「本当にやるんですね?」
「ああ、俺は本気だ。」
土曜日の朝11時ごろ、博樹とジャイロは、喧騒が立ち込め始めた祭りの会場である街の広場まで向かっていた。
「けど、博樹さん大丈夫なんですか?この前、10万マヌも負けてたじゃないですか……」
ジャイロの声には心配が滲む。初日の夜の失敗が頭から離れないのだろう。
「大丈夫だ。あの時は酔ってたし、それに昨日オスカーさん達との食事で、ストームへの理解は深めた。」
博樹は自信を持って言い切る。今回は初日の夜のような、衝動と無知による敗北にはならない。
「それに、今日の試合はしっかり選手の事前情報を仕入れているし、問題ない。」
朝の段階で、ジャイロからの現地情報や、レオンから受け取ったチラシに書かれた情報で、今回の祭りに参戦する北のシエロ村と東のルセーロ村の選手たちの詳細も予習済みであった。
「だと良いんですけどね。」
ジャイロは不安げに頷いた。
そんな2人は、巨大な喧騒の中心であるお祭り会場の広場に到着した。入口の門には、力強い筆致で『シエロ・ルセーロ対抗戦』と書かれている。
「おう、来たか兄ちゃん。」
その入り口付近で、漆黒のサングラス越しに会場を見張っていたレオンが、博樹に声をかける。その威圧的な佇まいは、祭りの警備というより、砦の門番のようだ。
「ええ、どうしてもあなたを雇いたいので。」
博樹は一歩も引かず、レオンの目をまっすぐ見つめて答えた。
「良い心意気だ。特別に賭場まで案内してやろう。」
レオンは他の警備員に警戒を続けさせ、自身は博樹とジャイロを先導して賭けの窓口まで案内する。
「にしても、凄い盛り上がりですね。」
博樹はお祭り会場を見回しながら、その活気ある雰囲気に感心している。会場は上から見れば大きな長方形のような形をしており、その奥には巨大なステージが組まれていた。ステージから広場中央のリングに向けて花道が続き、野ざらしのリングの両脇には、VIPが食事を楽しみながら試合を見られるようテーブル席が設けられている。一般客は立ち見でリングや花道の周りを取り囲み、その空間を食事や飲み物、選手のグッズを販売する屋台がひしめき合って取り囲んでいた。
「地域同士のストームの対抗戦は、各地域の住民や、大きな賭けに興じる人々が集まりますからね。毎回、国技の祭典のような大きな祭になるんですよ。」
活気ある雰囲気の理由を、ジャイロが補足しながら、彼らはレオンに案内されてステージの方に向かう。その道中は老若男女問わず、誰もが酒や食事を片手に今日の試合に関する予想談義を交わしていた。
「ここが賭けの受付だ。第1試合の開始までここで受付できる。」
対抗戦が始まるまでは、このステージの上にいるスタッフが賭けの受付をしている。
「対抗戦での賭けは初めてか?兄ちゃん。」
「ええ、初めてです。」
レオンの問いかけに博樹が軽く頷く。
「対抗戦に出てくるメンバーってのは、村を代表するだけあってプロの試合も経験したことがある猛者が多い。つまり、そいつらの実力は地元では結構知られてるってことだ。だから、一試合一試合への賭けは、ぶっちゃけオッズが美味くねえ。」
ステージ上の大きな掛け軸には、各村の五選手、計十選手の戦績やプロフィールが描かれている。情報が公開されているため、予想は偏りが出て、勝ち予想が多い選手のオッズが1.1倍~1.5倍程度に落ち着くことが多かった。
「そこで人気なのがこの勝敗賭けだ。チームの総勝利数を当てる賭け。シエロが何勝、ルセーロが何勝で終わるかを予想するんだ。五試合もあるから展開が読めねえ。こいつなら、鉄板の予想であっても最小オッズで2倍はつくぜ。」
このチームの勝敗数を予想する形式の賭けこそ、レオンが博樹に示唆した"金を増やすための方法"であった。この高オッズこそが、レオンを雇うための金を得るための手段である。
賭場の受付前で、レオンが最初に予想を口にした。
「俺は鉄板のシエロ4勝1敗に賭けるぜ。まあ、パパっと2倍になってくれればそれでいい。」
