
「……ふん」
男がくい、くいと挑発するように指を曲げ、その魔力を解放する。
ぶわり、と一瞬にして広がった魔力はあまりにも濃かった。
物理的な圧力すら伴うそれはノナを地面に転がし、触手達を吹き飛ばした。
そして、ついでのようにノナを魔力酔いさせた。
「あ、あなたは……」
「……」
頭が痛む。胃から食事が溢れ出そうだ。
だが、動ける。しかし、魔法は当分使えそうにない。
ノナはそれを堪えて槍を支えに立ち上がり、男に問いかけるが、何も言葉は返ってこなかった。
魔力の奔流が収まると、固まっていた触手達が一斉に男に飛び掛かって行った。
赤黒い物体で覆われ、一瞬男が見えなくなる。
だが、次の瞬間、四方八方に触手達が吹き飛んだ。男の周りには不自然なほどに何も無い。円形に触手達が群がった跡だけが地面には残っていた。
そして、男はいつの間にか、先ほどまで持っていなかったはずの身の丈ほどのハルバードを手にしていた。
それを片手で扱い、ノナが動けなくなるほどの触手を一撃で吹き飛ばしたのだ。とんでもない膂力である。
さらには、握ったハルバードを突然手放したかと思うと、その場に腕を着き、なんと尻尾を武器に巻きつけて振り回した。
そして、その四足と翼で飛ぶように駆けては触手の群れに突っ込んでいく。全身鎧を身につけているとは全く思えない速度だ。
なるほど、あれは竜人にしかできない戦い方だ。強靭な肉体と翼がその動きの制御を可能としている。それに、尻尾の方が腕よりもリーチが長い。効率的な戦い方だと言えるだろう。
なぜか異様に男に執着をしている触手達が無謀にもそちらへと向かっていく。
だが、男は全く触手を寄せ付けない。男が目にも留まらぬ速度で駆ける度にその数が減っていく。
「すごい……」
あっという間にほとんどの触手を倒した男は二足で立ち上がる。
その鎧には全く粘液は付着していなかった。
「あの……ありがとう——」
「待て」
「えっ?」
男が触手達がやってきた方向を見る。そこに人影が見えた。
いや、人ではない。悪魔だった。
「……まさか、この子達を全部倒しちゃうだなんてね」
そこにはあの時の淫魔が居た。
ノナの記憶通りの姿で、惜しげもなくその肉付きの良い肉体を晒している。
男も、あの淫魔もどちらも生きていたようだ。
「でも、これはどうかしら?」
にやり、と女淫魔は笑い、胸と尻を強調するようなポーズを取る。
どちらも随分と面積の小さい布地が肌に食い込むようになっており、どう考えても人前でする格好ではない。だが淫魔なので何の問題も無かった。
そして、それを見た男が苦悶の声を上げる。
「ぐ、ぐぅ……!」
「だ、大丈夫ですか!? 一体何を!?」
「魔界の淫魔。それも最上位の
「なんだって!?」
ノナが駆け寄って顔を見上げると、男は胸を押さえてその場に膝を着く。
兜で全く表情は見えないが、どうやら魅了に抵抗しようとしているようだ。
くすくすと淫魔は笑い、指揮者のように男を指差した。
「そうね。犬の真似をしなさい」
「……」
「……」
「……わん」
妙な沈黙が流れた。最終的に、めちゃくちゃやる気の無さそうな犬の鳴き真似が聞こえた。
これをノナは男が魅了に抗っているのだと解釈した。
「頑張ってください! 負けないで!」
「そんなんじゃダメよ! もっと本気で!」
「……バウ! グルルルル……」
「おい待て飛びかかってくるな! ステイ! ステイ!」
「ギャン! ギャン!」
淫魔の新しい命令に対して部分的に抗っているのか、男は四足で犬の真似をしながら淫魔に飛びかかって行った。
だが、ステイと命令されたせいか、その場で威嚇をするだけになった。
「ワンワン! バウ! ギャン!」
「……そうですね。僕がやるしか無いんですね」
「ワン! ワンワン!」
男がノナの方を見ては催促するように淫魔の方に顎を向ける。
ノナが意思を察して一歩前に出ると、男はそれで良いんだと言わんばかりに何度も頷いた。
「坊や、私と戦うつもり? 敵うと思ってるの? 生意気……。良いわ。格の違いってもの、
ノナが槍を構えると、その様子を見た淫魔は闘志を露わにして鞭を取り出した。
どうやら、能力頼りのただの淫魔では無いらしい。
だが、以前とは違いその実力は分かる。もしかすると、男との戦いで消耗したのかもしれない。きっと、そのせいで力を隠蔽することができなくなったのだろう。
感じ取れる魔力量はノナよりも上だ。だが、絶望的な差ではない。
それに、淫魔ならば触手よりもよっぽど戦いやすいではないか。槍で突けば刺さるだろうし、打撃もよく効く。
大丈夫。人型をしているのだから、師匠との訓練のように戦えば良いだけだ。
将来、こうなっても良いように悪魔との戦い方も学んでいる。
だから、大丈夫だ。
ノナは自分でも驚くほど冷静に悪魔との戦いへと意識を集中させていた。緊張はしていない。魔力酔いは少し残っているが、なぜか今なら十全に力を発揮できる気がした。
それはなぜだろうか。ノナ自身、疑問に思っていたが、すぐに答えを見つけた。
「僕が、この村を守るって言いましたから」
「くぅーん……」
多分、自分は誰かのためにならいつも以上の力を振り絞れるのだ。
最初はよそよそしかった村人も、最近では妙に馴れ馴れしいし。その辺の奥さんもなんか娘の服とかくれようとするし。ライラの料理は美味しいし。
そういう、何気ないようなことが脳裏に浮かんだ。そして、それを壊したくないな、なんてノナは考えていた。
「だから……容赦はしないぞ!」
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
「……」
ノナが高らかに宣言する。
男がおすわりを指示された犬のようなポーズでノナに向かってめちゃくちゃに尻尾を振る。
一瞬、淫魔がその姿をしらーっとした目で見ていたが、ノナは全くそれに気が付いていなかった。