アトランタと、彼女が迎えるクリスマスの物語。

※本作は「pixiv」にも投稿しています。

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アトランタのクリスマス小説です。
(pixivに投稿したものと同一です)


第1話

 

【挿絵表示】

 

And from the crew of Apollo 8, we close with good night, good luck, a Merry Christmas ―― and God bless all of you, all of you on the good Earth.

 

アポロ8号のクルーから皆さんに、おやすみなさい。幸運をお祈りします。そしてメリークリスマス! 地球に住むすべての人々に神のご加護がありますように。

 

フランク・ボーマン

1968年12月24日

 

 

*

 

 

 四年前、星が堕ちてきた。

 宇宙から、海へ堕ちてきた。

 そして、海は赤く染まっていった。

 

 堕ちてきた星を、人類は「邪神」と呼んだ。

 「邪神」は世界を破壊するための異形を生み出し、赤い水を――赤い海を広げていった。

 深海棲艦と名付けられたその異形たちに対して人類は団結し、絶望的な戦いを続けた。

 

 ただ一つ、希望があった。

 赤い海を押し返し、世界の破壊を食い止める戦乙女。

 ――艦娘。

 

 

*

 

 

 彼女が生まれ育った環境は、お世辞にも良好とは言えなかった。

 彼女の生地は、五大湖に面した、日本人にはあまりなじみの無い響きの工業都市だった。

 ラストベルトと呼ばれた、うらぶれた街の一つ。そこで彼女は生まれ、育てられた。

 彼女の父は善人であった。合衆国の人間が理想とする父親像の一つ、と言っていい人物だった。

 しかし、彼女が十一歳の時、父は彼女を道連れに命を絶った。

 合衆国海軍より送られ、鎮守府のデータベースに記録された彼女の「人生」。

 それを目にしたとき、司令官は小さくため息をついた。

 (この子も、「生きる」ために……艦娘になったのか)

 

 

*

 

 

 艦娘は人間ではない。いや、正確に言えば、「もう」人間ではない。一部研究機関では「インプルーヴド」と呼ばれた強化人間だった。

 脳にデータリンクのためのプラントを埋め込まれ、精神加速剤を投与され、心臓や肺といった一部の臓器を人工物と置換され、果ては遺伝子の書き換えまで施された存在。

 当然、そんな存在になりたがる者などいない。人間であることを自ら棄てる者などいない。

 よって、非合法的に(あるいは非人道的に)選ばれた女性たち、少女たちが艦娘に改造、強化されていった。

 人間としての姿。

 人間としての声。

 人間としての記憶。

 人間としてのこころ。

 それらを持ったまま、彼女たちは人間ではないモノに変えられていった。

 ただ――ごく稀に、自ら艦娘に強化されることを望む少女たちがいた。

 彼女たちは純粋な生物としての欲求、「生きたい」という思いから、自ら志願して艦娘となった。

 祖国が滅んで生活してゆくことができなくなった者。治癒することの無い病魔に冒された者。自分の過去を消すしかなくなった者。

 様々な理由から、彼女たちは各国の海軍に迎え入れられ、人間ではなくなっていった。

 そして、アトランタという名を与えられた彼女も、生きるために艦娘となった。

 

 

*

 

 

 奇跡的に、彼女は一命を取り留めた。

 父と彼女を乗せたまま海へ落ちた自動車の中から、彼女だけが偶然脱出でき、救助された。

 父は、妻が――彼女の母にあたる人物が、不倫関係の末に家を出て行ったことに絶望して、娘とともに海へ沈もうとしたのだ。

 冬の、氷のように冷たい海水の中。暗いどこかへ沈んでいきながら、彼女は思い出していた。

「クリスマスの夜、マムはいなかった」

 光の下へ、空の下へ助け出されたあと、彼女は父もいなくなったことを知らされた。

 

 

*

 

 

