触手達と淫魔を倒したノナはその後、ライラの治療を受けた。
軟膏やポーション、回復魔法のおかげであれだけあった外傷も今は見当たらない。
あと、なぜかは分からないがノナの肌は美容液でも塗ったのか、というほどに綺麗になっていた。すべっすべのつやっつやである。
「きっと、その粘液には治癒効果があったのでしょう」
「そんなことがあるのですか?」
「触手の中にはそういった効果を持つ粘液を出すものもいるそうですよ」
「知らなかった……」
ライラが言ったのは魔界のごく狭い地域に住む治療触手のことなので、ノナが知らないのも当然だろう。
一応、大抵の触手の粘液には治癒効果がある。それが人間に効かないだけで。
「……あっ!」
「ノナさん? 一体どうされましたか?」
「森へ行かないと……」
「はい?」
「あの触手達の成体がいるかもしれません!」
「成体が?」
あれだけの数が居たのだから、いないわけがない。だが、どこに居るのかは分からない。まずはそれを調査しなければならない。
そのようなことをノナはライラに伝えた。
『え? アグロッペヌヂョル。あんた成体連れてきたの?』
『そうだけど?』
『あんなデカいやつ? マジで?』
『二匹いれば増やせるじゃない』
『えー……』
「ライラさん?」
「……ノナさん、行かれるのですか?」
「はい。あっ、もちろん準備はして行きますよ」
槍は柄が折れてしまったので、それを直す必要がある。それに、今回は槍を使うつもりは無かった。
「……ライラさん、お貸しいただきたい、いえ。その、改造させてもらいたいものがあるのですが」
「……良いですよ。ノナさんがお仕事に必要だと思うのならば、なんでも使ってください」
「ありがとうございます」
そうして手早く準備を終えたノナは教会を出発することにした。
「ノナさん」
「これは……僕の槍」
「直しておきました」
「よ、よく直せましたね……」
「こういうものは得意なので」
ライラはにこやかに言ってのけたが、本当によく直したものである。本職の職人にも劣らないような修復技術で、既に一度折れてしまったとは全く思えない。
軽くしならせてみるが、以前と全く感覚が変わらない。壊れたことが嘘だったかのような出来だ。
「ありがとうございます」
「いえ、この程度ならば任せてください」
「この程度……?」
何か基準がおかしい気がする。もしかすると、ライラは元は凄腕の職人の家の娘なのかもしれない。それにしてもやっぱりおかしいが。
「それでは、行ってきますね」
「はい。お気をつけて」
そしてノナがようやく教会を出ると、そこでは村人達がバーベキューをしていた。
肉でも野菜でもない独特な匂いに一体何を焼いているのか、とノナが近づいてみると、そこでは触手が焼かれていた。
「……」
「シスターノナ。お勤めご苦労様です」
「あの……。みなさん、何を食べているんですか?」
「触手ですよ。噛むとジュワッと肉汁が出てきて、これがまあ美味しいんですね」
「はあ……」
正気なのだろうか。魔物を食べるということは一般的だが、触手を食べるというのは聞いたことがない。
むしろ、何か毒でもありそうで不安になる。
なぜこんなことになっているのか、と辺りを見回すと、そこにはあの黒い鎧の男が居た。
「あっ……」
せっかくだし、ちょっと挨拶をしておこうか、と近づいてみると、なんと男は生の触手を食べているではないか。
しかも、なぜか兜を被ったままである。口元だけを露出した状態で、人間の腕ほどの大きさに切り分けた触手をずるずると一口にすすっている。
あまりに異様な光景に、ノナは全てを見なかったことにして森へと出て行った。
(ご飯食べてるみたいだし、邪魔しない方がいいよね……)
森には触手が何かを食べた後が残っていた。それは、折れた木であったり、動物や魔物の食い残しであったり、はたまた抉れた地面であったりした。
今は触手は見当たらない。多分、ほぼ全部の触手が今頃は村で焼かれている頃だろう。
しかし、この前まで少し歩けば魔物が見つかったような森だというのに、今はひどく静かだ。
それはきっと、ここしばらく森を騒がしくしていたのがあの触手達だったからなのだろう。もしくは、触手達が食欲のあまり、この森の生物を減らしたからなのかもしれない。
どちらにせよ、成体を倒せばこの森の異変は解決した、ということでいいだろう。
「これは……」
そうやってしばらく森を探索していると、何かが這ったような後をいくつも見つけた。
それは全て同じ場所へと向かっているようで、追っていくとその後が重なり、道ができていた。
「ここに、いる……?」
触手の不意打ちを警戒しながら進んでいくと、小さな洞窟に辿り着いた。その入り口からはうねうねと動く触手の先端がわずかにはみ出していた。
だが、その一本だけでも人と同じぐらいの大きさをしている。
幼体でさえ槍がまともには効かないのだから、ノナには無謀にも思えるだろう。