今日の対抗戦での鉄板予想は、シエロが4勝1敗である。
「シエロはバンタム級のリコが負けて、他4人の人は勝つだろ。」
第1試合はバンタム級(61kg以下)の試合で、シエロのリコとルセーロのフェリペの対決だ。リコはグラウンドの展開で勝負を決めたいグラップラー。一方、フェリペは長いボクシング歴を持つ歴戦の打撃型ファイターであり、そのパンチの正確性とスピードは国中から注目されていた。リコは過去、打撃でダウンを奪われて負けた経験が広く知られており、今回もフェリペの圧倒的なパンチ力の前に屈すると予想されていた。
「確かに、シエロのガブリエル(ライト級)とエドゥアルド(ミドル級)も鉄板ですしね。」
そこにジャイロが付け加える。第3試合に出場するガブリエルは打ち合いが得意で、第4試合に出場するエドゥアルドはムエタイの技術を活かした打撃の連打が武器だ。2人とも、ルセーロ側の対戦相手を相手に自身の武器を活かして勝つとの予想が多かった。
「他の選手で言うと、2試合目と5試合目……5試合目の無差別級はシエロのホドリゴとルセーロのバルデスの対決ですね。」
「5試合目の勝者はまあ、ホドリゴで間違いないだろ。体もバルデスよりデカいし、この前の試合でも豪快なKOだったからな。」
ホドリゴとバルデスの体格は、身長こそバルデスが勝るが、横の大きさや筋肉量ではホドリゴの方が圧倒的に勝る。プロの試合でもKO勝利を収めたホドリゴのパワーは市場の注目を集めており、彼の勝利も多くの人に予想されていた。
「ただ2試合目、アルト選手はパンチもかなりいいんですけど、僕はディマスを推します。」
2試合目のフェザー級マッチは、シエロのアルトとルセーロのディマスの試合だ。アルトは優れたボクシング能力を持ち、この試合でも有利に予想されていた。
「ディマスのパンチとキックのコンビネーションは一級品です。流石のアルトでもあの蹴りには翻弄されると思いますよ。」
ジャイロは、ディマスのキックとパンチを組み合わせた立体的な攻撃が、アルトのパンチを封じ、翻弄すると見ていた。様々な試合に目を通しているジャイロは、そのように独自の予想を立てる。
「なので僕は3勝2敗でシエロの勝利で予想します!」
鉄板の予想からは一つ勝利数が少ない予想をするジャイロ。
「この場合オッズは4倍か。おもろい予想やな。」
レオンもジャイロの予想に感心した様子であった。そして、レオンは静かに資料を見ていた博樹に問いかける。
「それで、兄ちゃんはどんな予想なんだ?」
ここまで沈黙を守り、ステージ上のポスターとメモを凝視していた博樹は、ようやく顔を上げた。
「1試合目と2試合目はジャイロと同じでルセーロの勝利だと思います。」
最初の二試合はジャイロの予想と同様に、ルセーロ側の選手の勝利を予測する博樹。
「3試合目と4試合目は鉄板でシエロの勝利を予想します。」
ここまではレオンの予想と同じだが、博樹の目は一点、最終試合のポスターを射抜いた。
「俺は5試合目はルセーロのバルデス勝利予想でいきます。」
「マジか!?」
レオンが驚きに目を見開く。
「確かに体はホドリゴの方が大きいですが、身長はバルデスの方が高く、体重も軽いのでスピード、スタミナ、リーチではバルデスが勝ると思うんですよね。試合が後半になるにつれてバルデスが圧倒するような内容になると予想します。てことで俺は、3勝2敗でルセーロの勝利を予想します。」
博樹は淡々と、自身が予想した緻密な展開を述べると、賭けるための紙に自身の予想を書き込んだ。彼にとって、これは直感ではなく、長年の知識に基づくシミュレーションの結果だ。
ジャイロとレオンも紙に自分の予想を書き、この紙と掛け金を受付に出すことで賭けに参加することができる。
「オッズは大体15.5倍か。なら、これぐらいで良いか。」
今回の対抗戦では、若くて勢いのあるシエロ陣営の勝利を予想している人が多く、ルセーロの勝利という予想はオッズが跳ね上がっていた。博樹は、用心棒代に届くよう、観光費用として持っていた20万マヌを賭ける。もし予想が当たれば、目標額である300万マヌを超える310万マヌを手にすることができる。