 一二月二日。

 「邪神」の落着から四回目の冬を迎えた鎮守府。

 戦時中の普段着と言っていいネイヴィ・ブルーの簡易ジャンパーに袖を通した司令官が、執務室のドアを開けようとしたとき。

「提督さん」

 わずかに母音がきついが、流暢と言っていい日本語でアトランタが呼びかけてきた。振り返った司令官の目に、彼より少しだけ背の低い艦娘が映った。

 二つに結った猫っ毛の髪。女性的な曲線を描くしなやかな身体。そして――どこかに、何か大切なものを置き忘れてきたような、光の薄い瞳。

「ああ、アトランタ。どうしたんだ?」

「用ってわけじゃないんだけど」

 周囲に誰の気配もないと思ったのか、アトランタは少しだけ司令官に歩み寄ってきた。そして。

「……」

 まったくためらいなく、彼女は軽く司令官に口づけた。

「おい、誰もいないからって、お前」

「いいじゃない。ちょっと寂しかったんだから」

 そう言って、アトランタは少しだけ、ほんとうに少しだけ、口元に笑みを浮かべた。

 寂しい。彼女がそんな気持ちを表すようになって、どれくらいの時間が経っただろうか。

 合衆国海軍太平洋艦隊から派遣され、鎮守府に着任したアトランタ。執務室に彼女が姿を見せたとき、司令官は「……なるほどな」と、こころの中で呟いた。

 アトランタは、人になつかない猫を思わせた。光の薄い瞳は他者との関わりを拒絶しているように見えた。実際、彼女は誰とも打ち解けようとしなかった。日本の艦娘たちはもちろん、同郷の艦娘たちとも。

 司令官には、アトランタがひどく疲れているように思えた。最初はうまく理解できなかった。何度か出撃を繰り返して、誰かを助けることも、誰かに助けられることもなく、それでも必ず生還してきたアトランタを見て、彼はようやく感じ取った。

 ――アトランタは、自分の「居場所」に疲れている。

 司令官はすべての艦娘に対して平等でなければならない。彼女たちに対して、一切の依怙贔屓は許されない。特別な感情を抱くことも、本当は許されないのだろう。

 だのに、司令官はアトランタを放っておけなかった。彼女の「居場所」をどうにかしてやりたいと思った。

 一目惚れに近い気持ちに気付いたのは、いつだっただろうか。依怙贔屓しているかもしれないと自覚したのは、いつだっただろうか。

 頑なに交流を拒んでいた彼女が、ほんのわずかでも自分のことを話してくれたとき、司令官はときめきに近いものを感じていた。

 ――いつしか、二人は互いへの想いを育むようになっていた。

「最初は『なにコイツ、ウザい』って思った。でも……なんだか、かまわれてると寂しくないって感じてた」

 アトランタは気だるげに語りながらも、司令官に甘えるようになった。少し依存気味なようにも感じたが、彼女がそこまで自分を信頼してくれたことを、司令官は素直に喜んだ。

 人類が、世界が滅ぶかもしれない戦争の中にあって、二人は幸せと呼べるものを見つけた気がしていた。

 

 

*

 

 

 艦娘たちは人間ではなくなった。

 高速修復()を投与すれば半身が吹き飛ばされたような損傷(けが)でも再生、完治する。年齢を重ねることもなくなる。

 そして、比較的幼いときに艦娘として強化された少女たちは、その幼い姿を留め続けることになる。

 特Ⅲ型駆逐艦、暁もそんな艦娘の一人だった。

 何故かアトランタは暁と、そして仔犬を思わせる風貌の白露型駆逐艦・夕立になつかれていた。アトランタの姿を見つけると、二人は飛びつくようにして彼女とじゃれ合った。じゃれ合ったというより、アトランタが一方的にじゃれつかれているだけのようにも見えたが。

 もっとも、アトランタが二人を拒絶することはなかった。悪態をつきながらも、二人を振り払うことはなかった。

「……どうしたの、提督さん」

 午後一〇時を過ぎ、消灯となった鎮守府の中、煌々と照明がともる場所がいくつかあった。その中の一つ、戦時中は昼夜を問わず稼働し続けている隊員食堂で、数枚の便箋に視線を落としていた司令官に声をかける者がいた。アトランタだった。子鴨のように彼女についてきた暁と夕立が顔を覗かせる。夜間訓練から戻ってきたばかりなのだろう、三人とも戦闘装備のそこかしこが汚れていた。