ところで、魔物退治などと言った仕事に必要なものは何か。そう、事前準備である。
『ノナくん。使えるものはなんでも使いなさい』
なんか師匠もこんなことを言っていた気がするし。いや、やっぱり別に言っていなかったような気もする……。
と言うか、夢の中でそんな感じのことを聞いただけで、別に現実では無かったような気も……。
『よし。いいよノナ。その調子!』
そういえば、夢の中で魔法を教わっていたような記憶があるのだが、その相手がライラに似ていた気がする……。
いや、昔からそんな夢を見ていた気も……。
まあ、はっきりとは覚えていないので、多分気のせいだろう。夢とはそういうものである。
ともかく、事前準備をしてきたノナにはとある秘密兵器があった。腰に括り付けたポーチからそれを取り出す。
それは教会に置いてあったドライヤーであった。カチッとスイッチを入れれば温風が出る、濡れた髪を乾かすための魔道具。ただそれだけの存在。
それをノナがライラと協力して改造した結果、ドライヤーというよりもどこか未来的な銃のような見た目になっていた。
温風の出口には拡大魔法陣を設置し、魔石から吸う魔力量を増やすことで武器として使えるほどの出力を手に入れていた。
これはつまり、改造したドライヤーの見た目をした携帯可能な広範囲乾燥魔道具である。
触手は熱と乾燥に弱い。この改造ドライヤーはかなり効くだろう。
とはいえども、元はドライヤーだ。教会で威力は試しているので触手にも効くだろうが、それでもなるべく至近距離で当ててやろう、と洞窟に接近していく。
それでも長期戦になるだろうから油断はできない。気づかれたか、というところで素早く拡大魔法陣を起動する。これでわずかな範囲にしか届かない温風が数倍にも拡大される。
それからスイッチをオンにすると、ドライヤーの口からゴウ、と凄まじい熱風が吹き出した。
「わ、わあ……」
いや、熱風ではなかった。それはまるでドラゴンのブレスのような火炎放射だった。
一瞬にして巣穴の中の触手は炙られて丸焦げになり、巻き込まれた草木は灰になった。洞窟の壁も一部がガラス化しているようだった。
ノナの側には減衰魔法陣があったおかげで無事に済んだが、もしそれが無ければやっぱり丸焦げになっていたのではないだろうか。
「ぼ、暴走しちゃった……?」
想像以上の威力にノナは慄いていた。教会で試した時はこんな威力ではなかったのに。今回は無事で済んだが、次回からどうなるのかは分からない。やはりドライヤーはドライヤーのままでいさせるのが一番いいのだろう。
なお、この元凶はノナが使うからと張り切って改造したライエントゥーラである。しかもあまりに能力を発揮しすぎたせいで、使用者には全く効かないだとか、向けた相手を確殺できる威力の熱風を出すだとか、それでいて周りの環境に応じて威力を変える学習判断機能やモードを切り替えれば普通のドライヤーとして使えるだとか……。
とにかくオーバースペックなドライヤーになってしまったのだった。当然、こんなものを田舎の教会に置いておくわけにはいかない。あまりに危険すぎるこのドライヤーは最終的に解体されることになるのだった。
『うっま! この触手うっま!! はー。アグロッペヌヂョルも捨てたもんじゃないな』
『それ美容触手なんですけど!? 食用じゃないのに!!』
『なんだよ。食えるし、毒も無いんだからいいだろ。うちの大陸の覇者くんも食用じゃないけど美味しいせいで貪食にずっと食われてるんだから』
『……まあ、私もたまに食べてたけど』
ノナを見ながら触手を食べるというのも乙なものである。
あの改造ドライヤーは喜んでくれただろうか。実践的な武器としても扱える高機能ドライヤーである。髪を乾かしている途中に突然戦闘悪魔が襲ってきても安心安全な優れものだ。
そういえば、成体がいるのだから、やっぱり幼体もそれなりに数がいるのだろう。そう考え、適当に森中を魔力探知する。
かなり数は減ったが、予想通り少しは生き残っているらしい。
これでまた食べたくなった時に取りに行けるな、と考えていると妙な動きに気がついた。
何やら触手達の魔力が少ないような、それが変動しているような……。なぜか触手達もお互いに干渉しなさそうな位置にいるような、なんか地面の魔力流の上にやけに多いような……。
不審に思って少しの間観察していると、なんと土地の魔力を吸い取っているではないか。
『アグロッペヌヂョル』
『ん?』
『あんたの触手、地面の魔力吸い取ってるんだけど。何あいつ。魔力食うの?』
『そうそう。魔力食べるんだけど……地面?』
『地面。これまずくない?』
『……一応聞かせて? 何が?』
アグロのやつも薄々、何がまずいか気がついているようだ。しかし、認めたくないのだろう。
ところで、大罪神官にはある一つの共通認識がある。それは土地を汚さないことだ。
なぜそうなのかは置いておくとして、下手に土地を汚した場合、畑の肥料にされる可能性がある。しかも結構長く。