「本当にいけるんだろうな?」
レオンの言葉には、興味と疑念が半々に混じる。
「また大損しても知りませんよ。」
ジャイロは心配を隠せない。
各々は自身の予想を書いた紙と賭けた金額を手にして受付に渡すと、運命の行方を見届けるため、リング近くまで移動する。
しばらくして、リングアナがステージ上でマイクを片手に戦いの開始を告げる。
『Ladies and Gentlemen! 第1試合!バンタム級!シエロ代表リコ VS ルセーロ代表フェリペの試合を開始します!』
運命のゴングが、活気あふれる広場に響き渡った。北のシエロ、東のルセーロ、2つの村から押し掛けた応援団の熱狂的な歓声が沸き上がり、リコとフェリペはそれぞれステージから伸びる花道を歩いて、広場中央のリングに入っていく。
「さあ、始まるぞ。」
開始のゴングと同時に、対抗戦第1試合、バンタム級の戦いが幕を開ける。
その試合展開は、多くの人の予想通りに進んだ。リコの突進に対し、フェリペの正確なパンチがヒットする。
「ダウン!」
開始わずか1分ほどで、フェリペがリコからカウンターのフックでダウンを奪った。ダウンで大きくポイントを失ったリコだが、フェリペは彼の得意の寝技も対策済みであった。フェリペはジャブと後退を残り時間で繰り返して、安全な距離を取りながら、リコに組付く隙を与えない。
「突っ込めよ!面白くねえよ!」
距離を取るフェリペの戦い方に、シエロ陣営のファンからヤジが飛ぶ場面もあったが、フェリペは顔色一つ変えず、後半も冷静に動き回り判定勝利をもぎ取った。
「まずはルセーロが1勝ですね。」
ジャイロが興奮気味に腕を組む。
「ここまでは予想通りだ。」
レオンは腕を組みながら、冷静に次の展開を見据える。
『第2試合!フェザー級!シエロ代表アルト VS ルセーロ代表ディマスの試合を開始します!』
次に迎えたのはフェザー級の一戦。ボクシングのアルトとキックのディマスという、スタイルが対照的な試合だった。
「よし!いいぞ!」
試合が始まって、ディマスが蹴りを上段、中段、下段と巧みに蹴り分けて、アルトを徐々にリングの中央から追い詰めていく。ジャイロは自身の予想通りの展開に、思わず小さくガッツポーズをした。
「おいおい、マジかよ。」
一方のレオンや多くの客は、アルトがパンチでディマスを圧倒すると予想していたため、ディマスの蹴りの嵐にそのパンチをほとんど当てれない展開に、困惑し、大きくため息を付く者もいた。
『勝者!ルセーロ代表ディマス!』
序盤は蹴りで支配していたディマスだが、中盤以降はパンチとのコンビネーションも入れ込み、3Rを通してアルトを圧倒し続けたディマスが、文句なしの判定勝利をもぎ取った。
「まさか、まさかこうなるとはな……」
シエロの4勝1敗という鉄板の展開を予想していたレオンら多くの客は、自身の賭けた金額が消えたことに気付き、露骨に肩を落とす。
「よし!当たった!」
「ジャイロの予想通りにして正解だったな。」
一方で、ディマスの勝利予想を当てたジャイロと博樹は、熱狂したファンに紛れてハイタッチを交わした。
『第3試合!ライト級!シエロ代表ガブリエル VS ルセーロ代表カルロスの試合を開始します!』
続いての試合は、シエロの若手エース、ガブリエルとルセーロのベテラン戦士、カルロスの試合であった。
「頼んだぞガブリエル!」
「ここで勝て!」
既に2敗と追い込まれたシエロ陣営からは、地鳴りのような熱い声援が送られる。試合の内容は、その声援に応えるような圧倒的なものだった。
「ダウン!」
1R中盤、ガブリエルとカルロスがリングの中央で足を止めてパンチを打ち合う展開となった。そこで、勢いと技術で勝るガブリエルがダウンを奪ってみせた。
「いっけー!!」
さらに、試合再開後にガブリエルが強烈な右ストレートで再度ダウンを奪う。カルロスはレフェリーにより試合続行不可能と判断された。