「ああ、ご苦労」

 便箋を丁寧に折りたたみ、司令官は白い封筒にしまった。

「提督さんにお手紙っぽい?」

「ん? ああ、実家の母親からな。古風に手紙なんて送ってきた」

 鎮守府には送るなって言ったんだが。微苦笑を浮かべながら、司令官は、禁句に近いことを口にしてしまったと気付いた。

「お母さん……」

 暁が少しだけ沈んだような声を出した。彼女に限らず、肉親をうしなって、あるいは引き離されて艦娘となった者は多い。故に、家族のことは誰も話したがらなかった。

「すまない、無神経だった」

「いいのよ、司令官。しょげてなんていられないもの。レディならなおさらよ」

 お母さんのようなレディになりたい。暁が背伸びをし続ける理由。彼女の夢。

 それが叶うことはおそらく無いと、暁も、そしてアトランタも気づいているだろうけれど。司令官はどことなく、こころに苦みが広がるような気がした。

 夕立にとって、母親のことは禁句ではなかった。彼女は、物心ついたときから、家族と呼べる存在が周囲にいなかった。夕立は、母親を恋しく思うことが「まだ」できていない。

「アトランタは、お母さんがどうしてるか気になるっぽい?」

「別に。家族じゃないから、興味ない」

 無関心の極限のような声音だった。司令官はアトランタの記録を思い出していた。クリスマスを家族、特に子供と一緒に過ごさない者が合衆国でどういう扱いを受けるか、司令官も知らないわけではなかった。

 簡易ジャンパーの胸ポケットから電子音が響いた。厳重なセキュリティで護られた官給のスマートフォンを取り出した司令官は、パネルに表示された識別番号を見て表情を引き締めた。当直にあたっている大淀からだった。

「提督。統合司令本部より封緘命令です」

 極端に暗号化された通信、すなわち、緊急命令が届いたという意味だった。しかも深夜に。ただごとではない。

「復号を許可する。読んでくれ」

 端末を操作しているのだろう。大淀からの返答は一〇秒ほど遅れた。

「出航命令です。全艦ただちにシドニーへ向かえと」

 大淀は封緘命令書の内容を読み上げた。いつも冷静な彼女の声が、ほんの少しうわずっている。

「ケルマデック海溝上に、『邪神』が浮上しました。環太平洋連合軍は、『邪神』撃滅に踏み切るとのことです」

 

 

*

 

 

 一二月二一日。

 オーストラリア・シドニー。

 艦娘運用母艦として機能していた航空護衛艦<のぞみ>から、秘書艦の大淀や幹部数名を伴って、司令官は合衆国海軍航空母艦<ロナルド・レーガン>へ降り立った。

 <レーガン>で「邪神」を滅却するための、最後の作戦会議が行われるためだ。

 サイレン作戦。環太平洋有志連合軍の総力を挙げて「邪神」へ挑む作戦。事前に送信されてきた資料には、そうとしか書かれていなかった。日本を離れてから、サイレン作戦の概要については何一つ知らされていない。

 司令官が<レーガン>艦内の士官会議室へ入室、着席してすぐに、合衆国海軍の作戦士官がモニターへ真っ白な樽にも似た爆弾の画像を表示した。会議室に集まっていた各国の海軍関係者たちが表情を変える。

「これが純粋水爆『フランマ・デイ』です。ローレンス・リバモア国立研究所が、ようやく一基だけ製造に成功。先ほど本艦に到着しました」

「フランマ・デイ……?」

「神の炎、という意味です」

 神妙な表情で大淀が答えた。

 「『通常の』核弾頭が深海棲艦に対しては無力であるという事実は周知と思います」

 正確に言えば無力なのではない。開戦当初、合衆国空軍は無数の核弾頭を深海棲艦へ撃ち込んだ。確かに深海棲艦は爆風と熱線に吹き飛ばされた。だが、大量に飛散した放射性物質が彼女たちを再生、増殖させた。

 核攻撃は、深海棲艦を増強するだけでしかなかったのだ。

「そのための純粋水爆か……」

 司令官は口元を手で隠しながらうめいた。起爆装置(プライマリ)に核爆弾を用いない純粋水爆は、通常の核兵器と比較して放射性物質の飛散を極めて少量に留める。

「フランマ・デイの格納容器には、技術実証が完了したばかりのゼロ・フィールド・ジェネレータが三基、搭載されています」

 合衆国が開発した、電磁気力に作用する力場発生機構。確か、原子核レベルで物質を操作できる代物だったはずだ。

「これらを〇.〇二マイクロ秒以内に同時起動させることにより、デューテリウムとトリチウムを超圧縮。計算上、中心温度がおよそ二.八億ケルビンに上昇し、熱核反応が発生します。予想される核出力は一七五.一メガトン」