『……あんたの触手が原因で土地の魔力が無くなるかもしれないだろ?』
『そうね……』
『つまり、罰の対象になるかも……』
『……そうね』
『そうなると、やはり冒涜と同じ畑に肥料として埋められて……』
『よし。ライエントゥーラ。封印を解いてくれる? ちょっと始末しにいくから』
『はいよ』
封印をある程度解くと、アグロのやつは大急ぎで触手の始末に向かっていった。あの触手を新しく食べられなくなるのは残念だが、背に腹は変えられない。
……私もアグロのやつを封印したせいで埋められる可能性はあったし。そうなると、きっとノナが寿命を迎えるまで帰って来ることができない。
それぐらいならアグロのやつを解放して、恩を売っておいた方がいいだろう。
そんなことを考えながら、私は触手を飲み込むのだった。うーん。やっぱり生のこの喉越し、堪んないね。
聖刻教会本部。
そこではカウンシルが開かれていた。数ヶ月に一度、各部署や重要な拠点のシスターたちが集まり、なんらかの議題について話し合い、方針や決まりを定める催しだ。
なお、シスターとは言えども、その結構な部分が中年男性である。あとは老人ばかりで、若い女性シスターは全くいなかった。寂しいものである。
「それで、人事部。何か重要な報告があると聞いたのだが……」
「はい。こちらの資料をご覧ください」
人事部が他のシスターにとある資料を配る。それはエトロの地の教会に現在配置されているシスターについての資料であった。
「おお。この退魔部のシスターノナについてですか?」
「そちらは良いのです。問題はもう一人……」
「もう一人? このシスターライラですか? シスターになったばかりのようですが、特に問題は……」
「それが問題なのです」
人事部シスターは以前のカウンシルで決定された内容を告げる。
「去年から、新しい退魔シスターは数年間の実務経験があるシスターが居る教会へと配属される。そう決まっていたはずです」
「そう言えば……」
にわかにシスター達が騒がしくなる。以前から経験がある者と組ませるという慣例はあったが、それを明確に決めたばかりなのだ。
これはおかしい。その認識が広がっていく。
「その決まりが守られていない。私はこれをなんらかの術の影響だと考えました」
「まさか……使ったのか? 神器を!」
「はい。そして、とある結果が出ました」
人事部はもったいぶったように人差し指を立て、周りを一度見回した。誰もが人事部の言動に集中している。良い傾向だ。
なんせ、これには聖刻協会が一丸となって対抗しなくてはならないのだから。
「私は、悪魔による暗示を受けていました」
「何っ……!?」
「どういうわけか、若いシスター二人を危険な地域に配属させられていたのです」
あの神器ならば、原因がはっきりと分かる。悪魔の干渉を断言すれば、一部のシスターが真剣な顔付きになった。
いくら今は別の仕事をしているとはいえ、昔は退魔シスターとして活動していたものも少なくない。
事の重大さがよく分かっているのだ。
「そして……私からはこちらを」
「退魔部……?」
「シスターノナからの報告です。どうやら……悪魔。それも大罪神官と出会ったようで」
「なんだって!?」
さらに悪魔の干渉を裏付けるような情報が増える。カウンシルは既にエトロの地には悪魔が関わっているという結論に達していた。
「これは……議長」
「うむ。その手紙にはなんと?」
「聖騎士の派遣要請がされています……」
「……皆。今回のことの重大性を鑑み、聖刻騎士をエトロの地に派遣しようと考える。どうだね?」
悪魔、それも大罪神官ともなれば、並大抵の退魔シスターや聖騎士では足りない。
ならば、ミトラ様の祝福を受けた聖刻騎士を派遣する以外ない。全てのシスターがその意見に賛同し、エトロの地へと聖刻騎士が派遣されることが決定された。
それからも細々とした議題は存在したが、ほとんど全員が謎の悪魔について危機感を覚えていた。まさか、聖刻教会の上層部に対して暗示を掛けるような悪魔が存在するとは。しかも、ここ数ヶ月は気が付かれていなかったのだ。
少し前にあのような決まりを定めていなければ、それに気が付かないまま過ごしていた。全く干渉に気が付かせなかった悪魔。それが恐ろしい存在であることは全員の共通認識だった。
「これにて、今回のカウンシルは終了とする!」
終了の宣言と共に、全員がある一方向を向く。その壁にはとある一文が書かれていた。
今は失われた
長い年月を経て本当の意味を知るものは数少ない。
聖刻教会の中でも特別な言葉。シスターたちはそれを読み上げる。
「「美しいものは尊くある」」
美しい世界を守り、美しい人を増やす。美しさとは見目によるものではなく、心の美しさである。
そういった聖刻教会の教義を一言で表すような言葉で、教会の紋にも刻まれている言葉だ。
これに感銘を受けたものは少なくない。
なお、その
『イケメン万歳』、と。
この話は後々一部を書き換える可能性が高いです。