『勝者!シエロ代表ガブリエル!』
ガブリエルのKO勝利に、シエロ陣営のファンたちは歓声を上げて、エースを称える。これでシエロ陣営に勢いが戻り、そのまま第4試合を迎える。
『第4試合!ミドル級!シエロ代表エドゥアルド VS ルセーロ代表マヌエルの試合を開始します!』
その勢いのまま迎える第4試合は、第3試合と同様に多くの人々の予想通りの展開になった。
「いいぞ!エドゥアルド!」
シエロのエドゥアルドは体格で勝る相手のマヌエルに対し、クリンチや膝蹴りといった、ムエタイの技術を活かして打撃の連打を浴びせていく。マヌエルは防戦一方となり、反撃の糸口を見つけられない。
『勝者!シエロ代表エドゥアルド!』
エドゥアルドは難なくその試合に勝利し、勝ち名乗りをあげた。マヌエルは悔しそうにリングを去る。
「これで2勝2敗か。」
「後は博樹の予想が当たるか、ジャイロの予想が当たるかのどっちかだな。」
レオンは重い声で呟く。最後の試合でシエロとルセーロどちらが勝つかで、15倍以上のオッズを賭けた博樹の運命が決まる。
『第5試合!無差別級!シエロ代表ホドリゴ VS ルセーロ代表バルデスの試合を開始します!』
運命の第5試合。単なる予想だけでなく、二つの村の威信をかけた対抗戦の決着を付ける重要な試合であり、入場してくる二人の選手の大きな背中には、それぞれの村の住民たちの想いが乗しかかっている。
「ファイト!」
多くの人々の想いを受けた重量級の一戦が始まる。 序盤はシエロのホドリゴが重いパンチを当てて、バルデスを効かせる場面が見られた。
「よし!」
ホドリゴ優勢の展開に、シエロ勝利に賭けていたジャイロが口角を上げる。
「いいや、まだだ。」
博樹は身を乗り出してリングを見つめる。ホドリゴのパンチは強力だが、巨体故にスピードで劣る。バルデスはリングのロープ沿いに回っていくように移動しつつ、リーチとスピードを活かしたジャブを当てていく。
「削れてきたな……」
1Rこそ、パンチを効かせた分でホドリゴ有利に見えたが、2Rはスピードとリーチの差でバルデスが有効打を多く当て、有利に試合を運んだ。
『ダウン!』
3Rになって、先にダウンを奪ったのはバルデスであった。ホドリゴのスタミナが尽きてきたタイミングで、バルデスのボディへのパンチが深く入り、遂にホドリゴが腹を抑えて倒れてしまった。
『1!2!3!……』
レフェリーが10カウントを数えるが、スタミナが尽きてしまったホドリゴは立ち上がれず、レフェリーが試合を止める。
『勝者!ルセーロ代表!バルデス!』
ルセーロ陣営を勝利に導き、リングのポールの上に乗り両腕を広げるバルデスに、狂喜乱舞の歓声が浴びせられる。
「よっしゃ!ルセーロ 3勝2敗!」
「外した……」
博樹は自身の勝利予想を当てて、大きくガッツポーズをする。一方のジャイロは、自身の予想を外してしまい、顔色が悪い。
「兄ちゃんの予想すげえな!本当に当たっちまった!」
本当に勝敗予想を当ててしまった博樹に、レオンは驚きと同時に、強い興味を隠せない様子であった。
「素面で事前情報とかもあればこんなもんですよ。」
日本の様々な格闘技大会で勝敗予想をし、時には1つの大会で8、9割の試合の勝敗予想を当てた経験もある博樹は、その経験を活かして賭けに勝ち、カウンターで札を渡して成果金を受け取って戻ってくる。
「それじゃあ、約束の300万マヌです。これで一ヶ月間よろしくお願いします。」
「ああ、任せてくれ!これで契約成立だ。」
博樹からの大金を受け取り、レオンは彼が帰国するまでの警護を担当することになった。
「しかし、まさか外してしまうとは……」
「まあ、とりあえずこれで飲みにでも行くか!」
「良いですね。」
予想を外して掛け金も失って落ち込むジャイロに対し、レオンは早速報酬で飲みに行こうと提案する。博樹もそれに賛同し、夜はまた酒場で食事とストームの試合を楽しむのであった。