 「邪神」と一緒に地球を抉るつもりか。そんな罵りが司令官の口から漏れそうになった。

 だが、今の人類は、その純粋水爆しか「邪神」を斃す術を持たない。

「発生したゼロ・フィールドの緩衝作用により、熱核反応は極めて限られた範囲にそのエネルギーを集中させます。半径二.八マイルの外側にいれば熱線、爆風、中性子線、さらに閃光の被害もほとんど受けないでしょう。もちろん、そのためにはフランマ・デイを『邪神』の至近距離で起爆させる必要があります。しかしながら、推進システムを含めたフランマ・デイの重量は五.九トンに達しているため、通常の核兵器と同様の運用は不可能です。当然、深海側の妨害も熾烈なものになるでしょう。よって、本作戦では複数の艦娘による護衛部隊を編成し、敵最深海域『インフェルノ』へ突入、マニュアルにてフランマ・デイを起爆させます」

 マニュアル。そう耳にした瞬間、司令官は立ち上がっていた。

「手動!? 手動で起爆だと!?」

「提督……!」

 士官室の視線が司令官に集中する。大淀が制止しようとしたが、構わず、司令官は合衆国の作戦士官に向かって叫んだ。

「決死隊どころじゃない、彼女たちに蒸発しろっていうのか!!」

「決死ではありますが必死ではありません。弾頭より三〇フィート以内にいれば、ゼロ・フィールド同士の干渉によって力場の間隙に退避でき、シミュレーション上では七一パーセントの確率で生還可能でした」

「あんたたちはそれを実証したのか!」

「提督!」

 司令官を制止しながら、大淀も合衆国の作戦士官をにらみつけていた。

 誰かの犠牲を強いることになる作戦。そんなものが作戦と呼べるのか。

 だが司令官はそれ以上、声を出すことができなかった。

 ――彼でさえ、ほかに選択肢が無いことを理解していたのだから。

 

 <のぞみ>に帰艦した司令官は、陰鬱な気分を振り払いながら作戦計画を艦娘たちに伝えた。そして、フランマ・デイの直衛艦、その志願者を一時間後まで募るとも。

 決して座り心地が良いとは言えない司令室のチェアに腰掛けながら、司令官は誰も志願してこないことを祈っていた。だが、そのときは誰かを直衛艦として選ばなければならない。二九パーセントの確率で帰ってはこられない直衛艦を。

 電子音。簡素な執務机に固定された端末、そのディスプレイに小さなウィンドウが表示されていた。作戦主任幕僚からの連絡。たった二行の短い文字列。

 一人だけ、フランマ・デイの直衛艦として志願してきた艦娘がいた。その名を目にした瞬間、司令官は驚きと絶望が混在したような表情を浮かべた。

 アトランタだった。

 

 

*

 

 

 シドニーの街を、真夏の日差しが照らしている。

 ガーデン・アイランドの軍港に接岸していた、環太平洋有志連合軍所属の艦艇。多数の人員と物資と情報が行き交い、サイレン作戦の準備が着実に、そして迅速に進められていた。

 司令官は、その中にあって暇な部類に属する人間だった。彼が最低限の食事を済ませて司令室に戻ると、一人の艦娘が勝手に入室していた。普段なら叱責するところだが、彼女の顔を見て、司令官は表情を曇らせた。

「……アトランタ」

「待ってたよ、提督さん」

 司令官は漂っていたコーヒーの香りに気付いた。執務机の上には、合衆国の航空母艦に倣って<のぞみ>の艦内に設置されたコーヒーショップのカップが二つ。

「一緒に飲も?」

 小さく首をかしげるアトランタ。ふと、普段の彼女を思い出す。

 コーヒーを司令官に持ってきたとき、アトランタはいつも彼の机にそっと片方を置き、自分は少し離れたところでカップを傾けていた。司令官が課業に取りかかっているとき、彼が疲れを感じているとき、アトランタは少しだけ司令官から距離をとっていた。それが、彼女なりの気遣いだったのだろう。

 そんなアトランタが、コーヒーを一緒にと言ってきた。寂しいのか、不安なのか。いつも通りではない彼女を質素な応接セットのソファに座らせ、司令官はその隣に腰を下ろした。

 スリーブ越しの熱さを掌で感じながら、司令官はアトランタへのことばを探していた。

「提督さん。誰かが、そうするしかないんだよ」

 驚いて司令官はアトランタを見た。彼のこころを見透かしたような、光の薄い二つの瞳があった。

「……どうして志願した」

 ようやく出てきたことばがそれだった。彼女を詰問したいわけではない。ただ、彼女の気持ちがわからなかった。

「提督さんでも、そんな顔するんだね」

 アトランタが、少しだけ嬉しそうに微笑んでいた。

「泣きそうな顔してる」

 そう言われて、司令官は自分の表情を引き締めようとは思わなかった。

「……なんでだろうね。気がついたら、フランマ・デイの直衛に志願してた。誰にもやらせたくないって思ってた」

 アトランタはカップを、そっとテーブルの上に置いた。

「提督さん。ちょっとだけ昔の話をさせて。あたしさ、今まで二回、幸せな時があったんだ」

 司令官はコーヒーに口を付けることもなく、静かに、アトランタのことばを待った。

「一回目はダッドとマムと、三人で暮らしてた時。二回目はネイヴィに拾われて、サンディエゴのラボにいた時」

 彼女が艦娘に改造された場所。彼女が人間ではなくなった場所。彼女が――切り離せない過去を、切り離したと思い込んだ場所。

「訓練はキツかったけど、ラボにいたときはお腹いっぱい食べられたし、勉強もさせてもらえたし。なんだか、それが幸せだった。いつまでも幸せじゃいられないってわかってたけど、それでも、ね」

 瞳を伏せたアトランタの横顔を、司令官は素直に綺麗だと思った。

 そして、それがひどく壊れやすいとも。

「独りでも幸せでいられるってわかって、どうしてかな、安心してた。人間じゃなくなって、艦娘(フリートガール)になって、独りで」

 寂しいなんて思わなかったよ。少しだけ、司令官に上半身を預けながら、アトランタは自分に言い聞かせるように呟いた。

 きっと、彼女は両親をうしなってから、ずっとそう言い聞かせてきたのだろう。居場所をつくるために。

「ダッドがよくあたしに言ってたんだ。"Cherish your solitude." 汝の孤独を愛せ、って」

 どこか懐かしむようにアトランタは続けた。

「だから、独りがあたしの居場所だと思ってた。独りでいれば、誰もあたしを傷つけない。誰もあたしを嫌いにならない。そうやって、閉じこもっていればいいんだと思ってた。でも――」

 アトランタは、胸元のポケットから傷だらけのスマートフォンを取り出した。白い指でロックを解除する。

 パネルに映っていたのは、彼女が映った写真だった。彼女だけではない。隣には司令官がいるし、二人の駆逐艦――暁と夕立が、アトランタにじゃれつくようにして無邪気な笑顔を浮かべている。

「独りの殻、壊されちゃった。提督さんが思いっきり穴を空けて、アカツキとナイトメアが粉々にしちゃった」

 呆れたような、それでいて――幸せそうな声音。

 どこか遠くから、機関が始動する音が聞こえた。<のぞみ>は二時間後に出航する。

「あたしは行くよ。……提督さんがいる世界を、なくしたくないから」

「……お前、変わったな」

「そう? 変わったんじゃなくて、変えられたんだけど」

 優しい瞳でパネルをもう一度見つめてから、アトランタはスマートフォンをそっと胸元に戻した。そして、何かとても素敵なことを思いついたように瞳をしばたたかせると、上目遣いするように司令官の顔を覗き込んできた。

 彼女の瞳に、光が戻っていたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。

「提督さん、戦争を終わらせたら、みんなでクリスマスのパーティやろうよ。アカツキとナイトメア、それにコンゴウやヒエイも呼んでさ」

「終わらせたら、か」

 戦後。アトランタに戦後があるのだろうか。七一パーセントの生還確率。

 二九パーセントの確率で、彼女は生還できない。

「約束して」

 拗ねるような言い方と、その声に宿ったわずかな[[rb:強 > こわ]]さ。

 アトランタがたいせつに抱え持っていた無邪気さの裏にある、この世から消える恐怖。

 自分しか、彼女を安心させてやれない。司令官は、気づかないうちに苦笑を浮かべていた。やがて、その苦笑は優しい微笑に変わる。

「……わかった。盛大にやろう。約束する」

「Thanks」

 ふっとコーヒーの香りがした。アトランタが、司令官の頬に口づけていた。

 

 

*

 

 

 一二月二四日。

 ニュージーランド標準時午前八時二九分。

 ケルマデック海溝直上、南緯三一度七分、東経一七六度〇分。

 

 サイレン作戦、発動。

 

 シドニーを二日前に出航した有志連合軍、各国の艦娘母艦から一斉に艦娘艦隊が出撃した。

 トンガ方面から南下するフランマ・デイ護衛艦隊。

 彼女たちをさらに護衛する多数の艦娘。

 やがて、大規模な深海空母機動部隊と彼女たちは接触した。

 フランマ・デイ護衛艦隊は最大速力の三五ノットを維持したまま南下し続ける。

 彼女たちを深海から護っていた艦娘たちが次々と大破、脱落していく。

 薄皮が一枚ずつ剥がれていくように護衛を失いながらも、フランマ・デイは海上に姿を現しているはずの「邪神」へ突き進んでいった。

 

 

「護衛艦隊、インフェルノに進入!」

 旗艦を務める比叡が、後方の有志連合軍司令部へ送った通信がアトランタにも聞こえた。真っ赤な海。血のように赤く、そして血よりも冷たい水が広がる異界のような海。インフェルノ。そこへ艦娘が到達したのは初めてのことだった。

 フランマ・デイの弾体は赤い箱のように見えた。格納容器を包んだ間に合わせの装甲、それを無数のケーブルが覆っている。

 ひどく不格好なプレゼントボックス。フランマ・デイの直衛にあたっていたアトランタはそんな風に思った。それを届けにいく自分はサンタクロースなのだろうか。多くの対空砲と、レーダーと、薄汚れた戦闘装備をまとったサンタクロース。届けにいく相手はクリスマスツリーを飾り疲れて眠る子供などではなく――「邪神」。世界の敵。

 データリンクが失われた。比叡の後方で戦域情報処理にあたっていた青葉が大破したのだ。すぐにバックアップへ切り替わる。

 三五ノットの速度で海を疾駆するアトランタの視界に奇妙なものが見えた。高さが二〇メートルはあろうかという、虫のような羽と(ひれ)、人間のような腕を多く持つ異形。赤い海に浮かぶ黄土色の「邪神」が、深海棲艦と艦載機を従えながらアトランタたちを見据えていた。

「ああ、なんかいたな。こういうヘンな魚。Leafy sea dragonって」

 ぼんやりとそんな感想を抱きながら、アトランタは生き残っていた対空砲とFCSに最後の砲弾と電力を送り込んだ。

 閃光。炸裂音。赤い水柱。最上が、神通が、ブルックリンが、悲鳴もあげずに吹き飛ばされる。深海棲艦が粉砕され、それと引き換えのように護衛艦隊が一人、また一人と脱落していく中、硝煙で汚れたアトランタを伴い、無傷のフランマ・デイは「邪神」の目前で急激に減速、停止した。

「Hi. プレゼントのデリバリーだよ」

 腰のホルスターから、ベルギー製の拳銃にも似たフランマ・デイの起爆トリガーを取り出し、アトランタは「邪神」にそう呼びかけた。いつも通りの、気だるげな声で。

 大破した味方は既に五マイル以上の距離を退避している。計算通りなら、彼女たちは危害半径から離脱しているはずだ。

「じゃあ、やりますか」

 既に深海棲艦と艦載機はすべて撃沈、撃墜された。その場にいるのはアトランタと「邪神」だけだった。

 不思議な静寂があった。赤い海は凪ぎ、風の音も聞こえてはこない。

 そして、静寂をフランマ・デイのジェネレータ起動音が破った。「邪神」は動かない。アトランタは二つの視線を「邪神」へ向けた。

「撃ってこないんだね、あたしを」

 地球の生命とは違う造形の「邪神」を見上げながら、語りかけるようにアトランタは呟いた。

「ま、いいや。ジェネレータ(こいつ)があったまるまで、話、聞いてくれる?」

 もしかしたら一緒に消し飛ぶかもしれないからさ。もう役に立たなくなった艤装をパージする。髪の房を留めていた錨の飾り。それが消えていたことに彼女は気づいていなかった。

「本当は、マムに会いたかったんだと思うよ、あたし」

 起爆トリガーのスライドをコッキングし、安全装置の解除コマンドをフランマ・デイに送信した。

「でも、会いたいのはあたしとダッドを裏切らないマム。もうこの世界のどこにもそんなマムはいない。だから、興味ないって言っちゃった」

 安全装置解除確認。ジェネレータ出力上昇。

「独りのままだったら楽だった。この世界に愛着があったわけでもないけど、独りで生きていきたいって思った。最初は」

 アトランタはトリガーを持ち上げ、「邪神」へ向けた。

「……提督さんに責任とってほしいから志願したんだ、あたし。あたしを独りじゃいられなくした責任」

 起爆トリガーを両手で構える。存在しない銃口の向こうに、醜悪な「邪神」の顔があった。

「話はおしまい」

 光の薄い瞳が細められた。

「消えろよ。あんたがいたんじゃ、提督さんとみんなが生きていられない。そんなの、嫌なんだ。絶対に嫌なんだ。……だから、消えろ」

 人類のためでもなく、地球の生命すべてのためでもなく、アトランタは彼女の知る、彼女の孤独を破壊した者たちのために、トリガーを握る指に力を込めた。

 ジェネレータがさらに出力を上げる。太陽が水平線の向こうへ沈み始める。オレンジ色に染まった世界。

 

Deck the halls with bought of holly, Fa la la la la la, la la la la――

 

 「邪神」を見上げながら、アトランタは小さく口ずさんだ。

 

Tis the season to be jolly, Fa la la la la, la la la la――

 

 それは、消えつつあった、家族との思い出の歌。

 ありふれた、クリスマスキャロル。

 

Don we now our gay apparel, Fa la la, la la la, la la la――

 

 ダッド、あたし、最後も独りだったよ。

 

Troll the ancient Yule tide carol, Fa la la la la, la la la la――

 

 トリガーが引かれた。

 起爆。

 

 

*

 

 

 <のぞみ>のCDCは沈黙に包まれていた。閃光と地鳴りのような轟音が観測された後、あらゆる光学機器、レーダーから「邪神」の反応が消えた。

 艦娘艦隊のデータリンクが復旧し、各艦の位置と状況が確認される。ディスプレイ上で次々と識別されていく艦娘たち。司令官はその様子を静かに見守っていた。

「バスター1、カムヤマト、送レ」

 通信員がアトランタへコールサインで呼びかける。反応はない。データリンクも回復しない。

「バスター1、カムヤマト、送レ」

 反応はない。

「バスター1、カムヤマト、送レ」

 艦隊司令のコンソール前に腰掛けていた司令官はうつむいた。「邪神」は斃した。だが、彼女は――

『――Buster 1, over.』

 五回目の呼びかけ、その数秒後、声が聞こえた。司令官は顔を上げる。

 それは、アトランタの声だった。

『提督さん』

 ちょうど「邪神」が存在した場所、沈みかけた夕陽の向こうから、アトランタはたった一人に呼びかけてきた。

『ここには、サンタクロースがいるよ』

 データリンク回復。識別信号確認。アトランタ、健在。

『……メリークリスマス』

 どこかはにかむような通信の後、彼女の反応は<のぞみ>へ向かって移動しはじめた。

「メリークリスマス」

 インカムのマイクを右手で覆いながら、司令官は少しだけ泣きそうな声で、そう呟いた。

 

 

*

 

 

 二年後。

 ようやく戦後処理と呼べるものが片付き、司令官とアトランタが鎮守府にほど近い家で暮らし始めてから数ヶ月。

 世界へ六年ぶりに訪れた、クリスマス・イヴ。

 もうすぐ日付が変わろうかという時間、司令官とアトランタは惨状と言っていい様相を呈しているリビングを見渡していた。

 なんということはない。第六駆逐隊と白露型を連れてきた暁と夕立が存分にクリスマスパーティを満喫していった結果だった。

「あいつら、好き勝手楽しんでいきやがって……」

 両腕を組んで、アトランタは呆れかえっていた。パーティには金剛型姉妹も来ていたが、金剛と霧島は酔い潰れてしまった比叡と榛名を介抱して辞去していった。二人とも片付けを手伝うと申し訳なさそうにしていたが、司令官は「なに、ホストは俺たちだ。心配無用」と笑顔で姉妹たちを帰していた。

「そういうパーティがしたかったんだろう?」

 いたずらっぽく司令官が言うと、アトランタは少しむくれたような表情を見せ、やがて、微笑んだ。

「……そうだね」

 でも、賑やかすぎるのはもうパスしたいな。自由すぎる飾り付けがされたクリスマスツリーをそっと撫でながら、アトランタは司令官を振り返った。

「来年のクリスマスは、三人で静かに過ごそっか」

 そう言って、瞳に光を取り戻したアトランタは笑った。

 彼女にとって、もう孤独は愛するものではなくなっていた。

 

 


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